八条学園騒動記
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第二百五十一話 胡瓜その二
「本当に有り難いよ」
「それでだけれど」
ナンシーはさらに話す。
「胡瓜を。これからは」
「どうするの?その胡瓜を」
「お池に流しましょう」
そうするというのである。具体的にはだ。
「胡瓜を置いてそれでね」
「それで?」
「私達は木の陰にでも隠れて」
「わかったよ。それで河童が出て来たら」
「写真に撮ればいいのよ」
これがナンシーの考えだった。
「そうすればどうかしら」
「いいね」
ジョルジュもだ。納得した顔になった。
そしてその顔でだ。ナンシーに応えるのである。
「それならね。いけるね」
「若し。河童が私達に気付いて」
その場合についてもだ。ナンシーは考えていたのだ。今回の彼女は実に用意周到だった。恋愛の時とは全く違っていた。本来の彼女と言っていい。
「それで私達のところに来てもね」
「それでもだね」
「そうよ。その為にこの子達がいるから」
ここでも狼とゴリラを見て話す。
「安心していいわ」
「二重三重って感じだね」
「実際にそうよ」
二重三重なのは確かだというのだ。
「河童がそんな怖いのだったらね」
「妖怪だしね、その辺りはね」
「妖怪って何するかわからないから」
だから妖怪と言ってよかった。人間では理解できない行動を取ることも多い。少なくとも人間の世界とは別の世界の存在なのだ。
「そうでしょ?だからね」
「ううん、その河童って昔から日本人に親しまれてるけれど」
「河童巻きって言葉あるしね」
「そうそう」
今度は河童巻きの話だった。胡瓜の巻き寿司だ。
「ああしたところに河童への親しみが出てるわよね」
「実際にいるかどうかわからないのにそれでも」
「河童ってあれなのかしら」
ナンシーは言う。
「キジムナーとかそんなのと同じかしら」
「琉球の妖怪だね」
「あのお魚の片目を食べるね」
キジムナーの好物である。キジムナーは漁師が獲った魚の片目だけを獲ってそれを食べるのだ。キジムナーの特徴の一つである。
「そういえば河童とキジムナーって似てるわよね」
「ああいう感じで親しんでるのかな」
「人を殺しかねないのに」
そうした怖い存在でもだ。日本人は親しんできている。
そのことにだ。ナンシーもジョルジュも不思議に思うのだった。
「日本人ってわからないところがあるけれど」
「このことは特にだよね」
「ええ。日本人って懐が深いのかしら」
ナンシーの言葉だ。
「それでなのかしら」
「そんな妖怪でも親しむのかな」
「それにね」
さらに話すのだった。
「鬼もそうよね」
「ああ、鬼だね」
「そう、鬼よ」
もう一つのだ。日本人に昔から親しまれている妖怪だ。
角が生えていて虎の腰巻を身に着けていて金棒を持っている。この姿は日本人がこの時代でもイメージするだ。鬼の姿である。
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