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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド編
  Determination of black

 ボスであるイルファングと、その取り巻きであるセンチネルが甲高い消滅音を残してその姿を広大な部屋に散らしたのを最後に、まるで時が止まったかのように、部屋を静寂が包み込んだ。
 部屋を覆っていたオレンジの光が黄色へと移り変わり、こもった熱を何処からか吹き抜けた風が洗い流す。
 マサキは柳葉刀を鞘にしまうと、大きく息を吐き出して、両のこめかみを揉んだ。頭が重く、数秒ごとに軽い鈍痛が響く。

(ま、こうなるか)

 マサキはなおもこめかみを押さえつつ、納得した。いかに超人的な脳を持つマサキであっても、筋肉の伸縮具合の演算から攻撃を予測する、などといったこと実行すれば、脳にそれなりの負担が掛かる。何度も連続で使用した場合、脳の回転速度は確実に落ちていくだろう。

 だが、マサキはそれについて、特段憂慮していなかった。
 第一に、この方法で敵の攻撃を見切らねばならないのは、その攻撃を見るのが初めての場合のみだ。二度目からは、前回までの記憶から記録(データ)を参照することによって予測が可能になる。予測制度を高めるためにこの方法を併用することはあるだろうが、この方法のみの場合よりも、精度、速度、そして脳への負担の全てにおいて遥かに性能は上昇するはずだ。
 第二に、この程度の能力の低下は、マサキにとって微々たる物でしかない。確かに思考速度は数分前と比べて下がっただろうが、それでも常人のそれを遥かに超えている。それくらいの能力の低下よりも、一度の使用でどれだけ負担が掛かるのかの情報を得ることが出来たことの方が今回は明らかに大きい。
 そして第三に、マサキは脳の疲労には慣れている。ホワイトハッカーとして大掛かりな、あるいは困難な依頼を請けたときには、今よりもずっと激しい疲労に襲われたことが多々あった。それほどではなくても、依頼をこなした後はある程度の疲労は当たり前だったし、その状況で更なる仕事をこなすことも珍しくはなかった。故に、マサキは疲労との付き合い方も、またどうすれば効率よく疲労を取ることが出来るのかも、経験則として知りえている。そしてその知識に従えば、今の疲労はそれほど意識して休息を取らずとも、一晩寝れば確実に取り除けるくらいのもの。過剰に気を配れば、その分だけさらにいらぬ疲労を重ねてしまう可能性もある。
 マサキはそこまで考えたところで思考を収束させ、こめかみを掴んでいた手を下ろした。この時点で、既に鈍痛は跡形もなく消え去っている。マサキは振り返り、未だ静寂に呑み込まれているプレイヤーたちと、その先頭で片手剣を振り上げているキリトに視線を投げた。表情はどれも同じで、本当にボスを倒せたのかという不安とボスが復活するのではという恐怖が渦を巻いている。

 やがて、時が停止したようにも感じられる静寂の中を、一つの白い手が動いた。滑らかな光沢を放つその手は、すぐそばにあったキリトの手に触れ、硬直したままの剣を下ろす。その手の持ち主であるアスナは、部屋を彩る黄色の光で黄金に染め上げた栗色の髪を揺らしながら、そっとささやいた。

「お疲れ様」

 その言葉に、キリトの顔に浮かんだ不安と恐怖が一気に掻き消えた。代わりに、途方もない安堵感が胸中より湧き出てきて、彼の顔を染める。
 そしてそれを引き金に、システムはプレイヤーたちの眼前に、平等に一つのウインドウを出現させた。獲得経験値量、分配されたコルの額、ドロップしたアイテム。つい先ほどまで立ちはだかっていた障壁を打ち破ったという、完璧な証。
 それは止まった時を再び動き出させる動力となり、同時にプレイヤーの心に溜まった感情を爆発させる起爆剤となった。一拍の溜めを置いた後、喜びが歓声となって具現し、部屋を飽和させる。そしてここで、マサキの視界が急に暗転し、同時に圧迫感と重量感がマサキを襲った。

「うおっ!?」

 流石のマサキもこれには驚き、声を出してしまう。何とか視界を覆う暗闇を引っぺがすと、つい先ほどまで、マサキの横で他のプレイヤーと同じ表情を浮かべていたトウマの、爽やかな顔があった。

「やった、やったよマサキ!! 俺たち、勝ったんだ!!」

 叫びながら、トウマはさらに強い力でマサキに飛びつき、再び彼の視界を暗闇で覆う。その衝撃でマサキは数歩よろめくが、右足を後方で踏ん張ることによって何とか転倒を回避し、体勢を立て直す。なおも胸の上ではしゃぎ続けるトウマからマサキが脱出すると、今度はチョコレート色のシルエットが視界を覆った。シルエットは右拳を突き出しながらにやりと笑う。

「あんたも見事な剣技だった。コングラチュレーション、この勝利はあんたたちのものだ」

 マサキは咄嗟にビジネススマイルを浮かべ、拳をぶつけて対応する。そして、いくらか落ち着いたトウマも同じく拳を突き合せようとした、その時。
 今まで部屋を埋め尽くしていたものとは、全く逆のベクトルを持った絶叫が轟いた。

「――なんでだよ!!」

 裏返り、上ずったその絶叫は、この部屋に充満した勝利の余韻を一滴残らず吹き飛ばした。代わりに満ちた重苦しい沈黙は、部屋の気温が著しく下がったように錯覚させる。
 振り向いたマサキは、憎々しげにキリトを睨む一人のシミター使いを見つけ、姿を海馬に保管されている膨大なデータと参照した。
 ――確か、彼はディアベルがリーダーを務めるC隊の一員だ。
 見れば、シミター使いの後ろにはC隊のメンバーが勢揃いし、各々がキリトに対して深い憎悪の視線を向けていた。当のキリトは未だ目の前のシミター使いが誰なのか思い出せない様子だったが、シミター使いが次に発した言葉が、彼の記憶を呼び覚ました。

「――なんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!!」

 ようやく、キリトは目の前の男が何者なのかを悟った。少しの間を置いて、今度は理解できなかった単語について尋ねる。

「見殺し……?」

 キリトと同じく、シミター使いが発した文の意味が解らなかったマサキは、じっとシミター使いの口元に視線を注いだ。
 ボス戦とは別種の緊迫感が漂い始めた空間で、唇を限界まで歪めたシミター使いが苦しげに叫んだ。

「そうだろ!! だって……だってアンタは、ボスの使う技を知ってたじゃないか!! アンタが最初からあの情報を伝えてれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!!」

 涙が滲んだその叫びに、周りのレイドパーティーメンバーに動揺が広がる。そして、動揺と疑問が全員にまで浸透したとき、不意に一人のプレイヤーがキリトに走りよった。E隊を構成する一人である彼は、握り拳の中で一本だけ伸ばした人差し指をキリトに向ける。

「オレ……オレ知ってる!! こいつは、元βテスターだ!! だから、ボスの攻撃パターンとか、旨いクエとか狩場とか、全部知ってるんだ!! 知ってて隠してるんだ!!」

 その声に、更なる動揺が波のように広がる。それに呼応するようにしてC隊のシミター使いも何かを叫ぼうとするが、一人のメイス使いが手を上げてそれを遮った。そのまま冷静な声で続ける。

「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはβ時代の物だって書いてあっただろ? だとしたら、彼の知識はむしろあの攻略本と一緒なんじゃないのか?」
「それは……」
「あの攻略本が、嘘だったんだ。アルゴとか言う情報屋が、嘘の情報を教えたんだ。あいつも元βテスターなんだから、タダで情報を教えるはずがなかったんだ!!」

 押し黙ったE隊プレイヤーの代わりに、シミター使いが叫んだ。

(まったく……)

 彼らの論理の、あまりの破綻ぶりに、マサキは心中で大きく首を横に振り、溜息をついた。一体、アルゴが嘘を教えたとして、彼女にどんなメリットがあるのだろう?
 《アルゴの攻略本》のように、信頼関係が築けていない相手に対して情報を格安で提供することは、化粧品メーカーが試供品を提供するように、新しい顧客を確保するという点において非常に有効な手段だ。しかし、その情報が偽りだった場合――今回はまさにそうなってしまったわけだが――は、築き上げてきた自身の信用を著しく損なう。そうなれば、客は減り、最悪の場合、彼女は職を失う。信用第一。マーケティングの常識である。
 そして、彼女はそれをしっかりと理解していた。その証拠に、マサキが “第一層ボス攻略会議”の情報を買ったときも、彼女は十分な裏を取り、情報の信頼度――即ち、その価値を一定のレベルにまで引き上げた上で提供した。その彼女が、未確認の情報を流布するというのは考えられない。
 それに、そもそもそんなことを考えずとも、彼女が故意で間違った情報を配布したわけではないことは、《アルゴの攻略本 第一層ボス攻略編》を読めば一目瞭然だ。ラストに書かれた赤いフォントの一文に、その情報があくまでβテスト時の物である旨が、はっきりと記されているのだから。

 しかし、マサキがその考えを口にすることはなかった。代わりに、我慢の限界が来たらしく、文句をつけようとしたアスナとエギルの肩を掴み、首を横に振る。

「何でなの?」

 アスナの瞳が烈火の如き怒りに燃えるが、マサキは表情一つ変えずに言う。

「あの状態になった人間に、何を言っても無駄さ。更なる屁理屈を塗り重ねるだけだ。それどころか、お前たちにまで火の粉が降りかかる結果になる可能性もある。……それでも行きたいと言うのなら止めはしないが、やめておいたほうがいい」
「……それでも」

 マサキの制止を振り切ってアスナが前に出ようとする。しかし、キリトは彼女を手で制すると、口元を獰猛に歪め、狂ったように笑い出した。

「ククク……ハハハハハハ!! 俺が元βテスターだって? あんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな!!」
「な……なんだと……?」

 シミター使いは困惑の視線をキリトに向ける。キリトは同様に唖然としているプレイヤー全員を見渡し、さらにふてぶてしい表情を形作って続ける。マサキは切れ長の目を細め、(まばた)きもせずにキリトを見つめた。

「いいか、よく思い出せよ。SAOのCBT(クローズドベータテスト)は、とんでもない倍率の抽選だったんだぞ。受かった千人のうち、本物のMMOゲーマーが一体何人いたと思う。ほとんどはレベリングのやり方も知らない初心者(ニュービー)だったよ。今のあんたらのほうがまだしもマシだ」

 突如起こったキリトの演説に、四十三人の観衆はただ息を飲み、彼の言葉の行く末を探ろうとする。キリトは、浮かべている笑みの温度をさらに下げた。

「――でも、俺は違う。俺はβテスト中、最も高い層まで登った。ボスのスキルを見切れたのは、上の層でカタナを使うMobと散々戦ったからだ。……他にもいろいろ知ってるぜ、アルゴなんか問題にならないくらいにな」

 キリトが言い切ると、再びその場を沈黙が支配した。皆、呆気に取られて言葉が出ないのだ。
だが、どれくらい経ったときだろうか。真っ先にキリトを糾弾したE隊のプレイヤーが、またもや掠れ声でキリトをチーターと罵った。そして、それにつられ、周囲の者たちからも、チーターやチートという単語が放たれた。やがてそれはβ(ベータ)と混ざり、《ビーター》なる奇異な単語が何処からともなく生成される。

「《ビーター》。いい呼び名だな、それ。……そうだ、俺は《ビーター》だ。これからは元テスターごときと一緒にしないでくれ」

 言い放ったキリトに対し、マサキは賛嘆の念を視線に乗せて送った。――自らがβテスターへの敵意を全て背負うことにより、他のテスターへの非難を防ぐ。もし仮に、新たな《ビーター》が複数人現れたとしても、新規プレイヤーとの間には圧倒的な知識やプレイヤースキル、そして恐らくレベルにも大きな開きがある以上、むやみにPKされる危険性は少ないと見積もっていい。その上、憎しみとは、時に大きな原動力となる。うまい具合に作用すれば、新規プレイヤーのレベルやプレイヤースキルの向上を速め、ひいてはこのゲームの攻略にも大きくプラスの貢献をすることになるだろう。
 尤も、それはプレイヤーたちからの敵意を一身に背負うことの精神的負担を考えなければの話だが。

 感心するマサキと開いた口が塞がらないプレイヤーたちをよそに、キリトはウインドウをタップした。次の瞬間、今まで彼の体を包んでいたダークグレーの革コートが光になって消え、まるで自らの存在を高らかに宣言するような、それでいて深い闇にひっそりと佇む光景をイメージさせるような、黒い膝下までのロングコートが現れた。
 コートの裾を翻し、キリトはマサキとアスナの間を横切ろうとして、一瞬だけ立ち止まった。そのまま顔を動かさずにささやく。

「……マサキ。その、ありがとう。許してくれて」
「…………」

 マサキは一瞬、「え?」と疑問の声を出してしまいそうになるが、何とか持ちこたえた。沈黙に続いて答えようとするが、それはキリトに遮られる。

「俺、今までずっと自分のこと責めてた。……もちろん今でも反省はしてるけど、昨日マサキが許してくれて、本当に救われたって言うか、俺でも皆のために何か出来るって思ったんだ。もし昨日のことがなかったら、今みたいな判断は出来なかったと思う。……本当にありがとう。また、何か訊きたいことがあったら、何でも言ってくれ」
「……言われなくてもそのつもりさ。知ってる情報、洗いざらい吐かせてやるから、覚悟しとけよ」
「そいつは恐ろしいな」

 予想外が続くキリトの言葉に、飛び出しそうになる「ただお前を利用しただけだ」の一文をぐっと呑み込み、代わりに彼が一番望んでいるであろう言葉を並べる。彼からの信頼をさらに強め、情報を引き出しやすくするために。
 マサキだけにしか見えないほど微妙に口角を吊り上げたキリトは再び歩き出し、王不在の玉座の後ろに設置された扉の向こうに姿を消した。同時に、パーティー解散を示すウインドウが体の前に現れる。
彼が最後に「初見のMobに殺される覚悟がある奴だけついてこい」と言っていたため、追いかけるものは誰もいな――くはなかった。ただ一人、先ほどその華麗な容姿をフーデッドケープから解き放ったアスナが、エギルとキバオウの二人と二言三言言葉を交わした後に、開かれた扉の向こうに見える螺旋階段を登っていく。マサキは彼女が何を話したのか少し気になったが、大したことはないだろうと判断を下し、誰からともなく入り口に向かい始めたプレイヤーたちの流れに乗って、体を翻した。顔だけを90°回し、何か言葉を発するわけでもなくただ突っ立っているトウマを促した。

「トウマ、行くぞ」
「え? あ、ああ……」

 歯切れの悪いトウマの足音が自分を追って響くのを確認し、マサキは部屋を出た。


 それから彼らが迷宮区を出るまで、さほど時間はかからなかった。そういう仕様になっているのか、それとも単に運がいいだけなのかは定かではないが、いずれにせよ、これは幸運だった。今のパーティーには、士気などあってないようなものだったのだから。

「……っ!」

 迷宮区を抜け出したマサキの網膜を、数時間ぶりの陽の光が灼いた。マサキは咄嗟に右手をかざし、瞳孔が閉じるのを待つ。三十秒ほどの間を置いてマサキが手を下ろすと、先ほど体内に入り込んだ光がついに胴体まで到達したらしく、胸の奥をちくりと焼いた。ふと振り返ると、空に消える迷宮区の塔が、さっきまでよりも、少しだけ眩しく見えた。
 
 

 
後書き
つぶやきの方にも書いたのですが、この小説のお気に入り登録数が100を突破いたしました!!
読者の皆様、誠にありがとうございました。

そして、これもつぶやきに書いたのですが、今僕は一人称の練習などを兼ねてオリジナルの短編を執筆しているのですが、この小説の扱いに困っております。もしよろしければ、皆様のご意見を頂戴したいと思います。どんなものでも構いませんので、ご意見を頂きたく思います。詳細に関しましては、つぶやきのほうに記載しておりますので、申し訳ございませんが、そちらをご確認ください。

http://www.akatsuki-novels.com/manage/mypages/ 
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