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さまよえるオランダ人

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第二幕その四


第二幕その四

「私がお父様をお迎えしなくて誰が行くのよ」
「僕のことはどうでもいいのかい?」
「行かせて」
 エリックを振り切ろうとしてきた。しかしエリックはここで言うのだった。
「私は行かないといけないから」
「見てくれ」
 ここで彼は自分の右手を見せるのだった。見ればそこには幾つも深い傷がある。その傷をゼンタに対して向けるのだった。
「この傷。見てくれ」
「それがどうしたの?その傷が」
「僕は君の為に漁をして傷付いたんだよ。それでも君は」
「私の心を疑うの?貴方に親切にしているのに」
「それでも。君は」
 彼はそれでも言う。
「どうして僕を避けるんだい」
「避けてはいないわ」
「僕は貧しい」
 エリックはまたこのことを言うのだった。
「君のお父さんはお金が好きだ。けれど僕は君を」
「私を?」
「何があっても見続ける。生きている限り」
 苦悩だった。それを告げる。
「生きている限りなのね」
「何度も言っているじゃないか。僕の心は苦しい」
 その苦悩さえ見せる。
「だからどうしても君を」
「私は」
 ここでエリックを見る筈が。彼女はオランダ人の肖像画を見てしまった。今壁にかけられているオランダ人のその肖像画を。見てしまったのだ。
「別に」
「彼か」
 エリックもまたそのオランダ人の肖像画を見た。そして言うのだった。
「また彼を見ているんだね。さまよえるオランダ人を」
「見てはいないわ」
「嘘だ」
 エリックはすぐにそれを否定した。
「それは嘘だ。さっきだってあの歌を」
「気の毒な方なのよ」
 ゼンタは認めた。認めはしたが。
「それだから私は」
「彼は亡霊だ」
 エリックは強張った顔でゼンタに告げる。
「亡霊を好きになろうとしてもそれは何の意味もないことなんだ」
「いえ、亡霊じゃないわ」
 ゼンタはマリー達に対したようにやはりそのことを否定した。
「あの方はそうじゃないわ」
「神よ。この娘を御護り下さい」 
 エリックは半分絶望したように神に祈った。
「どうしてわかってくれないんだ」
「私はわかっているわ」
「わかっていないんだ。さまよえるオランダ人は亡霊なんだよ」
 またこのことを言う。彼も必死の顔だった。
「若し帰って来ても声をかけてはいけない。海の底に連れて行かれるだけだ」
「関係ないわ」
 やはりエリックの言葉を聞こうとはしない。
「そんなこと。私には」
「命が惜しくないのかい?」
「命なんて」
 やはりエリックにとっては絶望の言葉だった。その絶望の言葉が彼の心を苛んでいく。どうしようもないまでに。
「どうしてだ。君はオランダ人に全てを捧げるのかい?」
「ええ、そうよ」
 遂にはっきりと言い切ってみせた。
「私は。もう」
「どうしてだ。君は」
「青白い人」
 もうエリックの声を聞いてはいなかった。恍惚とした顔でオランダ人の絵を見て呟いていた。
「貴方の救いは私。和私しかいないのよ」
「もう駄目だ」
 エリックは絶望に耐えられずに遂にその場を去ろうとしだした。
「僕には」
「その時はもうすぐ」
 ゼンタは彼には目もくれず呟き続ける。
「もうすぐだから」
「そうか、ならいい」
 エリックもここに来て遂に諦めた。
 
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