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戦国御伽草子

作者:50まい
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弐ノ巻
かくとだに
  4

がたがたと震えながら僕の室に戻ってきて、寒さで覚束ない手で瑠螺蔚(るらい)さんを降ろした。



手や足の末端は、もう冷たさを通り越して刺すような熱さを錯覚するところまできている。



だけど意識のある僕はまだいい。



ぐたりと気を失っている瑠螺蔚さんの頬から血は失せ、唇は色が抜け薄く開いている。黒く縁取られた瞼は息をしているか疑うほど静かに固く閉じられていた。



その唇に指の背をあてても、自分が寒さで痺れているせいで呼気を感じ取れない。不安にはなるが、その確認は後だ。今しなければならないことは別にある。



一刻も早く、身体を温めなければ。



温石(おんじゃく)、火鉢、湯を沸かすにしても…だめだ、どれも時間がかかりすぎる。薪を入れて、火をつけて…なんて悠長に待っている暇はない。



北の一部では南から伝わった真っ赤な南蛮胡椒というものを足袋に入れたり、直接擦りつけたりして凍傷を防ぐらしいがそんな珍品今手元にないし、防寒と言う意味ではもう手遅れだろう。



瑠螺蔚さんの指は、思わず顔を顰めるほど細く折れそうに凍えている…。



『しねばよかったのよ』



ふと、琵琶の(うみ)で聞いた声が甦った。



死ぬなどと言う禍言(まがごと)を、楽しそうに話す、女童(めのわらわ)



嘘のような話だけれど、僕が瞬きをする間に、跡形もなく消えていた。



そもそも、女童など僕が見た幻覚でしかなかったのだろうか。いるはずがないのだ。雪が降る冬の深夜に、琵琶の湖に女童が。



しかしその声は疑うべくなくねっとりと体の奥に沈みこんでいる。



瑠螺蔚さんがもうすぐ死ぬ運命だなどと…どうかしている。



僕は不吉な考えを振り払うように瑠螺蔚さんの帯に手をかけた。体を冷やして大分時間がたっている。躊躇している暇はなかった。ぐっしょりと濡れた帯は重く手にあたったが、凍えた手にはもうその感覚すらなかった。



思い通りに動かない手に苛立(いらだ)ちながら、目を逸らしてやや乱暴に衣を開けば、緋の衣に白羽二重(しろはぶたえ)の下着が痛いほど目に映えた。



小袖は上着、下着、肌着と重ねて着ている。当然ながら、肌着までびしょ濡れだろう。



これから、濡れた衣を脱がせて、更に新しく乾いたものを着せるのか?僕が?



一瞬、我に返りそうな心を慌てて叱咤(しった)する。



考えたら、負けだ。これは病人の看護と同じだ。瑠螺蔚さんの明日の健康だけを考えろ、健康…。



肌に張り付く下着と共に肌着まで脱がせると、室の隅に放り投げる。行儀が悪いと口うるさい侍従に怒られそうだが、仕方がない。



心頭滅却、煩悩退散…。



僕はぶつぶつ呟きながら箪笥を漁って新しい衣を取り出す。



仏教と言うものは、大変に興味深いと僕は思う。



僕は臨済宗(りんざいしゅう)ではないが、そこで行われている禅問答はその筆頭だ。



禅問答とは、その名の通り師より与えられた問に座禅を組みつつ考え自らの答えを導くものである。



聞けば簡単のようだが、その問いが一様にして理解不能なのである。



たとえば、こうだ。



ある僧がこう問う。「なぜ達磨はインドから来たのですか?」答えて言うには、「庭にある柏の樹だ」



この意味を考えよというのだから、まったく常人にはとてもじゃないが思い浮かぶはずもない。



詳しく説明するとなれば一昼夜ではとてもじゃないが無理だ。しかし一言でこれの「解」を表すと、仏性はどこにでも存在するものであるから、ということらしい。



それは、庭の柏の樹であり、花であり、家であり、風であって光でもある。仏性とは人を仏に為らしめるもの、つまり、究極のところ達磨がインドからやってきたと言うことはその意味そのものであって、それ以外のものではない、それを表したのが、「庭の柏の樹」ということ、らしい。



このように、なんだかわかるようで、さっぱりわからないのが禅問答である。



多分、考えると言うことに意義があるのだろう。とてもではないが、自分でこの解を導けそうにはない。



10年ぐらい石の上で禅を組めば僕にも悟りの境地とやらが分かる日が来るのだろうか。



しかしあしたもわからぬ戦の世を生きる僕には、インドからきた達磨の意味をぽけっと考えることより、とりあえず今暖をとることの方が重要だ。



僕はさっくりと自分の着替えを終えると、僕の衣を着せた瑠螺蔚さんを布団に寝かせる。



しかし体格の違いからか、瑠螺蔚さんの着物の合わせが動かす度にずれて、鎖骨の辺りが覗く。



…いや、今禅問答を考えたところじゃないか。次は太公望の兵法でも復習するべきか…。



冷えた身体は人肌で温めると良いということが頭をよぎったが、きっと温石の方がいいだろう。いいや、良いに決まっている。



僕は立ちあがろうとして、つんと袖を何かに引っ掛けて、そこを見た。



ほっそりとした白い手が、僕の裾を掴んでいた。それを辿れば、黒い髪と薄く開いた唇が目に入った。



予兆もなしに、瑠螺蔚さんのふたつの瞳が、はっきりと開いて僕を見ていた。僕は息を飲みこんだ。



「そばに、いて」



か細い声が吐息と一緒に吐き出されると、瑠螺蔚さんの瞼は再びゆっくりと下がって行った。



「…」



暫く、僕は動けなかった。



今のは、僕の幻聴か?けれど、幻と片付けるには、その声は生々しく僕の耳に残った。



しかも夢ではない証拠に、瑠螺蔚さんの手は、僕の袖を握ったままだ。



瑠螺蔚さんの手を、握り締める僕の袖ごとそっと包む。



片手で包めるぐらいの小さな手のひら。



いつからか、僕が守られていたこの手は、思っていたよりも大分脆いと気がついてしまった。



瑠螺蔚さん…。



僕を引きとめるこの手が、嬉しくないわけはないじゃないか。



わかった。諦めた。本当に瑠螺蔚さんは、いつも、いつも僕の心をかき乱すだけかき乱していく。



据え膳食わぬは男の恥と言うが、そういう意味では僕は立派な「男の恥」だな。



いや、本当に、これ以上ないくらい瑠螺蔚さんらしい。



思わず笑みが漏れた。



僕の服を着て、僕の布団で、僕の横で寝てる瑠螺蔚さん。



こんな状況で、側にいてなんて、良くも言えたものだ。



僕だったからいいようなものの、どこでもこんなに無防備でいられたら気が気じゃないよ、全く。



憎いぐらい静かに、瑠螺蔚さんは眠っている。



明日はいつもの瑠螺蔚さんにもどってくれるだろうか。



そうなったら、どんなにいいだろう。



小さいころの瑠螺蔚さんは活発で、草や泥がつくのも(いと)わずよくこうして野原に寝っ転がっていた。



そのまま寝てしまうのもよくあることだった。



そして、その側には、いつもー…俊成(としなり)殿がいた。



僕はくすりと静かに笑った。



どうしてこう、思考が俊成殿に戻ってきてしまうのか。



話してみたかったな、一度。はぐらかすことをせず、膝を突き合わせて。



瑠螺蔚さんをずっと、見守ってきた俊成殿と。



多分、僕がこう思うのはもういない俊成殿への哀追なのだろう。三月(みつき)前の僕なら、こんなに穏やかな気持ちで望むまい。これは、決して叶うべくないことなのだ。



乱れ、舞う雪の囃子(はやし)が、深々と僕の身体に染みる。



雪は、(たけ)る武士を思い起こさせる…。



「このごろは、戦、戦、そればかりだ。いくら戦国(いくさのくに)で、命が失われていくことが日常になっても、やっぱり、人が死ぬのは嫌だよ。殿はやり方が厳しいように思う。若殿はとてもいい方なのだけれど…。周りの国の動きも不穏だ。一時も気が置けない。瑠螺蔚さんのまっすぐな純粋さが僕には眩しいばかりだ。もし、瑠螺蔚さんが天下人になったら、命の奪い合いなど、決して許しはしないだろう。戦など、絶対に起こしはしないだろうにね…」  
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