戦国御伽草子
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弐ノ巻
ひろいもの
2
「由良…あの、あたしのために怒ってくれるのは嬉しいんだけど、高彬と絶交なんて、そんな、そこまでしてもらわなくても、いいのよ」
あたしは由良に手をひかれながら縁を歩いていた。
「ですが、瑠螺蔚さま。わたくし、今まで高彬兄上様は真面目で、一途で、だから融通が利かないところもございますが、女と言うだけで虐げたり見下したりしない立派な方だと思っておりました。そこらの馬の骨とは違うと」
馬の骨、って由良…ほんと、どこで覚えてきたのだか。
「そ、そうよ高彬は道に外れたことはしないわよ」
「けれどそれも今日のこの日を迎えるまで。何があろうと、身近な方が亡くなられて悲しんでおられる瑠螺蔚さまを、自分の室に…室に…」
純情な由良は、赤くなってまた涙ぐんでしまった。
「いや、あたしもあのとき混乱の極みだったからつい叫んじゃったけど、よくよく考えたら、高彬もすごく否定してたし、なんにもなかったんじゃ、なかったかなって…」
って、あれ、あたし高彬の室にいたのか。
自分で行った記憶は全くない。というか昨日の記憶は途切れ途切れで…ぼんやりとしている。
じゃあやっぱり高彬が…あたしを…?
いやいや、でもそんな度胸ないと思うし、なんだかんだ言ってあたしも信用してるからなぁ高彬はそんなことしないって。
そうだ。冷静になってみれば、高彬が寝ている間にあたしのことどうこうするなんて、ありえっこない。
「由良、やっぱりあたし戻るわ。なんであたしが高彬の部屋にいたかはよく覚えてないけど、あたしのとこじゃなくて高彬のとこにいたってことはあたしが寝ぼけて高彬のところ行ったのかもしれないし」
「瑠螺蔚さま!だめです。百歩譲って瑠螺蔚さまが寝ぼけていらっしゃったとしても、夜遅くに、用もないのにこんな遠い兄上様の室に偶然ふらふら行かれるなんて、そんな話そうそうあると思えませんわ」
まぁ、確かに、そう、なんだけど…。
でもなぁ。やっぱ、いくら考えても高彬はそんなことするような人じゃないのだ。
「あの高彬兄上様も所詮、男と言うことですわ。この分じゃ、惟伎高義兄上様だって、どうだかわかりません」
どうやって由良を説得するか頭を絞っていると、由良が唇を尖らせて言った。
「惟伎高、って誰?」
「あっ、申し訳ございません。瑠螺蔚さまはご存じないですよね。今は石山の寺院におられる方ですから」
「そりゃあ、ゴゾンジないわよ。佐々家の子沢山なんて四海に鳴り渡る程だし、あんたの実の兄弟だけで何人いるやら。義兄弟までなんて…流石のあたしでも覚えきれないわよ。んで、その惟伎高がなぁに?」
「惟伎高兄上は、有体に言いますと、くる縁談みなちぎっては投げちぎっては投げして、ついに僧の道に入られた筋金入りの女嫌いですわ」
そ、それは…凄い。
「ちなみに…いくつ?」
「確か…まだ瑠螺蔚さまより二つ三つ程上ですわ」
あたしは喉の奥で唸った。それは本当に凄い。山ほど来る縁談に嫌気がさして、あたしと同じぐらいなのに出家したってことよね?佐々家には珍しい、激情家のようだ。
「惟伎高兄上様は、どんな美姫にも見向きやしないと、お父上様は大層な嘆きようです」
「いやでもそこまで嫌がられたら、もうしょうがないんじゃ…忠政様もさ、息子なんて山ほどいるんだから、なにも惟伎高ひとりくらい女嫌いで妻取る気がないのがいてもいいんじゃないと思うんだけど」
「それが、そうもいかぬ理由があるのです」
由良は声を潜めた。
「他家には知る由もございませんでしょうが、お父上様は、高彬兄上様か、惟伎高兄上様に佐々家の家督を継がせたいと、お考えに為られているのですわ」
「え!?惟伎高か、高彬ぁ!?」
「こ、声が大きゅうございます。瑠螺蔚さま、まだ朝ですので…」
「そんなことより!それってホント?」
「はい」
な、何と言う大穴…。
高彬は、正室の子だけれども男の中で一番末っ子だし、惟伎高は、高彬の妹の由良が「義兄」と言うからには側室の子だ。
一般的には正室の長男が家を継ぐのが普通なのだけれど、流石子沢山の佐々家、きっと実力主義なんだわ…。
高彬はあんなぽやっとしてて実はデキる人であるらしいのは主君の織田家も認めるところであるし、高彬に栄養を持って行かれたのかダメダメな兄貴集団を見ていると高彬が跡を継ぐってことも勿論驚きはすれども納得できるんだけれど。
側室の子っていう憂慮されるべき点があっても、そんな高彬と競り合う惟伎高って…どんな人!?
「今は、僧…てことは惟伎高、還俗するの?」
「はい。もし惟伎高義兄上様が佐々家の次期当主になられるのでしたら、そうなると思います」
「ふーん…。そう、よね…」
なんだかかわいそうな気も。佐々家の次期当主に納まっちゃったら、女は嫌いだ妻はいらないなんて我儘通らないだろうし。
「お父上様もお可哀そうですわ。次期にと考えている御二方が片や女嫌い、片や…。…瑠螺蔚さま」
「え、な、なに?」
由良は意味深に笑ってあたしを見上げた。
「高彬兄上様にも困ったものですわね。前田の瑠螺蔚姫との婚姻の内諾など…佐々家では誰も知らなかったのです。聞いた時、お母上様は卒倒してしまわれました」
「それは悪いことを…じゃなくて、当人のあたしだって聞いたのついこの前よ!?」
「そこが、兄上様のいけないところですわよね。きっと兄上様は、外堀を埋めて、盤石な地盤を作ってから、瑠螺蔚さまに正式に申し込むつもりだったのでしょう。本当に瑠螺蔚様をお好きなんですから。不器用な兄上様ですわ。こういうことは、本人の気持ちが一番重要だと言うことは、3つの童にすらわかることですのに、ねぇ瑠螺蔚さま」
いやー。
こういう話ってどういう顔して聞けばいいんだろう。
由良に面と向かって「兄上様はアナタが好きなんです」って言われるのって、何か物凄く居心地が悪い。由良のこと妹みたいだと思ってるからかな。身内に恋愛沙汰を指摘される背筋がもぞもぞとする感じがしてしまう。「そうそう、あたし、高彬に愛されちゃって。女冥利に尽きるわーアハハ」とでも言っておけばいいのだろうか…。
あたしは目を泳がせながら挙動不審に頷いた。
「そ、そう、ね…」
「ですが、それとこれとは話は別。積年の思いを募らせている兄上様に同情は致しますが、節度はなくてはなりません。なにより、瑠螺蔚さまのお気持ちを無視されたようなこの行い、わたくし信じられませんっ」
「ゆ、由良、何度も言うようだけどさ、このオコナイもそのオコナイも、多分、何にもなかったと…」
「瑠螺蔚さま。気づいておられないでしょうけど」
「え?うん何が?」
「それ、高彬兄上様のものです」
それ…って、どれ?
あたしはきょろきょろと周りを見回した。
由良はあたしにわかるように、言い足した。
「そのお召し物、高彬兄上様のものです」
お召し…お召し物!?
あたしはばっと自分の着物を見た。
や、やだ、なにこれ!
由良の言う通り、あたしが着ているのは、今日の空のような浅縹色をした、男物の着流しだった。
一瞬で顔に熱が籠るのが自分でも分かる。
なにこれどういうことよ!?
高彬は着流しなんてめったに着ないから、見慣れていないあたしはこれが高彬のかなんてわからないけれど、妹の由良が言うからにはそうなんだろう。
ちょ、ちょっと待って。落ちつけ。落ちつくのよ前田瑠螺蔚。
よく考えて。昨日、何があった?
霞がかった記憶の向こう、昨日、そうだ。あたしは手招かれるように琵琶の湖に行ったんだ。そのまま、水の中に入って行った。
今から思えば、なんであんなことしたのかさっぱりわからない。死にたいなんて、そんなこと思ってもなかったのに。
ただ、死んでもいいと心のどこかにあったのは事実なんだろう。義母上と兄上が亡くなられて、ぽっかり空いた心の虚に、あたしは危うく飲み込まれるところだった。
確、か、誰か…いや高彬だ。高彬と、なにか言い争ったような気がする。ああそうだ。高彬が、あたしが兄上に恋愛感情を持ってるとかバカなこと言いだして。
それから、それから…。
…。
わ、わからない!ボケたのかな。昨日のことなのに!
水に入って、高彬がいて、ってことは多分高彬が助けてくれたんだろう。で、言い争って、その、後よそのあと!肝心カナメなとこが何一つ思い出せない。
いや、でも、ねぇ。あたしが、高彬の着物着てるって、朝高彬とひとつ布団にいるって、…ねぇ。いや、まさか、そんな。
…。
だ、だめだ煮詰まる!悪い方にばっかり考えちゃうわ。とりあえず高彬は置いておいて、散歩にでも行こう。せっかく早起きしたんだしね!
「由良。あたしちょっと散歩にでも行って考えまとめてくるわ。あんたの言う通り、高彬に会いに行くのは時間置いてからにする」
「瑠螺蔚さま。わたくしもご一緒しますわ。柴田のこともございましたし、逆恨みする輩がいないとも限りません。おひとりで出歩くのは危険です。わたくしも心配ですし、兄上様にも怒られてしまいます」
由良が一緒にいても、危険度は変わらないと思うけれど…いいか。
「わかった。一緒にいこっか」
それに、前田家にも行きたい。
向き合わなきゃならないんだと思う。あたしは。
何を失ったかを。
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