髑髏天使
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第三十一話 赤眼その三
「何を書いておるか全くわからんじゃろ」
「吉本もそうなのか」
「最初の頃の文章を見てみるといい。実にわかりにくい」
「そこまでか」
「吉本隆明は読んだことはないのじゃな」
「哲学書はあまり読まない」
こう返す牧村だった。その言葉は素っ気無い。
「だから吉本だ」
「まあ読まんでもいい」
「いいのか」
「大江もそうじゃがな」
つくづくこの二人が嫌いな博士であった。言葉の端々にその感情が浮き出ている。その言葉を聞いているとそれがはっきりとわかるものだった。
「あんなものはな」
「確かにな。俺も大江は好きじゃない」
「読んでみてか」
「そうだ。わかりにくいだけだ」
やはりそうだというのだった。彼もだ。
「それにだ」
「それに?」
「俺もあいつの人間性は嫌いだ」
彼もであった。
「言っていることから見られる人間性はだ」
「そうじゃな。あれはな」
「しかし吉本もだったか」
「まともな人間の行き着く先はオウムの筈がなかろう」
吉本隆明がかつてオウム真理教とその教祖である麻原という男を賛美していたことを批判しているのである。これは紛れもない事実である。その発言も残っている。
「それでは精々その最盛期も知れておる」
「知れているか」
「そうじゃ、知れておる」
こう言って切り捨て続ける。
「読まんでも死ぬものでもないしな」
「そうだな。それに俺は哲学を専攻しているわけでもない」
「大江はどうじゃ?」
「学ばなくてもいい状況だ」
こう返すのであった。
「二度と読むつもりはない」
「わかった。それはいいことじゃ」
「それでだ」
大江健三郎と吉本隆明のことから話を戻してきた。
「その本に書いてあるのだな」
「左様。智天使の力はそれまでと比べて隔絶たるものがある」
「隔絶か」
「その証拠に翼が四枚あるな」
「ああ」
「それがその象徴なのじゃよ」
翼にこそそれがあるのだというのだ。
「その翼の数にな」
「ただ多いだけではなくか」
「無論。天使の力は翼にこそある」
ここでこのことも話してみせたのである。
「翼があるからこその天使じゃよ」
「ではその翼がなくなれば天使ではないのか」
「そういう訳でもない」
今の牧村の言葉は少しばかり否定した。
「現に君がなりたての頃は翼はなかったな」
「それか」
「左様、翼がなくとも天使は天使じゃ」
「ただ力が違うだけか」
「そうじゃ。また天使は翼をなくそうがすぐに生えるものなんじゃよ」
「生えるのか」
このことは牧村にとっては思わぬことであった。翼は切られたり引き千切られるとそれで終わりだと思っていたからだ。だがそれは違うというのである。
「なくしてもまだ」
「そうじゃ、天使は人とはまた違ってじゃ」
「翼を切られたり引き千切られてもか」
「自然に回復して生えるのじゃ」
「それは翼だけか」
「いや、他の場所もじゃ」
そうした場所もだというのだ。
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