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A's編
第三十話 裏 中 (ヴィータ、レイジングハート)
闇の書の守護騎士であるヴィータは言いようもない不安に駆られていた。その理由はわかる由もない。なぜなら、それは根拠のないものだからだ。ただ、この彼女の右手に収まっている黒い本―――彼女が守護するべき主が持つ闇の書を持っていると自然と心の底から湧き上がってくるのだ。
ああ、確かに理由を探せば幾つだってその不安の理由を探すことができるだろう。最たる例を挙げれば、彼女が握っている闇の書がヴィータの大好きな主の命を蝕んでいる事実だ。その事実を放置することはできなかった。だから、こうしてヴィータは大好きな主―――八神はやてに守護騎士にはあるまじき嘘をついて、騙して、誓いを違えてまでも魔力の蒐集を行っているのだから。
主のはやての体調は蒐集を始めてから元に戻っていた。相変わらず足は動かないが、それはもともとだ。今、ヴィータが手にしている闇の書が完全に起動すれば、そんな障がいはなくなる。そして、闇の書の蒐集自体は魔法生物と襲ってきた管理局員を返り討ちにしてリンカーコアから蒐集することで順調にそのページを増やしている。時間はかかるかもしれないが、それでもできるだけはやてとの約束を違わずに闇の書の蒐集ができる最善手だろう。
そう、事の状況を考えれば順調なのだ。順調すぎるほどに。だが、それでもヴィータの胸の内の不安は消えることはない。むしろ、逆に胸の底から込みあがってくる不安は強くなっていく。それは順調すぎるが故の不安なのか、あるいは別の理由があるのか、ヴィータにはわからない。
わからないからこそ行動する。事を達成した暁には、この不安が解消されることを願って。
胸の底からこみあげてくる不安に蓋をしながら、今、ヴィータは闇の書を集めるために海鳴街の上空で気配を探っていた。探っている気配は、最近、ヴィータが感じている魔力の気配だ。その気配は毎日感じられるのだが、隠れているのか居場所が曖昧だった。その魔力の正体を探っている時間があるなら、ほかの次元世界で魔法生物を狩ったほうが効率がいいはずだった。
その感じられている魔力が魔力ランクSクラスのヴィータとほぼ同等か、それ以上でなければ。
もしも、見つけ出して魔力を蒐集できたなら、闇の書のページを一気に埋めることも可能だろう。
その相手を探し始めて早一週間。相手も魔力を隠すことに長けているのか少しずつ範囲を絞っていくしかない。しかし、今日までにほとんど範囲を絞ることができた。そこを重点的に探せば――――
「見っけ!!」
一週間探し続けた獲物をようやく捕らえることができた。曖昧だった反応もいまやヴィータは手に取るようにわかる。一度認識してしまえば、阻害魔法も意味がなかった。
見つけたことに喜ぶことも少しの間だった。見つけるだけでは意味がない。彼、あるいは彼女から魔力を蒐集しなければ意味がないのだから。だから、ヴィータは自慢の愛機であるグラーフアイゼンを肩に担ぐと騎士甲冑とはとてもいない―――しかし、敬愛する主が作った騎士甲冑の真紅のスカートを翻しながら空を跳んだ。
向かう先はもちろん、強大な魔力を持った人物の元。
その場所へは意外と短い時間で到着した。それもそうだろう。同じ海鳴市内を空を飛んで移動すれば、直線距離となり自然と時間は短くなる。その場所は、ヴィータはあまり知らない場所だった。しかし、そこに張られた結界だけはわかる。バカげた魔力で張られたつたない認識阻害魔法は。
この世界に魔法を使える人物がいたことは驚きだが、魔法の腕はそうでもないらしい。この認識阻害魔法を見て、ヴィータはそう思った。
魔法を使う上で魔力というのは重要な要素の一つではある。だが、それだけでは意味がない。その魔力に見合う魔法の技術が必要なのだ。例えるなら、今、この結界の中にいる人物はF1カーに初心者マークをつけて運転しているようなものだろうか。スピードはでるだろうが、それだけ。ヴィータからしてみれば、雑魚に違いなかった。
だが、それでも油断はできない。魔力が大きいということは、初級の魔法でも喰らってしまえば、大ダメージになってしまうのだから。だから、ヴィータが狙うのは、結界を破壊後の一撃必殺だ。もちろん、ガチンコでも負ける気はしないが、抵抗されるのは面倒だった。それに何より先手必勝、一撃必殺はヴォルケンリッタ―で切り込み隊長を担うヴィータがふさわしいと思っていた。
「いくぜ、グラーフアイゼンっ!」
『ja!』
真紅の守護騎士は、愛機に呼びかけ、愛機は主に応える。
それが、襲撃の狼煙だった。
もともと、張られていた結界は強いものではない。おそらく、魔導士の襲撃を考えていなかったのだろう。単純に魔力を持たないものの認識を阻害する程度の結界だった。誰も近づかない、なんとなく近づきたくない、と思わせるような魔法だ。だから、一部分にしても破壊は容易だった。
グラーフアイゼンの一振り。ただそれだけで、結界の一部の破壊に成功していた。
結界内部に突入したヴィータが見たのは、結界の中心で魔法の練習をしている一人の少女。その姿が、彼女が護ろうとしている主とほとんど同じような年齢であることに対して攻撃の手を躊躇するが、それも一瞬だ。己がやらなければならないことを再認識して、ヴィータはが得意とする唯一の遠距離魔法と言ってもいい誘導弾を準備する。
「シュワルベフリーゲンっ!」
グラーフアイゼンで打ち出された鉄球は、ゲートボールで打ち出された玉のようにまっすぐではなく打ち出したヴィータの意志の通りに無警戒の少女へと向かって一直線に向かい――――無警戒だったはずの少女が突然、振り返り防御魔法を張った。それは、ヴィータからしてみれば、単なる初級魔法に過ぎない。普通の魔導士が張った程度の防御魔法であれば、簡単に貫けたに違いない。しかし、目の前にいる少女は、少なくともヴィータと同程度の魔力を持つ魔導士だ。ヴィータの不意打ちともいえる魔力のこもった鉄球をいともたやすく防いでいた。
そのことに対して驚愕するヴィータだったが、彼女の中に蓄積された長年の経験はヴィータを次の行動へと移らせていた。
すなわち、誘導弾に紛れた近接戦闘へと。
切り込み隊長の名にふさわしい速度で少女に近づいたヴィータは思いっきり鈍器にもなりうるハンマー型のアームドデバイスであるグラーフアイゼンを振りかぶり、吼えた。
「テートリヒ・シュラークっ!!」
先ほどの誘導弾とは比べ物にならないほどの魔力を込めた一撃。先ほどのプロテクション程度であれば、砕けるだろうと思っていた。しかし、現実はヴィータの上を行く。
渾身の力を込めたグラーフアイゼンは、桃色の障壁によって防がれていた。
「なっ!?」
先ほどの誘導弾が受け止められた時のプロテクションを考慮に入れたはずの攻撃を防がれたヴィータは、驚きの声を上げると同時に少女から距離を取るために後ろに後退した。初心者と思っていたが、どうやらその認識を改める必要があるようだ。確かに魔法は初級程度しかない。しかし、その魔法はヴィータの魔法を受け止めるほど。つまり、それほどまでに洗練されているというべきだろうか。
「……テメェ、あたしのテートリヒ・シュラークを受け止めるなんて、何者だ?」
油断せずにグラーフアイゼンを構えて問うヴィータ。だが、相手からの返答はない。ヴィータもそもそも期待していない。相手がベルカの騎士なれば、応えも期待できただろうが、目の前の少女は、一般人に近いといってもいい。先ほどから見える魔法陣もベルカ式の三角形ではなく、ミッドチルダ式の円陣だったのだから。
しかも、少女はこちらに対する警戒というよりも、どこか困惑したような表情が見える。もしも、戦いの経験が豊富であれば、少女は迷うことなどないはずだ。なぜなら、ヴィータは明確な敵なのだから。
圧倒的な魔力と技量。だが、経験は不足。なんともちぐはぐな印象を与える少女だった。
「まあ、テメェの正体なんてどうでもいい。あたしの目的はたった一つだ」
そう、少女の正体なんてどうでもいいのだ。ヴィータがやるべきことはただ一つ。主からの信頼を損ねようとも、やらなければ、やり遂げなければならないこと。そのためになら命を賭すことすら躊躇しない。
「テメェの魔力―――いただくぜっ!!」
それは宣言。これ以上迷わないための宣誓だった。
「シュワルベフリーゲンっ!」
もう一度、ヴィータは誘導弾を展開する。しかし、これは急襲のためのものではない。少女が戦闘経験があまりないことを考慮した戦略だった。ヴィータは誘導弾を打ち出すと少女の周りを跳弾させるように操作した。そう、一つ一つの目的を明確化しないことで、少女の視点を奪った。少女の注意が自分から外れたことを確認して、ヴィータは公園の茂みの中に身を隠す。自らの小柄な身体を忌々しく思ったこともあるが、こういうときだけは役に立つ。
茂みの中を移動しながらヴィータは急襲の時を待つ。茂みの中から少女の様子を窺えば、この期に及んでも彼女はどこか戸惑っているような、悩んでいるような、迷っているような感じだった。もしかしたら、彼女は心優しい少女なのかもしれない。ヴィータの主である八神はやてのように。
一瞬浮かんだ考えをヴィータは頭の中から追い出す。そんなことを考えてしまえば、彼女を襲撃することに躊躇してしまうかもしれないからだ。少女の様子を滑稽だと思っているのに自分がそんなことに陥ってしまえば、それはそれであまりに滑稽だ。
そして、その瞬間は訪れた。ヴィータが少女の死角に移動し、少女の意識が完全にヴィータから外れた一瞬が。その瞬間を見逃さず、ヴィータは茂みから飛び出す。少女から瞬時に見つからないように地面すれすれともいえる低空を飛びながら。急襲は成功のはずだった。気付かれないはずだった。だが、少女は気付いた。そして、それはおそらく反射的な行動だったのだろう。ヴィータの攻撃が確実にあたるとも当たらないともいえないタイミングで少女は後退した。
ヴィータとしては一瞬、踏みとどまれば追撃できたかもしれない。しかし、少女の気付いたタイミングと後退するタイミングはあまりに絶妙で、ヴィータには攻撃の手を止めることはできなかった。結果、掬い上げるようなヴィータのグラーフアイゼンによる攻撃は不発。せいぜい、少女の髪に掠る程度、グラーフアイゼンの先端に少女のリボンをひっかける程度でしかなかった。
そう、少なくともヴィータの認識はそれだった。それが、少女にとって計り知れないほどのダメージを与えたとも知らずに。
攻撃を失敗したと思ったヴィータは追撃を加えようと後退した少女に対してさらに距離を詰めようと思ったが、その前に少女の様子がおかしいことに気付いた。目を見開いて明らかに驚愕しており、何かにひどく動揺しているように思える。なにより、彼女が見ているのは今にも襲おうとしている自分ではなく、ヴィータの後ろでひらひらと舞っているリボンのような気がする。
だが、そんなことは気にしない。何より、自分に注意がそれている今がチャンスと思って、ヴィータは一気に決めるために距離を詰まるため、さらに地面を強く蹴る。何もなければ、次の瞬間にはヴィータの攻撃は少女に届いているはずだった。しかし、それは成されなかった。
なぜなら、突如として発生した少女の絶叫を中心とした魔力の奔流によって吹き飛ばされたからだ。
今までとは比較にならないほどの魔力量。ヴィータと比較することがおこがましいほどの魔力。それが少女の叫びとともに渦巻き、逆巻き、竜巻のように荒ぶる。
「レイジングハートっ!!」
『All right! My master. JS system set up serial I to XV.』
ぞくり、とヴィータは全身が粟立つのを感じた。気が遠くなるほど戦闘の経験を積んでいるヴィータだったが、これほどまでに目の前の存在に恐怖を覚えるのは初めてだった。いや、その前に目の前の少女は、本当に人間なのだろうか、と疑問を持ってしまうほどの恐怖だった。
やがて、魔力の奔流の中から出てきたのは、先ほどまで少女だったとは到底思えないほどの女性だった。少女というよりも女性に近い。しかも、バリアジャケットは漆黒と真紅に支配された禍々しいもの。彼女の姿を目に入れた瞬間、ヴィータは瞬時に悟った。
―――ヤベェ、ヤベェよ。
恐怖とかそれ以前の問題だった。ヴィータの長年の経験がアラートを鳴らす。警告を絶えず鳴らすが、目の前の存在から背を向けて逃げるのも不可能だと悟っていた。むしろ、背中を向けた瞬間にやられる、という確信がヴィータにはあった。
だからこそ、目の前の少女―――女性からは目は逸らせない。しかし、それは女性の圧倒的な魔力を直視し続けるということだ。それはヴィータの心絶望に染めるには十分だった。立っているだけで戦意をへし折る存在。それが目の前の存在だった。
がちがちと歯が鳴る。逃げたい、逃げたい、逃げ出したい。しかし、逃げられない。
どうするべきか、生き残るにはどうするべるべきか? 今までの経験という経験から導き出そうとするが、そもそも、こんな圧倒的な存在と遭遇した経験がない。もしも、頼るべき仲間がいるなら話は別だが、今は一人だ。どうするべきか? 硬直しているヴィータに対して、目の前の女性はヴィータが答えを出すまで待ってくれるほど悠長な人物ではなかった。
「アクセルシュータ スターダストモード セットアップ」
その瞬間、夕焼けだった空が世にも奇怪な桃色へと変化した。いや、それは女性の空だけだ。そう、空を埋め尽くすほどの魔力球。それが、桃色に変化した空の正体だった。ヴィータから見える空は夕焼けの紅が3、魔力球が7というところだろうか。一発一発の大きさは大したものではない。それらが空を埋め尽くすほどの数。しかも、魔力球の一発の魔力量も半端ではない。確かに、アクセルシュータ自体は初級魔法かもしれないが、空を埋め尽くすほどの数をそろえれば、面制圧が可能なほどの魔法だった。
真に恐ろしいのは、本来この手の魔法は一人で行うものではない。魔導士が10人以上集まって行う儀式魔法に近いものがあるはずだ。それを一人で体現する女性。改めて、ヴィータは自分が手を出したものを悟った。
しかし、それでも、それでもヴィータは前を見た。確かに目の前の女性が持つ魔力は圧倒的だ。逃げられない事も確かだろう。しかし、それでも、ヴィータはあきらめない。なぜなら、ヴィータが諦めてしまうことは、すなわち主の死へとつながるからだ。なんとしても、この場は命からがらでもなんでもいい、逃げ出す。あるいは、あわよくば彼女から魔力を蒐集したい。彼女から魔力を蒐集できれば、闇の書のページなどあっという間に埋まってしまうだろうから。
第一目標は逃げ出すこと。それを念頭に置いて、ヴィータは目の前に広がる圧倒的な魔力に立ち向かうためにグラーフアイゼンを構えた。今から駆け抜ける場所は確かに死地だろう。だが、それでも何も言わずに従ってくれる愛機が頼もしかった。
負けない、という意思を込めて目の前の女性を睨みつける。しかし、彼女はヴィータの牙をむくような表情を視界に入れたとしても、動揺していなかった。むしろ、それが喜ばしいことのように口の端を釣り上げて嗤った。
「ちっくしょっ!」
それが誇りを傷つけられたような、自らの決意を嗤われたような気がして、しかし、心は冷静に目の前の魔力の奔流が発射されるまえに勝負をつけてしまえ、とばかりに先手を狙った。しかし、ヴィータには空を駆ることすら許されなかった。
「なっ!?」
地面を蹴ろうとした瞬間に感じた違和感。何事か? と見てみれば、足首に桃色の光を放つバインドがからみついていた。いつのまにっ!? と驚くが、それどころではない。その一瞬は明らかにヴィータの隙になってしまったのだから。
「ファイア」
静かに、無慈悲に、冷徹に空に浮かんだ魔法球に対して命令が下される。それはある種の死刑宣告と言ってもいいだろう。
―――空が落ちてくる。
無数に降ってくる。落ちてくる魔力球を見たヴィータが抱いた感想だった。半ば無意識的にヴィータは魔法球に対して障壁を張る。ヴィータの持ち味は切り込み隊長ともいえる突貫力と近接戦闘だ。そのためには、魔力球の雨を防御壁を張りながら突き破ることもある。硬い障壁は今まで自分の役割を果たしてきたヴィータの持ち味だ。しかしながら、その自慢の障壁も目の前の魔力球の雨の前には紙のようなものだろう。ヴィータが行ったことは一瞬の時間稼ぎでしかなかった。
その一瞬でヴィータがなしたことは――――頭上の帽子を護るように身体で包み込むことだった。
ヴィータが身を盾にして守ろうとしたのはヴィータが初めてはやてから買ってもらったぬいぐるみ、名前を呪いウサギといっただろうか。口が縫われており赤い不気味な目が特徴的なものだ。キモカワイイというものだろうか。とにかくヴィータはそれが気に入ってしまい、それに気づいたはやてが買い与えたものだ。ヴィータがはやてに心を許すきっかけになったものである。
そして、なによりヴィータにとってはやてからプレゼントしてもらった何よりも大切なものである。だから、守りたかった。この身を盾にしたとしても。
ヴィータのその切なる願いは何とかかなえられた。本当に何とかだが。
空から落ちてきた魔法球がヴィータの張った魔法障壁を破ったのは一瞬だった。おそらく、耐えられたのは2、3発だったのではないだろうか。バリンという鏡が割れたような音を残して魔法障壁は割れた。割れてしまった。障壁が割れた後は、ヴィータの身を守るものは、はやてから作ってもらった騎士甲冑のみだ。しかし、それも魔力球の前には紙のような装甲でしかない。
だから、耐えられるとすれば、己の魔力と気力のみだ。魔力をうっすらを張ってせめての抵抗をする。
「………っ!!」
歯を食いしばって耐えるヴィータ。魔力球から与えられるダメージは、人から直接殴られた時のようだ。しかし、それが一秒間に数十発。普通の人間なら耐えられないのだが、ヴィータはそれを気力だけで耐えていた。気を失ってしまえば、すべてを失うことを感覚で理解していたから。
やがて、その暴力的ともいえる雨は止んだ。しかし、ヴィータの傷は深い。意識は朦朧とし、全身のいたるところが痛かった。全身打撲のようなものである。はやてからもらった騎士甲冑もスカートの部分はぼろぼろで、唯一、丸まるような体勢で守っていたため、前面だけが無事だった。それと、ヴィータが一番守りたかったはやてからもらった帽子も。
―――よかった。
全身が痛む中、手の内に無事な帽子があることを確認して、ヴィータは安堵の息を吐いた。危機はいまだに脱していないというというのに。
「……ふぅ~ん、それがあなたの大切なもの?」
その声はヴィータの頭上から聞こえた。怒りを押し殺したような抑揚のない声。問いかけているというよりも、確認しているような感じの声。その声に対して、ヴィータは敏感に反応した。反応してしまった。大切なものを大人から取られそうになっている子供のように。ぎゅっ、と自分のものだ、と主張するかのように。
その行動は、ヴィータが守るという目的を達成するうえでは逆効果にすぎなかった。
頭上から伸びてくる手。それはヴィータの内側におさめられた帽子を狙っていた。それに気づいて抵抗するヴィータ。だが、全身にダメージを喰らっていたのがまずかった。力が入らない。少なくとも力ずくで奪われようとする力に対抗するだけの力がでなかった。持って行かれる帽子を握っていた手をずっと離さなかったものの、それは女性から手を叩かれただけで弱々しく外れてしまう。
「ぁ……ぇ……せ」
返せ、と叫びたかったが、その声も出ない。苛烈なまでの魔力球の雨はヴィータにそこまでのダメージを与えていた。
だから、ヴィータには帽子に向かって手を伸ばすしかなく、女性の手に収められた帽子を見るしかない。黒と真紅のバリアジャケットに身とつつまれた女性は、しげしげと帽子とヴィータを交互に見る。いや、正確にはヴィータが求めるように伸ばした手だろうか。やがて、その二つを見比べると、にぃ、と口の端を釣り上げて嗤う。
直後―――びりっ、という布を破くような音とともに帽子は真っ二つに割かれた。そこから、さらに四つに、四つが八つに。もちろん、その中にはヴィータがはやてから初めてもらった呪いウサギも同様だ。最初に首と胴体が二つに分かれた。次に胴体から右手がちぎれた。次に左足が、右足が、耳が、目が。気が付けば、呪いウサギと呼ばれたぬいぐるみは跡形もなく、布と綿に分離してしまった。唯一、地面に呪いウサギの特徴ともいえる縫われた口と大きな赤い眼が残った顔だけが転がっていた。
女性はそれを嬉々として行っていた。笑いながら。まるで、年上の子どもが、年下の子どもが一生懸命作った砂の城を壊すように。
もしも、ヴィータが健在であれば、グラーフアイゼンを構えて女性をグラーフアイゼンの染みにしていただろう。だが、今のヴィータにはできない。だから、ただただ悔しさだけがこみあげてくる。何もできないことへの悔しさ。目の前でむざむざと思い出の品を粉砕された悔しさ。その悔しさは、ヴィータの双眸から零れ落ちる雫となって現れていた。
そんなヴィータを見ていた女性だったが、やがて考え込むようなしぐさをした後、ゆっくりと近づいてきた。もしかすると、止めを刺すつもりかもしれない。しかし、それが理解できたところでヴィータは何もできない。いや、正確には気力すら湧いてこない。肉体的にはいたぶられ、精神的には大切なものを粉々に砕かれたのだから。
近づいてきた女性は、ゆっくりとデバイスをヴィータに向けてくる。そこから、魔法でも放つのだろうか。それがヴィータの止めになるのだろうか。
もしも、それが現実であれば、ヴィータにとっていかに幸いだっただろうか。デバイスが発したのは蒼い光だ。それがヴィータを包み込むように広がる。
―――えっ、うそだろ? やめろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろっ!!
ヴィータが叫ぶのも無理はない。蒼い光は、ヴィータを浸食してきた。より正確に言うのであれば、ヴィータの内部。物理的な内部ではなく、ヴィータを構成する闇の書の守護騎士システムそのもののを浸食してきた。それは、ヴィータの核にして、ヴィータをヴィータとして至らしめる根幹だ。そこが浸食されるといううことは、ヴィータにとって脳を直接いじられることとなんら変わりない。そして、自らの身体の一部を浸食されるという嫌悪感は、全身を弄られるよりもひどいものだった。
ヴィータの内部に浸食してきた蒼い光――いや、蒼い光に便乗してきたデバイスの意志だろうか。それらは、冷徹にヴィータからヴィータという部分を抜いてくる。少しずつ少しずつ。まるで虫食い状態にするようにヴィータから記憶や経験を抜いていく。
―――あ、あ、あ、あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……。
手を伸ばすこともできず、抗うこともできず、少しずつ少しずつ自分が自分でなくなることを自覚するヴィータは恐怖を覚える。今まで大切だと思っていた思い出もシャボン玉が割れるように次の瞬間には認識できなくなる。あんなに大切だったのに。次の主になっても忘れないと思っていたのに。それなのに、もう思い出せない。初めて食べたはやての食事の味も。初めて買ってもらった縫いぐるみの容貌も。初めてはやてから頭を撫でられた時のうれしさも。はやてを護ると決めた騎士の決意も。貪欲に、何一つ逃さぬ、とばかりにデバイスはヴィータからすべてを奪っていく。
だんだん、データをアンインストールしていくようにヴィータから奪うデバイスだったが、その速度が一瞬だけ下がった。目の前の女性―――どうして、彼女がいるのかヴィータには思い出せない―――が自分が横を向いていた。それにつられるようにヴィータもその方向を見てみれば、そこにいたのはピンクの髪と西洋剣を持つ騎士の鎧に身を包まれた長身の女性と鍛え上げられた体躯と銀色の獣耳を持つ男性が宙に浮いていた。
―――ああ、あいつら、来てくれたんだ。
もはや彼らの名前すら思い出せない。だが、これだけは知っている。彼らは大切な仲間だと。それはシステム的な記憶ではない。ヴィータという存在がその身に刻んでいる記憶だ。だからこそ、最後まで忘れなかった。手渡すことはなかった。その仲間に向けてヴィータは最後の言葉を絞り出す。
―――ご、め、ん、な。
何に対して謝っているのかすらヴィータにはもはや認識できない。だが、それでも、なぜか謝らなければならないような気がした。それは、この場から自分が退場してしまうことだろうか。あるいは、もっと別な決意を果たせないことだろうか。その答えをヴィータに出すことはできない。ただ、すべてを忘れていっいてるはずなのに、ただ一つのことだけが心残りだった。
―――ああ、はやてのカレーたべた―――
その思いを最後にヴィータのヴィータという意識はテレビの電源を落としたように闇に染まるのだった。
◇ ◇ ◇
レイジングハートは、主の叫びに応え、JSシステムにおいてジュエルシードを十五個起動していた。これは、レイジングハートが内蔵している二十というジュエルシードのうち、JSシステムとして起動できる最大数である。これ以上は、起動させて意味がないし、制御できる自信はない。なにより、もはやこれ以上の連結は意味がない。現状でも次元世界の一つぐらいは圧殺できるほどの魔力をレイジングハートのマスターは操れるのだから。
そのJSシステムを起動させているバックグラウンドでレイジングハートは残り五つのジュエルシードの助けを借りながら、ロジックツリーを展開していた。議題は、その気になれば、誰にも負けないはずの主が傷を負ってしまったこと。いや、正確にはマスターが大切にしていたリボンを失う結果になってしまったのか。
そして、展開されたロジックツリーは一つの答えを導き出した。
すわなち、経験不足。
レイジングハートのマスターである高町なのはに足りないもの。それは圧倒的な実戦経験だ。今までは、遠距離で圧倒的な力をふるうだけでよかった。だが、目の前の敵はそうはいかなかった。経験を積んできた敵だ。それに対抗するには同等の経験が必要だった。だが、経験とは今すぐに得られるものではない。
だから、レイジングハートはデバイスとしてシステム的に考え、答えを導き出した。
―――ないのであれば、持ってくればいい。
至極簡単なことだった。確かに経験を得るのは大変だ。だが、経験とはそれを体験した記憶だ。記憶をもとにして、行動を決めることさえできれば問題ない。要するにマスターには戦いの記憶が少ないのだから。そして、最大の経験を持っている人物はおあつらえ向きのように目の前に存在しているではないか。
「レイジングハート、どうしたらいいかな?」
マスターの問い。それは、マスターが目的としていた自分と同様のことに至らしめるという目的を達した後のことを聞いているのだ。確かにマスターの目的は達しているのかもしれない。しかし、レイジングハートの目的は達成していない。だから、レイジングハートは答えた。
『Please rob her all』
「えっ……でも、いいのかな?」
どこか躊躇したような声。マスターはどこか弱気なところがある。だからこそ、自分がいる。そんなマスターを後押しするために。だから、レイジングハートは、マスターの問いかけに答えた。
『Of course. Are you satisfied?』
レイジングハートは知っている。マスターがあまりのあっけなさに満足していないことを。あんなに大切にしてたものをぼろぼろにされたのに、こんなにあっけなく相手がやられてしまったからだ。だからこそ、問う。そんなのでいいのか? と。
レイジングハートの言葉にやや考えたなのはは、ううん、と首を横に振った。
『Then, please move me close to her』
レイジングハートの言葉に従って、なのははレイジングハートを真紅だったバリアジャケットに包まれた少女に近づきた。彼女の姿はぼろぼろで瞳からは生気を感じない。それはレイジングハートにとっては都合のいいことだった。
少女に近づけられたレイジングハートは、己の内に眠っているジュエルシードを起動する。
もちろん、彼女の内にある経験をレイジングハートにインストールすためだ。そう、普通の人間であれば、脳にある記憶をコピーという形をとるだろう。だが、そこで予想外の事実が発覚した。目の前の少女は、人間ではないということだ。いうなれば、魔法によって精巧に作られた人形だ。
レイジングハートはこのことに歓喜した。なぜなら、普通の人間から記憶を奪うより数倍楽で、より一層の経験が得られるからだ。だから、レイジングハートは、表面層の記憶から読み取った少女の名前であるヴィータの中を進んでいく。進みながら、取捨選択を行い、レイジングハートにとって必要な記憶は自分の中に放り込み、それ以外はバックアップと同時にデリートする。どうせ、マスターに牙をむいた人間(?)なのだ。レイジングハートからしてみれば万死に値する。だが、彼女たちは死ぬことはない。だから、レイジングハートがリサイクルする。ただ、それだけだ。
少し魔法形態がベルカ式という古い形態だったが、それさえもレイジングハートにとっては問題ない。単純にコンパイルを行えばいいことだ。
本来なら、捨て置くであろう魔法人形ともいえるヴィータをコンパイルを行ってもレイジングハートが欲した理由は、前々から思っていたからだ。マスターを護る前衛が欲しいと。レイジングハートのマスターは、どちらかというと後衛だ。本来であれば、彼女を護るための前衛が必要なのだ。もっとも、それはレイジングハートが持つ魔力でねじ伏せてきたが。だが、これから必要になるかもしれない。だから、レイジングハートは、彼女を乗っ取ることにしたのだ。
ヴィータという少女の奥底に入っていくと、そこは暗い、暗い闇の中。ヴィータを構成する守護騎士システムという部分でさえ表面層にすぎなかったらしい。その奥にあるのは、レイジングハートからしても危険と思えるほどに禍々しいプログラムの闇だ。もっとも、さらにその奥に隠されているのは洗練された美しいともいえるものだったが。明らかに中間層にあるものと深層にあるものは、製作者が異なる。どうやら、守護騎士システムと深層の間に誰かが追加したものらしい。しかも、悪意を持って。
だが、レイジングハートにはあまり関係ない。今、必要なものは守護騎士システムというヴィータを構成する部分のみだ。しかも、どうやら守護騎士システムとは一人ではないらしい。ヴィータを構成する基幹の部分からはさらに三つの線が伸びていた。ほかにも三人の守護騎士がいるということだろうか。ならば、マスターの今後の経験のためにも欲しいとは思ったが、今、目の前にいない以上、ここからたどるのは難しいと判断し、その場は諦めた。
ヴィータという守護騎士システムと基幹部分をほとんどコピーし終えたレイジングハート。あとは、ヴィータの残っている部分を取捨選択するだけでこのシステムが構成しているヴィータという部分は、完全になくなり、レイジングハートの内部に再構成された守護騎士システムこそが、本物になる。
マスターの経験が補えて、優秀な前衛も手に入れられた。一石二鳥とはこのことだろうか、とレイジングハートはご機嫌だった。
その気分に水を差すような警告。誰かが、どうやら結界を破ってきたらしい。やれやれ、これ以上、マスターを疲れさせるわけには、と思い、何とか逃げようとしたのだが、結界内部に侵入した人物を解析して、レイジングハートは心躍った。レイジングハートに表情があれば、笑っていただろう。それほどに愉快なことだった。
なぜなら、侵入してきたのは、先ほどレイジングハートが欲しいと思っていた守護騎士全員なのだから。
闇の書と共に現れる守護騎士。彼らと敵対する時空管理局からしてみれば、彼らは強敵だというのにレイジングハートからしてみれば、彼らはただの獲物にすぎないのだった。
つづく
後書き
黒幕はほくそ笑む
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