その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~
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#51 "Members of Lagoon & Co."
前書き
会社が潰れても、人材さえいればより大きな会社を作る自信がある。
ー アンドリュー・カーネギー ー
【11月3日 PM 2:27】
Side ダッチ
俺がラグーン商会なんてもんを立ち上げたのに深い理由はねえ。
知ってるか?
『働かざるもの食うべからず』なんて言葉が日本にゃ、あるそうだ。
流石に世界一糞真面目な人種である日本人諸君は良いこと言うじゃねえか。
働いていかなきゃ飯は喰えねえ。
飯が食いてえならキチッと働けってことさ。
どうだ?
世界のどこでだって通用する至言じゃあねえか、こいつは。
道端で物乞いしてる連中。
戦場でマシンガン振り回す兵士共。
麻薬や酒に溺れきっちまって、一日の大半を"あっち側"で過ごしてるようなジャンキー。
パソコンのキー叩いて、椅子に座ったまま何百億も動かすような経営者。
毎日汗水垂らして僅かばかりの銭を稼いでる労働者。
誰でも同じさ。
仕事の内容なんざどうでもいい。稼ぐ金の大小も関係ねえ。
生きていてえんなら働かなきゃいけねえんだよ。
だから始めたのさ。ラグーン商会を。
このロアナプラって糞ったれな街で、この俺自身が生きてゆく為にな。
「ほう?ウチを辞めてえってのか」
「ああ。アンタには済まないと思うけど。そう決めたんだ、俺は」
此方を真っ直ぐに見ながらロックが口にしたその言葉が耳に届いても、俺は特に振り向こうとはしなかった。
奴がこの事務所に入って来た時に見たであろう光景のまま。
いつものようにソファーに座り、入り口に背を向けた姿勢で珈琲カップを傾けていた。
奴が、ロックがそう言い出す事を予想していたって訳じゃねえ。
さっき告げられたゼロの言葉にショックを受けてた、なんて理由はジョークにしては出来が悪すぎる。
俺達の稼業じゃあ、別れなんてそう特別なもんでもない。
じゃあまたな、って軽く告げたすぐ後に路地裏で銃殺死体に変えられた野郎もいる。
裏切り、離脱、背反なんぞ今更語る程のもんでもねえ。
聞き飽きたレコードは棚に仕舞い込んじまえばいい。
引っ張り出して掛けてみたところで、どうせ直ぐに眠くなっちまうだけだ。
出来る男ってのは無駄な事はしねえもんさ。
まあ、今回のロックみてえな例は、ちと珍しいといやあ珍しい。
わざわざ雇い主たる俺にご挨拶に来てくれるたあ、全く律儀なこったぜ。
やっぱ日本人ってやつは………
「聞いてるの?ダッチ」
背中側、つまり事務所入り口の辺りから、ロックの矢鱈綺麗な発音の英語が俺の思考に割り込んでくる。
やれやれ。まだ居やがったのか。
とっくに用は済んだだろうによ。
「ああ。確かに聞いたぜ。
テメエがウチを辞めてえって言ったのはよ。 給料の残りなら、」
「止めないんだね。やっぱり」
俺の言葉を遮るように、静かな声音でロックが面白え事を言ってくる。
どうやらこの日本人は最後まで俺を飽きさせねえでいてくれるようだ。
「ロック。ウチはあくまで単なる運び屋だぜ。
たまにゃあ御法に触れる事もするけどよ。
一度足を踏み入れたら逃がさねえ、なんて物騒な決まりがあるわけじゃねえんだ。
ここに居てえなら居りゃあいい。
辞めて、出て行きてえってんならそうすりゃあいい。
その辺はお前さんの自由に決めて良いことさ」
テーブルの上にカップを置きつつ、そうロックに答えてやる。
背中は向けたままだったが別に構わんだろう。
ロックも、何か理由があるのか知らねえが、部屋に入ろうとはしてこねえしな。
「………ねえ、ダッチ。
それは俺相手じゃなくてもそう言うの?
ベニーや、レヴィや、ゼ…」
一旦言葉を切ったか、一泊の間を空けた後ロックが再び話を続ける。
変わらず綺麗な発音のままで。
「他の誰であっても同じ事をアンタは言うのか?
出ていきたければそうしろ。
去るのも残るのもお前の自由だと。
本当に?
本当にそうなの?
アンタにとって、ラグーン商会にとって、俺っていう人間は一体どんな存在だったの?
ただの気紛れで拾った日本人は、やっぱりアンタ達の仲間にはなれなかったの?
そもそも何で俺がこの街に残る事を認めてくれたの?
アイツが、」
「………」
ロックの言葉に若干の震えが混ざる。
いつもみてえに賑やかな時なら気付かねえんだろうが、生憎今のこの部屋にゃあロックと俺の二人だけ。
街も静まり返ってる中で聞こえてくんなあ、天井のファンが空気を掻き回す音だけ。
ロックはその声に震えと微かな湿り気を帯びさせながら晒け続けてゆく。
長く胸の内に秘めていたであろう自身の思いを。
「アイツが、そう頼んだから?
俺を残してくれるようにと。
………俺、ずっと思ってた。
ロアナプラに残ったのは自分の意志なんだと。
この街に残る事を決めたのは自分自身だと。
だから頑張ろうって思った。
あの時、日本の上司が俺を見捨てたあの時。
岡島録郎は死んだんだ。岡島録郎は死んで、いま此処に立っているのはロックという悪党見習いの男なんだと。
そう決めた。そう決めるべきだと思ったんだ。そうじゃなきゃ辛すぎるから。そうしなければ生きていけないと思ったから。
ロックって名前。くれたのはアンタだったよね、ダッチ。
ありがとう。本当に、ありがとう」
「………」
『人は賽子と同じで、自らを人生へと投げ込む』
ロックの言葉を聞いている最中、サルトルの言葉がふと脳裏に浮かんだ。
人も賽子もどちらも同じ。
人生というゲーム盤を進める為に、人は自らの意志で自らを投げ込む。
進む方向は自らが決める。
決める事が出来るからこそ人は自由であるのだと。
ロックが、かの変わり者で斜視の老人を知っているかどうかは知らんが、今この言葉を伝えたらどう思うだろうか。
俺が実際に言葉にする事は決してなかったのだが。
「アイツがはっきり言葉にして頼んだ訳じゃない、なんて事は分かってるんだ。
何もかもアイツのせいでこうなった、なんて八つ当たりをする気もない。
それでも、それでもね。
つい、こう考えてしまうんだよ。ダッチ。
もしもアイツがラグーン商会に居なかったとしたら俺は一体どうなっていたんだろう、と」
人は誰しも仮定の未来を夢想する。
もしもあの時、あの場所で、彼と、或いは彼女と出会わなければ自分の現在はどう変わっていたのだろうか。
何も変わりはしないのだろうかと。
それが全くの無意味な行為と十二分に理解していたとしてもだ。
組み合わされたままの両手を膝に乗せたまま、俺は沈黙を保ち続ける。
カップの珈琲は既に冷めきってしまっているようだった………
Side ベニー
「失礼。少々待たせてしまったかしら。ちょっと雑務に追われてしまっていたのでね」
「い、いえ。それほどでも………」
この部屋、いやこのビル全体か、の主が開かれたドアより姿を表し、僕の正面にある自らの席に着くまで思わず直立不動の姿勢を取ってしまった。
声も若干裏返っていたような気もする。
全く何だって僕がこんな目に………
「楽にしてくれて構わないわ。貴方を招いたのは此方側ですもの。
不調法なロシア人でも最低限の礼儀は備えているつもりよ」
そう言って彼女、ホテル・モスクワの女首領バラライカは口角を僅かに上げた。
それは恐らく微笑みと呼ばれる類いのものだったのだろう。
既に獲物をその長い爪で押さえ込んだ肉食獣の表情をそう呼んで良いのならだけど。
ラグーン商会に僕が入ったのはもう二年ほども前の事になる。
その間にバラライカと会う機会が全く無かったわけではない。
仕事絡みでしょっちゅう、という程ではないが何度も顔は合わせた事はある。
ただ本当に顔を合わせる程度だ。
もしかしたら言葉を交わすのだって、今回が初めてだったのではないだろうか。
それが何だって『ブーゲンビリア貿易』ビル、ホテル・モスクワの根拠地だ、に連れて来られてバラライカの執務室でたった一人で向かい合う、なんていう経験をしなくてはならないのだろう。
背後に副官のボリス氏を従えたバラライカは笑み、なのだろう多分、を張り付けたまま椅子に腰を下ろす。
それに合わせるように僕も用意されていた椅子に浅く腰掛ける。
椅子その物は上等なものなのだろうが、とても深く味わう気分ではなかった。
まあ、こんな状況で堂々としていられるなんて、
「ゼロ。あの男について聞きたい事がある」
「!」
脊柱に冷たい氷を入れられたような気分、とでも言えば良いのだろうか。
身体の奥底から震えが来るようだった。
ちょうどゼロの事を考えていたから心の中を覗き込まれたような、という訳ではない。
ゼロ。その名前を聞き、顔を上げてしまった僕が真正面から覗き込んでしまったからだ。
ああ……あれは駄目だ。 あれは見てはいけない。
あれは僕みたいな脇役が見て良いものじゃない。
ゼロ。ゼロ。君は今どこにいるんだい………
この場に相応しいのは君のような男だよ。
あんなものを見て、尚平静でいられるのは君くらいしかいないよ。
バラライカの、火傷顔の冷たい炎を宿した眼を正面から受け止めきれる男なんて………
Side レヴィ
「………」
アタシは事務所へと向かう道を、一人ダラダラ歩いてた。
街の空気はいつもと変わんねえ。
適当にひりついて、適当に弛んでる。
『ジャックポット』でローワンから情報を受け取ったアタシらは、店の前で一旦別れた。 ゼロの野郎は襲撃犯、まだ面は拝んじゃいねえけど、の情報を探りにまた別の場所へと向かうらしい。
アタシは一度事務所に出向いて、ダッチと話をする事にした。
ウチのボスが何を言って来るかってのは正直予想がつかねえ。
いつもだったら呆れながらも、アタシのやりたいようにやらせてくれるんだろうけどな。 確か連絡会は今日、下手すりゃ今頃か、開かれてる筈だ。
その結果次第じゃ洒落や冗談抜きで、この街が火の海に変わるかもしれねえってわけだ。 姉御の決断一つでな。
「っと……」
懐から煙草を取り出し、一本に火を点ける。
そのまま煙を燻らせながら街を往く。
ダッチが言いてえのは身の程を弁えろって事だろ。
ホテル・モスクワや三合会。
コーザ・ノストラにカルテル。
デケエ組織だけでも四つ。
細けえとこも含めりゃ、結構な数の組織がゴチャゴチャと絡み合っているわけだ。
この街じゃあな。
んな中で、アタシ一人で何が出来るんだって事だわな。たった二挺のカトラスだけで。
だけどよ、ダッチ。
何が出来るのか、なんざどうでも良いことなんじゃねえのか。
そんなもん言い出したらアタシらは普段一体何が出来てるってんだよ。
海の上をボートで荷物運んで、悪党どもから金を受け取る。
そんな毎日の繰り返しだろ?
後は何だ?
荒事に巻き込まれて悪党どもをブチ殺す事くらいか。
そんな糞つまんねえ毎日を過ごすのがアンタのお望みって訳か?ああ?
………アタシはそんなもんゴメンだね。
第一アンタもアタシもこの街に暮らしてる連中は、どいつもこいつも一緒なんじゃねえのかよ。
生きる事も死ぬ事も大した問題じゃねえ。
墓石の下で眠ってるか、上で踊ってるかの違いがあるだけだろう?
だったらトコトン踊りゃあいいじゃねえか。
ジルバのリズムにでも乗ってよ。
少なくともゼロの野郎はそう思ってる筈だぜ。
ダッチ。
アンタには世話になってきた。
迷惑ばかり掛けてきちまった。
貸しよりも借りの方がはるかにデケえ。
それでも、だ。
アンタがアタシの邪魔するってんなら。
どうしてもアタシのやる事を認めねえってんなら。アタシはラグーン商会を………
「あっ?」
商会の事務所が入ってるビル近くまで来た時、遠目にもう見慣れちまったスーツ姿が階段を降りてくるのが見えた。
ロックの奴か……
アタシのいる方とは反対側へと歩いていく同僚に特に言葉は掛けなかった。
別に話す用も無かったし、出掛けるってんならそれはそれで都合がいい。
ダッチとの話はどういう風に転がっていくかは分からねえ。
込み入った話になるようなら、やっぱ他の人間には居て欲しくねえしな………
そんな事を考えながら、事務所へと向かっていたその時だった。
ラグーン商会の事務所があるビルの三階。その窓が爆音と煙と炎。そしてガラスの破片を撒き散らしたのは。
「くっ……」
とっさにカトラスを抜き道路脇へと退避し、銃を顔の前で構えながら周囲の気配を探る。
………襲ってくる野郎はいねえ。取り敢えず今んところは。
少し目を上げて事務所の様子を確認する。
窓からはまだ煙が噴き出してやがるが、それ以上の爆発はなさそうだった。
爆弾?
何でウチの事務所が?
ガキ共の仕業か?
ダッチは無事なのかよ?
ベニーも居たんじゃねえだろうな?
頭ん中でグルグルと言葉が回る。
その時のアタシには何故か爆発の直前に事務所から出てきたロックの事を気にする余裕なんざ持てるはずもなかった………
後書き
サルトル:フルネームはジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル (フランス語 : Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905年6月21日 - 1980年4月15日) フラ ンスの哲学者、小説家、劇作家。強度の斜視があり、1973年に右目を失明。
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