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A's編
第三十話
クロノさんから護衛の仕事を頼まれた次の日の月曜日。僕はやや憂鬱な気分を背負いながら登校していた。理由は言うまでもないだろう。昨夜のアリシアちゃんとアリサちゃんのことである。アリシアちゃんにはあの後、質問攻めにあってしまった。たしかに、何も話さなかった僕が悪いわけだが。
幸いなことにアリシアちゃんは、最終的には僕が護衛の仕事でしばらくの間留守にすることに納得してくれた。その代償は決して安いものではなかったが。内容は、僕がおそらく仕事を行うであろう1か月と同じだけの期間をアリシアちゃんを優先する券だった。つまり、30枚の『蔵元翔太フリー券』を渡すようなものだろうか。広告の裏に30分割したものに手書きで『蔵元翔太フリー券』と書くのはなかなかの仕事量だった。
さて、問題はそれよりもアリサちゃんだ。昨日の電話の様子から察するに遊園地のことを非常に楽しみにしてくれていたと考えてもいいだろう。それを僕の都合が悪いとはいえ、断ってしまったのだ。もちろん、僕だって引けないことである。もう少し早ければ、僕だって対処できていたのだが、少し間が悪かった、としかいえない。
しかし、ここで、時間調整はできないだろう。クロノさんの部隊の調整だって終わっているはずだ。それなのに、僕一人のわがままのせいでその調整を変えてくれとは言えない。それに、はやてちゃんを一人で残すのも問題だ。いくらなんでも、はやてちゃんが大変な時に僕だけが『遊園地に遊びに行ってきます』とはいえない。もしかしたら、はやてちゃんは笑顔で見送ってくれるかもしれないが、空気を読めと言われることは間違いないだろう。
解決する方法があるとすれば、はやてちゃんも一緒に行くぐらいだろうか。遊園地も今は障がい者だって遊べるように工夫している。つい最近オープンした遊園地がバリアフリーになっていないとは到底思えない。しかし、この方法も行き先が普通の遊園地ならば一考の余地はあっただろうが、行き先が『海鳴アミューズメントパーク』では無理だろう。あれは、アリサちゃんのお父さんが株主だったからこそ手に入れられたものだ。今から一人追加なんて都合のいいことができるわけがない。
つまり、僕はアリサちゃんに対してもアリシアちゃんのように納得してもらうしかないのだ。
―――はぁ、『フリー券』程度で納得してくれるかな?
電話の最後の怒鳴り声が忘れられない。今まで似たように僕が用事で行けなかったことはあったが、あそこまで一方的に切られたのは初めてだ。昨日、電話することも考えたが、アリサちゃんが怒っているときに何を言っても怒らせるだけだ、と思って今日にしたのだが。それが裏目に出る可能性も否定できない。
『怒り』という感情は、実はとてもエネルギーがいる感情なのだ。だから、一晩寝れば少しは和らいでいることを願いたい。もっとも、少しは和らいでいるかもしれないが、僕と見た瞬間に再発する可能性は十分に残っているから油断はできない。
僕が有効的な手段を見つけられないまま教室に入ると既にアリサちゃんはすずかちゃんと一緒に来ているようだった。アリサちゃんの席で何かを話しているのを見つけることができた。しかし、それだけだ。アリサちゃんも僕に気付いたのだろう。視線が一瞬だけ合うと彼女は、ふいっ、と視線を外す。
―――まだ、怒っているのか……。
怒っているということに関しては予想通りだったが、顔を逸らされるというのは意外とショックだった。しかし、落ち込んでもいられない。早いところ謝って機嫌を直してもらわなければ。アリシアちゃんのような小細工でうまくいくとは思えないが、埋め合わせはしなければならないだろう。僕のお小遣いでは海鳴アミューズメントパークは無理だから、別の場所を用意するべきだろうか。
そんな風に自分の席で、うむむむむと悩んでいると僕より頭一つ分高い位置から聞きなれた声が降ってきた。
「ショウくん、お悩み?」
上を向いてみると、先ほどまでアリサちゃんと一緒に話していたはずのすずかちゃんが僕の隣に立っていた。僕がよほど面白い顔をしていたのだろうか、彼女は僕の様子を見てくすくすと笑っていた。
「うん、まあね」
もしかして、すずかちゃんは何も聞いていないのだろうか。だから、僕が悩んでいることに気付いていない? いや、そんなことはないはずだ。彼女たちは本当に親友と呼んでいい間柄だ。ありさちゃんは、何かあればすずかちゃんに言っているだろう。今回のことだって例外じゃないはずだ。
「すずかちゃんは、アリサちゃんから何か聞いていない?」
僕がそう予想したのは、すずかちゃんが一人で来たことだ。いつもなら、アリサちゃんと一緒に来るのに、今日は一人で僕に話しかけてきた。だから、何かあるのだろうと予想したわけだ。僕の言葉が予想外だったのか、すずかちゃんは一瞬だけびっくりしたような表情を浮かべたかと思うとすぐに表情を取り繕って先ほどと同じように笑う。ただ、その笑みには少しの賞賛が見て取れた。
「すごいね、ショウくん。うん、アリサちゃんってば、ショウくんの様子が気になって仕方ないみたいだよ」
まるで子どもを見守るお姉さんのように面白がって笑っているように思える。すずかちゃんの様子はともかく、僕からしてみればアリサちゃんのその反応は予想外だった。僕がアリサちゃんの様子を気になるならわかる。なぜなら、僕はアリサちゃんを怒らせてしまったからだ。しかし、アリサちゃんは、怒った側だ。しかも、何か悪いところがあったとは思えない。つまり、僕にはアリサちゃんが僕の様子を気にかけるような意味が分からないのだ。
「昨日、アリサちゃんに怒鳴られたんでしょう? アリサちゃん、それでショウくんが怒ってないか気になるみたい」
「なんで僕が怒るの? 悪いのは僕なのに」
僕はアリサちゃんが心配する意味が分からなくて首をひねった。
「アリサちゃんが、ショウくんの用事も聞かずに怒鳴っちゃったからじゃないかな? 誰だって、正当な理由があって断るのは当然だよ。ショウくんだって、外せない用事なんでしょう?」
どうやら、すずかちゃんはあらましを知っているようだ。それもそうか、彼女も一緒に遊園地に行くメンバーに入っているのだから。
「うん。これだけは外せないんだ」
今年の四月のようなものだが、今回ばかりは外せない。ほかの用事なら都合をつけられるかもしれないが、こればかりは都合をつけられない。僕にも引き受けた責任があるのだから。
だが、僕がそういうとすずかちゃんは、少しだけ難しい顔をした。
「う~ん、やっぱり。ショウくんが意味もなく断るわけないもの。でも……そうだとすると、しばらくアリサちゃんと話さないほうがいいかも」
「え? どうして?」
僕としては直接アリサちゃんに話したいと思っているのだが。
「アリサちゃん、相当怒っているみたいだったから、もちろん、私に話すみたいに、つい怒鳴っちゃうことには自己嫌悪はしてるみたいだけど……ほら、アリサちゃん、どちらかっていうと直情傾向があるから、あとで後悔しちゃうってわかってても怒鳴っちゃう」
確かに。アリサちゃんにはそういう傾向がある。アリシアちゃんと怒鳴りあうことも多いみたいだ。そのたびに、アリサちゃんは、僕に涙目で話しかけてくる。どうやったらアリシアちゃんと仲直りできるだろうか、と。もっとも、いつもは原因があるほうが謝っておしまいなのだが。
それはアリサちゃんの性格なのだからそう簡単には治らないのだろう。
「ショウくんがいけるようになったら話は別だけど、このまま行けないならアリサちゃんもまたショウくんを怒鳴っちゃうかもしれないでしょう?」
その可能性はないとは言い切れない。よほど楽しみにしていたみたいだし、もしかしたら、誤っても僕が『行くよ』と言わない限りは解決しないかもしれない。ごめん、と僕が謝るたびに怒鳴ってしまうかもしれない。もうすぐ3年となろうという彼女との付き合いが、その様子を容易に想像させた。
「そして、アリサちゃんはそのたびに自己嫌悪に陥っちゃう。だから、アリサちゃんのためにもショウくんは話しかけないほうがいいと思うの」
「でも……」
そう、すずかちゃんの言いたいことはわかる。分かるが、僕が悪いのに謝りもしないのは、非常に心苦しいし、気持ち悪い。
「大丈夫。ショウくんの気持ちは、アリサちゃんにはきちんと私が伝えるから」
任せてくれ、というような自信ありげな笑みを浮かべるすずかちゃん。その笑みを見ると任せてもいいかな? という気になる。確かにすずかちゃんの心配ももっともだ。僕が話しかけることでアリサちゃんが怒鳴って、自己嫌悪に陥って、僕は責任を感じて謝って、アリサちゃんはまた怒鳴って、と無限ループが発生することも考えられないわけではない。
それを回避するには別の行動をとることが必要だ。
「……お願いしてもいいかな?」
もしかしたら、そんなことにはならないかもしれないが、無限ループは一度陥ってしまえば、なかなか抜け出せない。ならば、最初から避けるというのも一つの手だろう。
「うん、任せてよ」
どん、と胸をたたくすずかちゃんは、満面の笑みを浮かべて僕のお願いを快諾してくれるのだった。
◇ ◇ ◇
クロノさんからはやてちゃんの護衛の仕事を頼まれてから一週間が過ぎようとしていた。季節は冬まっただ中の12月へと移行していた。
最初は、どうなることか、と思った生活だったが、そんなに変わることはなかった。なぜなら、基本的に昼間は学校に行っているからだ。さすがに学校は休めないことをクロノさんに伝えると彼は快諾してくれた。どちらにしてもなのはちゃんも学校なのだから、その時間は彼らは資料の整理やほかの仕事に充てるとのことだ。
護衛に関しても、その間はクロノさんが護衛の主任としてつくからむしろ僕がいないほうが護衛体制は万全というのはなんという皮肉だろうか。
学校生活は、相変わらずと言っていいだろうか。アリサちゃんと仲直りもしたいのだが、なかなかタイミングがつかめない。すずかちゃんの言うとおりに距離を置いてみた。つい先日に遊園地へも行ったみたいだが、彼女とはいまだに話ができていない。僕が避けているのか、避けられているのか、なんとなくタイミングが合わないのだ。運動会を契機にして仲良くなった女子との間も切るわけにはいかないし、放課後は僕の用事がある。必然的にアリサちゃんとの接点が小さくなるのは仕方ないことだった。
アリサちゃんもアリサちゃんで、何か言いたいことがあるのか、いつも僕に話しかけようとしてくるのだが、それをいつも邪魔されるのだ。本当にタイミングが悪いとしか言いようがない。何度か電話したのだが、彼女は決して僕からの電話には出てくれなかった。少なくとも、この護衛のお仕事が終われば時間ができるはずだから、その時には改めて話をしてみようと思った。
それから、放課後の護衛任務だが、クロノさんの言うとおり、なんの変哲もない平穏を送ることができていた。学校から一度は帰宅するのだが、そこから今日の着替えを手にして、アリシアちゃんに見送られて八神家へと向かう。八神家ではクロノさんがいて、僕はクロノさんと交代する。時々、そこになのはちゃんを加えて、少しだけ会話した後になのはちゃんを見送ることもあった。
そのあとは、夕飯をはやてちゃんの家で食べる。相変わらず八神家の食卓には僕たち以外に3つの食器が用意されていた。僕がいた一週間一度も使われなかった食器が。ただ、僕が来た時にはないから、毎日用意しているのだろう。そこに座る人たちが帰ってくることを信じて。
食事が終われば、後は自由時間だ。はやてちゃんと一緒にゲームをすることもあれば、僕の宿題をすることもある。その時にわかったのだが、はやてちゃんは頭がいい。僕のような反則的な知識をもっていないとすれば、彼女もまた天才というべきだろうか。特に算数などは、僕よりも計算が早いかもしれない。僕だって、魔法を習ってから急激に計算速度が上がったのだが、それ以上だった。
世の中には天才があふれているようで、嫌になってくる。
自由時間の中で僕とはやてちゃんはお風呂に入る。一緒に入るというのは気恥ずかしいのだが、それは最初だけで慣れた。特にはやてちゃんは足が動かないので足場の悪いお風呂場は鬼門だ。だから、ヘルプが必要なんだ。そう自分に言い聞かせて一週間乗り切ってきた。僕も慣れてきたようで、今では目をつむってヘルパーとして働けるほどだ。
……僕って、護衛としてきたんだよね?
夜、寝静まるころには僕は相変わらずはやてちゃんと一緒のベットに入って就寝する。なのはちゃんたちもこのころには戻っているはずだ。特に戻ってきそうな時間になって、毎日電話しているのだが、大体夜の9時には戻ってきているようだ。なのはちゃんの強さは知っているが、それでも心配してしまう。心配性と言われるかもしれないが、彼女たちの兄的な立場で接してきた僕としては当然だと思っている。
毎回、はやてちゃんには訝しげな表情で見られるのだが、僕が電話するのが気に入らないのだろうか?
そんな風にして、僕の一日は終わる。次の日は、八神家で朝食を食べて学校に行くだけだ。
僕は、そんな生活がクロノさんたちが無事に任務を終えるまでずっと続くと思っていた。このまま、はやてちゃんと笑って毎日を過ごせる日々が終わるまでずっと続くと、そう信じて疑っていなかった。
その『当然』がもろくて、儚いものだと悟るまでは。
当たり前の日常が壊れるのは突然だ、とはよく言ったもので、それを事実と実感したのは、もうそろそろ一週間が過ぎようとしてるなぁ、とカレンダーを見ていたときだ。このとき、僕とはやてちゃんはすでに夕飯を食べ終えており、食後のティータイムとしゃれ込んで大した意味もなくバラエティー番組を映すテレビをつけていたときだ。
違和感を感じたのは一瞬だけ。しかし、それだけで十分だった。その違和感は今まで十分に感じてきたものだったからだ。その違和感だけで何が起きたかを理解できた。そして、その不自然さも同時に理解できた。なぜなら、ありえないことだからだ。
――――魔法による結界に飲み込まれるということが。
4月のユーノくんの結界に取り込まれたときと似たような状況と言えばいいだろうか。あのときは、魔法による不自然さしか感じられなかったが、今までの魔法の鍛錬が身についたのか今ではしっかりと違和感を感じられるようになっていた。
何が起きてもいいように、いつも用心のために持っていたカードを手に握る。それは、クロノさんから手渡されたデバイス。前回使った汎用型の武装隊の隊長クラスが使うというデバイスではなく、クロノさんが愛用していたデバイス『S2U』。護衛を引き受けた時に、万が一のために渡されたものだった。
クロノさんは、これを渡すとき、そんなことはないだろうが、と苦笑していた。僕もまさかそんな日が来るとは夢にも思っていなかった。一体どうしたのだろうか。八神家は武装隊によって護衛されているはずだ。もしかして、外部から誰かが攻め込んできて、結界を展開したのだろうか。それならば、まだいいのだが。そうだろうと決めつけるのは今までの経験からよくないと感じていた。
「な、なんや? どうしたんや? ショウくん」
事情がよく呑み込めないのだろう。突然、ポケットからカードを取り出した僕を見て、はやてちゃんがうろたえていた。
はやてちゃんは、魔法の素質は闇の書に魅入られるぐらいにあるのだろうが、それも鍛錬しなければ宝の持ち腐れなのだろう。才能はあれども、僕が容易く感じられる違和感を彼女は感じられない。何も感じない彼女からしてみれば、今の僕は突然立ち上がってカードを取り出したようにしか見えないわけだ。
僕は、手短に事態を説明しようと思ったのだが、それはできなかった。なぜなら、説明するために口を開こうとした瞬間にこの結界を張った張本人たちが現れたからだ。
闖入者が入ってきたのは玄関からリビングへとつながるドア。しかし、どうも闖入者は行儀はよくなかったようである。ドアをけ破って入ってきたのだから。
無理やりドアをこじ開けたようにバンッという音を残して扉が外れる。突然の大きな音にきゃっ、と身を伏せるはやてちゃんと飛んでくるドアからはやてちゃんを守ろうと背にかばう僕。幸運にも飛んだドアは僕のほうへは飛んでこなかったが、その一連の動作の間に闖入者たちは、次の行動を終えていた。
つまり、僕たちを取り囲むということだ。そう、闖入者は一人ではなかった。僕たちを囲むように五人。それぞれが杖のようなものを持っている。武装隊の人たちが持っているような杖であることから、それらがデバイスであることに間違いはないだろう。しかし、汎用のものではない。オリジナルのデバイスだった。
背後にはやてちゃんをかばいながら僕は周囲を囲む五人を見てみる。彼らはたかだか子供を囲っているにも関わらず油断なく僕とはやてちゃんを見ていた。僕に背中にいるはやてちゃんもようやくこの状況に気付いたのか、怖がるように、恐怖から逃れるようにぎゅっ、と僕の服をつかんできた。
僕が彼らを怖いと感じないのは、これまでの経験からだろうか。テロリストにも出会ったことがあるのだ。この程度であれば、一度は経験している。それになにより、僕がこの場所にいる理由が恐怖から遠ざけていた。この場所には、はやてちゃんの護衛でいるのだ。決して、友人として遊びに来たわけではない。だから、僕ははやてちゃんを護るためにも一人で怯えているわけにはいかなかった。
リビングのソファーを間に挟んでにらみ合う僕たち。やがて最初に口を開いたのは僕からだった。
「……あなたたちは誰ですか? 生憎ながら、この家に土足で上がりこむような失礼な輩は招待した覚えはありませんが」
「―――はっ、肝の据わった小僧だな。そいつはすまなかった。我々もこの世界の作法など知らなくてな。なに、用事が済めばすぐに帰るさ」
そう言って、僕に合わせていた視線を背後のはやてちゃんへと移した。その瞳はどす黒く沈んだ色だ。しかし、その奥からは激しく、強い意志を見ることができる。そんな視線に射抜かれて、はやてちゃんはビクンと体を震わせ、さらにぎゅっと強く僕の服をつかんだ。
「小僧、俺たちにそいつを―――闇の書の主を渡してもらおう」
彼の言葉が総意であるように彼らが一人残らずうなずいた。
「いやだ……と言ったら?」
僕の答えは意外だったのだろうか、あるいは予想通りだったのだろうか。彼は、面白いというような笑みを浮かべる。嘲笑にも見える笑みを。相手は確実に僕を格下に見ていることが明白だ。だが、それでいい。そうでなくてはいけない。この場から確実に逃げ出すためには、必要なピースの一つだった。彼らからしてみれば、僕たちは隅に追いつめられたネズミであり、彼らは猫のような感覚だろう。いつでも捕まえることができ、なぶることができる相手。それが、僕とはやてちゃんだ。
「そうだな―――悪者みたいであまり好きではないんだが……俺たちもこの機会を逃せないんでな」
顎に手をやりながら考えるふりをする男。次の言葉は容易に想像できた。次の行動さえ予想できれば、こちらでタイミングを計ることはそんなに難しいことではない。
―――そう、彼らは『窮鼠猫をかむ』という言葉を知るべきである。
彼の「いけっ!」という言葉と僕の「チェーンバインドっ!」という言葉はほぼ同時だった。すでに僕はクロノさんから受け取ったS2Uのバリアジャケットの展開は終わっている。S2Uという高性能なデバイスのおかげで僕の魔法はパワーアップしている。展開速度、強度、数のどれをとってもだ。だからこそ、こちらに向かって襲いかかってこようとしている彼らに合わせてチェーンバインドを展開することができた。
残念ながら、その結果を見届けるようなことはなかった。僕は魔法を発動させた直後に背後のはやてちゃんを背負って、誰もいない背後に向かって駆け出したからだ。その先は窓を隔ててテラスが見えていた。しかし、悠長に窓を開けているような余裕は僕たちには残されていなかった。
そのまま、スピードを落とさずに僕は窓に向かって突撃する。背後から、ちょっ! ショウくんっ!? と慌てるような声が聞こえたような気がしたが、気にしない。なにより、ここは結界の中で何が起こっても現実世界には影響を与えない。それにバリアジャケットに包まれている僕とフィジカルシールドで包んでいるはやてちゃんは、ガラスで怪我をすることもない。だからこそできる力技だ。
窓をけ破って外に出る僕。だが、それ以上に対抗手段は見つからなかった。とりあえず、狭い室内では何もできないと考え、外に出たのだが、それ以上に僕にとれる手は実は何もない。結界を張っている魔導士を倒せば、この空間からは出られるかもしれないが、僕には魔導士がどこにいるかすらわからない。
テラスに出て、そこに置いてある白いテーブルとイスがある場所まで出てきたのだが、これ以上何もできることがないのが現状だ。どうやら結界は八神家を包み込んでいるだけらしく、その境界線の外に出ることは僕の力技では到底無理だった。
「やれやれ、子どもと思って油断したか」
ポリポリと頭を掻きながら男が出てくる。そのあとにぞろぞろとついてくる五人。どうやら、僕のチェーンバインドは時間稼ぎにもならなかったようだ。一応、僕の最大限の魔力を込めたもので、ある程度の人だったらかなり足止めできるとクロノさんにはお墨付きをもらっているのだが。
つまり、彼らは『ある程度』では収まらないほどの実力者ということである。
「小僧、今度はもう逃げられないだろう? だから、最後にいうぜ。そっちの嬢ちゃん―――闇の書の主を渡しな」
「もう一度聞かれても答えは一緒です」
「わからねぇな。小僧も知ってるんだろう? 後ろの、お前さんが守っている嬢ちゃんが、破壊と殺戮を繰り返す闇の書の主だって」
本当にわからないというような表情で男は言う。その表情は心底わからないと本気で悩んでいるようだった。
「ここにいる全員が、闇の書にかかわった連中だ。俺だって、前回の闇の書に親父とおふくろと妹を殺されたさ。幸いにして、今回はまだ動いていないみたいだが、いつ俺たちみたいなやつらを生むかわからない。だから、先に手を打つのさ」
男の言葉にはやてちゃんが息をのんでいるのがわかったが、僕にははやてちゃんに構っているよう暇はなかった。それよりも、僕は理解した。彼らの瞳の奥にある強い意志を。そう、それでこそ、目の前の男はオブラートに包んではいるが、よくよく観察すればよくわかるではないか。
「……嘘ですよね。あなたが、あなたたちの奥底にあるのは、そんな大義名分じゃないでしょう? 復讐ですか?」
彼の失敗は、僕に何もいうべきではなかったのだ。変なことを話すから僕に悟られてしまう。しかし、これは僕にとっては追いつめられた意趣返しであり、意味のないものである。事実、彼は僕に見破られたからといって取り乱すようなことはなかった。
「ふん、だからどうした。俺たちにはその権利がある。お前にはわからないだろうな。家に帰れば日常があると思って、昨日と同じ今日があって、今日と同じ明日があると思っていたあの頃に、突然血まみれの躯を見せつけられた時の気持ちが、憤りが」
へらへらとした笑みの下にあるのはマグマよりも熱い怒りなのだろうか。その笑みを浮かべているには一度でも感情的になってしまえば、その感情の赴くままに動いてしまうからなのだろうか。もっとも、どちらにしても、僕にはあまり関係のないことだ。僕がやるべきことはたった一つだけなのだから。
「……僕にあなたの気持ちがわかるなんてことは言えません」
僕は近しい人を亡くしたこともなければ、血まみれの躯も見たことがない。そんな僕が彼の気持ちがわかるなんて戯言は吐けない。
「だけど、例え僕があなたの気持ちを理解できたとしても僕がやるべきことは一つだけです」
クロノさんから万が一と言われて渡された杖―――S2Uを構える。構えるといっても漫画を参考にしただけで、何かしらの杖術が使えるわけではない。単なる恰好だけだ。しかし、魔法を使う分には全く問題がない。
「はやてちゃんを護ります。それが僕の任務であり―――なにより、彼女は僕の友人ですから」
「はっ! 麗しき友情だ。だが、そんな見栄は無意味だよっ!」
ああ、そうだ。無意味だろう。『ある程度』では収まらない魔導士が五人。対して、動けるのは僕だけ。勝負になんてなるわけがない。窮鼠が猫をかめるのは一度だけだ。真正面から戦えば、僕が勝てる可能性は冷静に見積もってもほとんどない。できるのは防御を固めての時間稼ぎだけだった。
「今度こそ、そいつを捕まえろっ!!」
最後の時を教えるように大声で男が叫ぶ。目をつむりたくなる。だが、時間は稼がなければならない。護衛の武装隊の人たちがやられていたとしても、この異常事態にクロノさんたちが気付いてくれるまでは。気付いて、助けに来てくれるまでは。それまでは歯を食いしばってでも何としても守らなければならない。
そう覚悟を決めた時だった。
―――僕と五人の闖入者の間に影が割り込んできたのは。
「そのお方に危害を加えるのはそこまでにしてもらおうか」
それは例えるなら風だった。紫と紅の風。突風のように割り込んできた二つの影は、先頭に立って僕たちに襲いかかってきていた二人を一瞬でたたきのめした。僕が見えたのは一撃。二人とも腹に一撃。彼らの獲物は、西洋剣とハンマーという異色のものだった。
西洋剣の女性は、ポニーテイルとスカートのように広がる甲冑が特徴的であり、もう一人のハンマーの少女と呼べるほどの背丈しかない彼女はゴスロリというようなふりふりのついた真紅の洋服に身を包まれ、エビフライのような三つ編みが特徴的だ。
はやてちゃんを護る僕のように、彼らも獲物を一人は剣を鞘に納刀して、一人はハンマーを肩に担いで闖入者と僕たちの間に立っていた。彼らの足元に転がった闖入者はピクリとも動く気配はない。同時に襲いかかろうとしていた残りの三人は彼女たちが現れると同時に退いていた。どうやら、状況判断も並ではないようだ。
しかし、僕は割り込んできた影の片方を知っていた。あの時、仮面の男に襲われた時に助けてくれたお姉さんだ。だが、僕以上に彼女たちを知っている人が身近にいた。
「シグナムっ! ヴィータっ!!」
その声は歓喜にあふれていた。
もしかして、彼女が言っていたうちの子というのは、彼女たちのことだったのだろうか。だが、それにしては様子がおかしい。はやてちゃんが彼女たちの名前を呼んだのに彼らは全く反応しなかった。人違いか? と思い詳しい話をはやてちゃんに聞こうと後ろを振り向こうとしたときに不意に近くの茂みが動いた。
「覚悟ぉぉぉぉっ!!」
飛び出してきたのは一人の魔導士。距離も非常に近い。もしかしたら、僕たちが外に出てきたときに襲撃するために待ち構えていたのかもしれない。彼は一目散に僕の後ろにいたはやてちゃんに向かっていた。
魔法は―――間に合わないっ! ならば、クロノさんのバリアジャケットがどこまでの防御力を持っているかわからないが、僕自身を盾にするしか……。
そう思って僕ははやてちゃんんを抱きかかえるように守るのだが、いつまでたっても衝撃は来ない。どうしたのだろうか? と恐る恐る後ろを振り向いてみると、そこには僕と襲撃者を隔てるように白銀の盾が存在していた。
「―――油断するな、と言ったはずだ」
そう言いながら、彼女たちと同様に僕と襲撃者を隔てる盾の前に出てきたのは、アルフさんのように蒼い尻尾を持った褐色の男性だった。彼は襲撃者をくだらないものを見るように見下した後、腹部にその僕の胴体ほどはあろう腕から繰り出される拳で沈めていた。
「ザフィーラっ!」
またしても嬉々としたはやてちゃんの声。ザフィーラというのが彼の名前なのだろうか。どうやら彼らがはやてちゃんの家族というのは間違いないようだ。しかし、今までどこにいたのだろうか。少なくとも僕がいた一週間はいなかったはずだ。こんなに近くいたなら、あんなにはやてちゃんが待ち焦がれていることがわかっていれば家に帰ってきてもおかしくないと思うのだが。
今、そのことについて考えるべきか迷った。だが、そうやらその疑問を考えるのは後になりそうだ。
「はっ、はははははっ! まさか、まさか、こんなところで会えるとは思えなかったぜっ! ヴォルケンリッタ―っ!」
まるで待ち焦がれた恋人に再会したように闖入者の代表格の男は笑っていた。その下に隠していた復讐という黒い感情を今度は一切隠そうとせずに。彼はひとしきり笑うと彼自身も彼自身の獲物であろう杖を構えていた。
「このときをずっと待っていたっ! 俺の―――俺たちの日常を壊した報いをっ!!」
それ以上の言葉は不要と言わんばかりに彼は襲いかかる。まるでそれが始まりの合図であるようにほかの三人も己の獲物を構えて同時に襲いかかる。この場所が戦場である以上、卑怯という二文字はないのだろう。それに彼女たちは倍の人数に襲われながらも、特に真紅の少女は笑っていた。足りない、この程度では足りないというように。
「はっ! 上等だっ! 誰に喧嘩売ったか教えてやるよっ!」
勝負は本当に一瞬だった。『ある程度』以上の魔導士が束になっても全く相手にならなかった。
―――たった一撃。それだけで魔導士たちがつぶれていた。代表格の男も何がわからない、というように驚愕の表情を浮かべながら地面に横たわっていた。どうやら、息絶えているわけではなさそうだが、それでも確実に意識は失っていた。地面に転がる魔導士の数―――十五。どうやら、途中で襲撃してきたように八神家のあちこちに伏せていたようだ。もっとも、全員が地面に倒れており、八神家のテラスは死屍累々の様相を呈していたが。
「あら、もう終わっちゃったの?」
死屍累々の庭に似合わないのんびりとした声が、テラスに響く。状況把握に手いっぱいの僕と残心をしている彼女たちの視線が同時に彼女―――モスグリーンのロングスカートの洋服に包まれ、ナースキャップのような帽子をかぶった金髪の女性に集まる。ただし、そののんびりとした口調とは別に片手に猫のように首根っこがつかまれた魔導士が何ともシュールだ。
「シャマルっ!」
そして、今までと同じように喜びが隠せないといった様子のはやてちゃんの声。これで四人。食卓に用意されていたのは三人分だが、尻尾がある男性がアルフさんのようにオオカミになれるとすれば、これで全員なのだろう。
彼らが、はやてちゃんたちの家族かぁ……とある種、関心しながら見ていたのだが、どうも様子がおかしい。それが一番顕著に表れていたのが最後に現れたシャマルさんだった。
彼女は、怪訝そうな顔をして、ポニーテイルをしている女性―――シグナムさんに問いかける。
「ねえ、シグナム。彼女、私の名前知っているみたいだけど、あなたの知り合い?」
「いや、知らん」
「我にも心当たりはない」
「そういえば、こいつ、あたしたち全員の名前知っているみたいだったぞ」
……どういう意味だ?
僕には状況がつかめていなかった。彼らがはやてちゃんの家族であることはほとんど間違いないと思っていたのだが、それは間違いだったのだろうか。そう思って、僕ははやてちゃんに事情を聴くために彼らに合わせていた視線をはやてちゃんに移したのだが、彼女はまるで信じられないものを見たかのように驚愕に満ちた表情をしており、は、ははは、と乾いた笑い声を出していた。
「みんな冗談きついわ。なあ、冗談やろ? みんなは闇の書の守護騎士で、私の家族やん」
必死に、すがりつくように問いかけるはやてちゃん。その声からは冗談であってほしいと願っている様子だった。
だが、彼らの答えは非情で無情だった。彼らは、お互いに相談するように顔を見合わせた後、怪訝そうな表情をして、全員が首を横に振る。その仕草だけで、彼女たちがあの一瞬で何を話し合ったのかよくわかった。もちろん、僕の口からははやてちゃんには伝えられないが。
やがて、誰かが言わなければならないと思ったのだろうか、リーダーなのだろうシグナムさんが歩み寄ってきた。
「確かに私たちは守護騎士だが、闇の書などの守護騎士ではない。ましてあなたの家族でもない。他人の空似ではないか?」
「そんなことないっ! 私が私の家族を見間違えるはずないっ!」
必死に呼びかけるはやてちゃん。だが、彼女の叫びは届かない。通じない。はやてちゃんとシグナムさんの間には絶壁があるように。はやてちゃんの言葉は彼女たちの間にある壁を越えることはできない。
「だが、現に私はあなたなど知らない。今日が初対面のはずだ。名前を知っていることには驚いたが……」
「嘘やっ! 嘘やっ! 嘘やっ!」
シグナムさんの言葉を必死に否定するはやてちゃん。まるで、その言葉を受け入れてしまえば自分が壊れてしまうと言わんばかりに首を振りかぶって彼女の言葉を否定していた。否定するはやてちゃんの声は、もはや涙声だった。ずっと待っていた家族にようやく出会えたと思ったら自分を否定されたのだから、泣きたくなる気持ちはわかる。
僕には彼女にどうやって声をかけていいのかわからなかった。それはシグナムさんも同様だったらしい。立ち尽くす僕とシグナムさん。その動きのない空間を動かしたのは、はやてちゃんが家族と呼び、シグナムさんが守護騎士と呼ぶヴィータという少女だった。
「お~い、シグナムっ! いつまでいるんだよっ! 人が来るぞっ!」
「……わかった」
泣いている少女を置いていくことは気が引けるのだろう。若干、名残惜しそうにしながら、それでも振り返ることなくシグナムさんは仲間の元へと向かう。彼らの足元に展開されているライトグリーンの魔法陣は転送魔法だろうか。このままでは、彼らは転送して消えてしまう。魔法が使えないはずのはやてちゃんだったが、そのことは直感で悟ったのだろう。涙声のままで、動けないはずの椅子の上で必死に身を乗り出して、彼女たちをつかむように片手を伸ばして声を張り上げて叫んだ。
「シグナムっ!! ヴィータっ!! シャマルっ!! ザフィーラっ!! 待って!!!」
だが、必死の少女の叫びもむなしく、彼らは一切の躊躇することなく、振り返ることさえなく緑色の魔力光に包まれ、その場からいともたやすくあっさりと退場した。
しばらく、呆然と言った様子で彼らが消えた空間を見つめるはやてちゃん。やがて、ようやく彼らが消えたことを受け入れたのだろう。くしゃくしゃに涙でぬれた表情をさらに絶望を強くして、現実のすべてを否定するように叫んだ。
「う、嘘やぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
心が深く傷ついた少女の叫びが寒い冬の夜に響き渡るのだった。
◇ ◇ ◇
闖入者が現れた夜。僕とはやてちゃんは相変わらず同じベットに入っていた。ただし、僕ははやてちゃんに背を向けてだが。いつもなら向き合って夜のお喋りに興じるところなのだが、今日ははやてちゃんの要望で背を向けていた。泣き顔を見られたくないらしい。
闖入者の後処理は、彼らが消えた後に駆けつけていたクロノさんがやってくれた。襲撃者たちは全員クロノさんが引き取った。彼らの顔を見た時に驚いたような表情をしていたがいったいどうしたのだろうか? 僕への聴取は後日として、今日はゆっくりと休んでくれと言われた。もちろん、危険な目に合わせたこともしっかりと謝ってくれたが。
幸いにしてはやてちゃんの家に被害はなかった。結界の内部だったからだろう。
クロノさんが処理を行った後は、いつもの日常だ。もう一度お風呂に入って―――特にはやてちゃんは泣き顔でひどいことになっていた―――、ひどく動揺しているはずのはやてちゃんのためにホットミルクを作ったりして、今はこうしてベットに入っているわけである。
いつも、大体僕のそばから離れがらないはやてちゃんだったが、今日は特にひどかった。体の一部がふれていないと不安なのだろう。僕が少しでも離れようとすると不安そうな、泣きそうな顔になる。僕が放っておけるわけもなかった。おかげでいつもなら隣り合って寝ているだけだが、今では後ろから抱き着くように一緒のベットに入っている。少女特有の体温の高さをパジャマ越しに背中に感じていた。
「なぁ、ショウくん、起きとるか?」
「うん」
あれから言葉が少なかったはやてちゃんが初めて自分から話しかけてきてくれた。
「あんな私の家族の話聞いてくれるか?」
家族というのは今日の彼らのことだろうか。そう思いを巡らしている間に無言を肯定と受け取ったのか、今まで家族のことについて語ろうとしなかったはやてちゃんが家族について語り始めた。
まずは、あのポニーテイルのシグナムさん。彼女は、烈火の将というリーダーらしく、責任感があり、硬い性格であったそうだ。いつも自分を心配して、そして家族みんなを大切にしていたとうれしそうに語ってくれた。
金髪のシャマルさんは、おっちょこちょいなお姉さんのような存在で、料理をさせると失敗することが多く、なぜか同じ調理法で作ったはずなのに全く違うものができるという魔法のような料理を作っていたと苦笑しながら語ってくれた。
たった一人だけの少女は、妹のような存在だった。いつも元気で、自分が作った料理をギガウマッと言いながら口いっぱいに頬張る姿はリスのようで、微笑ましかった。いつも一緒にお風呂に入って、ベットも一緒で、とっても仲良しだったと語ってくれた。
唯一の男性であるザフィーラさんは、実はオオカミで女世帯なのを気にしていつもオオカミの姿だった。だが、どこかで必ず見守ってくれるお兄さんのような存在でもあり、守護獣であることに誇りを持っていたと、彼を誇るように語ってくれた。
「自慢の家族なんだね」
彼女の口調からそれをありありと感じることができた。
「そや。―――でも、今は一人や」
あの時、シグナムさんから「あなたなど知らない」と言われたことを思い出したのか、はやてちゃんの声は震えていた。
「前は一人でも平気やったんや。でも、もう無理や。知ってしまったんや。みんなでいることの楽しさを。だから、もう寂しいのは嫌なんや。一人は嫌なんや」
はやてちゃんは訴えるように言う。
いつから一人だったのか僕は知らない。彼女がどんな気持ちだったか知らない。だが、一人がいやだ、寂しいのはいやだ、というのはしっかりと伝わった。そんなものは杞憂に過ぎないというのに。だから、僕は安心させるようにできるだけゆっくりと穏やかな声ではやてちゃんに話しかけた。
「大丈夫。はやてちゃんは一人じゃないよ」
「え?」
「今、君のために頑張ってくれている人がいる。クロノさんやエイミィさん……はやてちゃんは知らないかもしれないけど、アースラって船に君を助けるためにたくさんの人たちが動いてくれている。それに―――」
そう、できれば忘れてほしくなかった。いや、案外、シグナムさんたちに思考が飛んでしまって気付いていなかったというべきなのかもしれないが。
「今、君が感じている体温は誰のもの?」
「―――あっ」
ようやく気付いてくれたようである。
「ねえ、はやてちゃん、大丈夫だよ。彼らにだって何か理由があるのかもしれない。理由があってあんな態度をとったとしても。本当に彼らが忘れてしまったとしても、君は一人じゃない。少なくとも、僕がいるよ。君のそばに。僕ははやてちゃんの友達だからね。だから、大丈夫、安心して―――君は一人じゃない」
孤独に震える少女を慰めるように。語りかけるように僕ははやてちゃんに告げた。君は一人じゃないよ、と。
はやてちゃんがどんな表情をしているか、生憎背を向けている僕はわからなかった。
「……なぁ、ショウ君」
だけど、その言葉が涙声で揺れていることから、大体彼女の表情を想像することは簡単だった。だが、指摘はしない。女性の泣き顔を指摘するのはマナー違反だといつか誰かに教えてもらったから。だから、僕は努めて平坦に返事をする。
「なに?」
「背中、貸してくれんか?」
「僕のなんかでいいのならどうぞ」
そう、僕の背中程度で彼女の悲しみが和らぐのであれば、十分に使ってくれればいい。
「ありがとな」
簡単なお礼。だが、それが彼女の限界だったのだろう。はやてちゃんは、先ほどよりも僕に強く強く抱き着いてくる。背中に感じるのは、濡れているような感覚。彼女のが泣いているのは明白だった。それに声を押し殺すような泣き声も僕の耳には聞こえていた。僕はそれを無視する。彼女が指摘されることを望んでいないから。
八神はやてが泣いていることに気付いているのは、背中を貸している僕とカーテンの隙間から覗き込む冬の澄んだ空気のおかげではっきりと見える月だけだった。
つづく
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