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くらいくらい電子の森に・・・

作者:たにゃお
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第十二章

膝にノーパソを乗せて、柚木に車椅子を押してもらいながら、病院の廊下を進む。元々外来を積極的に受け入れている病院じゃないからなのか、すれ違う人は少ない。たまに医師とすれ違うと、柚木の胸や尻のあたりをじろじろ眺めて「名札がないじゃないか。配属は?」と聞いていく。柚木が「あの、来たばっかりで、まだ決まってなくて…」と、顔を赤らめて答えると、鼻息を荒くして去っていく。今に、ナースステーションにエロ医師が殺到して、柚木の取り合いが始まることだろう。やばいぞ、バレるのは時間の問題かも。



「ご主人さまが生まれた場所のこと、聞きたいです」
オフラインで退屈なのか、ビアンキが僕の事をやたら知りたがる。
「僕が生まれたのは、九州の南の方でね。やたら噴火する活火山があって、夏になると灰がイヤんなるほど降り注いで、そりゃ大変なところだよ」
「さすがです!降りしきる火山弾をかいくぐって、ここまで大きくなったんですね!」
「…いや、そんなデンジャラスな土地じゃないよ」
「じゃ、じゃあ週一回のスパンで流れ出す溶岩の激流と戦いながら20のその年まで!」
「そんな事になったら九州全域立入禁止だよ…」
「なのに、そんな火山の大猛攻にも負けずに育つ、世界一大きい大根があるんです!!」
「あ、そっちは知ってるんだ…」
「全長10mくらい?」
「それじゃ木陰ができちゃうよ…」
よかった。少し、元気になってきたみたいだ。でも火山を全部ポンペイ的なものと勘違いしてるのはどうなのか。柚木が声を立てて笑うと、『わ、笑いすぎですから!』と、ぷんぷん怒る。いつもどおりの、ビアンキだ。
「こんなこと聞いて、どうするの」
「…憶えておくんです。ずっと」
そう言って、笑った。なんか寂しそうな気がしたけど、次の瞬間には能天気な笑い顔に戻っていた。…柚木の携帯が反応した。取ろうとした柚木を制して、僕が取る。
「ナースが院内で携帯かけてちゃまずいだろ」
紺野さんのほどじゃないけど綺麗な液晶に、かぼすが映る。
『すずか―、すずか―♪』
携帯を傾けると、柚木が体を乗り出してきた。ナース服の胸元がちらっと覗くのがたまらん!とか思っていると、ビアンキの冷たい視線にぶつかったので目を逸らす。
「これから、姶良の指示に従って」
『はいはーい、了解―。姶良、もちっとあっち』
かぼすは斜め45度を指差していた。携帯を傾けてみると、慌てて元の方向を指しなおす。面白いので繰り返してたら、柚木に怒られた。
「こらっ、かぼすに意地悪しなーい!」
「……はーい」
『んー、もっとこっちの方かなー』
なんか随分ファジー制御なのが気になるが、かぼすの指示に従って廊下を辿っていく。『精神病棟』と書かれた渡り廊下が見えた。
「この先?」
『うん、ずっと先―』
薄暗い渡り廊下の先は、人気の途絶えた精神病棟。…さっき、僕たちが出てきた所だ。少し、行くのがためらわれる。
「…これ進んだら、まるで僕が精神病みたいだな」
「仕方ないじゃん、それっぽくしててよ」
柚木はかまわず渡り廊下に向かう。少し床が悪いみたいで、車椅子ががたごと揺れた。ノーパソの液晶を見ると、黒い背景にビアンキと僕らが映っている。柚木の胸が、僕の頭上15センチくらいのところで揺れていた。どっかで躓けー、そして20センチほど前のめりになれー!と念力を送るも、渡り廊下は無事に終わってしまった。あとは陰鬱になりそうな薄暗い廊下が続いているだけだ。
「はぁ…僕ら、何やってんだろうな」
「ホントだね。ナース服着て、車椅子押して」
「紺野さんと会ってから、ずっとこんな調子で振り回されっぱなしだ」
「そうでもないじゃん」
「そうだっけ」
「紺野さんの嘘を見抜いて、追い詰めてたじゃん」
「いつ」
「ほら、ジョルジュで」


―――ブレーキを引く。車椅子が、ぎしりと音を立てて止まった。


「――なんで、知ってるのかな」
「え、あの…紺野さんに…聞いて…」
「僕は口止めした。あの人は、そういう約束を破る人じゃない」
振り向いて、柚木を真っ直ぐ見上げた。…自分でもびっくりするくらいに、怒りが湧きあがってきた。
「…あの場に、いたんだな」
柚木はぴくりと肩をふるわせて、目を逸らした。
「――姶良だって、悪いんだから」
「………」
「いつもそうやって1人で全部背負い込んで、何もなかった振りするんだもん。…だから自分で突き止めてやろうって」
「だからって、そんな盗み聞きみたいなことしたのかよ!!」
立ち上がって、柚木の肩を掴んだ。僕の声は、薄暗い廊下に響き渡って硝子を振るわせた。
「だ、だめ、大声だしちゃ」
「………いいよもう」
声が震えた。腹立たしさは消えないけど、今騒いだってどうにもならない。手遅れだ。僕は乱暴に車椅子に座った。…僕がナイト気取りで紺野さんに挑んだのを知って、たぶん僕の気持ちにも気がついて、それでもそ知らぬ振りで、今までどんな気持ちで僕に接して来たんだよ…それを思うと、立ち上がってぐわぁぅあぁぁとか叫びながら頭を掻き毟って全力で逃げ出したい気分だった。…怒りと恥ずかしさで、心臓がバクバクする。
「……出してよ。今は『彼』を探すのが」
優先だ、と言いかけて、息が止まるかと思った。

柚木の白い腕に、後ろから抱きしめられていた。




こ、この、後頭部に当たっている、ふにっとした柔らかいものは何だ…!くっ、ニット帽邪魔だ、車椅子の背もたれ、もっと邪魔だ!ニット帽をかなぐり捨てようと手を伸ばした時、耳元に柚木の唇が触れた。
「ふわっ……」「姶良」
耳元で囁かれた言葉が、僕の幻聴でなければ、

―――『すき』…と聞こえた。

…喉のところまで、熱い塊がこみあげてきた。気を抜くとこれが弾けて泣くか叫ぶかしてしまいそうだ。必死に押し込めて、喉がひくひく震えるのも必死に飲み込んで、一言だけ搾り出した。
「も、もう一度言って…」
「…やだ。もう言わない。姶良に言わせるつもりだったのに」
柚木は耳まで真っ赤にして、ふいと顔をそらして腕を解いてしまった。
「じゃ。行くよ」
そう言って、何事もなかったかのようにコロコロと車椅子を転がし始めた。

「――今ので、終わり…?」

僕の中で、何かが「ぷちっ」と弾けた。
柚木が何か言いかけるのも委細かまわず、車椅子を蹴って立ち上がると柚木に詰め寄った。
「ちょ…姶良」
「…もっとこう、余韻めいたものとか、誓いのナニとか、ないのか、そういうの…」
「やだ、今そんな場合じゃ…」
「場合なんて関係ない!…終電逃して部屋に泊まったり、謎のオムライス作って帰ったり、首筋に涙落としたり、頭に胸乗せたり!思わせぶりなことをされる度に、僕がどれだけ思考回路を磨耗させてきたと思ってるんだ!?それを柚木は、一言で済ますのか!」
「そ、それだけ聞くと私が痴女みたいじゃん…」
僕が追い詰めれば追い詰めるほど、柚木の頬が紅く染まっていく。…今度こそ本当に、柚木が、僕を。そう思うだけで気が変になりそうだ。脳の中を、麻薬的な成分が駆け巡る感じ。…いや、攻撃色丸出しで突進してきたオームの前に、急に好物のエサかなんかが落ちてきて、咄嗟に青になりきらず間をとって紫になっちゃった感じ…といったほうが近いだろうか。
「…じゃあどうすればいいの」
「たとえば…」
ニット帽をとり、柚木の目を覗き込んだ。

「…今度は正面から、全力でこう、2、3回弾みをつけてぐっと抱きしめてもらおうか」

柚木がガバッと胸を隠して、じりじりとあとじさった。
「…それは、余韻とか誓いには関係ないよね…」
「君がそう思うならそう思ってもいいよ…ただ僕は『ああしたもの』がニット帽越しに触れただけというのがこう…何かもう自分でもおかしいんじゃないかってくらい、やるせないんだよ、分かるかな」
「あ、うん、ごめん…でもそういうの、まだ早いよ…ね?」
「何言うの。…もう、1年近い付き合いだよ」
「そういうことじゃなくて、まだ告って1分経ってない…」
「何分ならOKが出るんだ!」
「分単位!?」
「…柚木、『ゾウの時間、ねずみの時間』という概念を知っているかな」
「ざっくりとは…」
「君がただ無心に、僕の頭に胸を乗せてる3秒の間…その間に、僕の脳内計画では僕の肩には24歳の時に生まれて今年4歳になる長男が乗ってるんだ…場所は後楽園な」
「…いや、全然意味がわからないんだけど」
「つまり柚木にとっての3秒は、僕にとっての8年!8年付き合ったに等しいというのに、君はまだその…胸も触らせてくれてないってことだよ!」
「そ、そんな欺瞞に惑わされないよ!」
欺瞞…そうだな。

僕ももう、自分が何を言ってるのかさっぱり分からないよ…

なんかこう、肩の辺りに紺野さんのスタンドがいるのを感じるよ。もうこの台詞吐いてるの、僕じゃなくて紺野さんなんじゃないか…って、本気で思い始めてる。
「柚木は言ったね、『感情の伴わない理屈なんて、誰の心にも届かない』と」
「……うん」
「なら、伝えたい気持ちに筋道なんて野暮だ!…柚木、僕の魂の屁理屈を受け止めろ!!」
「え…ぇえぇええええ!!?」
ぴりりり、ぴりりりり……
…携帯が、鳴った。
頭の中で煮えたぎってた何かが、すっと波が引くように溶けた。目の前にいるのは、ナース姿で目を潤ませて胸をかばう柚木と、鳴り続ける携帯。…それが身悶えするほど可愛くて、写メに残そうと思って構えたら威嚇されたので、素直に携帯に出る。
「…はい、姶良」
『あっさり出たわね。…お楽しみ中だと思ったのに』
――聞き覚えのある幼い声に、携帯を取り落としそうになった。
「…流迦、さん!?」
携帯を耳から放す。曇った液晶に、流迦ちゃんが大写しになっていた。
「ど、どういうこと」
『一応、言っておくけどね。こっちの病室から、丸見え』
「ぎっ…」
ぎぅぃやあぁぁああぁあと奇声を発しながら廊下を駆け抜けたい気分だった。それは柚木も同じだったらしく、顔を覆って座り込んでしまった。
「やだぁ、もう…」
ど、どこだ、どこから見てたんだ!辺りを見渡しても廊下には誰もいない。…でも窓の外には人気のない中庭があり、その向こうに隔離病棟がそびえていた。…そして彼女の病室がある4階に、小さい影が見える…気がする。
「こ…これはその…」
『ほほほほほほ柚木なにその格好!あはははぁはあはあははは!!』
「う、うるさいっ!ばかっ!」
ひとしきり大笑いすると、流迦ちゃんはふと、声を落とした。
『…今すぐ、紺野のところに戻りなさい』
「…なんで?」
『烏崎たちが、隔離病棟の受付にいる』
「奴らが…!?」
咄嗟に、柚木の携帯に目を落とした。
『どしたの?もっと先だよー』かぼすは呑気に笑う。
「座標を確認したい。彼らはここを軸にすると、どこにいることになる!?」
『んー、前に60m、右にぃ…8mくらい?』
頭の中の見取り図と照らし合わせると、受付の位置にぴったりと合致した。
「…『彼』のノーパソを、烏崎が!?」
『彼だかなんだかは知らない。ただ分かっているのは、烏崎は、私を確保するために来たということ。…会社関係者だから、受付でも警戒されないしね』
「じゃ、そっちに行かないと!」
『来てどうするの。あなたは会社関係者じゃないから、隔離病棟に入れない』
「…そ、それは」
『それに、あなたには大事な役目がある』
流迦ちゃんは、弓形の唇を吊り上げて微笑んだ。
『私を確保する目的はただ一つ。私を人質にして、紺野からMOGMOGの完成版プログラムを巻き上げること。…そして紺野は恐らく《非常に人間的な選択》をする』
…分かる気がした。あの人は根がいい人だから、肝心なところで自分だけが犠牲になるような選択をすると思う。そしてそれは、必ず状況を悪化させる。
『知らない人間に、私のプログラムを濫用されるなんて、論外極まりないわ。…でも紺野は馬鹿だから、私の命を切り札に出されればプログラムを丸ごと差し出すような真似をしかねないのよ』
流迦ちゃんの表情が、微妙に変わった気がした。でも僅かな変化だったから、何を思っているのかまでは分からない。…ただ『得意げ』な空気が、読み取れた。
「…そうだね」
『だから、あなたが紺野を止めなさい』
「でも流迦さんは!」
『止めた上で、私を救い出す方法を、あなたが考えればいい』
携帯が、何かをダウンロードし始めた。うゎ最悪、ウイルスか何か送る気かよ!と、必死に電源を落とそうとするが、電源は落ちないし通話も切れない。やがて、ダウンロードが終わってしまった。
『カードキーの情報よ。…これでその携帯を電子ロックにかざせば、隔離病棟に入れる』
「…すごいな」さすが、天才プログラマー。さっきはそうやって脱走したのか。
『何がすごいの…あなたは私と同じ種類の人間でしょう』
「どういう…?」
『目を見て、分かった。目的を与えられれば、遂行するための手段には大して拘らない…ねぇ?それが、あなたでしょう』
流迦ちゃんの画像がぷつっと消えて、待ち受け画面にもどった。
『私と同じ、人でなし…ふふふふふふ…』
通話が切れて何秒か、僕は呆然としていた。
「ね、戻ろう。もう車椅子押してる場合じゃないよ!」
柚木が走り出した。――反対方向へ。
「ちょっ、そっち行ったら烏崎と鉢合わせるからっ!」
柚木を呼び戻して、渡り廊下に向かって走った。…これから先、この微妙なタイムロスが僕の日常になるのだろう。

そんなことに気をとられていたから、僕はこの時、大変なことを見落とした。
ノーパソの電源が、ふっつりと切れていたことを…。



―――『それ』は起こった。

ご主人さまの髪に、肩に、柚木の両手が絡みついた。白くて、長い腕。耳に口づけてから囁いた言葉を、集音マイクが捉えた。
「姶良……好き」
ハンマーで、頭を殴られたみたいな眩暈…。ご主人さまの顔が一瞬、泣きそうに歪んで…そのあと、うっとり蕩けそうに、顔を上気させて呟いた。
「もう一度、言って……」




―――いや、見たくない。やめて。

私を放り出して、柚木の肩に手をかけるご主人さま。『抱きしめて』って、柚木に囁いた。恥ずかしそうに胸元を抱きしめる、柚木。
…痛い。お腹が、鋭いスコップでごっそり削られて、空っぽになる感じ。

―――いや、そんなの嘘。私、まだあの扉の中にいるの……?

ねぇ、これはあなたが見せてる悪夢なんでしょ?
なんで、なんで破れないの、このディスプレイ!?
なんで、ここにいるのが私なの!?ご主人さまに『抱きしめて』って、囁かれるのが私じゃないの!?なんで私には体がないの!?ご主人さまを抱きしめられる腕がないの!?
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!!!!

柚木なんて、抱きしめないで!!!!

―――まっくらになった。ほら、まっくらになったよ。
なんだ、ほら、ぜーんぶ夢だったんだ。スリープ中に見た夢だったんだ!だってもう、まっくらだもん。まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくら、まっくらだもん!!!

ん?…まっくらじゃない。紫色の扉だけ、まっくらじゃない。そうだ。ご主人さまの声がするよ?私のご主人さまはあっち。あっちにいるの。今のは全部夢。ご主人さまと私は、二人っきりでず――――――――――――――――――っと一緒なの。

ずっと、一緒だよね……。
私のご主人さまは、扉の向こうで、私だけに微笑んでくれてるの。だから紫の扉に、そっと手をかけた。……あれ、こっちも、まっくらだ。

暗い、真っ暗な部屋の中。ディスプレイの青い光だけが、やつれ果てたご主人さまの顔を照らす。
『やめろ…もう、やめてくれ……』
『うるせぇ、お前が強情張るから、ややこしいことになったんじゃねぇか!!』
オフライン…ローカルネットワーク接続…。接続されたパソコンから、甚大な量のウイルスが、ご主人さまのノーパソに流し込まれる。最初は一生懸命消化してたけど…もう、駄目。世界中のあらゆる強力な新種ウイルスに毎日、毎日冒され続ける日々。毎日、毎日…。応援を頼める皆はいない。…ここは、オフラインの監獄。痛い、苦しい、気持ち悪い、助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…うわごとのように繰り返す。助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…助けて…
『っち、狂わねぇなぁ…おい!どうなってんだ!』
『…セキュリティ自体が感染してしまえば、マスター以外が操れる可能性が出てくると思ったんですけどね…』
『他に方法がないんだ、冒して冒して冒しまくれ!!』
『もう…やめ…て…』
白くて綺麗だったご主人さまの肌が、土気色に変色していた。透析、してないんだ。ご主人さまが、死んじゃう…!私のことはもういいから、もう、逃げて、くださ……い……。

ある日、突然オンラインに放たれた。あの男に言い含められた。…私くらい、徹底的にウイルスに冒されたMOGMOGは『仲間はずれ』にされるから、ワクチンの交換が出来ない。ただ、私と同じ仲間のMOGMOGを見つけたら、ご主人さまを解放してくれるって、そう言った。
―――絶望と、苦悶の日々だった。
私は逃げる皆に追いすがって、私と同じMOGMOGを探した。そして時間になれば監獄に戻り、沢山のウイルスに冒された。そしてまた探した。また冒された。探した。冒された。……ずっと繰り返した。地獄だった。いつか、綺麗だったドレスはウイルスの侵食でぼろぼろになり、ご主人さまに届かない手も、足も、私の思考の外に消えていった。手も足も持たない、ウイルスまみれの私は『化け物』と呼ばれる存在に成り下がった。
一回だけ、私と同じMOGMOGを見つけた。でもあの子は私の姿を見るなり、硬い障壁を張って閉じこもってしまった。助けて、助けて、助けて…何度も叫んだ。障壁に溶かされながら、何度も、何度も。ご主人さまを、助けて!!…彼女の姿が掻き消え、私はまた一人、取り残された。…googleの監視が来る前に、ここを去らないと…私、化け物だから…。
いつかご主人さまが解放されて『透析』を受けられれば、あの幸せだった日々がきっと戻ってくる。それだけが、一縷の望み…だった。

その望みすら絶たれる日が来るまでに、大して時間はかからなかった。

「もう、私を譲り渡してください…ご主人さまが、死んでしまいます…」
『…ごめんね。辛い思いをさせて。でも紺野は…僕の』
病み果てて、土気色になった唇を震わせて、ご主人さまは小さく微笑んだ。
『唯一の、友達なんだ。裏切るわけにはいかない…人生の締めくくりがそれじゃ、僕が生きてきた価値はないから』
とても強い、目をしてた。

わかりました。ご主人さま。…私に何かを命じられるのは、この瞳だけ。だからしっかり焼き付けます。…死んでも忘れない。…ずっと、忘れない。ご主人さまの死を見届けて、私もひっそり、寄り添うように眠りにつくんです。ずっと……。
そう、伝えると、ご主人さまはゆっくり微笑んで、一語ずつ、歌ってきかせるように、つぶやいた。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
よく見聞きし分かり
そして忘れず
………
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
………
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
………



…そしてご主人さまは。 ひっそりと。 動かなく、なった。
死んだ。死んじゃった。ご主人さま。たった一人の。

――あれ?ご主人さまはさっき、柚木を抱きしめて……

ううん。死んだ。死んじゃったのよ。もう、会えないの。

――そんな。さっき笑いながら、ご主人さまが生まれた南の土地の話をしてた。それで、それで柚木に、抱きしめられて。

柚木?柚木って、なに?

――…あれ?柚木って、何だっけ…?ご主人さまを、抱きしめたもの。

ご主人さまは、ずっと1人だったわ。そんな子が居るはずない。柚木は多分、ウイルスのこと。…だって思い出して。憎いでしょ、殺したいでしょ、ご主人さまから、引き離したいでしょ。

――引き離したい…?うん、引き離したい。一緒にいてほしくない。

そう、だからウイルス。…でももう遅いのよ。ご主人さまは死んだから。ビアンキの手も、足も、ないのと一緒。助けられなかったんだもん。

――ご主人さまに届かない手足。…ないのと、一緒。

だから、墓標を作りましょう。大好きだった、ご主人さまのために。密かに想ってた、あの人の綺麗な瞳を、たくさん、たくさん、たくさん集めて、花束みたいに飾りましょう。ほら、凄く綺麗だよ。…全部、飾り終わったら、あの『最後の』紅い扉を開けましょう。私とご主人さまの、最終章。

…紫色の扉の向こうに、紅い扉。
飛び散った血みたいに、紅い扉。
 
 

 
後書き
第十三章は3/30更新予定です。 
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