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レンズ越しのセイレーン

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Report
  Report1 カストール

 
前書き
 何で? あなたは強いのに 

 

 カメラのレンズよし。フレームよし。充電よし。電源よし。
 メモリーカード2枚とストレージ。充電器。予備のバッテリー。旅行用ガイドブック。三脚。レンズ。ショートスピア。1ページ式のミニアルバム数冊。財布。GHS。タオル。替えの下着。

 装備を一通り確認し終えてから、それらを三脚ケースに詰める。機材は傷まないように、それ以外は適当に。詰め終わったらジッパーを閉じ、ケースを肩に担ぎ、カメラを首から提げる。

「出かけてくる」

 キッチンでエプロンを着て料理中のルドガーに声をかける。

「撮影か」
「ん」
「気をつけて行けよ。帰りは?」
「未定」
「分かった。帰る前に連絡入れろよ」
「ん。いってきます」

 ユティはルドガーに手を振って部屋を出た。


 トリグラフ郊外。ユティは小走りに待ち合わせの相手に近寄った。陰鬱としたこの地域に不釣り合いな、清潔なコートを着た男。

「ユリウス。来たよ」
「――、ああ」

 GHSを操作していたユリウスが顔を上げ、ユティを認めた。

 撮影旅行と称してユティはひんぱんに出かける。誰もそれを不審がらない程度には、ユースティア・レイシィはカメラフリークであると思わせる演出をしてきた。
 実際はこうして、ユリウスと密会し、分史世界の探索をするための外出。
 もっとも、入った分史であちこち撮影するから、撮影のため、という理由はあながちウソではない。

「時間きっかりだな。さすが」
「それほどでも。早く行こう」
「ああ。頼む」

 ユリウスはGHSを操作し、座標進入点のデータを画面に呼び出し、ユティに手渡してきた。
 ユティはGHSを受け取ると、ポケットの夜光蝶の時計に触れて、感覚の中で両者をリンクさせた。

 そして、一組の男女がまた新しい分史世界へと踏み込む。



 ザワ。ザワ、ザワ。ザワ。

「どこ?」
「ディールだな。元・港町の。偏差を見るに近くに時歪の因子(タイムファクター)があるはずだが」

 ふとユティがユリウスのコートの袖を引いた。

「ねえ。あれ、何?」

 ユティが指さしたのは、広場のあちこちに止まっている鳥。

「ハトだよ。見たことないのか?」
「初めて見た。あれ、生き物? 本物?」
「少なくとも俺はあれほど精巧な機械人形(オートマタ)は見たことがないな」

 するとユティは軽やかに駆けていき、地面を歩く一羽のハトの前でしゃがんだ。こういう盛り場に慣れた生物は人間を怖がらないものなので、ユティが近くで見ていてもハトは飛び立たない。ユティはそれをじっと見つめ続ける。

 ユリウスはつい歯切れよい溜息と共に苦笑していた。

「エサでもやってみるか?」

 近寄って上体を折って、しゃがむユティに提案する。

「何がごはん?」
「鳥は基本雑食だから何でも大丈夫だぞ。ほら、あの辺の露店の、パンくずとか野菜の切れ端でもいい」
「10秒でもらってくる」

 ユティは俊敏に立って露店へと走っていった。

 こんなふうに和む余裕はないと頭では分かっている。行くぞ、と一言告げればユティは文句を言わずに働くこともこれまでの付き合いで知っている。それでもユティの道楽を黙認するのは、ユリウス自身が逃亡生活に倦んでいて、新しい刺激を欲しがっているからなのだろう。

「もらってきた」
「ジャスト10秒……」

 戻ってきたユティは質の悪い紙袋の口を戦利品のように掲げた。

「じゃあ手に持ったまま近寄ってみろ。手を開けたままにすると、タチが悪いのはエサだけ()って逃げるから、手の中に握り込んでおくんだぞ」

 ユティは紙袋を持ってハトの群れに向かおうとした。しかし、はたと間を置いて、Uターン。

 ユリウスが見守っていると、ユティは三脚ケースを降ろし、中から三脚を立ててカメラをセットし、しばらくカメラをいじったり覗いたりしてから戻ってきた。そして、素直にもユリウスが言った通りのやり方でハトを呼び寄せ始めた。

 ユリウスは広場の噴水の縁に腰を下ろし、ぼーっとユティを眺めた。

 くるくる。好き勝手なステップ。人間が好き勝手に動いても鳥たちは捕食本能のままにユティに付いて回る。少女とハトの即興舞踊。
 足りないのはバックミュージックだけ。
 ユリウスはふと、なんとなく、本当に気まぐれに。癖になった「証の歌」をハミングしていた。

「その歌」

 ユティがステップを踏むのをやめて、こちらを向いてごく淡く笑った。

「その歌、大好き。寝る前にとーさまが歌ってくれた」

 そしてユティは唄い始める。伸びやかなハミングは雑踏とハトの鳴き声をコーラスに(ほど)けてゆく。
 ユリウスは、自身以外の声でこのメロディを聴くのが初めてだったので、ついユティが歌い終わるのを待ってしまった。

「君のお父さんはクルスニク直系なのか」
「うん」
「それなら証の歌が伝わっていても不思議はない……か?」

 もっと深く尋ねてみようとしたユリウスは、ユティが話す内に手を開いているのに気づいた。
 エサの屑でベタベタのままの手の平を、だ。

 次々に肩や腕に止まるハトの群れ。数は暴力である。ユティはどんどん萎縮していく。あっとういうまにハトまみれだ。

「や、や、ぅぁ」
「言わんこっちゃない!」

 ユリウスは急いで駆け寄ってユティに(たか)るハトを手で追い払った。

「びっくり、した」
「こっちがびっくりだよ」
「本物の生き物って、あんなに俊敏なのね。初めて知った。しかもすごく捕食に貪欲で、凶暴で。すごい勢いで集まってきた。全然可愛くなかったの。ワタシ人間なのに全然従順じゃなくて、エサ奪い取ろうとするだけなの。すごいね」
「――もしかして今、興奮してるか?」

 両拳をぶんぶん振っていたユティは、自分がどういう状態か分かっていないように首を傾げた。
 ユリウスは片手で顔を覆って盛大に肩を落とした。

(重症だ。どんな箱入り娘だ)

「あ」
「今度は何だ」
「カメラ。撤収」

 ユティは駆けていってカメラを回収し、三脚をすばやくケースに納めていく。

(どこまでも自分のペースで生きてる子だなあ。いっそ清々しいくらいだ)

「エサ、余った」
「適当にくず籠に捨てればいいさ。――さて、そろそろ時歪の因子探しに行くか」
「ココのはヒトかな、モノかな」
「君はどっちがいいんだ」
「どっちでもいい。ちゃんとどっちでもできるように教えてもらった。ユリウスは?」
「君と同じだよ。やることは同じならどちらでも変わらない。ただ、個人的な希望としては魔物だな」

 良心の呵責に悩まされずにすむ。物に次いで後味の悪さもない。

「選択肢にないの、言った。反則」

 ユティは軽く頬を膨らませた。案外年頃の娘らしい顔もできるじゃないか、とユリウスは小さく笑う。

「選択方式だと先に宣言しなかったほうが悪い。まあ、普通の魔物ならまだしも、ギガントモンスターだったら少し悩むが」
「何で?」
「ギガントモンスターがどういうものか知らないのか? 普通のエージェントや傭兵じゃ太刀打ちできないからギガントなんて名が付いたんだ」
「普通のエージェント、じゃない。アナタは誰より強いのに」

 ユリウスを見上げる(そう)(ぼう)には一点の曇りもない。
 彼女は本気で、ユリウスならどんな強大な魔物であろうと楽々勝てると信じている。憎らしくなりそうなほどに、偶像のユリウス・ウィル・クルスニクを信じている。

「強いフリをしてきただけだ。実際には俺程度ならそこら中にいる」
「いない。ビズリー社長、言ったもん。ユリウスは最強のエージェントだ、って」

 ユリウスは言葉を失った。ビズリーの名を出されるとは予想だにしなかった。だが、すぐに嘲笑が口に昇る。

「……俺の凡庸さを一族の誰より知るあの男が? 本当にそんなことをぬかしたなら、皮肉以外の何でもないな」
「本当なのに……」
「無駄話はここまでだ。時歪の因子(タイムファクター)を探すぞ」

 ユティは肯いてから、紙袋を破いた。パンくずやしなびた野菜が辺りに散らかる。突如として現れた大量のご馳走に、ハトたちが殺到した。集まったハトの中には、エサにありつきそびれて露店を狙うのもいて、露店商の悲鳴がちらほら聞こえた。

(俺を一番に見限ったのは、他でもないあなたじゃないか)

 ユティが物言いたげに見上げてきた。何でもない、とそっけなく答え、歩き出した。 
 

 
後書き
 毎度お世話になります、木崎です。
 本編がストップしております中で番外編を上げてディスプレイの前でがっかりなさっている皆様が見えるようでございます。実に申し訳ありません。木崎が本編で行き詰っているので番外編に逃げました。逃避です。ただの逃避です。スイマセンでしたあああああε≡ ヽ__〇ノ!!

 今回のテーマは「父親」でした。実は「父親」でした。
 ユリウスとオリ主の鳩イベントは親子レジャーをイメージして書きました。どうしたかね? 父娘感出てます?
 一族の期待を一身に背負った御曹司に一番堪えたのはほかでもない父に見切りをつけられた事実ではないでしょうか? Jコード1見るに最初はパパンの期待に応えたくて努力してきた的文章があったので。
 ラストでオリ主が紙袋を無造作に破くのはそのメタファーです。鳩を呼ぶためのアイテム→ただのお荷物、ゴミという、有価値から無価値への転換のつもりです。
 子供という生き物は大なり小なり親に褒められれば嬉しいし、もっと褒められたいから頑張るという作用を持っていると作者は思うんです。世界で活躍されている方々にも、親御さんの喜ぶ顔が動機になっている方をそこそこ見かけます。親からの承認については心理学や育児ノウハウでもよく見ます。これを書く内に集めたそれらの知識がこの物語の基盤にはあります。

 本当は。時歪の因子(タイムファクター)を探し出して破壊して正史に帰ってのやりとりがあって、という所まで続くはずだったのですが、長くなりすぎるのでカットしました。その辺はまた別の回でやりたいと思います。

4/10 お詫び
「M6以降で協力関係」と書きましたが、この時間軸ではまだユリウスは拘束中なので矛盾が生じることに気づきました。作者のミスです。実際はM4とM5の間の出来事です。申し訳ありませんでした。

【カストール】
 ゼウスとレダの子。馬術の達人。ジェミニ(ふたご座)の片割れで、弟は剣技と拳闘の名手ポルックス。父親は違っていて、弟は不死を持っていたが、カストール自身は普通の人間だった。そのため戦争で流れ矢を受けた時に死亡してしまう。 
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