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アラベラ

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第一幕その八


第一幕その八

「宜しいでしょうか」
 マンドリーカは不安そうな顔で問うてきた。
「ううむ」
「伯爵。あのお手紙のこと、偽りではないでしょう」
「はい。私も軍人でした。嘘は申しません」
「有り難い。それならば」
 マンドリーカはそれを聞いて顔を綻ばさせた。
「先程のお話の続きをさせて頂きます」
「あの熊に襲われたお話ですか」
「はい。あの時私は肋骨を折りました。四本も」
「それは大変でしたな」
「命に別状はありませんでしたが。ですが三ヶ月程病床に横たわることになりました」
 彼はその時のことを思い出しながらヴェルトナーに対して語った。
「その間この写真と手紙をずっと見ておりました」
 そして手紙とアラベラの写真を見せた。
「見る度に私の思いは募りました。お嬢さんへの思いが」
 彼の言葉には次第に熱がこもってきた。
「厩舎の者達も農場の者達も森番達もそんな私を心配しました。私はそれを見て言ったのです。恋をしていると。そう、貴方の娘さんに」
「アラベラに」
「そうです。そして私は病床から起き上がれるようになると執事を呼びました。森を欲しがっていたユダヤ人にあの槲の木を売るようにと」
「森をですか」
「はい。この街には息をするだけで金が落ちると聞いております。それならば多くの金がいると考えまして」
「それだけでその森を売られたのですか」
 これにはヴェルトナーも驚かずにはいられなかった。
「はい、求婚の旅に邪魔があってはなりませんから」
 彼はそう言いながら懐から財布を取り出した。
「これがその森です」
 見ればその中には紙幣が束となり詰まっていた。実に重そうである。
「美しい森でした。隠者もジプシー達もいました。獣達が棲み、多くの薪や炭が手に入りました。私のお気に入りの森の一つでした」
「それを売られたのですか」
「はい、全てはお嬢さんにお会いする為です」
 彼は熱い声で語った。
「その為に、ですか」
「はい。惜しくはありません。私には森はまだ多くありますし他の財産もあります」
「しかし」
「構いませんよ。そうだ」
 彼はここでふと気がついた。
「貴方も今必要なのではないですか?お金が」
「うっ・・・・・・」
 彼はその言葉にギクリ、とした。その為にマンドリーカに手紙を送ったのだから当然であった。
「必要ならば如何でしょうか」
「はい」
 彼は言われるまま差し出されたその紙幣の束の一つを受け取った。受け取りながら危機を脱したことを感じていた。
「ところで奥様はどちらでしょうか」
「今奥に下がらせておりますが」
「そうですか。ではお嬢さんは」
「自分の部屋におりますよ」
「そうなのですか」
 マンドリーカはそれを聞きヴェルトナーが手で指し示した部屋に目をやった。だがそれは一瞬ですぐに目を伏せた。
「呼びましょうか、二人共」
 彼の義理の母、そして妻になるかも知れないのである。それは当然であった。
「いや」
 だが彼はそれに対して躊躇いを見せていた。
「今ですよね」
「はい」
「今は少し・・・・・・」
 その整った逞しい顔を赤くさせていた。
「おやおや、恥ずかしがる必要はありませんぞ」
「それはわかっていますが」
 どうやら恋愛にはかなり純情であるらしい。
「ただはじめて会うというのはやはり神聖なことですし」
「そうですか。無理強いはしません」
 ここで強制するような野暮なことはしなかった。ヴェルトナーはここで彼に任せることにした。
「私はこのホテルに泊まることにしましょう。そしてそちらからの御命令を待ちましょう」
「そうされるのですか」
「はい。それならば私も喜んでそちらにお伺いすることができますし」
「わかりました」
 ヴェルトナーはそれを聞き賢明な判断だと思った。
「それでは」
 マンドリーカは立ち上がった。
「部屋を取って来ますので暫し失礼」
「はい」
 彼は頭を下げた。少し不器用な感じもするが礼儀正しい。頭を上げると彼はその場を後にした。
「では後程」
 そして二人は別れた。ヴェルトナーは一人になるとテーブルの上に置かれている札束を見た。先程彼が置いていったものだ。
「まさかこんなことが実際に起こるとはな」
 嬉しいことは事実だがにわかには信じられなかった。
「この札束が今私の目の前にあるということは事実なのだが。それにしても」
 テーブルに近寄りその札束を手にした。かなりある。
「これだけあれば請求書のものもホテルにツケにしているのも全て清算できるな。いや、それでもまだかなり余るぞ。信じられないな」
 札を数える。そして思わず唸った。
「もうこれでギャンブルで危ない橋を渡って金を稼がなくていいな。本当に夢のようだ」
 ここでその借金のことを思った。
「まずは一つ清算しておこうか」
 そしてベルを鳴らした。すぐにボーイがやって来た。
「何でしょうか」
「うむ」
 彼はそのボーイに対して鷹揚に頷いた。
「実はね」
 そしてその札束のほんの一部を彼に渡した。
 
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