その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~
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#37 "What are you thinking, when look up at the moon"
【11月2日 PM 9:27】
Side ゼロ
窓から見下ろす街は相変わらずだ。
人工的な光に彩られ、輝く夜のロアナプラは本当に何も変わらない。
記憶もとうに薄れてしまった遠い過去に生まれて育ち、一度離れはしたが、また舞い戻ってきてしまったこの街は。
寂れた港街でしかなかったあの頃とは、明かりの数も街行く人間の雰囲気も変わっちまったが、それでもこの街の匂いは同じだ。
海から来る潮の香りに加え、魚と泥と安い香水の混じり合う堪らないこの匂い。
もっとも最近は血の臭いが強すぎて、折角のブレンドも台無しになってるけどな。
酒でも何でも程々に済ませるのがいい。
中庸とは孔子の言葉だったか。さすがに良いこと言うな。
もしかしたら彼も二日酔いに悩まされた時に、その言葉を思い付いたのかもしれんな。
ロアナプラという名のカクテルを仕上げるとすれば確かに"血の香り"は不可欠だ。
ただベースにするには味が濃すぎる。
あくまで香り付け程度に留めておかんとな。
まあ、子供に酒の味は分からんか。しかしあの二人……
「おう、待たせたな。あんたも浴びるか?」
窓枠に肘を着いたままタバコを吸ってた俺に掛けられた声はこの部屋の主のもの。
部屋を大胆に横切り冷蔵庫からビールを取り出す彼女は、肩からタオルを掛けただけで上半身には何も身に着けていない。
全くこういう状況は喜ぶべきか、情けない我が身を憐れむべきか……
相棒とは言え男の前で半裸でうろつくのはやめてもらいたいんだがな。
口に出せば笑われるだけだろうしな。
逆の立場だったらどうだろう?
男の半裸なら大した問題でもないか。
全裸だとしたら……
鼻で笑われるか、蹴っ飛ばされるだけだろうな。全く男って生き物は悲しい存在だ。
「ほれ」
動かないままでいる俺にビールを一本渡してくるレヴィ。
それを受け取った俺は短くなった煙草を窓の棧で押し潰して消した。
受け取った缶はよく冷えてる。コイツ、家じゃあビールも飲むんだな。
「で?今夜はどうすんだ。動くのか?」
訊ねてきた方向に目を遣ればレヴィは既にいつもの格好だ。
黒のタンクトップにホットパンツかと見紛うばかりにカットされたデニム。
シャワーを浴びたばかりだから髪は縛っちゃいないが。
それだけでもかなり印象は変わるな。
俺の視線を気にもしてない様子で、テーブルの上に置かれていた自分の愛銃を手に取ってチェックし始めるレヴィ。
銃から弾倉を取り出しながら、再度俺に問い掛けてくる。
「あたしはいつでも準備O.K.だ。
糞ガキどもの頭を吹っ飛ばすのにも、ケツを蹴りあげるのにも何の問題もねえ。
久し振りに暴れてやろうぜ」
カトラスを顔の前で立てながら話すレヴィの口許には笑いも浮かんでやしない。
細めてる彼女の目には何が映っているのか、眩しさすら感じながら彼女を見つめる。
つくづく思い知らされる。
俺の相棒であるこの女はとびっきりに強くて、とびっきりにイイ女なんだと。
「動くにしても今夜は未だ早いさ」
彼女の横顔に向けて言葉を投げ掛ける。
銃を見たままの相棒は特に返事もしないが、俺はそのまま話し続けた。
聞いてくれている事は間違いない。 その確信はあった。
「ローワンに頼んだ件も明日には片付く。
上手くいけば後ろにいる連中もハッキリする。
それにあの子達はそう簡単に殺られはしないだろうしな。
あまり焦る事もないだろう。
宛どなく街をぶらつくのもお前と二人なら悪くないけどな」
そこまで言って缶のビールを一口含む。
街じゃ今夜も皆が騒いでいるんだろう。
熱に冒されたか、醒めない夢を見るためか、とっくに終わってしまっている現実から目を逸らすためか。
闇に覆われた舞台こそが自分達のステージ。
泥水の中でしか泳げない魚は澄んだ清流に憧れを抱きもしない。
陽の光すら彼等にとっては只の邪魔者にしかなり得ない。
彼等に恩恵を与えるのはただ夜空に浮かぶあの月のみか。
ああ、今夜も本当に綺麗ないい月だ………
「あのよ」
窓から空を見上げて下らん事を考えていたら、レヴィの方から言葉が飛んできた。
ロットンの悪影響でも受けたかな……
軽く頭を降ってから顔を部屋の中に向ければ、彼女は銃を自分のホルスターにしまおうと していたところで俺の方は見ていなかった。
彼女は俺を見ないままに言葉を続けて、 こんなことを聞いてきた。
「あんたは何で銃を握るんだ?」
「………」
彼女の視線は此方に向けられていない。
声も全く平板なものだ。
本当に何気なく発せられたその質問。
いや、何気なく発せられた"ように" 聞こえたその質問。
彼女がそんな事を聞いてくるとはなあ……
不思議な感慨にも似た感情を胸に抱きながら俺はその質問に、さて何と答えたものかと考え始めた。
まあ、夜は長い。
焦らなくてもいいだろう。
思い付くままに語ってみるか。
どうせこの場には俺と彼女しか居ないしな。
「そうだな。とりとめもない話になるかもしれんが……」
俺はレヴィの部屋で彼女と二人きり、今夜の酒の肴を提供し始めた。
窓から入ってくる月の光を浴びながら………
【11月2日 PM 9:59】
Side ロック
「空が近いんだよな、この街は」
自分の部屋の窓から見上げる夜空は、月や星が大きくハッキリ見えるせいなのか、ずっと近く感じる。
何だかこんな事ばかりしてるよな、俺。
いつだって何かを見上げてる。昔は下ばかり向いて歩いてた気もするけど。
壁際に置かれたベッドから見ているのは天井ではなくロアナプラの夜空。
今夜は何だかそんな気分なんだ。
意味もなく今日一日を振り返る。
今日は結局ダッチとしか会わなかったな。
最近は事務所に行く度に緊張していたものだから、久し振りにゆったりとした気持ちで話が出来るかと思っていたんだけど……
ホテル・モスクワに対する襲撃事件は全く収拾の見込みが着いてないらしい。
うちみたいな零細企業にゃあいい迷惑だぜ、喜んでんのは武器卸してるヨランダんとこか 、騒動を期待して外からわざわざ乗り込んで来やがるトリガーハッピーの馬鹿野郎どもくらいだ、全く。
昼間ダッチが珍しくそう愚痴っていた。
ただその口振りから察するに、うちのボスが本当に懸念しているのは、我が勤め先たるラグーン商会の経営より寧ろバラライカさんの暴発なのだろうが。
暴発という言い方も失礼かもしれないが、ダッチのバラライカさんを語る様からはあながち間違いでもないように思えてしまう。
どこまで真実なのかは知らないが、元ソ連軍人だというバラライカさんとその部下達は他のマフィアとは"何か"が違うらしい。
勢力拡大や利益追求を目指すのが"真っ当な"マフィアだとしたら、アイツらは真っ当どころかマフィアですねえ。
あの女が見てんのはいつだって戦場だけだ。とはダッチの弁。
俺なんかからすると、バラライカさんはとてもクールでマフィアのボスなんかやってるのが信じられないような優しい女性、そんな印象なのだけれど。
バラライカさんについて語るダッチの顔はとことん真摯なもので、冗談好きで分厚い笑顔の似合う彼には珍しい類のものだった。
タフで鳴らす俺の頼りになるボスをここまで怯えさせるとは……
俺は今まで何を見てきて、これから一体何を見るんだろうな、この街で。
風が前髪をそよがせる。
街の匂いが鼻腔の奥まで運ばれてくる。
この匂いを愛しいものと思えるようになれば俺も一員になれるのだろうか、この街の。
「……あの子達、どうしてるかな」
昨日街で出逢った銀髪の双子を思い返す。
美しい歌声を聴かせてくれたあの子と、優しく抱き締めてくれたあの子の事を。
名前も聞かずに別れたあの子達。
この街に来て初めて俺が涙を見せた相手。
出逢えた事が何かの奇跡としか思えない。まさかこんな街であんな子達に……
「………」
鼻の奥にツーンとした痛みを覚える。
目蓋の内側に熱を感じる。
一旦堰が切れるとどうも駄目らしい。
そんなに涙もろい方ではないと思っていたんだけどな……
岡島録郎は確かによく泣く男ではなかった。
ロックならきっと泣きはしないのだろう。俺の思い描いたロックなら。
「ま、それでもいいか……」
泣きたい時は泣けばいい。
好きな事を好きなようにやればいい。
ロックになれないのならそれでもいい。今はそれでいい。
別の誰かを目指すのか、あくまでロックになる事を目指すのか。
未だ決めてない。考えてすらいない。
取り敢えず、
「『イエロー・フラッグ』でも行くか……」
酒でも飲みながら今夜を過ごすとしよう。
一人であの店に行くのは初めてだけど、それもいいだろう。
そう決めた俺はベッドから降り立ち、財布を尻ポケットに入れて部屋を出る。
この街に来て俺が一番変わったのは時間を気にしなくなった事だろうか。
何せ、電車やバスを利用するような機会は先ずない。
夜飲みに行っても終電の時間なんて気にする必要はないわけだ。
その分、とことん付き合わされることもあるわけだけれども。
さすがに仕事ではそうもいかないけれど、一旦事務所を出てしまえば本当に時間なんて気にしなくなった。
実際今も腕時計は填めていない。部屋に置きっぱなしだ。
だからあの子達に会ったのも何時くらいって正確なところは分からないんだよな。
何となく二時か三時くらいかなと思っていたんだけど……
しかしいくら何でもあんな子達が出歩くには遅すぎる時間帯だよなあ。
そんな事を考えながらビルを出て前の通りに踏み出したその瞬間、
「!」
後ろからなにか太い棒のようなものが胸に押し付けられる。
だが俺には呻き声を出すどころか、押し潰された肺から息を吐き出す事すら出来なかった。
その時、同時に俺の口には布らしきものが押し付けられていたせいだ。
「………!」
頭が混乱して暴れる事も出来なかった。
恐怖すら感じられなかった。
何だ何これ痛い苦しいなになになに何が一体俺何故だってここいやでも痛いくるし……
言葉がぐるぐる回り出す。
脳みそに急激に眠気が侵入してくるような不快な感じ。
全身に力が入らず立っていられなくなる。
何か薬物が……
俺の意識があったのはそこまで。
あとは暗い闇の底まで引き摺り下ろされる自分自身をどうする事も出来なかった………
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