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故郷は青き星

作者:TKZ
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第九話

 休み時間が終わり次の授業が始まっても、教壇に立つ担任の話に集中できない。スクリーンに投影された板書の文字に黒毛の女性の別れ際の笑顔が重なる。

 誰がどう見たって、お医者様でも 草津の湯でも治せない病気に罹っているのだが、エルシャンは自分の中に生まれた強い気持ちの正体を受け入れることが出来なかった。
 勿論、前世で田沢真治として恋をした事がある。そう自分では思ってきたが、所詮は恋の草食獣に過ぎない彼には一目で心を奪われるような激しい情動突き動かされるような恋に落ちた経験は無かった。
 傍に居て心が温かくなるような相手と、いつの間にか心の距離が縮まっていく、そんな緩やかで優しい恋が彼にとっての恋愛の全てであり、今回のように一瞬にして心を鷲づかみで奪われるような劇的な恋など、映画やドラマの中の誇張されたフィクションであり、ましてや自分に訪れるなんて信じられなかった。
 だが、考えれば考えるほど恋の一文字が頭に浮かんで離れない。
 30年間も生きて出会えなかった一目惚れで始まる恋に、生まれ変わり僅か10年足らずで出会う。しかも相手は自分よりずっと年上ときている。状況を整理すればするほどおかしな話だありえない……だけどこの気持ちは何だというのだろう。そんな風にエルシャンの思考はぐるぐると同じ場所を空回りし続ける。

 授業中の教室の中に、彼の様子に浮かぶ笑みを必死に堪えている人物が居た。
 このクラスの担任のナクルである。
 エルシャンは最後列の席からクラス全体を眺めて、クラスの誰が誰を気にしているのかチェックしていたが、この教室の中でその様子を最も把握できる場所は教壇であった。
 その立場上、誰にも遠慮することなく正面からクラスの全生徒を注視することが出来て、誰の視線が誰に注がれているのかをじっくりチェックする事が出来る彼こそがクラスの恋愛事情を最も把握している人物だった。

 血筋は名門。成績が良く授業態度も真面目で、大人びていて万事そつなくこなす。最近は遅刻が目立つが、それも今年入学したばかりで慣れて居ない弟を毎日教室まで送り届けている──と思われている──ため。そんな可愛気の無い優等生なプロフィールを持つエルシャンが恋に落ちた。
 クラスの子供たちが異性に惹かれる年頃になり落ち着かなくなって居る中、独り超然とあり続け『もしかしてホモじゃないだろうか?』と心配すらしていた彼が恋に落ちた。
 初めて見る年相応のエルシャンの姿に、自然ににやけてしまう顔を隠すためにナクルは、生徒達に背を向けると黒板代わりのスクリーンに向かって授業を進めながらも、取り合えず良かったと胸をなでおろす。彼は結構良い先生であった。


 家に戻り、夕食の時間になってもエルシャンは心ここに在らずといった様子に変わりは無かった。
 家族が囲う食卓でも、母の自慢の料理を前にしても一向に食が進まず、時折ため息を漏らしては視線を部屋の中の何処でもない何処かへと向ける。。
 そんないつに無い兄の様子にウークは心配そうに、そして帰宅後も構ってもらえなかったベオシカとムアリは不満そうに見つめる。
 だがポアーチとユーシンは『ついに来たな』『ついに来たのね』と目で語り合った後、ポアーチが咳払いをしてからエルシャンに話しかける。
「食事の後、私の書斎に来なさい」
「えっ……うん、分かったよ」
 そう答えながらもエルシャンは、再びため息を漏らすのであった。


「エルシャン。ここはお前と私しか居ない。男同士だ腹を割って話をしよう」
「何を?」
 書斎に呼び出されて来てみれば、唐突に男同士だの腹を割ってだのと言われて、流石にエルシャンも夢と現の狭間から戻って来ない訳にはいかなかった。
「とぼけるな。正直に父さんに話してみろ」
 何時に無く強い口調でポアーチは息子に迫る。
「……何のこと?」
 エルシャンにとっては正直ウザイ。はっきり言って今はポアーチの相手をしている気分ではない。
「照れるな。誰だって経験する事だ。父さんだってお前の年頃にはそりゃあもう……いや私の話はいい。今はお前の話だ」
「だから一体何なの?」
 思わせぶりなポアーチの話に、エルシャンはそろそろ苛立ってきた。
「分からん奴だな。お前が惚れた相手のことだよ」
「惚れたって……やっぱり、これは惚れたってことなのかな?」
 一言でずばり確信を突かれたエルシャンは、やはり今自分の胸の中にあるのは恋なのかと思い始める。

「やっぱり? お前は……何を言ってるんだ?」
 出来の良い自慢の息子へポアーチは初めて『こいつ、馬鹿なんじゃない?』と疑問を抱いた。
「だって今日会ったばかりで、ちょっと声を掛けられただけで……」
「それは普通に一目惚れだろ」
「一目惚れ? これが?」
 フィクションの中の出来事じゃないんだと呆然とする。
「一目ぼれじゃなかったら、何なんだ? 顔を赤くしてボーっとして、溜息ばかり吐いて、どうせ相手の女のことばかり考えてるんだろ?」
「……うん。でも、でも僕は相手の名前もまだ知らないんだよ」
「馬鹿野郎っ!」
 ポアーチは人生で初めて息子を思いっきり怒鳴りつけた。エルシャンも生まれ変わって初めての経験に思わず身をすくませる。
「名前は聞いておけ。聞かないでどうするんだ?」
「えっ、あ……はい」
 まるで学校でのジヴァの様にエルシャンは、ポアーチの勢いに飲まれてしまった。
「当然、相手に自分の名前くらいは名乗っているんだろうな」
「…………名乗ってません」
「失望した! お前には失望した。トリマ家はお前の代で終わりかもしれないな。こんなのが俺の子供だなんて……」
「どうして、そこまで言われな──」
「惚れた女に粉かけることも出来ないような情けない男に嫁が来るか!」
 抗議の声を上げるが一喝されて、二の句が継げない。
「もう終わりだ。歴史あるトリマ家が……ご先祖様になんと詫びれば良いものか」
 芝居がかった大きな動きでポアーチは俯き頭を掻き毟る。
「それならいっそ、ウークに継がせれば」
 エルシャンとしても家を継ぎたいとは思ってなかった。むしろ積極的に継ぎたくないと言うのが正直な気持ちだった。
 それでも、自分が逃げたらウークに家長の、当主の座が行くと思うと可哀想なので我慢して継ぐつもりだった位だ。
 だがポアーチがそこまで言うのなら、渡りに船と弟に譲ってしまった方が良いのではと思った。
「弟に押し付けて可哀想だと思わないのか!」
「……やっぱり可哀想なんだ」
 ぶっちゃけ過ぎた父の発言にエルシャンは眩暈に似たものを感じた。余程『じゃあ俺は可哀想じゃないのかよ』と突っ込みたかったが、それよりも先に「私だって継ぎたくなんて無かったよ!」とポアーチに告白をされて、思わずその言葉を飲み込んでしまった。

「……うわ、言っちゃったよこの人」
 どれだけトリマ家の当主って嫌な地位なのかとエルシャンは自分の将来に一抹どころか超巨大な不安を覚え、浮かび上がる嫌な汗に身体を濡らした。
「兄貴が生きていてくれれば俺はもっと……」
 ポアーチは話を脱線させて愚痴を言い始める。彼が25歳で当主の座を継いでからの苦労話が延々と続く。

「──ともかくだ、明日はちゃんと自分の名前を名乗って相手の名前も聞いてくるんだ」
 話の脱線に遅すぎるが気付いたポアーチはいきなり、設定目標を息子に押し付ける。
「父さん。ハードルが高いよ」
 恋の草食獣には難しかったようだ。
 彼には、恋愛とは全く別の形で人間関係を形成し終えた相手に対して、次第に恋愛関係に発展させるというアプローチ手法しか持ち合わせていなかった。
 正直、明日彼女の前に立ち、名前を尋ねると考えただけで緊張する。
「ふざけるな! 本当なら告白もするのが普通だろ。お前は本当に俺の子か?」
「……母さんに訊いてくる。父さんにそう言われたって」
 そんな弱気な息子に喝を入れる意味で強く厳しい言葉を吐いたつもりだったが、流石にこの台詞にはエルシャンもカチンと来た。
「失言ですごめんなさい! お願い止めて! 父さんを死なせないで!」
 部屋を出て行こうとするエルシャンにポアーチは必死に縋りつく。
「随分と色んな女の人に積極的だったみたいだし。これは伝えておかないと」
「違うの! ユーシンと会う前の話なの! 本当だから母さん一筋だから!」
「じゃあ、この壁の裏にある男のロマンぎっしりなアレは何?」
「な、何故それを!?」
「アレについてどう思うか、やっぱり母さんに聞いてきます」
「ダメェェェっ! そんな事したら父さん絶滅危惧種に指定されちゃう!」
「危惧では済みませんよ危惧では! この手を離して下さい」
「死ぬと分かっていて離す馬鹿がいるか!」
 などと激しい押し問答の末に疲れ果てて、肩で息するエルシャンとポアーチ。

「……わかった。もう文句は言わない。だから協力するから少しは父さんに相談しなさい」
「……うん、いいよ」
「それで相手はどんな人なんだ?」
「どんなって言っても、凄い綺麗な人だったよ」
「ほう美人か、エルシャンは面食いか。でもまだ相手の子も初等教育過程だろ綺麗って言うより可愛いじゃないのか?」
「学校の生徒じゃないよ。多分20歳くらいの長い黒毛の女性だよ」
「…………やるな。とんだヘタレ野郎かと思えば、流石は俺の息子。とんだ隠し球を使うじゃないか」
 どうでも良いのだが、この時エルシャンは地球の野球のように隠し球を使う球技がフルント星にも存在する事をはじめて知った。
「じゃあ女教師か、少年と女教師。何かぐっとくる設定だな……本当にまだ9歳か? 父さん本気で見直したぞ。良くやった!」
「初めて見る顔だったので先生なのかどうかも分からないんだけど……反対とかしないの?」
「何で?」
「いや、だって……今でも時々、本当かどうか怪しいと思うだけど家って名門氏族の家柄なんでしょう?」
「それは疑うなよ!」
「だったら、たとえば結婚相手は親が決めるとか?」
「け、結婚ね。へぇ~、もう結婚まで考えてるんだ。お父さんびっくりだな~」
「い、いえいえ、そんなことまでは考えていませんよ。例えです例え!」
 突然態度がおかしくなったポアーチだが、エルシャンも結婚の二文字に慌てて気付く余裕は無い。
 かつて経験した事のない強い恋愛感情にうろたえて、相手に名前を聞く事すら緊張を強いられる今のエルシャンには、結婚はワープしてもたどり着けない遙か宇宙の彼方の事柄だった。

「ま、まあエルシャンがきちんとお付き合いした上で、結婚したいというなら反対しないぞ」
「えっ?」
「いや、だから反対しないって」
「だって年が離れているし、そういうのは気にしないの?」
「別にお前が15になって結婚するとして、相手だって25くらいだろ。まだまだ子供なんて産めるだろ」
「こ、子供ってまだそこまで具体的に……」
 顔を赤くする純情な面を見せるエルシャンだが、中身は前世で三十まで齢を重ねた男で、しかも赤ちゃんプレイや幼児プレイを是とする変態である事を忘れてはいけない。
「大体さ、年の差云々を気にするほど、初恋が上手く行くなんて思ってないし、その相手が独身とも限らないのに本気で心配するはず無いだろ」
 照れまくるエルシャンに、あまりにぶっちゃけた言葉を投げるポアーチ。初めての家庭内暴力が勃発したのは当然だった。
 尻尾に思い切り噛み付かれ、痛みに悲鳴を上げつつもポアーチは嬉しそうだった。息子と腹を割った話が出来ている事が本当に楽しく嬉しかったのだ。 
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