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アドリアーナ=ルクヴルール

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第一幕その二


第一幕その二

「怖れよ、卑怯者!」
「おっと!」
 高官の刀を庶民がよける。
「ほくろもう一つ必要かしら」
「いっそのこと顔全体に付けたら?」
「それじゃあかえって変よ」
 トルコ服の女優に赤髪の女優が言った。
「別にそれでいいんじゃないか?」
 庶民服の男が話に入って来た。
「そうそう、あそこにいるモリエール先生もそう仰っているよ」
 高官が悪戯っぽく言った。
 その時左手の扉が開いた。そして二人の男が入って来る。
 一人は豪奢な服で着飾った五十前後の伊達男、そしてもう一人は若い男前の僧侶である。二人は並んで部屋に入って来た。
「あ、ヴィヨン公爵にシャズイユ僧院長ではないですか」
 監督が二人に挨拶した。俳優達もそれに続く。
「あの方が?」
 高官が庶民に囁いた。
「ああ。デュクロのパトロンで化学がご趣味の当代きっての趣味人のヴィヨン公爵」
「それじゃああのハンサムな僧院長は?」
 高官は再び庶民に尋ねた。
「公爵の奥方のお遊びのお相手だろうね」
 彼はそう言うと悪戯っぽく笑った。
 僧院長は彼等の話を聞いてはいなかった。何かしきりに匂いを嗅いでいる。
「何の匂いですか?」
 彼は監督に尋ねた。
「ステージの匂いですよ」
 彼は答えた。
 公爵は僧院長の横で女優達を見ながら言った。
「また優雅な御休息ですな」
 少し皮肉混じりである。だがそこに悪意は無くほんのからかいであることは一目瞭然である。
「公爵ようこそ」
 高官と庶民が彼の前に進み出て一礼した。やたら大袈裟に一礼する。
「おお、これは親愛なる友人達よ」
 公爵もそれは心得ている。茶目っ気たっぷりに挨拶をする。どうも彼は二人の顔見知りのようだ。
「僧院長様もようこそ」
 高官がトルコ式の挨拶をする。これに対し僧院長も親しげに返す。
「どうも、トルコのスルタン」
 公爵はその横でトルコ風の衣装を着た女優に話しかけている。
「マドモアゼル、今宵はどうお呼びしたらよろしいですかな?」
「ザティムとお呼び下さいませ、公爵様」
 彼女はしなを作って答えた。ザティムとは彼女が今日演じる役の名前である。
「ほう、まるで本物のトルコの後宮のお姫様ですな」
 公爵は微笑んで言った。
「貴女は?」
 僧院長は赤髪の女優に問うた。
「リゼットですわ」
 艶やかに答えた。これも役の名前である。
「ほう、まるで春の女神のようだ」
 あえて大袈裟に言った。その言葉を楽しむように。
「公爵様、このほくろどうですか?」
 姫君は自分の肩に付けているほくろを指差して公爵に語りかけてきた。
「キューピットの的に見えるね」
 彼はその肩に口付けしそうな距離まで近付いて答えた。
「公爵、少し遊びが過ぎますぞ。まだ夜には早いかと」
 僧院長が公爵を窘める言葉を口にした。だがそれはからかいであり窘めではなかった。
 その証拠に横目で春の女神を見ている。
「僧院長様には私の扇を」
 女神はそんな彼に自分が持っている扇を差し出した。
「おお、これはこれは」
 彼はそれを満足気に受け取った。
「実に素晴らしい贈り物だ。有り難く受け取らせてもらいましょう」
「私は後で姫君のほくろをいただくとしよう」
 公爵は微笑んで言った。好色な笑みではなく遊びを楽しむ笑みであった。
「まあそれは夜に、ですぞ公爵」
「それは存じておりますよ、僧院長」
 公爵は彼に切り返した。
「ところで監督」
 その言葉を受けた後僧院長は彼に問うた。
「マドモアゼルデュクロは?」
 デュクロはこの一座でも有名な女優である。実は公爵は彼女のパトロンでもある。
「今衣装を着ているところですよ」
 監督は素直に答えた。
「監督、そこで脱いでいる、と言えばいいのに」
 姫君が彼をからかうように言った。
「そう、そのほうがお美しいのに」
 女神がそれに合わせて言った。
「そう言ったら劇が始まらないでしょうが」
 監督は二人に口を尖らせて言った。
「あらあら、監督ったらそんなに怒って」
「怒るのは健康に悪いわよ」
「一体誰のせいでそうなってると思ってるんですか」
 彼はさらに口を尖らせて反論した。
 
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