レンズ越しのセイレーン
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Mission
Mission7 ディケ
(8) キジル海瀑
前書き
彼 と あの人 が 生きてるなら 何だっていい
ふいに体を苛む痛みが消えたのに、ルドガーは気づいた。
(息できるって、マジで有難い。けど、くそ、エルたちにみっともないとこ見せちまった)
まだ全身に上手く力が入らないものの、ルドガーは意地だけで上体を起こした。
「ルドガーぁ!」
「ナァ~!」
「おわ!?」
エルとルルが飛びついてきたせいで、せっかく起き上がったのにまた砂浜に寝そべるハメになった。ギュウギュウに抱きつかれて身動きが取れない。
「大丈夫か? 苦しくないか?」
起きる前にユリウスが畳みかけて問うてきた。濃く浮かぶ心配の色。ルドガーはとっさに顔を逸らした。
ルドガー・ウィル・クルスニクは気まずかった。
まずニ・アケリア任務で剣を向けた時にかなりひどい言葉をぶつけた。
加えて今日、ユリウスはルドガーを助けるために自ら腕を切って血を流した。戦闘エージェントにとって武器を握る手は命の次に大事なものなのに、あんなにも、ためらいなく。
(なんか、俺、一人だけ馬鹿みたいじゃねえかよ)
「おい、どうしたんだ。まだ術の影響が残って」
「大丈夫だって! いい加減心配しすぎだ」
ルドガーは今度こそ起き上がる。もちろんエルとルルは膝に抱えたまま、腹筋と背筋のみで。エージェントになってからその程度の体力はつけた。
「そうか。よかった……本当に」
(そんな……何もなかったみたいに、安心した顔するなよ)
居た堪れなさに逸らした視線の先――勢いよく海中から何かが飛び出した。
あ、と数名が声を上げる。何か、はユティだった。
海水を掻き分けて海岸に戻ってくるユティには、えもいわれぬ迫力があった。骸殻は解けている。女子の服が濡れて肌に貼りつけば色気でも感じそうなものなのに。ずぶ濡れで上がってくるユティの眼光のせいだろうか。
ユティは砂浜に水の足跡を残してこちらに戻ってきた。砂浜に座り込んでいた面々は、何故か慌てて、立ち上がって迎えた。
誰も声をかけられずにいる中で、唯一、ローエンが動いた。
「若い娘さんが体を冷やすのはよろしくありません」
ローエンは彼自身の燕尾のコートを脱ぎ、ユティに頭から羽織らせた。小柄な彼女では頭から被るくらいでちょうど丈が合う。
「濡らしてしまうわ」
「ユティさんが風邪をひくことに比べれば、コートの一着や二着、安い物です」
ユティはコートの袷を片手で握り合わせ、一番にユリウスの前へ立った。
「返す。ありがとう。助かった」
「いいのか」
「どっちであってもアナタのものであることに変わりはない」
差し出す銀時計を、やはりというべきかユリウスは左手で戸惑いがちに受け取り、ベストのポケットに戻した。
次にユティはルドガーたち全員を一望し、握っていた拳を開いた。
「コレ、誰かにあげたい。要る人、いる?」
ユティが掲げたのは、彼女自身が満身創痍になって得た『海瀑幻魔の眼』。
「ワタシ、要らない。カナンの地に行きたい人にあげるのが順当だと思うけど、誰にあげていいか分からない。だから求む立候補」
決定までは短かった。ルドガーがユティの手から「道標」をひょいと取り上げたからだ。
「俺が要る。いいか、ユティ」
「ユティは誰が持ってても異存はない」
ルドガーは密かに強く「道標」を握りしめた。
ルドガー自身の力で手に入れられなかった「道標」。ユリウスの流血とユティの激闘がなければ得られなかったモノ。
(結局こんな時でさえ俺は兄さんに助けられなきゃ何もできなかった。エルと一緒に『カナンの地』に行くって、約束したのに)
目の前の少女が骸殻能力者だったという事実は、ルドガーの役者不足を思い知らせた。
(エルはユティが骸殻で戦えるって知って、どう思っただろう。もし俺なんかよりこいつのほうが頼りになるなんて思ってたら)
エルはルドガーを見限って、もっとカナンの地に行けそうなユティに付いて行きはすまいか。ルドガーの手から飛び立ってしまうのではないか。その未来が怖くてたまらない。
ルドガーがユティと目を合わせられないままでいると、ローエンがユティに声をかけた。顔を上げる。
ローエンが持っていたのは、変身前にユティが放り出した黒いカメラだった。
「精密な機械のようですから、乱暴に扱うのはよろしくありませんよ」
「――――」
「全力投球の趣味、なのでしょう?」
ユティは無言でローエンからカメラを受け取り、首からかけ直した。その表情はどこまでも重く苦い。まるでカメラを持つ己を恥じ、悔いているように見えた。
(恥じたいのは俺のほうだってのに)
「ローエン。ユリウスの傷、治してあげて」
「分かっております。ルドガーさんのために負った傷ですからね」
ローエンは呆けたユリウスの前に行き、ユリウスの腕の傷口に両手をかざす。ぱっくりと裂けたユリウスの右腕は、癒しのマナによって塞がった。
「申し訳ない。お手間を取らせた……精霊術というのは便利だな」
「エレンピオスの方にはそうお見えになるでしょうね」
答えたローエンは少しばかり寂しげだ。ここにもエレンピオス人とリーゼ・マクシア人の価値観の壁があるのかもしれない。
「ほらユティ、あなたも靴脱いで」
ミラがユティに声をかけた。
「何で?」
「さっき! 幻魔から『道標』と時歪の因子抜くので、足の裏、火傷してるでしょ。見せなさい」
「どってことない」
「こっちにはあるの。ほら、さっさと脱ぐのっ」
ミラはユティに足払いをかけ、尻餅をついたユティのブーツを容赦なく脱がしにかかった。
濡れたブーツを脱がせてあらわになったのは、皮が剥けてピンクの皮下細胞をじゅくじゅくと晒しながらも、裂けた皮は炙られて硬くなった足裏。
ミラはその両足に治癒術を施し始める。エリーゼやジュードが使う術に比べればひどく弱い。それでも癒しのマナは、ぷじゅ、ぷじゅ、と爛れた細胞を一つ一つ元に戻していっていた。
「どってことないのに……」
「どってことなくない!」
エルがユティに詰め寄った。
「ケガしてるならイタイってちゃんと言わなきゃ。ガマンしてたら誰も分かってくれないんだからねっ」
「この程度は我慢の内に入らない」
「もーっ。ああ言えばこーゆーっ」
「ナァ~~」
どうしていいのか分からず立ち尽くしていたルドガーのホルスターで、GHSが大きく振動して着信を知らせた。ルドガーは条件反射で急いでGHSに応答した。
「はい、ルドガーですっ」
『んな大声で言わなくても聴こえる』
血の気がざっと引く音が聴こえた気がした。電話の相手はよりによってリドウだった。
『ヴェルから聞いた。分史に入ったんだってな。で、ユリウス見つかったのか?』
「え、えっと、その」
『こっちじゃ見つからなかったんだからそっちしかないでしょ。捕まえたわけ? それともまさか、逃がしたとか言わないよね』
「あ…」
どうしよう。その想いで頭がいっぱいになる。クランスピア社はユリウスを捕縛する方針だし、奪われた「道標」は返してもらわなければ、エルをカナンの地に連れて行ってやれない。
それに、何より、何よりも。
(また、つかまる。ここで兄さんをゆるしたら、またおれは、あそこに逆戻りする)
その時、ハ・ミルでの会話を思い出したかは知らない。単にさまよわせた視線の先に彼がいただけかもしれない。
ルドガーはローエンに目線をやっていた。
ローエンが進み出る。訝しむ間に、失礼、と言い置いてローエンはルドガーのGHSを取り上げ、代わりにリドウに報告を始めてしまったのだ。これにはルドガーはもちろん、ユリウスもあ然とした。
「ええ、ルドガーさんはまだ『道標』奪取のための戦闘から回復しきっておらず。…………。今は何とかしゃべれるという程度ですので、わたくしでご容赦ください。…………。ええ、ちゃんと手に入れましたよ、『海瀑幻魔の眼』ですね。……。ええ。……はい……」
蚊帳の外のまま進む話。ルドガーはただ立ち尽くしていた。同時に、安心して、そんな己をみじめに感じていた。
後書き
ルドガーの内省回でした。
無力を感じて恥じて、それでも胸を張っていられるか。そこが男の価値を変えるポイントですよね。ルドガーが挽回できるキーは? エルでしょう!(←世間のアレに乗っかってみた)。
ローエンじーちゃんのダイナミック気遣いも書けて楽しかったです。
さりげなく骸殻解禁して大立ち回りしたのに誰からも労われていないオリ主。いやきっとローエンとかは舞台裏で言ってますよ? んー、チームのリーダーかマスコットかどちらが倒れたかのショック度の違いと言いますか。ルドガーはエルと違って大人の男だから、小さな女の子より「倒れるわけない」という無意識の認識があるんですよね。だからそのギャップがよけいにみんなを驚かせたのです。
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