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A's編
第二十七話 前
魔法世界から帰還して、早くも数か月が経過した。魔法世界から帰還した直後から、二学期が始まった。この時ばかりは、宿題を片付けておいて正解だったと思う。
想像もしていなかったことだが、魔法世界で一度は死にかけた僕だ。そんな大事件を経験したのだから、二学期は平穏に過ごせる。ああ、そう思っていた。しかしながら、それは甘く、儚い幻想でしかなかったのだ。
事の始まりは、10月10日だ。そう、体育の日である。聖祥大学付属小学校もその例にもれず運動会が開かれていた。私立の学校だが、イベントごとにもそれなりに力を入れているようだ。テントが無数に並び立ち、僕の生前の記憶とほとんど変わらない形式である。しかしながら、毎度のこと思うのだが、あの観客席の一角に設置されたビデオカメラを必死で回す親たちは何とかならないのだろうか。
ちなみに、今年は、親父も参加していた。僕だけのときは、写真だけだったが、今年からはアリシアちゃんがいるので、ビデオカメラを買ったらしい。まあ、秋人もいるからだろう。
まあ、父親たちが張り切ってビデオをとるのはいいのだが、聖祥大付属小は、女子の体操着はブルマである。海鳴では、変質者などの噂は聞かないが、万が一ということも考えられるのに、男子たちと同様に短パンにしようという動きはない。いやいや、もしかしたら、僕が気にしすぎているだけなのかもしれない。
そんな事情はどうでもいいのである。僕にとって大きな問題はその運動会の中で起きた。
さて、運動会の競技への参加は、小学生レベルであれば、教師が指示したとおりに参加するのが通例だとは思うが―――少なくとも、僕の小学校はそうだった―――聖祥大付属は異なる。奇数の組が白組、偶数の組が赤組と分けられ、さらには、クラスの中で全員が参加する競技を決めなければならないのだ。一年生からそれなのだから、恐れ入る。
そして、それは我がクラスも例に漏れない。今回も参加競技をみんなで決めた。ここで、運動会の競技に参加するためにはいくつかのルールがある。
1つは、最低でも1つは競技に参加すること。また、参加競技は最大3つまでとすること。もちろん、全員参加の競技はそれには含まれない。
参加競技を決めるのは1年生のころならまだしも、3年生までなると楽になる。大体、自分が運動が得意か不得意かわかってくるからだ。得意なものは積極的に、不得意なものは消極的に。ちなみに、僕は消極的と積極的の中間で調整の役回りだ。運動が得意か不得意か、で聞かれれば得意な方だとは思うが、いまさら運動会で競技を横取りしようとは思わない。
そして、これらの傾向がわかれば、割り振ることは結構容易だ。リレーなどの花形は、積極的な人に。借り物競争などのあまり運動神経が必要ではないものは消極的な人に割り振ればいいのだから。この際、気を付けなければならないのは、点数配分に気を付けることである。花形競技は点数が高いので、できるだけ取りたいのだ。もっとも、それがわかっているから、確実に取りに行く競技も選んでいるのだが。
そんな中で、最終的に一つだけ余ってしまった競技があった。それは、最後の最後の花形である学年別対抗リレーである。これは、10クラスが走り、1位から紅白のグループに点数が入るというものである。最後の方にある競技なだけに点数が高い。最後に逆転劇があるのは、実にお約束である。ある種外せない競技ではあるが、これが実に決まらない。いや、第1から第4走者までは決まった。しかし、第5走者―――つまり、アンカーが決まらなかった。
理由は実に簡単なものである。要するにプレッシャーだ。一位であれば、それを保持しなければならない。それより下であれば、一つでも上を目指さなければならない。一番目立つはずの走者。だからこそ、立候補がいないのだ。ついでに、確実に取れるところに、運動に強い人を持って行き過ぎたというのもあり、ついでに、もともと、僕が所属する一組には、運動が得意な人は少ないことも影響している。
このクラスで、運動が一番得意なのは、すずかちゃんなのだが、彼女は当然、すでにエントリーしている。この対抗別リレーでは、男女が走る順番が決まっている。これは、男女の差が出てきた上級生向けの調整なのだろうが、ほかの学年に適応しないのは、不公平だと学校側は見たのだろう。僕たちのような下級生にもしっかりと適応されていた。
そういうわけで、なかなか決まらなかったアンカーだが、最終的には僕が泥をかぶる形で決着がついた。つけざるを得なかったというもの正解だが。そうしなければ、延々と誰かに押し付ける可能性が高かったからだ。もしも、ほかの中途半端な僕みたいな立場の人に押し付けたならしこりが残ったかもしれないが、幸いにして1年生のころから貢献してきただけのことはあって、ショウくんなら、とほとんどが納得してくれた。しかも、立候補なのだ。文句を言えば、自分に押し付けられると小学三年生ながらにみんな悟ったのだろう。
そんな経緯でもって決まった学年別対抗リレーで、いささか面子に不安があったのだが、案外なんとかなるものだった。いや、最初のうちはやはり主力を欠いていただけに最下位の集団に入っていたのだが、第4走者のすずかちゃんがすごい追い上げを見せて、真ん中のグループにまで追いついていた。全員で10クラスある中で、アンカーである僕にわたる直前の順位は6位だ。ただし、7位から4位までは、団子状態になっている。そんな中で、僕はすずかちゃんからバトンを受け取った。
「はいっ! ショウくんっ!」
放課後の練習通りにパンッという音を立てて渡されるプラスチックのバトン。意外とスピードに乗りながら渡すというのは難しいものがあるが、練習の成果が出たのか本番にも関わらずスムーズにバトンを渡すことができた。
団子状態からいち早く抜けた出したのは、僕ともう1クラスだった。ほぼ同時に抜け出だした僕たちだったが、相手が悪かった。僕と同じアンカーとはいえ、僕とは異なり、純粋に走力で選ばれたのだろう。200メートル走でも1位を取っていた彼だ。もっとも、リレーのアンカーは運動場を一周するので400メートルはあるのだが。
一方、僕ともう一人が4位争いをする中、1位から3位はというと、2位と3位は、4分の1周先、さらに1位は半周程度先といった程度だろうか。はっきり言って普通に考えれば逆転劇など望めるべくもない。ましてや相手はアンカーなのだから。
―――会場のだれもが、そう思っていただろう。僕でさえそう思っていたのだから。しかしながら、その予想は覆された。僕にも理由はわからない。ただ、本気で走ろうと思っていただけだ。学年別対抗リレーは、ほぼ最後の競技に近く、後のことは考えなくてもいい。だから、今までは後のことも考えていたが、今だけは全力で走ろうとそう思っていただけだ。
それなのに、気が付けば一緒に走っていた彼を置いてきぼりにして、半周程度のところで、2位と3位に並んでしまった。周りから歓声が聞こえる。信じられないという表情も見える。だが、一番信じられないのは僕だ。どうして、こんなに走れるのかわからない。しかも、まだまだ余力があるのだ。驚かずにはいられないだろう。もしも、僕が冷静だったら、この後ばてたように見せて減速することも考えられただろう。しかし、まるで自分の体が自分のものではないような感覚は、驚きとともに恐怖を覚えさせる。
だから、減速することなんて忘れてしまっていた。ただただ、最初の目標のように全力で運動場を駆け抜けてしまった。
1位の彼も僕が追いついてくるのを見て焦ったのだろう。ラストスパートを自分が考えていた位置よりも早く切ってしまったようだ。そのため、ゴール前でばててしまったようだ。ガクンとスピードが落ちるのがわかった。そして、僕はそんな彼をしり目に残り数メートルというところで、彼の横を通り抜け、1位でゴールテープを切った。いや、後のことを考えるに切ってしまったというべきだろう。
はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、僕は自分の足と手を見た。そこにあるのは間違いなく9年間ずっと一緒にいる手足である。だが、しかしながら、それでも今すぐに本物であると断言することはできなかった。
不可解な感覚に襲われながらも僕は、僕たちは学年別リレーで1位になってしまった。しかも、はたから見れば、すずかちゃんから僕への最後の逆転劇というある種のドラマチックな終わり方だ。運動会の後も興奮気味にアリシアちゃんやアリサちゃんが話していたのを聞いて、ようやく自分が目立ったことに気付いたのだから度し難い。僕と同じく貢献者であるはずのすずかちゃんのことは、僕の最後があまりにも目立ってしまったせいか、あまり話題に上らなかったのは、かわいそうだ。
しかし、僕がそのことを言うと、すずかちゃんはいつも通り微笑みながら、「ショウくんがわかってくれるなら、それでいいよ」というのだから、なんとも奥ゆかしい。もともとも、あまり目立ちたがり屋ではないのだから、それでよかったのかもしれない。だが、そうなると話題は僕に来るものである。
しかも、あの時、実は僕たちの白組は負けており、学年対抗別リレーの結果いかんでは、逆転だったのだ。そして、その火ぶたを切ったのはどうやら僕たち三年生の1位だったらしい。僕たちに触発されたように4年生、5年生、6年生で白組が1位を取り、逆転。今年は白組が勝利した。どうやら、事態はどこまでも僕の活躍をドラマチックにしたようだった。
運動会などのイベントで活躍したものはある種のヒーローである。よって、運動会が終わった後、僕は人気者だった。女子のまとめ役である夏希ちゃんの話によると女子の中で僕の株は上がったらしい。特に中立だった女子たちは僕に好意的になったといっても過言ではないらしい。いわく、地盤を固めるために今まで以上にお昼をほかの人と食べなければならなかった。
しかし、そのためにアリサちゃんたちと一緒に食べる回数が少なくなってしまったため、拗ねてしまい、機嫌を治すのに日曜日などに遊びに行くなどが必要だったが。しかも、アリサちゃんだけならまだしも、すずかちゃんも、アリシアちゃんも不機嫌になるのだから、困ったものだ。正直、僕の身体が1つしかないのが口惜しいほどに忙しかった。
アリシアちゃんは、夜にかまって一緒に遊んで、すずかちゃんは休みに2人だけでお茶会を行うことで何とかなった。すずかちゃんには、なぜ、2人なのだろうか? とは思ったが、会話のほとんどが僕たちが読んでいる本の内容なのだから、アリサちゃんがいても話についていけずにもっと不機嫌になるだけなので正解だったのかもしれない。
そんな中、なのはちゃんは、特に不機嫌そうな様子も見せていなかったので助かった。あの死にかけた体験から魔法の練習はやっておこうと思ったので、なのはちゃんに不機嫌になられると困ってしまったが、どうやら杞憂だったようだ。
そして、もう一つ困ったことが発生した。クラス内の僕を中心とした勢力に変化が生じたのだ。つまり、今まで僕に比較的好意的だったクラスメイトが、距離を置くようになった。それは、比較的男子に多く、しかも、勉強では負けていたが、運動では自信があったような人だ。
僕には確かに勉強では負けていたが、運動では負けないというある種のプライドがあったのだろう。あるいは、それで自分の優位性を保っていたのかもしれない。しかし、今回のことで僕は運動もできることがわかってしまった。だから、それを機会とみて、僕に反抗的だった勢力が、少しずつ勢力を伸ばしているらしい。
これは、隼人くんからの情報だから間違いはないと思うが、実に厄介なことになった、と嘆息するしかないのだった。
◇ ◇ ◇
運動会の混乱から一か月と半分。一時期忙しかった日々だったが、大体、収束してきた。
人のうわさも七十五日というが、まさしくその通りだ。鉄は熱いうちに打て、と言わんばかりに二週間ぐらいは忙しかったが、それ以降は、大体、元のスケジュールに戻り始めた。しかしながら、女の子へのつながりは強くなったと思うし、前よりも好意的な女の子が増えたことは間違いない。男子のほうも、少しだけ反抗的な態度をとる人もいたが、新しく話すようになった男子もいるため、プラスもマイナスもないだろう。
つい一週間前は、運動会での活躍を見ていたのだろう士郎さんのサッカーチームで特例として―――士郎さんのチームは四年生以上で構成される―――練習試合にも出たりもしたが、そこでは、フォワードではなくディフェンダーとして出場したので、あまり目立たなかった。いや、正確には士郎さんのチームが強いのだろう。何度かボールが来たが、そんなに数は多くなかった。
応援に来てくれたアリサちゃんは、活躍しなかった僕に対して不満げな顔をしていたが、僕の役割はディフェンダーでゴールを守ることであり、攻めることではないのだが、それをサッカーのルールをボールをゴールに入れたら得点、ぐらいしか知らないアリサちゃんに求めるのは酷なことだ、とある程度、ルールを知っているすずかちゃんと苦笑したものだ。
そういえば、僕の試合だというのに応援に来てくれなかったなのはちゃんは、どうしているのだろうか? 最近は、魔法の練習もなのはちゃんが拒否するのだから珍しい。また、前のようにひきこもりになっていなかったらいいのだが。少しだけ心配だが、士郎さんの話では、いつも通りらしい。どうやら、僕は避けられているようだが、何かしただろうか? と首をひねらざるをえない。
来週もそんな感じだったら、一度、なのはちゃんを捕まえて話をしなければならないと思っている。
さて、近状といえば、そんなものだが、今日は、学校がない土曜日だ。僕はお昼からいつもお世話になっている図書館へと繰り出していた。いつもならすずかちゃんと一緒に来る図書館であるが、今日は一人だ。理由は図書館の外で降っている大粒の雫にある。
本来であれば、今日はみんなでサッカーをするはずだったのだ。しかしながら、外はあいにくの大荒れである。当然のことながら、サッカーなどできるはずもない。一緒にサッカーをするはずだった面々は、おそらく室内の遊びに切り替えて今も遊んでいることだろう。僕としてはぽっかりと空いてしまった空白の時間。数週間前までは、自分があと一人ほしいと思っていたほどに忙しかった僕からしてみれば、不意に空いた時間は実にすることがなかった。
だから、返却期間も近いこともあって、こうして図書館まで繰り出してきたのだ。アリシアちゃんも最初はついてくるつもりだったらしいが、場所が図書館と聞くと考えるような仕草をした後に、苦渋の選択という風に家で、宿題をすることを選んでいた。図書館とアリシアちゃんというのはあまり相性がよくないらしい。
こうして、一人で図書館へとやってきた僕は、返却するべき本を図書館の職員の人に返却して、新しい本を探すために本棚の間を歩いているのだ。
僕よりはるかに高い本棚を見上げながら、目的の本を探す。基本的に僕は乱読派だ。ミステリーもサスペンスも随筆もファンタジーもなんでも読んでいる。目に留まった面白そうなものに手を出しているのだ。だから、特に目的があって、本棚の間を歩いているわけではない。
だからだろう、彼女が僕の目に留まったのは。
「ん?」
僕の視界の端に映ってきたもの……いや、正確には人というべきなのだろう。
茶色の髪を髪留めでショートカットの女の子が、車椅子に座ったまま必死に本棚に向かって手を伸ばしている。手が届かないところであれば、職員を呼べばいいのだろうが、もう少しで手が届きそうな中途半端な位置だ。もちろん、僕のように立っていれば、普通に取れる位置だが、彼女には取れない。特にけがをしているようには見えないが、車椅子に座っているということはそういうことなのだろう。
彼女の様子を見て、僕は少しだけどうしようか、と躊躇した。普通ならば、彼女の代わりにとってやればいいのだが、障がい者の人は、自分でできることは自分でやる傾向がある。僕が手伝ったとしても余計なお世話になる可能性もあるのだ。逆に手伝ってしまったことが、彼女に心労をかけさせるかもしれない。そう思うと簡単に手伝えなかった。
しかしながら、僕が悩んでいる間に、そう簡単に放っておくわけにはいかなくなった。なぜなら、彼女は、おそらく下半身が動かないのだろう。だから、上半身だけを本棚に近づけて、目的の本を取ろうとしているのだが、彼女が前に体を乗り出したせいで、重心が前に移り、もう少しで来る前椅子がひっくり返りそうになっているからだ。さらに、最悪なことに彼女自身がそれに気づいていない。
ここまでくれば、躊躇している余裕はなくなったといっていいだろう。
僕は、足早に彼女に近づくと、彼女が手を伸ばしている方向にある本棚の中から、彼女がおそらく取り出そうとしていたであろう本を抜き出した。
不意に隣に現れた僕に驚いたのだろう。ショートカットの彼女は、僕に驚いたような表情を見せていた。その間、重心は元に戻り、彼女がひっくり返るような危機は脱出したようだった。
「えっと、これでいいのかな?」
僕は本を差し出しながら、彼女に問う。しかしながら、彼女は僕に驚いたような表情を向けるだけで、返答はなにもなかった。
いったい、どうしたんだろうか?
そう思っているのもつかの間、すぐに彼女は正気に戻ったように、手をあたふたさせて、慌てた様子で口を開いた。
「ちゃ、ちゃうんや。私が欲しかったんは、その隣や」
おや、と僕は思った。海鳴では滅多に聞かない関西弁だったからだ。イントネーションやらが全く異なる言語。別に偏見はないが、珍しいな、とは思ってしまう。いや、それよりも、もっと気にしなければならない点がある。どうやら、僕はとるべき本を間違えてしまっていたようだ。
「ごめんね。こっちかな?」
謝りながら僕は、手に取った本を本棚に戻しながらその隣の本を手に取る。
「そうや、ありがとな」
背表紙に手をかけた時から、自分の目的の本をとってくれたと思ったのだろう。彼女は、お礼を口にしていた。別にこのくらいなら何でもないが、お礼を言われないよりは、言われたほうが当然のことながら気分がいい。だから、僕も自然と笑みを浮かべながら手に取った本を彼女に手渡す。
「ん? この本は……」
「なんや、知っとるんか?」
彼女に手渡す前にタイトルに目を走らせると、そこに書いているタイトルは、僕が見覚えがあるタイトルだ。現在、六巻が発刊されているハードカバータイプの本であり、内容は現実世界からファンタジーの世界に召喚された男の子が、異世界で頑張るお話だ。そこら辺に転がっていそうな内容であるが、王道と意外性が織り交ぜられており、さらには作者の力量も高いため、内容の割には僕も読んでいる作品だった。
「うん、僕も読んでるからね」
「そうなんかっ!?」
僕が本を読んでいるというと彼女は、目を輝かせて僕を見てきた。そんな彼女の反応を見て、僕は思わず苦笑してしまう。彼女の反応が同好の士を見つけた時、そのままだったからだ。同じ趣味を持つものというのは、同じ趣味を持つ人とその内容について語りたいものである。もちろん、自分だけの趣味という人もいるだろうが、どうやら彼女は、僕やすずかちゃんと同じタイプのようだ。つまり、趣味が読書で、その内容について語りたいという人間だ。
「うん、この最新刊には気付かなかったけど、六巻までなら読んでるよ」
そう、僕が手に取ってのは、その本の六巻だった。運動会から忙しかったからチェックが漏れていたが、いつの間にか七巻が発売されていたようだ。僕が手に取ったのは、その七巻だったわけだ。
「私もそうや。さっき、偶然、それを見つけてな。最新刊があるなんて、滅多にないからラッキーって思ったんや」
「そうだね。よくあった、と僕も思うよ」
図書館は人気の作品は大体複数冊購入していることもあり、時々、こういうこともあるかもしれないが、それでも珍しいことである。彼女が笑顔を浮かべて喜ぶ理由もよくわかる。自分が好きな作品というのは、発刊されれば、すぐにでも読みたいものだ。だからこそ、こういう偶然を喜ぶことができる。不意に落ちてきた幸運を。
「君は、誰が好きなんや? 私は――ー」
よほど同好の士を見つけたことが嬉しかったのだろうか、堰を切ったように喋りだそうとする車椅子の彼女。しかし、場所をわきまえるべきであろう。だから、僕は、口に人差し指をやって、静かに、というジェスチャーをやった。僕のジェスチャーでここが図書館だということに気付いたのだろう。彼女は、あわてて両手で自分の口をふさいでいた。
「話したいのは、わかるけど、少し場所を考えるべきだったね」
先ほどの彼女よりも、小さな声で僕は苦笑しながら忠告する。おそらく、ここがどこか忘れるぐらいにこの本が好きなのだろう。彼女ほどではないが、僕もこの本は好きだ。だから、彼女の話し相手になるのも吝かではない。
「それじゃ、向こうの談話室にでも行こうか?」
僕は、車椅子を押すために彼女の背後に回りながら、図書館に用意されている周りを気にせず話せず談話室を指さす。だが、彼女は、僕の提案に対して、信じられないものを見たという風に驚きをあらわにしていた。
「ええんか?」
「もちろん、僕も暇だったからね、むしろ、僕の話し相手になってくれるとありがたいかな」
もともと、ここに来たのは、外が雨でサッカーが中止となり、家の中で遊ぼうにも特に遊べるものもなかったからである。このまま、何か本を選んだとしても、あまり時間はつぶせないだろう。しかも、時間はまだお昼を少し過ぎたばかり。時間はまだまだ十分にあった。少なくとも、目の前の彼女の話に付き合うぐらいの時間は。
「しゃーないな。ほんなら、はやてちゃんが付き合ってやるわ」
いきなり尊大な態度をとる彼女だったが、その顔は、嬉しさでいっぱいに笑みがこぼれている。もしかしたら、彼女のこの態度に不快感を感じる人もいるかもしれないが、僕からしてみれば、ほほえましいことこの上ない。
「おおきに、でいいのかな?」
彼女の言葉に合わせて、僕も知っている限りの関西弁で返してみると、彼女は、不意を突かれたように驚いたような表情をし、その直後に、にんまりとチェシャ猫のように笑った。お前もやるな、というような笑みだろうか。僕の偏見かもしれないが、関西人はこういうやり取りが好きそうな気がする。
「それじゃ、行ってみようか」
外は、この雨だ。もしかしたら、談話室はいっぱいかもしれない。しかしながら、僕たちがいる位置からは、本棚しか見えず、談話室の様子は見えない。だから、一度、行ってみるしかないのだ。もしかしたら、空いているかもしれない。だけど、空いてなかったらどうしよう? と彼女の車椅子を押しながらいろいろと考えていたのだが、不意に押されるままだった彼女が顔を上げた。
「そういえば、まだ自己紹介もしとらんかったな」
不意に思考を中断された僕だったが、彼女の言うとおり、僕らはまだお互いの名前すら知らない状況だということに今更ながら気付いた。
どちらからするんだろうか? と思っていたが、どうやら言い出しっぺの彼女から先陣を切るようだ。車椅子に乗ったまま後ろを振り返りながら、笑顔で彼女は、自分の名前を告げる。
「私は、八つの神に、平仮名ではやてって書いて、八神はやて、いうんや。よろしくな」
彼女は、―――八神さんは、こちらが嬉しくなってきそうなほどの満面の笑みを浮かべて自らの誇らしく告げる。そんな彼女に僕も、自らの名前である蔵元翔太という名前とともに、こちらこそ、よろしく、と返すのだ。
―――これが、僕、蔵元翔太と八神はやてのファーストコンタクトだった。
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