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八条学園騒動記

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第二百十五話 マウリア映画その四


「まずはそれになるのです」
「仙人!?」
 それを聞いて言ったのは蝉玉だった。
「マウリアにも仙人がいるの」
「はい、そうですが」
「あれって我が国のだと思っていたけれど」
 中国人としての言葉であった。
「それって違ったの」
「仙人はマウリアにもいますが」
「それでも何か中国の仙人とは違うみたいね」
「中国の仙人はどうしてなるのですか?」
「まず解脱とかはしないわ」
 そういうことはないというのである。
「修行してなるのは同じだけれどね」
「そうなのですか」
「それでも身体はそのままで不老不死になるから」
 これが中国の仙人である。中国の仙人は昔から変わらない。だがマウリアの仙人は過去のそれとは全く違っていると言えた。
「何かマウリアの仙人って神様の前の段階みたいだけれど」
「そうですね。そうなります」
 実際にそうだというセーラだった。この時代のマウリアではそうなのだ。
「マウリアの仙人は」
「中国の仙人には仙骨とか色々となるに必要な要素もあるし」
「誰でもなれないのですね」
「ある程度以上運命的なものよ」 
 蝉玉は今度はある本を出してきた。
「封神演義とかに書いてあるけれどね」
「封神演義ですか」
 セーラはその本の名前を聞いて頷いたのであった。
「あの本ですか」
「そうよ。他には列仙伝や神仙伝って本にもあるわよ」
「古典ですね」
「まあね。そういう本に書いてるけれどね」
 仙人についての記述は古来からある。それだけ中国という国では仙人に対する思想や憧れが深く強いものであるという証拠でもある。
「今でもいるしね」
「ああ、いるね」
 ここでスターリングも言ってきた。
「アメリカにもいるし」
「アメリカにも仙人いるの」
「中国系が多いけれど白人や黒人の仙人もいるよ」
「ふうん、そうだったの」
「憧れて仙人の修行をしているだけだけれどね」
 その詳しい事情も話すのだった。
「本物の仙人はいないね」
「実際今の中国でもいないわよ」
 蝉玉もそれは否定した。
「過去も本当にいたのかしら」
「いたんじゃないの?本とか読んでたら」
「だとしたら面白いけれどね」
「面白いんだ」
「本当にいたとしたらね」
 限定であるがそうだというのだった。
「やっぱり面白いとは思うわ」
「成程ね。確かにそうだよね」
「日本にもいたかしら」
 蝉玉は首を傾げながらこんなことも言った。
「何かいなかったかしら」
「久米仙人かな」
 言ったのは管である。
「伝説にはあるよ」
「日本にも神仙思想は入ってたのよね」
「うん。それでいることにはいたよ」
 管はこうその蝉玉に返す。
「今はいないけれどね」
「そうなの。いないの」
「途中から神仙思想よりも仏教思想が強くなったから」
 日本の思想の潮流の特徴である。奈良時代以降仏教思想がかなり強くなり平安時代では晩年に出家する者が多く出た。この出家というものは江戸時代になるまで非常に多かった。武田信玄や上杉謙信も出家している。 
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