戦国御伽草子
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弐ノ巻
輪廻
2
真秀と名付けられた人生、生きとし生ける全ての者に必ず終わりが来る。
いくら強大な霊力を持っていようと、命の潰えはきた。
肉体は滅びても、魂は廻る。
瑠璃と名付けられ、人の世に生まれ落ち、縁を手繰り、再び灯は消え、そして。
あたしは生を受ける。
戦国、前田家の瑠螺蔚姫として。
途轍もなく長い長い時間を過ごしたような気分だった。
生と死を何度も経験したような、感覚。
ぱっと暗闇が弾けた。
現実が、戻ってくるー…。
深緑の襟元が見えた。それを上に辿ると、鎖骨が見えて、傷一つない白い喉が目に入った。
あの時あたしが放った矢は、まっすぐここに突き刺さった…。
「ますみ」
言葉は考えるより早く唇から落ちた。
「真澄!」
あたしは目の前の首元に顔を埋めて泣いた。
「真秀」
真澄は優しくそう言った。
「ああ真澄…!本当ね、真澄なのね…!」
「そうだよ、真秀」
「ここは後世なのね。佐保も息長も和邇もない!」
「そうだよ」
「真澄…」
あたしは真澄がいる実感を噛みしめた。真澄がいる。生きて、ここにいる。また、会えた。
「ねぇ真澄、あたしを残して死んだりしないでね?もう、離れたくない…」
真澄は薄く笑っただけだった。あたしは不安に駆られた。
なぜ、答えないの。
流れ込む煙の量が先刻よりも大分多くなってきていた。あたしは苦しくなって咳き込んだ。
真澄は静かに言った。
「この世でも、真秀は佐保彦のものになる」
「なぜ!?あたしが、佐保彦のものになるなんて、そんな…」
あたしは苦しさも忘れて叫んだ。
けれど真澄はまた、微笑むだけで答えない。
「ずるいわ真澄。こたえて」
「真秀、はやくここを出るんだ。じきにこの部屋にも火がまわる」
「もう少し話していたいわ。霊力で煙や火をこの部屋にこないようにして」
変わらず煙は一寸先も見えない程燻ったままだったが、そう言うと同時に目の痛みと息苦しさがすっとひいた。
「ありがとう。あたしがすればよかったかな。いつもの癖で、つい兄さんに頼ってしまうわ」
あたしは霊力をつかおうとした。けれど、何の手応えもない。
「…真澄にはあるのに、あたしに霊力はないの?」
「今の真秀にはないよ。真秀は僕の甦りを願う時、僕の身を守れるくらいの霊力を併せて流し込んだんだ。逆に真秀は自分が死ぬ時霊力の潰えを願った。だから僕だけ使えるんだ。覚えてる?」
「覚えて、ないわ…ただ悲しくて…必死だったから」
思い出すと、胸が心臓を握りつぶされたかのように痛む。
あたしは真澄を救うことができず、この手で殺したのだ…。
「もうあんな思いはしたくない。あたしたち、ちゃんと甦ったのよね?幸せになるために…」
言いながら語尾は小さく消えた。何の因果か、瑠螺蔚と兄上は、実の兄妹として生まれてしまった。母も、今度は父も同じ…。
瑠螺蔚は、兄上のことを恋愛対象としては一切見ていなかった。同母の兄妹として生まれた以上仕方がないけど…。
それでも、あたしにとって誰より大切な人なのは変わらない。
「真秀」
その言葉と同時に強く抱きしめられた。
触れた身体は、氷のように冷たかった。
「真澄!」
あたしは思わず声をあげた。
「きっと目覚めたらすべて忘れてしまうだろうけど、命を費やしても最後に思い出してほしかった。この、一瞬の間だけでも」
真澄は笑った。儚い笑みだった。真澄は、何かを覚悟している。なにを?
笑顔を浮かべるあたしの頬が引きつる。
「な、に言ってるの?命って、最後って、真澄…」
「真秀、僕はいつでも真秀の幸せだけを願っている。忘れないで」
額に真澄の唇が触れた。それが頬を辿り、あたしの唇と重なった瞬間、身体が引っ張られるような浮遊感に包まれた。霊力!
真澄はあたしを翔ばそうとしている!
あたしはそう直感した。
ここで離れたらもう二度と会えない思いに駆られて、必死で真澄の着ていた濃緑の衣を意識してしがみつく。
「やめてーーーーー!真澄!」
(真秀。僕の身体はもう、持たない)
あたしの意識も朦朧としてきた。淡々と聞こえるその声すら、薄い靄の向こうから聞こえてくるようでしかない。
「嘘!」
(本当だよ。霊力の限界を超えてしまったんだ。でも、こうなることはわかっていた)
「うそよ嘘!そんなの絶対に信じない!」
(ずっと一緒に、生きていたかった。真秀)
「やめて!これからもずっと一緒よ、そうでしょう!?そうと言って!」
体の感覚がどんどんなくなってくる。けれど絶対にこの手だけは離したりしない。
最後なんて信じない。
(真秀。…神夢を見たんだ。この世でも、真秀は佐保彦と)
空気が弛む。見えないけれども、真澄が微笑んだ気がした。
真澄。嘘でしょう、真澄。
折角また会えたのよ。なんで。なんで、あたしたち、また離れなければならないの。
真澄は諦めている。生きることに。多分、神夢を見たというそれ故に。なぜなの。佐保彦の名は、確かにあたしの胸を苦しく締め付けるけれど。
あたしがまた、この世でも佐保彦と逢う?
そんなことはない。そんなことはないはずだ。
だって、それならどうしてあたし達は夜見返ってこうして巡り会ったの。真澄を見送る時、あたしは願った。今度は、正しい運命を歩みたい。あたしたちは別々の旅に育ち、巡り会い、争うべき憎しみも、傷つけ合う悲しみも持たず、ただ慈しみあう心だけを支えに幸せになりたいと。
佐保彦を知らなければ、佐保彦に逢わなければ、あたしは真澄と御影しかいない世界で、ふたりだけを愛していられた。
真澄を失いたくない。蕾はもう死んでしまった。御影とも母と子として会えた。でも、もういない。真澄まで、いなくならないで。
そのためなら、あたしは高彬を望んだりしないから。
(そういえば)
真澄の声が優しく響く。それは懐かしい過去を語るような柔らかい口ぶりだった。
(前にも、似たようなことがあったね。あの野洲の邑で)
あたしはどきりとした。
真澄と御影とあたしがいた館に火がまわった事があった。真澄はひとり残りあたしと御影を安全なところへ翔ばした。けれどあたしは真澄のところへ舞い戻り、そして。
胸が痛い。苦しい。どうして、思い出すだけでこんなに苦しいのか。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息が詰まる。
そして、その時に気づいたのだ。佐保彦が愛しいと。
(今度は、戻ってきてはいけないよ)
いいえ、真澄!
あたしは戻る。何度だって。真澄があたしのことを想うように、あたしだって真澄のことを大切に想っているのだから。
(真秀)
声が一層遠くなる。混濁する意識を引き留めようとあたしは唇を噛み潰した。
絶対に、この手を離したりなんてしない。
神夢なんて何よ。まだ見ない未来に絶望なんてしないで。生きているのは今でしょ?あたしは誰のものでもない。
だから生きることを諦めないでよ、真澄!
(真秀、巫王の血脈は跡絶えない)
真澄の声だけが響く。凜々と。悠久に…。
「真澄…!」
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