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アドリアーナ=ルクヴルール

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第一幕その八


第一幕その八

「一体どうなるでしょうね」
「それは明日になればわかるわよ」
「小さな宴の結末は」
「明日パリ中の噂話と」
 四人が楽しそうに話しているとそこにミショネがやって来た。
「皆さん、そろそろまた出番ですよ」
「はあ〜〜〜〜い!」
 四人はそれに従い舞台へ向かった。デュクロは部屋の隅の舞台の袖に控え舞台を見ている。
 彼が見ているのはアドリアーナである。彼女の姿をまるで食い入るように見つめている。
「やっぱりいい、最高だ」
 彼はその演技を見ながら一人呟いている。真摯な目で。
 彼の言葉通り舞台で演ずるアドリアーナの姿は素晴らしかった。それはまるでミーズのようである。
「そう、そうだ。素晴らしい。素直さが人間像を描いて忠実さが真実を表現している」
 彼は頷きながら舞台を見ている。目は完全に舞台に釘付けだ。
「あそこにいるのはもう一つだな。だから台詞を覚えてくれと言ったのに」
 途中他の役者が目に入る。そして顔を顰める。アドリアーナの演技が終わると観客達は一斉に拍手をした。
「うん、完璧だ」
 彼も観客達と一緒に拍手をしていた。
「何時見ても素晴らしい。本当にこれ程の女優は今まで見たことがない」
 彼は満足した顔で頷きつつ言った。
「だが彼女の目は私には向けられてはいない」
 彼はそう言って肩を落とした。
「彼女が見ているのは他の男だ。決して私を見てはくれない。いや、そもそも最初から私の気持ちに気付いてすらいない」
 彼は落胆した声で一人呟く。
「私は彼女を振り向かせる事は出来ない。ただこうやって見ているだけだ。どうする事も出来ない。ただ一つ出来る事は彼女の姿を見て心を癒すだけだ。例えさらに心を沈ませようとも」
 彼はそう言うと舞台から目を離した。
「さて、と。次の舞台の台詞の変更を書いたメモは何処かな」
 彼は右側の棚の引き出しをかきまわした。
「無いな。一体何処だ」
 彼は部屋中の道具の中を探し回りはじめた。そこへマウリツィオが入って来た。
「参ったな。よりによってこんな時に」
 彼は困った顔で呟いた。どうやら彼にとってまずい事態が起こったらしい。
「折角のデュクロのとりなしだというのに。よりによって今日か」
 彼はそう言うと溜息をついた。
「あの引き出しかな」
 ミショネはまだメモを探していた。マウリツィオが部屋に来たのには気付いていたが彼に構っている暇はなかった。彼の独り言も聞いてはいなかった。それどころではなかったのだ。
「彼女があの方に陳情する機会を設けてくれたのだ。今でないと我が祖国の未来にも暗い影を脅かしてしまう」
 どうやら複雑な国際情勢も絡んでいるらしい。彼の悩みは深刻である。
「ふう、やっと見つけたぞ」
 ミショネはメモをようやく見つけ出した。ホッと安堵の息を漏らす。
「もうあの方は大僧正にお話しているだろうな。・・・・・・だとすれば行くしかない」
 彼は決心した。そして次の難問について考えを巡らせた。
「アドリアーナだが・・・・・・。とりあえずは出口で待つか。そして説明しよう」
 そう決めると側にあった席に座った。部屋に庶民が入って来た。
「あ、いいところへ」
 ミショネは彼の姿を見て喜びの声をあげた。
「僕ですか?」
 庶民のほうもそれに気付いた。自分を指差して尋ねた。
「はい、ちょっと頼み事をしたいのですが」
「今は面倒なのは出来ませんよ」
「わかっますよ。このメモを演出の方に渡して欲しいんです」
「そういうことなら」
 彼はあっさりと答えてそのメモを受け取った。そしてその場を後にした。
「これでよし、と」
 彼は一息ついて舞台の方へ目を移す。マウリツィオはふとミショネが彼の座るテーブルの上に置いた一枚のメモ帳に気が付いた。
「ん、紙か」
 彼はふとそれを手に取った。
「何も書いてないな。よし」
 丁度インクとペンもテーブルの上にあった。実に都合がいい。
「よし、ここに書けばいいな。さて、と」
 彼はアドリアーナへ向けての断りの返事を書きはじめた。その時観客席の方から拍手が沸き起こった。
「デュクロの出番だな」
 ミショネは舞台を見ながら呟いた。見ればアドリアーナに優るとも劣らぬ美しい女性が舞台にいた。
「しかし今日の役はやっぱり彼女には合っていないな」
 彼は顔を顰め首を捻りながら言った。
「あまりそうやってしゃがれ声を出すのはなあ。喉に負担がかかる。やはり今度からこの役は別の役者にしてもらうか」
 彼は腕を組んで呟いた。そこへ姫君が戻って来た。どうやら出番の間の小休止らしい。
「ええと、持って来てくれと言われたメモは何処かしら」
 何か頼まれ事があったらしい。
「あちらですよ」
 ミショネがマウリツィオが座るテーブルの上を指差した。
「監督、有り難う」
 彼女はそのテーブルのところに来た。マウリツィオはふと彼女に気がついた。
「あ、マドモアゼル丁度いいところに」
「?私ですか?」
 彼女は彼の言葉に少しキョトンとした。
「これもお願いします」
 そう言って自分が今書いたメモを彼女に手渡した。
「こちらはアドリアーナへ」
「はい」
 彼女はその場の勢いで彼の頼みを引き受けた。
「早く、出番も近いですよ!」
 ミショネがそこで彼女を急かした。彼女はそれに驚いてすぐにその場を後にした。
「これでよし」
 彼はその後ろ姿を見送りながら呟いた。
「アドリアーナは僕の言葉を受け取ってくれる」
「ふう、何とかこの場は切り抜けたか」
 ミショネは再びデュクロへ視線を移していた。彼が良く思っていなかった場面が終わり安堵している。
「あとは彼女なら問題は無いが。それでもあの場面は危なっかしくて見ていられない」
 彼は首を傾げて言った。マウリツィオもそれにつられるように呟いた。
「時としてこうした危ない橋も渡らなくてはならないとはね。因果なことだ」
「さて、とそろそろ行くか」
 マウリツィオは懐から懐中時計を取り出して言った。
「あの方も美しく白い首を長くしてお待ちだろうし」
 彼はそう言うと部屋を後にした。
「よし、無事終わったな。いつもながら凄い拍手だ」
 ミショネは舞台を見て会心の笑みで言った。
「あとはアドリアーナの最後の愁嘆場だな」
 程無くしてアドリアーナが舞台から出て来た。そして最後の場面を演じはじめた。
 
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