メディスン・メランコリー ~無名の丘~
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メディスン・メランコリー ~無名の丘~
…~ 妖精と人形 ~…
鈴蘭の花言葉。それは
『純潔』『純愛』『繊細』『意識しない美しさ』『幸福の訪れ』そして―――
冷たい。それが真っ暗な世界の中で私が初めて思った言葉。
瞳を閉じている私に、ひんやりとした風が私に吹き付けてくる。体を触られているようであまり気持ちが良いとは言えなかった。以前に誰かはこの風を「気持ちがいい」と言ってたけど。私にはよくわかならい。それと、さらさらと何かの音も聞こえる。風に揺られる何かの音だ。その音は風と共に永続的に続くようで少し耳障りだった。僅かに何かの匂いを運んできている。私は自分の感覚を研ぎ澄ませた。上の方で何かが僅かに光っている。
私は初めて瞳を開いた。初めて見た景色は緩やかに風が吹き抜ける満月の夜で、草原に混じり疎らに咲いている鈴蘭があった。
辺りを見回して、現在自分がいる状況を確認する。月明かりが鈴蘭を照らし、風に揺られ僅かに輝きを放っているように暗闇に浮かび上がっている。初めて見る景色を見つめ、私は岩に足を投げ出し、寄りかかっていた。
どれだけの時間ここに座っていたか分からない。だけど、きっとすごく長い時間ここに居たようだ。昔は綺麗だった服がボロボロになっていたからだ。だけど、何故ここにいるのか分からない。少し深く呼吸をしてみる。ほんのりと甘い香りがした。
これは・・・鈴蘭の匂い・・・。
思ってはみたものの、そこまで明確な興味はなかった。鈴蘭を見たことで、昔の記憶をぼんやりと思い出してきた。
彼女にプレゼントしたかったからだ。私は手に持っている鈴蘭を抱えて、歩いていた。その途中で出会ったのだ。金色の髪をして、紫色の服を着ている、小さな小さな妖精に。そうして私は彼女と出会い、話すようになったのだ。とは言ったものの、彼女は自分から喋ることは出来ないので、私が喋りかけていただけだ。
それからの記憶はない。断片的に色々な風景や人物を思い出すが、よく分からなかった。分からない。何も思い出せなかった。私が何者なのか、何故ここにいるのかも、ここがどこなのかも、何も分からなかった。このことに関して私は特に何も思わなかった。そういうものなのだと理解した。その時の私は自分が何者なのか、何故ここにいるのか、ここがどこなのか、どうでもよかったから。
私は周りの地形を把握しようと首を動かそうとしたが、動かなかった。どうやら今動かせるのは目蓋だけのようだ。
何も感じることが出来ない私は、ただ目の前に広がる景色をじっと、ずっと眺めていた。雲に隠れた月が再び顔を出したとき、自分の手足を照らし出す。動かない手や足の間接には切れ目があった。私は理解した。
そっか。私は人形なんだ・・・。
様々なことを考えたが、全てが瑣末な問題でしかなかった。結局の所、どうでもよかったからだ。
私はからっぽだった。
だから何も感じない、何も思えないのだと私は思った。
分かることは昔教えてもらった知識と僅かな記憶だけだった。
ただ、ゆっくりと時間だけが過ぎてゆく。
暫くすると空がみるみる色を変えていく、深く青い空の色は次第に明るさを持っていった。朝日が私の世界を包み込んだ。あまりの眩しさに目を眩ませたが薄く開いた瞳は沢山の色で鮮やかに色づいた世界を捉えた。小鳥が鳴き、朝日の光が私の体を包み込んだ。少しずつ、温かくなっていく。全てが初めての事だった。目の前の光や色の眩しさに目がくらんだ。驚くほど青くなった空は、強すぎる光と共に私の瞳を圧迫していた。鳥たちの囀りも不規則に響いている。
私は本当に、ただのお人形だった。
それらを見ても何も思わなかった。思えなかった。過去見てきた色々なお人形も、私も、無感情にただ座っているだけだった。記憶を手繰ると人形も周りには私が居て、他のお人形の周りにも私はいた。でも今は周りには誰もいない。独りぼっちのお人形だった。動けない私と同じように近くに咲いている鈴蘭も地面ばかり見ていた。鈴蘭も私と一緒だった。自由に動くことが出来ない。風が私の髪をなびかせ、ただその場に座り込んでいる事しか出来なかった。
もう一度ゆっくりと瞳を閉じて眠りについた・・・。
その夜、私は初めて夢を見た。いや、これが夢なのかは分からない。これは遠い記憶なのか私の想像なのかわからない。私は今いるこの場所から、ひどく冷たい目をした“人間”を見ていた。同じような人間を何度も見たことがあった。これは既視感というのだろうか。記憶の奥にある気がした。その人間は布で包んだ私を地面に置き、去っていった。私にはどういうことなのか分からないが、私はやっぱり動くことが出来ず、瞳を閉じる前に見た景色と同じ景色を見ていた。このまま目を閉じると、もう動かなくなるような、そんな気がした。
――――起きて。起きて。
目の前に誰かがいる。目をつぶっていてもハッキリと分かる。私はこの声の主を知っている。ただ、思い出すことは出来なかった。また日は沈んだようで、目の辺りにかかる重圧は消えていた。代わりに、うっすらと発光した何かが目の前にいて、私の手を触っているのが分かる。
「あなたは・・・?」
驚いた。思いが言葉になった瞬間だった。初めて聞いた自分の声は弱々しく、小さな声だった。返事は無い。
少しずつ重いまぶたを上げると、夜空には多くの流れ星が流れている。何度か見たことがあったが、以前とは比べ物にならない量が流れている。視線を下へ向けると、星に照らされる鈴蘭のようにぼんやりと光り輝いている小さな何かがいた。金色の髪の毛に、小さな体に深い紫色のドレスを着ている。まるで小さな私を見ているようだった。上下に羽を動かし、私の顔を覗いている。妖精から微かに鈴蘭の香りがしていた。彼女は、私の記憶にある小さな妖精だと分かった。心配そうに私を見つめていた瞳は、輝きを増して私に優しく微笑みかけた。
彼女はやはり喋ることが出来ないようだった。何かを伝えようと辺りをきょろきょろとして、丘の先を指差している。
「・・・・・動くことが出来ないのよ」
次に彼女は耳の辺りに手をかざした。
「・・・ああ。音は聞こえるけど、あなたは喋れないんだよね?」
彼女は他にも何か言いたそうだったが、その後、悲しそうに頷いた。胸のあたりでなにかがじわりとした。不快感ではない、何か別のものだった。けれどもやっぱり私には分からなかった。どこかに連れて行きたかったのだろうか。喋れない相手は諦めて、私の前に座った。
「私はあなたのことを見たことがあるわ。あなたは私と以前話したことがあるわよね?」
妖精は首を横に振った。私の勘違いだったのだろうか。他にも似た妖精がいるのか、と思った。
彼女は私を抱きしめてきた。その行動の意味はよくわからなかった。だけど、彼女は温かかった。
私は月明かりの下、ぽつりぽつりと彼女に質問を投げた。一人だけしかいないこと、ずっと昔からここにいること。ずっと私と居たことなど、明るく答えてくれていた。私は無機質な質問ばかりだったけど、彼女は微笑んで頷いたり、なんとか答えようと色々な仕草を試みた。
私は動くことが出来ず、彼女は喋ることが出来なかった。私の質問は、少なくなっていき、そのまま暫く私達は流れる星を見ていた。
そう、私には動く力さえ無いのだ。何かをしたいわけではなかったけど、ここから動かないでいいような気がした。そう思うとまた何か胸の辺りがじんわりとした。でもやっぱりこの気持ちは分からなかった。
私は彼女とまた別のお話をした。
彼女に名前をつけてみた。私は彼女の事を一方的に「スーさん」と呼んだ。鈴蘭畑にいる妖精さんのようだったからだ。私は彼女と何日もかけて話をした。とは言え、スーさんは口を開くことはなかったので、一方的に私が話しかけていた。私達は同じ景色を眺め、一言二言何かを話しては、スーさんはそれに応えた。私は思いつくことを色々と質問した。それしかすることがなかったからだ。私が話しかけると、その度、私に微笑みかけてくれた。笑顔を見るたびにもやもやするので、会話は長くは続かなかった。でも、二人でいる時間は一人で持て余していた時間を埋めるのに十分すぎるほどだった。眠りに落ちる前に私は気になっていた事を言葉にした。
「ここには私たち以外誰もいないの?」
目蓋を下ろす前に、スーさんの悲しげな笑顔を見た。スーさんは笑ってはいたが、目が笑っていないような、そんな気がした。視界が暗くなると、また沈黙の時が流れて、私達はずっと座っていた。いつの間にか眠ってしまっていた。その日の眠りは、なんだか昨日より少し温かかった気がする。
――――里へ行っちゃダメだよ!
眠っていると、また声がした。今度は聞き間違えようのない、はっきりとした声だった。寝ている状態では彼女の声がよく聞こえるのかもしれない。
「・・・・・スーさん?スーさんなの?」
翌日、目が覚めると、そこにスーさんの姿は無かった。
辺りを見回すと、どこにもいなかった。岩の後ろにでも隠れてるんじゃないかと思い、立ち上がった。後ろへ回ってみても居なかった。ずっと視界に中にいたスーさんがいないと、変な感じだった。私は岩の周りをぐるぐると回りながら、彼女の行き先について物凄く考えてみた。
そして、私は重大な事に気づいた。
何故か私の体が動いているのだ。この事にいち早く気づいた私の洞察力は素晴らしいものがあるな、と思った。考えるよりも先に、なんとすでに動いている摩訶不思議さなのだ。何故動くか少し考えてみたが、どうでもいいことだったので、考えるのを辞めた。それよりも自身の順応性の高さに賞賛を送りながら、スーさんを探していることを思い出した。居なくなったとしても、別に気にはならないけど。彼女のいる景色を私は見慣れていることに気づいた。だから視界に入ってないと違和感があるので、いてもいなくても迷惑だった。
辺りを見回し歩いてみたが、スーさんの姿は見当たらなかった。
鈴蘭の上を歩くと、葉が足に絡みついて、ちぎれたりした。歩いた部分は踏みつけられ、道が出来ていた。途中で引き返すことにした。洋服がさらに汚れそうだったのと、なにより足が青臭くなりそうで嫌だった。
私はこの丘から出て探してみようとも思った。しかし、何故かこの場所から動こうとは思えなかった。動いてはいけない気がした。何が原因かは全く分からないが、探す労力とスーさんの存在を天秤にかけたのかもしれない。記憶も心も無い私は、この場所しか知らなかったからなのかもしれない。いずれにせよ、探すことは諦めた。私は再び同じ場所に座った。
鈴蘭の草原の中、空を仰いだ。沢山の星が輝いていた。
スーさんなんて存在していなかったように、この場所には私しかいなかった。もう戻ってこないことを考えると、また胸の中がざわざわした。これは新たな感覚だ。私の中の何かが囁いた。これは恨みだ、と。置いていかれたのだ、捨てられたのだ、そういう風に思えた。もしスーさんが死んでしまっている場合でも、最後に殺すのは私でないと色々と納得できなかった。捨てられた者にこそ、捨てた者を裁く権利があるように思えてきた。何故そう思えるのか分からないけど。私は彼女の心からの叫びを欲した。私は想像してみる。何回も何回もスーさんの首を折り、手足をねじり、引き裂いてはくっつけてみることにした。人形ではないスーさんは、きっと苦悶の表情を浮かべ、叫び、私に心地よい音色を届けてくれる気がした。それに、腕をちぎったり、背骨を折る時に、どんな音が出るのか楽しみだった。初めて自分で何かを想像出来た気がした。そしてこれは、なんとも愉快だった。帰ってきて、本当にそうする姿を想像すると、思わず顔がほころんだ。
しかし、この先、いつも通り視界で動かないのも違和感があり、迷惑だったので却下した。単純に私が困るからだ。
少しずつ自分の気持ちを理解出来てきた。結局のところ、置いていった罰に苦しめてやろう、とそんな考えだ。しかし、動かないスーさんが視界に収まっては意味がないのだ。殺しても動く方法が必要だった。同じような考えをぐるぐると辿り、結局のところ、許せないけど保留することにした。
気がつくと、涙を流していた。
これは罰することが出来ない悔しみの涙なのか、想像に浸ることによって流れた歓喜の涙なのか。どちらなのか私には難しかった。涙を拭って目を閉じたが落ち着かなかった。初めて感じる、なんとも言えない不快感だった。月の光ですら瞳を閉じても感じることができたので、私はうつむいた。今日は全てが憎らしかった。月の光も、草や鈴蘭の香りも、風や虫の音も、何もかもが。私は全てを消し去ってしまいたかった。全てが私の敵に思えてきた。その瞬間、様々な人間の顔が浮かんだ。誰だったかは覚えていない。ただ殺したいと思った。
不思議な体験だった。色々と考えるのが面倒になってきたので、瞳を閉じ、少しの間、私は再び眠りについた。
寝ていると、遠くの方で話し声が聞こえた。風の音ですら耳障りだったというのに。だった・・・?そうだ、今はそんなにイライラしてなかった。先ほどまでとはうって変わって、私は驚く程落ち着いている。そうか、私の心がどんどん広くなっていってるからかもしれない。
私は最終的にどれだけ器の広い人形になるのかと思うと将来が楽しみで仕方がないな、と思った。
色々と考えていると話し声はどんどん近づいてきた。上の方で、私に向けられた視線を感じた。私は目を開けて空を見上げた。何故か、いつもより少し体が動かしづらかった。そこには、2人の少女が飛んでいた。
メディスンは私をスーさんと呼んだ。
鈴蘭の妖精である私にとっては、嬉しい名前で、誰かから初めて貰った名前。
私は最後の瞬間まで彼女の隣にいなければならない責任がある。私がそうしてしまったから。
そしてメディスンに一人きりではないことをいつか伝えなければならないからだ。
傍にいることで、メディスンが今まで背負ってきたものは、押しつぶされそうに私に流れてきている。
日に日に、増していくそれは、次第に私の意識や行動すら奪っていた。
罪の重さに耐え切れずにいる私は、もう上手く笑うことができなくなっていた。
無表情で、無感情だった。涙はもう枯れ尽くしていた。私は操り人形になっていった。
だけど、メディスンが意識を持ったのだ。
私には、彼女の思いを伝える義務がある。
話すことも出来ない私は、せめてメディスンの前では笑顔でいることにしていた。
私は、彼女が、メディスンが好きだからだ。
「こんな場所があったなんて気づかなかった!」
「秋にはここには何も無いものね。ここにお人形さんがいるわ」
2人が私に話しかけてきた。とりあえず、挨拶、が必要だと思った。初対面の人にはなおさらだ。
「こんばんわ」
返事をすると、彼女達は少し驚いていた。野生の人形が礼儀を知り尽くしている事に驚くのは無理もないのかもしれない。あるいは私が驚く程可愛いからという線もある。
「鈴蘭を眺めていたの?私たちもご一緒していいかしら?」
「秋には無い珍しい花だからね!」
いやよ!と何となく言いたかった。初対面で何を喋ればいいかわからないし、そもそも一緒に眺める意味があるとは思えなかった。
こういった事態には不慣れだ。今までスーさんに話していただけだから。私は会話というものをしたことがなかった。礼儀正しく何とかして断らないと!と思ったけど、断りの言葉が出てこなかった。色々と考えてはみたものの、面倒になったので辞めた。何故かあまり頭が働かなかったから。そうか、これが優しさというものなんだな、と思った。自分が意外と優しいことに気づけたのは収穫だった。意識せずにここまで出来ると、自分が恐ろしくもあった。
二人は私の隣に座って話し始めた。彼女達はこの世界(幻想郷というのだそうだ)の秋の季節を司る神様らしいのだ。とてもそうは見えないが、どうやら本気で言っているようなので、そういうことにしておいた。お姉さんの方は‘秋静葉’といって、妹の方は‘秋穣子’というそうだ。紅葉を操る力や、大地の実りをコントロールする力があるそうだ。設定でも、もっといい能力にしたほうがいい気がした。金色の髪の毛に、私とは違った洋服を着ていた。華やかな色の彼女達の服は、黒っぽくて汚れてる私のと違い、可愛く思えた。
「あなたのお名前は?」
秋静葉が話しかけてきた。
「分からない。以前の記憶が無くなってて、最近になってここで目を覚ましたから」
考えたこともなかった。自分の名前なんてあるのかないのかすら分からなかった。
「あなた、お人形さんよね?さっきまで誰かと一緒だったようだけど、持ち主さんなのかしら?」
「さっき?ああ、今は居ないけど、スーさんは私が目を覚ました時からいたのよ。
妖精だと思うんだけど。」
「妖精・・・・?そう。」
「鈴蘭の妖精なのかなぁ?聞いたこともないけど、お姉ちゃん、ある?」
「無いわね。ちょっと前まで私達は秋しか動けなかったから。
それで、どうしてあなたは喋れるのかしら?」
「喋る・・・?」
「そうだよ?普通人形は動けないのに。持ち主が近くで操っているんじゃないの?」
「・・・?人形は本来持ち主とお話したり遊んだりしてるんじゃないの?」
「あはは。普通人形は人間の持ち主の傍にはいるけど、動かないし、喋れないよ?」
驚愕の事実だ。この世界とは何と残酷なんだろう。人形が人間の管理下にあり、発言の自由もなく、行動の自由も一切奪われているという事実。私がここまで生きてこられたのは、人間の迫害を受けなかったから?いや・・・?違う。私の数々の知識は、人間が共にいた時の記憶。つまり私は、奴隷となりボロ雑巾にように使われた人形時代と決別するためにここへ来た・・・?思い出してみると、他の人形も私も、いつも無表情に人間に抱えられていた気がする。無理もない。自由が奪われ、生きる意味を見いだせていないのでしょう。可哀想に・・・。
「人形は基本的に人間の傍にしかいないの?私のように外に出ている場合はないの?」
ここは仲間を探し、同士を募らなければと思った。私達人形にとって今の状況は人間の家畜と同じだ。
革命を起こすしかない。私はそう考えていた。重すぎる使命だけど、やるしかない。
「どうなんでしょう?今までは見たことがないわ」
「そう、困ったわ・・・」
「あ!でも人形を沢山持ってる魔法使いさんならいるよ!」
「魔法使い?」
「ああ、そうね。彼女に聞けば色々と分かるかもしれないわよ?人形について様々な研究をしてるから」
「研、究?」
「そうそう!人形を使った攻撃はすごくて、私たち何回も弾幕勝負で負けてるもんね?お姉ちゃん」
「そう・・・・だったわね。はぁ」
魔法使いによる人体実験・・・。この現状は絶望的だ。そこで私達人形は何らかの方法で操られ、戦闘兵器として生まれ変わり、神をも超える力を得ているらしい。もはや助け出す前に私が消されるかもしれない。
人形の仲間を募ることは予想以上に難しいみたい。仲間が操られたスパイである可能性があれば、隠れて行動する意味がない。こちらから仕掛けなければ救い出せないというのに。圧倒的な戦力差の前に動くこともできない。
この2人に助けを求めてみようかな?
いや、先ほどの話の内容であれば人間の信仰によって存在する神のようだし・・・。さらには、例の人形兵器に完敗してる。戦力としても、仲間になることも期待できそうにない。それにここで作戦内容を明かすわけにはいかない。うまく利用しないと・・・・
「人形のことを良く理解している存在はいないの?」
「その魔法使い以外でってこと?」
「そうよ。」
「それだと、私達の妖怪の山に元人形の神様がいるわよ?」
やっぱり!私達人形にも救いの道はあるんだ。そういうのを待っていた。元人形の神様であるなら‘人形開放’を手伝ってくれるに違いない。もしかすると、彼女は先陣を切って反乱運動を起こしてる最中なのかもしれない。私は掴んだのだ。この状況下で進むべき道を。まず我らが神様の事を知らなければ。
「その神様は・・・その・・・どういう活動をされてるの?」
「うーん、なんだか色んな厄を受けて、人間に害が出ないようにしてるんだっけ?」
「そうね。彼女の種族は厄神様。周りにある厄を集めて人間に被害が出ないようにしてるのよ。
確か、流し雛から神様になったのよ。
流し雛は祓い人形と同様に身の穢れを水に流して清める意味があるからなの。」
すでに人間の手に落ちている、ということなのね。人間は恐れ多くも人形の神を従わせるだけでは飽き足らず、人柱ならぬ人形柱として彼女を利用しているらしい。あまりにも残虐非道な行いに私は言葉も出なかった。進むべき道を失ってしまった。色々と考えていると、秋穣子が口を開いた。
「あれ?ここだけ鈴蘭がぐちゃぐちゃになってるよ?何で?」
「ああ、それは私が通ったから。」
なぜだろうか。そう言った時、私はなんだかもやもやしていた。この感情は知っている、これは何だか申し訳ない、というような、そんな気持ちだ。
「あらあら。ダメじゃない。ちゃんと踏まないように歩かなきゃ。」
「どうして?」
「それは・・・・あ、穣子。あなたなら元に戻せるでしょう?」
「今は秋じゃないからそんなに力は出ないけど、わかった。やってみるね!」
秋穣子が潰れてしまった鈴蘭の通り道に手をかざすと、見事に元の状態に戻った。汚れてしまっている部分は変わらないけれど、もう一度見事に咲くことが出来ていた。どうやら間違いなく神様なんだろう。疑いようがなかった。またちょっと申し訳なく思った。
そして目の前で起きていることを見ていると少しだけわくわくした。
「すごい・・・。」
思わず口に出してしまうと、彼女は得意げになっていた。
「でも、本当にすごいのはこの子達かも。
もっと生きていたいって思ってるからまた綺麗に咲くことができたんだよ。」
「綺麗・・・?生きてる・・・?」
「そう、植物だって生きているの。だから、これからも踏んで歩いてはいけないわ。すごく綺麗で・・・
それに可愛らしいわ。真っ白で小さい心を持っているみたいに。
毒はあるんだけど、ここの鈴蘭はそれほど無いわね。」
綺麗、そう。今改めて見てみると、綺麗だった。月明かりに照らされるこの小さな花は、優しく輝いているから。その姿を見て、私はスーさんの事を思い出した。小さな彼女は、いつもにこやかで、優しかった。
昨日の彼女の流した涙の意味が気になった。あの時の私は、何故疑問に思わなかったのか分からない。悲しんでいる顔が見たかった?分からない。私は彼女が嫌い?分からない。違う。絶対に嫌いではないのだ。何故嫌ったのかも分からない、ただ、今は彼女の事が心配になった。私に向けられた笑顔も、仕草も、今は全て違う感情が私を覆っているのに。それが何かは分からないのだけれど。
私の思考は完全に停止した。彼女達が何か口論を始めたようだが、全く耳に入ってこなかった。少しの間、意識がなくなったかと思えば、空がパッと明るく光った。彼女達が何か光を出して戦っていた。そうだ。こういう景色を昔見たことがあった。記憶がはっきりと蘇るのは初めてのことだった。
花火、というものだったと思う。夜空に輝く沢山の花のように様々な色の光を出していた。記憶の中の私は人形を腕に抱いて一緒に花火を見ていた。その人形こそが私だった。その時の私は、無表情だったけど、幸せだったと思う。沢山の人間が笑顔で、その光を見ていた。その光景を見て私は・・・・とても綺麗だと思ったのだ。夜空に咲く大きな光の花も、それに照らされていた人間の笑顔も。
その時の私は、世界が色鮮やかに輝いた気がした。この世界はこんなにも美しいと。目覚めた時の思いとは、全く別の、真逆の感情が支配している。あの時の私は全てが憎かったはずなのに。抜け落ちた記憶の間に何かがあったのか。今の心が本当の私の心なのか。私の名前は?どうして私はあそこにいたの?何故今まで気にならなかったの?何故昨日と今日でこんなにも―――。何も思い出せなくなった。何も分からなかった。ただ、スーさんに会いたくなった。今私が抱えている不安も、思いも、会えば何か分かる気がしていた。居なくなってから随分な時間が経ってしまったのに、いつまで経っても帰ってこない。本当に帰ってこない場合、私はどうしたらいいのだろうか。彼女たちを残し、私は立ち上がった。やっぱりうまく体が動かない。少しフラフラとしながらも、探し始めた。今度は鈴蘭を踏まないように探した。自分でもどうして必死になっているのか分からなかったけど、スーさんを呼び続けた。このまま見つからないと会えないような気がしたからだ。重たい足取りで、鈴蘭畑を出た時だった。私の体は完全に動かなくなった。意識が遠くなる。
メディスンが私を探している気がする。
いつもの鈴蘭畑で。
ここからだと聞こえるはずもないのだけれど。
メディスンが、あの時の私と同じだったのなら叫んでいるかもしれない。
きっと一人で探しているのかもしれない。
私たちが居た鈴蘭畑に帰りたい。
私のせいで色々なものが壊れていく事を、もう繰り返したくはなかった。
せめて一緒に居て欲しかった。
いつかメディスンに伝えなければならない事が沢山あるのに。
人間の優しさを思い出して欲しかった。
この思いとは裏腹に私の毒は人里を包み込む。
私の毒で苦しんでいる人々を見て、私は涙を流している。
この涙には、どちらの意味が含まれているのだろうか。
私はそれを想像し、絶望し、そして安心した。
意識がない中で夢を見た。夢の中の私は、部屋の中に一人で生きていた。暗い部屋の中で一人で膝をかかえている。
膝小僧にある濡れ跡は私の涙だろうか。ただ、私の膝には何故か切れ間がなかった。その時、着ている服は今のものとは違い、布を簡単に合わせたようなものだった。髪も黒かった。これは私の以前の記憶なのか、私じゃない誰かの記憶なのか分からない。部屋の中には異臭が立ち込めていた。私は今は一人で暮らしているが、以前は母と二人で暮らしていたのだ。母は近くにいたけれど、遠くにいた。私は立ち上がると、少しフラつきながらも敷いてある布団の中に入った。鼻をつく強烈な異臭で吐きそうにもなったが、我慢した。もし吐いたとしても、私には吐くだけのものが胃の中に入ってはいないだろう。布団に潜ると、少し虫が沸いているのは嫌だったけど、母に抱きついて寝た。おやすみなさい。と言い、目を閉じた。
朝になり、朝日が虫に食われた崩れた母の顔に差し込むと、また部屋の隅で膝を抱え泣いた。もう、何日繰り返しているのだろうか。どれくらいそうやって過ごしたのか分からなかった。
数日後、夜になると、母を起こさないように静かに私は立ち上がり、外に出た。意識が朦朧とした中で、私はいつもの鈴蘭畑に座っていた。いつもの風景の中で、私の意識は無くなった。
しばらくすると、夢から覚めていた。こう何度も夢と現実を行き来すると、さすがにどっちがどっちか分かる。髪が揺れていた、風に吹かれている。冷たいけれど、そんなに嫌な感じはしなかった。私が目を開くと、まだ夜だったので、初めは暗くてよく見えなかったが、地面が遠かった。空を飛んでいる。私は混乱し、少し体に力が入った。
「目を覚ました?」
秋穣子の声が頭の後ろで聞こえた。私は彼女に抱きかかえられていたようだ。彼女は私が怖がっていると思ったのか、速度を落とした。初めて空から地上を眺めた。不思議な感覚だった。あんなに大きい木が、私の視界にいくつも収まっている。全てが私より小さく、手ですくえば簡単に取れてしまいそうな程だった。
「ごめんなさい。妹と弾幕勝負してたらいつの間にかいなくなっていたの。」
弾幕勝負、とはこの世界の勝負の決着の付け方で、先ほど見た花火で、相手に沢山被弾させれば勝ち、というルールらしい。彼女達は先の勝負がどっちの勝ちかを言い争っていた。死ぬわけではないらしいのでホッとした。
もし、どこかでスーさんが弾幕勝負に負けてても、死ぬことはないのだと思うと安心した。よく見てみると、彼女達の服はボロボロになっていた。せっかく可愛い服だったのに、もったいないなと私は思った。
いつもの場所に着陸すると、私の方を向いて彼女達は言った。
「今日はありがとう。また来てもいいかしら?」
「ここの鈴蘭綺麗だし、また来たい!そして今度は一緒に遊ぼうよ!」
私は適当に返事をして、彼女達を早く見送ろうと思った。考えたいことが色々あったからだ。さっきの夢は私の過去の記憶なのだろうか?私は以前人間だったのか?感情の事も。とにかく色々な事が分からなかった。一人になりたかった。
「じゃあおやすみなさい!」
秋穣子がそう言って飛んでいった。お姉さんの方は私の方をじっと眺めていた。あまり長い間見られるのは何だか変な感じだった。私は尋ねてみた。
「何・・・?」
「あ、ごめんなさい。私はあなたに以前会っているような、そんな気がして。また来るわね。」
彼女達と別れた後は、また一人でいつもの場所に座った。秋静葉の言っていた事は私の耳を素通りしていた。別に彼女たちのことを嫌って無視している訳ではなかったのだけど、驚いていたから。
それほどに、世界が変わっていたから。
改めて景色を見直してみると、鬱陶しく思っていた月明かりも、この草原を優しく包み込み、とても綺麗だった。その月に照らされている鈴蘭も、小さな花がいっぱいに輝いているようで可愛いと思えた。小さな花がそれぞれ束になっていると、そこに小さな妖精がいるように思えた。ほんおり香る鈴蘭も、草の匂いも、すごく素敵だった。春の匂い。色々な所から虫が鳴いていて、近くで演奏会を行っているようで。最初に見た景色とまるで違っていることに驚いていたが、景色自体が変わっているわけではない。変わったのは、私の見方だった。
ただ、スーさんが傍にいないことが、やっぱり気がかりで。スーさんに何かひどい事をしようとは思えなかった。そんな事したくもないのに、何故そう思っていたのだろう。ただ、傍にいて欲しかっただけなのに。何故変なことを考えていたのだろう。何故傍に居て欲しいのかはわからないけど。私は色々と考えてみたけど、答えは出なかった。分からないことだらけだ。ずっとずっと考えていると、私はまた眠くなって寝た。きっとまた夢を見るのだ。
その日の夢は以前のものと似ていた。私は夜空を見ていた。ずっとずっと夜空を見ていた。滲んだ景色の中で、眺めていたのではなかった。泣いていたのだ。ずっとずっと泣いていた。空に向かって。自身の名前も何も分からない中、泣いていたのだ。何故かは分からないけど、夢なのに私のようだと思った。私は泣き疲れて少しづつ瞳を閉じていく、視界は徐々に暗くなり、最終的に世界は暗闇に覆われた。
目を覚ました時、気分は最悪だった。
ずっと探していたスーさんが横で寝ていたからだ。違う。私はこんなこと思っていなかった。私は無事に戻ってきたことを喜んでいるはずだ。しかし、私の思いは反して寝ているスーさんをどのようにして傷つけようか考えている。こんな事考えたくもないのに、想像するとやっぱり楽しかった。頭がおかしくなりそうだ。視界からはスーさん以外の全てが消えていた。
私は殺意と理性の間で揺れていた。
待って――――!
意識が朦朧とする中で、声が聞こえた。しかし、私はその声に耳を傾けることは無かった。
私の手はスーさんの首元に伸びた。
疲れていた。
私の体はもう既に私の支配下になかった。
浸食されて理性はほとんど無くなり、溢れ出す黒い感情の傀儡になっているだけだった。
眠っている間に、それらは大きく膨れ上がり、私の心を黒く塗りつぶしていたのだ。
罪悪感によって積み上げられた後悔と自責の念が、私の心をいっぱいに満たし、
黒い感情はその部分に埋まっていく。
周りの動植物の悲鳴が聞こえる。きっと私の毒で苦しんでいるのだろう。
私はただ、申し訳なかった。私の周りの沢山の生命に。
そして彼女に。
メディスンに伝えられないことが悔しかった。メディスンは私だったのだ。
ずっと傍にいることに気づいていないだけだったのだ。
一人ぼっちではないことに気づいていないだけなのだ。
だけど、このままでは私はまた周りを傷つけてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。いっそこのまま消えてしまいたいとも思う。
そう思っていたとき、私の体を温かい手が包み込んだ。
意識が僅かに戻ったとき、
両目いっぱいに涙を流したメディスンが私を両手で優しく包んでくれていた。
感情が伝わってくる。これは愛情と、悲しみだ。
メディスンが流した涙は、とても綺麗なものだった。とても愛おしく、切ない涙だった。
両手によって拘束された私の体が、少しづつ消えていくのが分かった。
鈴蘭の花が枯れていっている。メディスンが何か言っていたけど、私には聞こえなかった。
メディスンは私の気持ちを察してくれたのかもしれない。
言葉には出来ないけど、私は強く思った。
ごめんなさい。ありがとう。
そして私は、最後までメディスンを笑顔に出来なかった。
私は走っていた。本当にスーさんを殺してしまうとこだったからだ。スーさんに触れる前に私はさっきよりもずっと大きな声が聞こえて正気に戻り、出来るだけ離れようと走り出していた。後ろで眠っているスーさんから出来るだけ離れなければいけないと思った。私の中の感情は相反していた。今すぐにでもスーさんを殺したがっていた。私はそんなこと考えていない。私は自問自答を繰り返しながら小さな鈴蘭畑を走り抜ける。憎い。違う、愛おしい。早く殺してしまいたい。違う。ずっと一緒にいたい。
振り返ってもスーさんが見えない位置までなんとか来ることが出来た。
私は膝を落とした。
「どうして・・・・・・。」
私は頭の中と心の中がぐちゃぐちゃになっていて、もう何がなんだか分からなかった。スーさんとはずっと一緒にいたいと思っている、大好きなのに切に殺してしまいたいと望んでいる。居なくなって欲しくないのに、消してしまいたいと渇望している。大切にしたいのに、傷つけたがっている。
「そんな事、考えていないのに・・・・。」
「何故か、知りたいのかい?」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、大きな鎌を持った女の人がいた。髪は赤色で左右両側を縛っており、血のような赤い瞳をしていた。
その姿を見た瞬間、体の力が一気に抜け、立ち上がれなくなった。
「あ・・・。また・・・」
「ちっ、逃げたか。それよりもお前さん、意識だけじゃなく話せるようになったんだねぇ。
憑いてもいないのに。
ああ、立てなくなったのかい?そりゃあ、あんだけ憑かれてたら力は抜けるのは当然だけどねぇ」
「つく・・・?あなたは・・・誰?」
大きな鎌を持った女は、とても大きく見えた。実際は、私が小さな生き物にしか出会ってないからなのかもしれないけど。
彼女は自身のことを‘小野塚小町’と名乗った。死神をしているそうだ。風貌から大体察しはついていた。何よりも雰囲気が他の生き物とは明らかに異なっていた。神様がいるのであれば、死神がいたって不思議ではなかった。
「この辺は怨霊が溜まりやすくてね。たまに散歩している途中に始末してたのさ。今日はまぁ色々とあるんだけど。お前さん、この先の岩でずっと座っていた人形だろう?知ってるよ。たまに見かけてたからねぇ。でも気をつけなよ。人形は怨霊に憑かれやすいからねぇ。なぜなら人形は虚ろなのさ。からっぽだ。中身がないお前さんは恰好の餌食ってわけだ。それでも今日まで理性を保てたことのほうが驚きだねぇ。普通怨霊に憑かれちまうと、自分の意思とは無関係に行動を起こしちまうもんだけど、お前さんは違うみたいだ」
死神がこんなに喋るものだったとは予想外だったが、私の心に関してヒントを与えてくれた。私を覆っていた負の感情は、どうやら怨霊がもたらせたものらしい。私はそれを知って安心した。言われてみれば、死神の姿を見て怨霊が逃げ出したのか、スーさんのことを考えても大丈夫になっていた。
「そう。良かったわ。私の感情じゃないということなのね」
「そりゃそうさ。だけどお前さんの理解してる意味とは解釈が少し違うねぇ」
「・・・どういうこと?」
「そもそもお前さんに感情なんてありゃしないのさ。人形だからねぇ。怨霊が見せる幻、錯覚さ。気づかなかったのかい?あんたは自分の意思で動いていたわけじゃない。全て動かされていたのさ。感情も、行動も、記憶も」
死神が言っていることの意味を理解するのに、少しの時間がかかった。
私に感情がない?私は私の意思で今まで動いていたわけじゃない?頭で理解できた今でも、納得いかなかった。
「違う。私は私の意思で動いてきたわ!怨霊によって動かされていることもあったかもしれないけど、ずっと鈴蘭畑にいて、私の意思で動いてきた記憶がある!大体は寝てて、変な夢を見てたけど、起きてる時は・・」
「それは本当にお前さんの記憶かい?」
「え?」
「じゃあ聞くけどねぇ、お前さんは今何か思い出せることはあるかい?お前さんの姿が見える記憶がいいんだが」
「あるわ!私は誰かに抱えられて花火を見たことがあるの。その時抱えられてるのは間違いなく‘私’だった!その時の‘私’の姿ははっきり覚えているわ。だって私は‘私’を両腕に抱えて―――」
私は、何を言っているのだろうか。
「気づいたみたいだねぇ。そう、普通は鏡にでも映ってない限り自分の姿は認識出来ない。見えないからねぇ。でも、どうしてお前さんは自分の姿が記憶に残っているんだい?夢の中じゃあるまいし。しかも、抱いている自分自身のことは分からない。それは、抱いていたのは‘お前さん’じゃなく、その‘持ち主’だったから、じゃないのかねぇ。まぁ近い存在の霊なんかの記憶を混同することがあるのさ」
「でも・・・・でも私は・・・」
「さっき変な夢を見るといったね。どういう夢か色々と想像がつくけど、もしかして最終的にたどり着くのは、この鈴蘭畑じゃないのかい?そこで夢は終わってるはずだ」
「どうしてそれを・・・」
「ここの怨霊は、色々な種類がいるけど大半は人間の怨霊さ。ここは捨て子のメッカとでも言う場所でね。生まれても様々な理由で育てられない子が捨てられる場所。名も無き魂が彷徨える丘。故に~無名の丘~と呼ばれてるのさ。まぁ寝てりゃ逝けるから他にも自殺の名所としても人里で有名ではあるんだけどねぇ。だからこそ、ここは怨霊で溢れる。生まれても生きられなかった無念の思いや、悲しみのあまり自らの命を断った思い、苦しみ。他にも様々な人間のそういったマイナスの感情、憎み、恨み、嫉妬、そういったものが集まってしまってるのさ。それらの最後の記憶が取り憑いたものに見せることがあるんだよ。だから暇な時、少し立ち寄って掃除してはいたんだけど、今日は用事が違っててねぇ」
「何かあったの・・・?」
「人里に被害が出てる。毒を撒き散らして、人々を病にしてしまっているのさ。人里に信仰の深い神様に情報を集めてもらったところ、ここに住む鈴蘭の妖精が犯人らしい。目撃情報とも一致するらしいからね。早いところ始末しないと異変になりかねない。話を聞くに妖精はどんどん力を・・・」
スーさんだ。私は確信した。この死神はスーさんを始末しようとしている。でも、どうしてスーさんが人里を。理由は分からない。だけど、スーさんは時々とても悲しそうな目をしていた。どうしようもない程悲しそうで、辛そうな、そんな目を。顔で笑っていてもはっきり分かった。人里を襲ったのがスーさんの本意ではないとすれば、簡単だ。今の話で出た怨霊がスーさんに乗り移っているのだろう。
なんとかしないといけない。私に出来ることはなんだってしよう、スーさんが助かるのなら。
「怨霊を払う方法はないの?」
「あるよ。まぁ色々あるんだが、確実なのは博麗の巫女に頼めば一瞬だろうね。だけど今の巫女を私は知らない。巫女が人形に協力なんて基本してはくれないと思うけどねぇ。それに・・・」
「それに・・・?」
「怨霊が消えちまったら、お前さんがもう2度と動かなくなる。それでも・・・」
「構わないわ」
「ははっ。即答だねぇ。わかったよ。お前さんの心意気に免じて頼んできてやるよ。夜明けまでには戻るから、悪いが少しここで待っててもらえるかねぇ」
「わかったわ」
死神は去っていった。なるべく怨霊が来ない地域に案内してもらったが、気をつけろと言われた。スーさんには今日一日近づかない方がいいと言われた。正直、ここまで優しいと、逆に疑いたくなってきた。もしかすると死神は私たちを丸ごと消し去るつもりなのかもしれない。何せ死神なのだ。
だけど、スーさんが変になった時は確かにあった。私がまだ何も分かってなかったころ、その鱗片は確かに見えていた。当時はそれが普通だと思っていたけど、スーさんが辛そうにする事も日に日に増えていってることも分かっていた。死神の言っていたことが、どこまでが本当かは分からないけど、スーさんの事に関しては事実のような気がする。だからこそ、私が命をかける理由にもなると思えたのだ。
だけど、もしかしたら。もしかしたらこの感情も私のものではないのかもしれない。さっき死神は言っていた。私の今思っていることは私の考えではないと。私の記憶が私のものではないと気づいた今、私は私が分からなくなっていた。誰かの記憶、誰かの感情、誰かの意思。じゃあ私が私でないならば、まず私の思うように行動してみようと思った。だから今一番大切な存在に、スーさんに、心の底から笑って欲しかった。私は決意を固め、夜明けを待った。
思い返してみると私の記憶は基本的にスーさんと話した記憶しかなかった。一緒にいるのが当たり前だから気づかなかったけれど、私は彼女から様々なことを教えてもらった。基本的な知識は誰かの記憶によって補われていたのだけれど、スーさんから教えてもらったことは感情だった。愛し方を教えてもらった。憎み方を教えてもらった。哀しみを教えてもらった。優しさを教えてもらった。他にも色々なことを教わったのだけれど、私はスーさんに何か教えてあげることができたのだろうか。いや、それよりも、言葉の発することができないスーさんは、私に何を伝えたかったのだろう。私が質問する度、答えてくれていたが、スーさんから質問を受けたことはなかったから。
何故スーさんは人里に毒を撒いているのだろうか。分からなかった。もっとスーさんを知りたかった。もっと仲良くなりたかった。もう、叶わない願いかもしれないけど。私は今までスーさんと過ごしてきた記憶をなぞりながら朝を待った。それはとても安らかで、温かい時間だった。私が消える前に、伝えなければならないことが沢山ある。最後に伝えるだけの時間はあるだろうか。
言葉を色々と考えているうちに朝になり、誰かがきた。死神かと思ったが、秋の神様である、秋姉妹だった。
「おっはよー!」
「朝からごめんなさいね。話を聞いて。情報を提供した私たちにも責任があるようだし、
手伝えることは無いかと思って」
「うん。ありがとう。でも小野塚小町っていう死神が博麗の巫女を連れてきてくれる約束になってて」
「死神から聞いてるわ。今回の巫女は吸血鬼や幽霊とも仲がいいって話だし、きっと協力してくれるわ」
「それだけ従わせるのはすごいよね!ちょっと怖いけど会ってみたいよね!お姉ちゃん!
さすがにいきなり取って食うような人間じゃないだろうし。」
「そうだといいけど穣子ちゃん、いい匂いだから・・・」
「え!?」
情報提供したのは彼女達だったのか。色々と言いたいことはあったけど、彼女達が悪い訳ではないのはわかっていた。それよりも正直、ありがたかった。一人では本当に心細かったから。誰かがいてくれるだけで助かる気がした。彼女たちとは1回だけしか会ってはいないけれど、この明るさに救われてる気がする。それにお姉さんのほうには聞きたいこともあった。
「そういえば以前に私を・・」
そう言いかけたとき、遠くでまた花火のような光が見えた。
「お姉ちゃん!あれ!」
「急ぎましょう!・・・・まさかあの死神・・・」
私達は急いで光の方へ向かった。徐々に見えてくると、そこは私たちのいつもの場所だった。
死神が戦っていた。その相手は、スーさんだった。
「おや、見つかっちまったのかい。しくじったねぇ」
死神は器用に弾幕を躱しながら言った。私は混乱した。まさか本当に騙されていたかもしれない。
「博麗の巫女は!怨霊を払うんじゃないの!?」
「交渉はしないことにした!この妖精を見に来てみると、もうそれどころじゃあなくなっちまったのさ!
周りの様子を見てみな!あれこれ言う前に確認しておくれよ!」
私達は辺りを見回してみると、ここ一帯にすずらん以外の命は残っていなかった。周りにあった僅かな木も枯れてしまい、様々な動物の死骸が転がっている。元々の風景が分かる私からすると、とても一緒の土地とは思えなかった。ここにはもう、生命の生きる意思すら感じない場所になってしまっていた。ただ、鈴蘭だけが不気味に強く咲いていた。その鈴蘭は、私たちがいつも眺めていた姿のものではない。
今は不自然に周りに毒を撒き散らしているだけの存在となっていた。これをスーさんがやったのだ。私たちの思い出の場所を、スーさん自らが汚している。
今の私にとっては唯一の故郷とも言えるこの場所が、みるみる朽ち果てていくことに悲しみと、深い怒りを覚えた。スーさんはどういう気持ちで、・・・・いや、違う。ここにスーさんの意志はどこにもない。スーさんの表情を見れば分かった。あれはもうスーさんではなかった。周りの様子に歓喜し、次々に毒を撒いている姿は、私の知ってるスーさんと一致しなかった。何よりも、その瞳の奥は、やっぱり悲しいままだったから。だとしたら、今スーさんを動かしているのは他の意思だ。私はこの悪意に満ちた気配を知っていた。私の体の中に入ってきていたものだ。スーさんを動かしているもの、それは怨霊だ。
「異常事態ってやつさ。これ以上広まっちまえば異変になっちまう。
これはもう残念だけど、消させてもらうしかないねぇ」
「待って!」
「何する気だい!完全に相手は怨霊の傀儡になっちまってるんだ!」
私はスーさんに向かって走り出した。毒の影響は私にはそれほど受けていない。いや、私の仮説通りなら受けるわけがない。
人形の私には本来見えない怨霊が何となく視覚出来る、それはもうおびただしい量さまよっていた。その中心点にスーさんがいる。私の心に隙間を作ってしまえば、一瞬で乗っ取られてしまいそうだ。近くにいくと、スーさんは微笑んでいた。いつものように。だけど、いつも通り、いや、いつも以上に悲しい目をしていた。それを見て私は思った。まだ、スーさんの中にスーさんの心がいる。もし誰かがスーさんを救えるのなら、それは私しかいないと思った。私が怨霊に何故今まで完全に取り憑かれていなかったのか。それはきっと。きっとスーさんが代わりに背負ってくれていたからじゃないだろうか。私が完全に怨霊化する前にスーさんが身代わりとなって、怨霊を引き受けていてくれたから、今まで私は心を維持できたのかもしれない。スーさんを探していたとき、鈴蘭畑から出た私は動けなくなった。つまり私もスーさんと一緒で鈴蘭から力を与えられてるかもしれない。スーさんが私から怨霊を背負い、私に力を分け与えてくれたように、私がスーさんの怨霊を受け止めることが出来るかもしれない。全ては推測の域でしかないけど、私に今出来る事は一つだった。
私が目を覚ました時に、スーさんは私に触ってくれていた。だから私は。近づくにつれ、様々な言葉がこだまする。誰かの記憶だろうか。鳴き声や、怒りの声、悲しみの声、他にも色々な声が聞こえる。
「やめ・・!まだ・・・!仕方な・・おい・・秋・・・鈴蘭を・・・!このままじゃ二人・・・!」
死神が何か言っているようだが、怨霊の声でほとんどがかき消されていた。私は立ち止まるわけにはいかなかった。何を言われてもスーさんを助けなければならないのだ。いかなる言葉にも耳を貸してはいけないと思った。
私は、今の私の意思でこの道を選んだ。私はスーさんを助けたい。また戻らなきゃいけない。あの場所に。ずっと私と一緒にいてほしいから。スーさんを手で包み込んだその時だった。
寂しい。
怨霊の声じゃない。私の声でもない。これは、初めて聞く声、これはきっとスーさんの・・・
寂しいから。一緒にいたい。寂しいから、助けたい。寂しいからまた戻りたい。寂しいから・・・
また、誰かの記憶が流れ込んでくる。もう分かっている。この感覚の記憶は私のものではないと。
これは、スーさんの記憶だ。確信を持てた。
遠い、遠い昔の記憶。この鈴蘭の草原で、沢山の妖精がいた。妖精たちは、外敵から守るために鈴蘭を増やし、仲間を増やしていった。
皆喋ることはできなかったけど、争いも無かった。皆が皆幸せそうだった。私も幸せだった。ある日、一人の男が鈴蘭を調達しに来た。
贈り物として少量相手に渡すことは私達妖精にとっても誇らしかったので、私達は黙っていた。しかし、鈴蘭は悪用され、人里で何人か毒殺された。人間は私達の仕業だと考え、問い詰めてきた。しかし、私達妖精は喋ることが出来なかった。犯人はその場におらず、結局鈴蘭は焼き払われてしまう。
私達は苦しんだ。元々鈴蘭の妖精である私達は、鈴蘭がなければ存在を保てなかった。
私が目を覚ました時には、その場には私しかいなかった。どれくらい経ったのかわからないほど、時間は経過していた。わずかに残った鈴蘭が、私を生かしてくれたのだ。私は、言葉にならないほど絶望した。何故、私も一緒に仲間たちと消し去ってくれなかったのか。どうして私だけ残したのか。私は寂しかった。私を一人にしないでほしかった。
スーさんの残った大きな悲しみの前に私は一言呟いた。
「そっか。寂しかったんだね。でも大丈夫。もう大丈夫だから」
スーさんの思いが痛いほど流れ込んでくる。スーさんの悲しみが、絶望が。
今まであったことを思い出しながら考えてみる。私は、ずっと一緒に誰かが居てくれたから、寂しく思うことはなかった。
私が意識を持ってから、ずっと隣にはスーさんがいてくれたから。居なくなった時の感情を思い出すと、今ならそれをハッキリと理解できる。私はただ、・・・・・・・寂しかったのだ。
その何倍もの時間、スーさんは一人ぼっちだったのだ。ずっと、ずっと一人だったのだ。そして寂しさは募り、あまりにも大きな心の隙間は、怨霊を入れる器となってしまった。私は今のスーさんの、この感情を背負ってとても笑顔でいられる自信がなかった。スーさんは私に対してずっと微笑んでくれていた。それは心開ける誰かと一緒にいれる嬉しさと、私に対しての優しさだったと思う。
私はスーさんのことなんか何も分かってなかった。心の中で、深く謝罪し、感謝した。
私は涙を流しながらスーさんの体を手で包み込んだ。これ以上、スーさんが悲しまないで欲しいと思ったからだ。
振り撒く毒と、怨霊を私の中に入れてしまおうと考えた。私の中に、全て入れてしまえば、死神が私を始末し、スーさんはこれからも生きていけると、そう思った。元々、心も感情も持たない人形の私が、信じられる唯一の記憶。それはスーさんと共に過ごした日々だ。私のスーさんに対する思いだけは、決して誰のものでもないのだ。スーさんの記憶の中に私が残ればそれでいいと思った。
そう決心した瞬間、スーさんの体が少しずつ消えていった。少しづつ、見えなくなっていた。私も少しずつ体が動かなくなっていた。
どういうことか分からず、慌てて辺りを見回してみると、秋穣子が鈴蘭を枯らしていっているようだ。彼女は大地の力をコントロール出来ると聞いたことを思い出した。
止めて!と声に出そうとした瞬間。スーさんは首をいつものように横に振ったのだ。
最初からこのつもりだったのだと私は気づいた。
思い返してみると私が怨霊に憑かれていないときは、私は変な事を考えなかった。それは必ずスーさんが一緒にいた時だ。最初から私に怨霊が憑かないように、身代わりになってくれていたからだ。私がスーさんの身代わりになろうと決心するずっと前から、スーさんはすでに私の代わりに苦しんでくれていたのだ。結果、里の人々を苦しめてしまったのに。
スーさん自身には里の人々に対しての恨みなど一切なかった。あれだけの人間の行いを許していた。自殺や捨て子の場所となった鈴蘭畑では人間の醜さをどうしても垣間見てしまうのに。なのに、消えていく命と共に悲しんでいた。同じ状況になっても、私はそうは思えない。どうしてスーさんは消えなければならないのか、今わからないからだ。スーさんは何も悪いことはしていないはずなのに。
仲間も消えてしまったスーさんに、今からならもっと優しく出来るのに。私達は、ただずっと一緒にいたかっただけなのに。なぜそれが叶わない。これからずっと一緒に居て、同じ空間で同じ時を過ごして私達は生きていきたいだけなのに。
私はこの時気づいた。私が私である、唯一のこの感情。
私はスーさんが大好きだった。
その瞬間、私は確かに見た。スーさんはやっぱりいつものように笑っていたけれど、目がとても安らかに、そして幸せそうに笑っていたから。目に少しの涙を浮かべて。沢山伝えたいことがあった。こんな一瞬じゃ到底伝えることが出来ないくらいに。
私はスーさんが消える直前に、一言に込めて言葉に出した。
「ありがとう」
スーさんは一輪の鈴蘭に私の手の中で変わっていた。
私は最後にスーさんを理解できただろうか、きっとこれだけでは理解できないだろうけど、どれだけの言葉を尽くしても足りないくらいに感謝していた。彼女は私を一人にしなかったから。だけど、彼女は居なくなってしまった。もう、彼女と会うことが出来ないことを考えると、寂しく、そしてとても悲しかった。
そうして作ってしまった心の緩みに、怨霊容赦なく私に襲いかかった。まだ残っているスーさんの記憶が無理やりこじ開けられていく。これは私だ。スーさんから見た私。それと、誰かが一緒にいる。
私は知っている。そう、私はこの人間を知っている。
この人物は、私の持ち主だ。私を捨てた人間だ。私を無名の人形とした人物だ。私の中に眠っていた昔の記憶が鮮やかに蘇る。私は彼女と共に、この無名の丘に来た。彼女が私を連れ出してくれたのだ。綺麗な丘があるんだよ、と。少し疎らに生えた鈴蘭の草原は、今とほとんど変わらない。そこで私は彼女と共にいた。
けれど、夜が明けると彼女の姿はどこにもなく、私は一人でただ岩に寄りかかり、座っているだけだった。幾度となく、日が沈み、また太陽が昇ることを繰り返していた。彼女はどこにいったのだろう。いつもどってくるのだろうか。この先はもう分かっている、この先何十年待ったって、彼女は戻ってこない。そうして最初に目を覚ましても、スーさんがいるだけで、彼女はいない。
私は捨てられたのだ。私は人間に捨てられたのだ。
人間は、罪を他責にし、平気で傷つけ、騙し、殺し合う。
私には、醜いものの塊のように思えた。そしてスーさんを、スーさんの仲間を、私を、傷つけた。彼らを許すことが出来ない。憎かった。どうしようもなく、憎いと思った。私たちを引き裂いた元凶でもあるからだ。
「こりゃ完全にお前さんが怨霊化しちまってるねぇ」
声が聞こえると、記憶の世界から戻っていた。私は空を飛んでいた。
怨霊の力で出来るようになったのかは分からない。
「妖精と同様に、怨霊と同化しちまってるねぇ。周りの悪霊を完全に集めてくれたことには感謝するが、
こりゃあ、お前さんごと‘無間の狭間’にでも直行で飛んでもらうしかないかもねぇ」
「死神・・・・。あなたは本当にスーさんを助ける気だったの?」
「さぁて。どうなんだろうねぇ。ただ、何故秋穣子を呼んだのか分かるかい?
鈴蘭畑は最初から消えてもらうつもりだった」
「そう」
「おーっと、その前に、あれを見てみなよ。今の矛先は人間だろ?だったらアレを見な。アレは人間の霊だ。
復讐したいのはあれの方じゃないのかい?それに今の私は生き仏だ。今なら見て見ぬふりをしてやるよ」
視線を下に落とすと、確かにいつもの岩の辺りに怨霊ではない人間の霊がいた。今までは人形だったので見えなかったのだろうか。意外と霊は僅かだがうようよしていたのだ。いくつかの霊が私に対して逃げていくのに対し、あの霊はずっとその場所から動こうとしていなかった。
あの場所は私とスーさんの場所なのに。私たちの場所を汚して欲しくなかった。
私と怨霊の意識は完全に同化していた。私達は人間が憎いという1点で完全に合致したのだ。死神の行動も許すべきものでは無かったが、何より人間が霊の姿であっても、あの場所にいることに怒りを覚えた。出来るだけ早く飛び、人間の霊を消滅させようと手を伸ばしたその瞬間だった。
「危ない!逃げて****ちゃん!」
秋静葉の声が一体に響き渡った。その声と同時に私の手が止まった。私は、その名前を聞いたことがある。私の記憶か、私の記憶じゃないのかは分からない。ただ、とても懐かしい名前で。愛おしい名前だった。
「・・・こえるの?私の声が聞こえるの?ねぇ――――メディスン」
メディスン。それは誰だろう。そう、私は・・・。この声の主、人間の霊の声を私は覚えている。いや、記憶に新しい。鈴蘭畑で最初に聞いた初めての声、私を起こしてくれた声、度々聞こえた優しい声。スーさんを人里に行かせないようにしていた声。そして、私の大切にしている記憶の中にある花火大会での、私の声。つまり・・・
「ずっとメディスンとお話したかったの!そしてさっきまでいたスーさんのこと・・・」
「あなたは・・・・私の・・・」
「持ち主よ。あなたの持ち主の****よ。・・・・やっと、やっと届いた」
彼女はずっと泣いていたのだろう。彼女の頬には何度も涙が通った跡がある。いつからだろう、いつから彼女はそこにいたのだろう。たった今現れたわけではなかった。それは分かっていた。私は彼女の声を幾度となく聞いているから。彼女は私を捨てたはずだ。なのに何故今ここでうろうろしているのか分からなかった。いや、一つだけ可能性がある。もしかしたら彼女は
「もしかして、ずっと・・・・ずっと一緒にいてくれたの?」
彼女はゆっくりと頷いた。
「ごめんなさい。私、死んだことに気づかなくて。本当はずっと隣にいたんだけど、
人形であるメディスンには見えなかったみたいで。たくさん話したいことがあって・・・・」
そう、私は捨てられたわけじゃなかった。置き去りにされたわけではなかった。私は混乱した。彼女はずっと傍に居てくれたと言っている。
嘘だ。
と私の中の怨霊が断言する。だけど、どうしても否定出来なかった。私にずっと聞こえていた声が、彼女の声であると確信したから。
彼女の記憶を思い出している時も、彼女は私に対してひどいことはしなかった。
彼女と共にいた記憶は少ないので、判断出来ない。
だけど、私が彼女に抱かれているとき、私は幸せそうに見えた。
違う、人形には感情はない。
感情がないことは無い。人形にも感情は存在する。
存在しない。感情も記憶も、誰かのものだ。
違う。私は・・・・
私が怨霊と会話をしている最中だったが、彼女は私を抱きしめた。
「メディスン。ずっと話したかったの。聞いて欲しいの。スーさんは・・・・
出会った時からずっと笑わない妖精だった。
初めて見たときは、小さなお人形さんだと思った。表情もなく、ただ座っていたから。
私は、彼女とお話してる中で、彼女の目を見て気づいたの。
とても深く悲しんで、傷ついて、もう笑うことを忘れてしまった妖精さんなのかもしれないって。
スーさんは常に何かに苦しんでた。
それから私は出来るだけこの鈴蘭畑に来て、彼女の相手をしていたの。笑ってくれるように。
だけど、彼女は笑わなかった。あなたを連れて来て、彼女と喋っているうちに私の肉体は失われたの。
私は気づかなかったけど、スーさんは気づいていたみたい。
その事に責任を感じているようだったけど、だけど私は、3人でいられて幸せだった。寂しくなかった。
2人共喋ることが出来なかったから、私はあなたたちに話しかけ続けた。
それから長い長い月日が流れて、あなたは意識を持った。
あなたが初めて意識を持った時、覚えてる?スーさん、初めて私達の前で笑ったんだよ?
私はそれが嬉しくて、何度も何度もあなたに話しかけたんだけど私の姿はメディスンには見えなくて」
最初に意識が芽生えたとき、スーさんは静かに微笑んでいたことを覚えている。
その後、丘の方を指差した。それはどこかへ行こうという意思表示ではなく、隣にいる彼女を見つけさせるためだったと私は気づいた。そして彼女の記憶と混同していた私は、スーさんと会っていたと思い込んでいた。
「スーさんは、最後に笑ってたよね?
過去のことは忘れられないんだろうけど、きっと今が幸せだったから。
だから、あなたに笑うことができたんだと思うの。そしてスーさんはあなたにも笑って欲しかったって。
そう、思うの」
そうだ。私は今まで笑ったことがなかった。スーさんは私の前では常に笑っていたように思う。それは、言葉を喋ることが出来ないスーさんから私へのメッセージだったと思う。
私はその思いに全力で応えようと思う。
背後から死神が迫ってきているのが分かる。私を、私の中の悪霊ごと消し去ろうとしている。
悪霊は言った。私には感情も記憶も存在しないと。だけど私は信じたい。私は私の中の感情と記憶から、彼女達にこの言葉を届けたい。溢れ出そうな涙を堪えているけど、私は思ったことを素直に言葉に出した。
「ありがとう、一緒にいてくれて。私は・・・・幸せだった、本当に幸せだった。
出会えて本当に良かった・・・・。」
私から彼女に送る最初で最期の笑顔と、言葉だった。出来ればスーさんにも見せたかった。
そして次の瞬間、背後から死神の攻撃を受けた。
私の中の怨霊も、記憶も、感情も、全てが失われていった。
きっと私は元の人形に戻るのだろう。だけど、私は大丈夫だと思う。例え記憶に今までのことがなくても、スーさんと、私の持ち主が教えてくれた心までは失わない。そんな気がしたから。私はずっと一人ぼっちなんかじゃなかった。二人の温かい心が傍にいてくれたおかげで、私の心まで温かくなっていったから。私は二人が大好きだった。大切な思いが、心が、このまま途切れるとは思えなかった。人形のままでは、私はこんなにも愛おしく、切ない気持ちを覚えることはなかった。大切にされる幸せも、大切にしたいと思う愛しさの心も存在しなかったと思う。今まで見てきた景色にしたってそうだ。月の光や鈴蘭が綺麗だと思うこともなかったと思う。虫の声や、小鳥の鳴き声も今となっては私の心の中で綺麗に響いている。全てが美しく、輝きに満ちていたように思う。
私は、本当にそう思う。
暗い闇の中で、私は再び人形となった。
…~ 持ち主と死神 ~…
私の人形だったメディスンは倒れたまま動かなくなっていた。死神によると、死者選別の鎌で怨霊の存在と、その中に眠るメディスンの記憶も消してしまったという。
結局私は何もできなかった。遠巻きに眺めているだけで、彼女達に何もできなかった。死神はメディスンを抱えて、元の岩場に座らせたあと、言った。
「あんたが悪いわけじゃないさ。それに何もできなかったわけじゃない。
ずっと3人で居られたからこそ、彼女達は笑うことが出来たと、あたいはそう思うけどね。
それに・・・」
遠巻きに眺めていた二人の女の子が近づいてきた。
そして二人の女の子が死神に言った。
「死神さん。あなた、最初からこうする予定だったのかしら?もしそうなら・・・」
「悪いが上司命令でね、お前さんたちには申し訳ない事をしたと思うけど、
鈴蘭畑と妖精は異変になりうる可能性があるから排除しなければならなかったのさ」
「私の力をこんな風に使うなら最初から協力なんてしなかったよ!」
「それに、その人形は死んでるわけじゃないさ」
私は耳を疑った。私は死神に詰め寄って質問した。
「ちょっと待って!死んでないってどういうこと?」
「妖精からの毒をもらって生きている中で、その人形は新しく妖怪として生まれ変わっていたのさ。
この死者選別の鎌は、普段は飾りみたいなもんだけど、死んでいるものは切れるが、
生きているものは切ろうと思わなければ切れない。
あたいは怨霊を始末するためだに使ったんだから、その人形に傷はないだろう?
普通人形が毒の力だけで動くことが出来たとしても、
怨霊以外で意思や記憶を持つとは考えられないからねぇ。
それは僅かながらもその人形が妖怪化、付喪神化してるとも言えるからだ。
怨霊や、他の存在がいなくなった今からその人形は新しく生まれ変わるのさ」
「じゃあ今までの記憶は?」
「残念ながら、ほとんど持ってはいないだろうね。
今までの記憶や感情は間違いなく怨霊や霊からのものだからねぇ。
だけど、何も記憶だけが繋がりってわけじゃないとあたいは思うけどね」
「どういうこと・・?」
「ま、それよりも、お前さんは、あたいと一緒に来てもらうよ。
一度は死んでいるんだから三途の川は渡ってもらわないとねぇ。
今まで見て見ぬふりをしてたんだけど、そろそろ限界だね。
準備が出来たらこの先まで一人で来るといい」
死神は去っていった。準備・・・・?どういう意味なのだろうか。
そもそも、すでに死んでいる私に準備などあるのだろうと考えていると、
「そういうことなのね。死神って、あいかわらず回りくどいわね」
「え?」
隣にいた女の子が口を開いた。
「えっとね!つまりは人形は今から毒の力で生きていかなきゃいけないんだけど、
もうこの土地には鈴蘭はほとんど生えてないの。
だから、最後にスーさんが残してくれた鈴蘭を、
私の力で今から出来るだけ増やしておけっていうことだと思うよ!」
「成長したわね。穣子。そうね。最初からそのつもりであなたを見逃していたんだと思うの。
他にも方法はあるのに、妖怪化しそうな人形だけでも助けられるように画策していてくれたのね。
死神は上司である閻魔の命令は絶対だから。多分私達を呼んだのもこのためでしょう。
さ、出来るだけこの鈴蘭を増やしましょう」
「あ、ありがとう。それであなたたちは・・・?」
「私達は秋の神様よ!たまに人里の収穫祭に出てるから会ってると思うんだけどなぁ」
「あなたの遠い先祖が、その収穫祭を始めてくれた人になるの。だから私たちも協力させてもらったのよ。
この人形、メディスンって名前なのね。それで見たことがあったのよ。あなたの顔を見て思い出したわ。
それに、私たちがメディスンに会ってた時、隠れたのもあなたでしょう?」
「そうだったの。あれはあなた達だったのね。ごめんなさい。沢山の怨霊がいるから、
なるべくメディスンとスーさん以外には関わらないようにしてたの・・・」
「仕方ないわね。でも、こんなことになるとは思ってなかったから・・・。ごめんなさい」
「あなた達が悪いわけじゃないわ」
「だけどできる限りのことはさせてもらうね!」
「あの、鈴蘭畑が元通りになったとして、スーさんは生き返らないの・・・?」
「・・・確かに、妖精は鈴蘭の化身だったかもしれないけど、可能性は低いと思うわ・・・」
「そう・・・わかったわ」
「じゃあ始めるよ!」
辺りを見回してみる。もうここには、何も残ってなかった。
ここは私たちの場所だった。私達3人が過ごしてきた思い出の場所は、草木は枯れ、生き物は活動を停止してしまっている不毛の大地となった。これは私達3人を表しているようで、見ていてとても苦しかった。今までの思い出が、涙と共にこみ上げてきて、私は目をつむった。メディスンの手に大切に包まれていた鈴蘭を手に取った時に、顔を見てみると、メディスンはなんとなくだけど笑っているような、そんな気がした。私は秋の神々に鈴蘭を渡し、メディスンの隣に座った。
ずっとこうしてきたんだけど、きっとこれが最後になるんだろうな、と思った。メディスンの体は人形の切れ目が少し薄くなっている気がした。妖怪化すると、手足の切れ目は無くなるのだろうか。その部分に触ろうとしたけど、さっきみたいに怨霊化したわけでも、完全に妖怪化したわけでもない体に触ることはできなかった。私はまた前を向き、目の前に広がる景色を見つめながら、元々のここの風景を想像していた。
目を閉じて、開いた次の瞬間、この場所は一面の鈴蘭畑となったのだ。
スーさんが残してくれた一輪の鈴蘭は、枯れていた仲間を蘇らせ元の草原、いや、それ以上の鈴蘭畑となった。
私は目を疑ったが、足元に目をやると本当に、鈴蘭が咲いていた。スーさんの花、メディスンに命をくれる花。
「えへへー!驚いた?」
「ええ・・・・」
「メディスンがいつ完全に妖怪化するかは分からないけど、そう遠くはないと思うわよ?」
「じゃあ安心だわ。私も行かないとね」
「途中まで送るよ!」
「大丈夫、一人で行けるから。本当に、ありがとう」
「メディスンに・・・・何か伝えておきましょうか?」
「いいの。私の事を話して、もし他の怨霊の記憶まで蘇ることになったら悪いから」
そう言ってから少しして二人は去っていった。きっと私たちを2人きりにしてくれたんだと思う。私はメディスンと一緒にこの鈴蘭畑を眺めながら幸せな気持ちだった。メディスンは今、意識はないんだけど、私は語り始めた。おばあちゃんから初めてもらった人形があなたで、ずっとずっと一緒にいたこと。悲しいことがあった時や、辛かった時に、あなたを抱きしめていると、悲しい気持ちが少しづつ無くなっていったから私はあなたの名前をメディスン・メランコリーと名づけたこと。一緒に色々なとこへお出かけしたこと。ここで初めてスーさんと出会ったこと。メディスンが意識を持って嬉しかったこと。スーさんが笑ってくれたこと。もう2人はいないけど、私は2人のことが・・・
大好きだったこと。
ずっとずっと話せなくて、悲しかったけど、最後にメディスンの私達への言葉が聞けて、どんなに嬉しかったか。
私は今まで伝えられなかった気持ちを全部言葉に出来なかったけど、出来るだけ話をした。
そして最後に私は一言残して去った。
「またね」
秋の神々は、もうスーさんがメディと出会うことはないと言っていたけど、私はそうは思わない。私たちの周りにあった花は、鈴蘭だったからだ。だって鈴蘭の花言葉、それは
『純潔』『純愛』『繊細』『意識しない美しさ』『幸福の訪れ』そして―――
…~ 妖怪と妖精 ~…
声が聞こえる。
誰かが私を呼んでいるような気がする。
私が目を開くと、元人形の彼女は私に満面の笑顔で言った。
「おはよう。スーさん!」
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