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無印編
第二十二話 裏 中 (リンディ、武装隊、アルフ、リニス、プレシア)
プレシアとの通信から十五分後、リンディたちは、転送ポートの前でプレシアと翔太が現れるのを待っていた。こちらの測定である十五分から遅れること二分。転送ポートが黄色い光に包まれ、転送魔方陣の中からプレシアの使い魔と思われる女性と飼い犬のように首輪で鎖に繋がれた翔太が現れた。
大丈夫だろうか、と翔太の様子を伺ってみるが、殴られた影響で顔が腫れており、おそらく衣服の下もあざだらけだろうが、意識はある様子なので、一安心といったところだろうか。
「ショウくんっ!!」
彼が姿を現した瞬間、リンディの隣に立っていたなのはが駆け寄った。危ないから、ととめようと思ったが、今の彼女を止めることは不可能だろう。使い魔の女性もとめるつもりはないらしく、駆け寄るなのはを相手にしている様子はなかった。使い魔という割にはずいぶんと感情面が薄い使い魔だ、とリンディは思った。
翔太のほうはなのはと後ろに控えている回復要員のユーノに任せることにして、リンディは自分の仕事を遂行することにした。
「ジュエルシードを」
すっ、とリンディが右手に持っていたアタッシュケースを持ち上げた。この中に入っているのは、アースラ側が保持している二十個のジュエルシードである。それらが入ったアタッシュケースを一歩前に歩み出て、受け取った猫耳の使い魔は、アタッシュケースに何かしらの魔法をかけて真贋を確認している様子だった。
疑わずとも、それは本物だ。そう思いながら、早くこの使い魔が巣へ帰ることを望んでいた。
「確かに。受け取りました」
その一言だけ言うと、その使い魔は右手を一振りする。それだけで、翔太の首についていた首輪が外れた。どうやら、リンディの予想は当たっていたようだ。もし、贋物を渡していたら、あの首輪が爆発してもおかしくはない。贋物を用意するという愚策を取らなくてよかった、とリンディは胸をなでおろす。
そんなリンディたちを尻目に使い魔は、転送ポートへと戻り、再び転送魔法を発動させる。黄色い魔力光に包まれながら猫耳の使い魔は一礼する。
「それでは、皆様、失礼いたします」
実に無機質な声と共に猫耳の使い魔は、ジュエルシードが収められたアタッシュケースを手に消えた。
その直後、リンディの鋭い声が響く。
「エイミィっ!!」
『分かっていますよっ! 転送魔法の魔力痕から、座標割り出しっ!!』
それは、信頼するオペレーターへの命令。その信頼に応えるようにエイミィも、オペレーター席のキーボード上を踊るように指を動かしながら猫耳の使い魔の追跡を開始する。待つこと十数秒。小さなモニターの向こうのエイミィの顔が輝いた。
『見つけたっ! 座標確認っ!』
読み上げられた座標は、恐ろしいことにアースラからあまり離れていない位置だった。舐められているとしか思えない行動だが、その怒りは、彼女の逮捕に全力を尽くすことで晴らすべきである。
「武装隊っ! 強襲準備っ!!」
既に準備は整っているのだろう。逐一の投入などしない。最初から全部隊を投入させる。今、医務室に翔太を運ばせるための局員を呼んでる執務官であるクロノも同時に。この強襲かつ奇襲は時間との勝負で、しかも敵地なのだ。出し惜しみをしている場合ではないことは誰もがわかっていた。
完全装備に身を包まれた全武装隊が次々と転送ポートの前に整列するのを見届けて、突入の命令を出そうとしたとき、それは起きた。
ぐらっ、とアースラ全体が揺れる。地上でなら、地震と勘違いしそうな一揺れ。それはたった一度だけで収まった。当然のことながら、次元空間内で地震などありえない。ありえるこんな揺れはたった一つだけだ。
「エイミィっ! 状況報告っ!!」
『艦長っ! 小規模の次元震ですっ! 震源は、時の庭園内部っ!!』
予想通りの結果だった。この状況で、震源地が彼女のアジト以外に考えられない。そして、このタイミングで原因が考えられるとすれば、信じられないことだが―――。
「―――まさかっ! ジュエルシードを使って? でも……なら、彼女の目的は?」
次元震は、大規模なものになってしまえば、周囲一体の平行世界を消滅させるほどの威力を持つものだ。それを起こす意味が分からない。ジュエルシードを使って次元震を起こしたところで待っているのは、消滅の二文字だけである。
「アルハザード……彼女はそういっていました」
不意にリンディの耳を打つ、独り言のようなか細い声。その声の方向を見てみれば、ユーノによって回復魔法を受けている翔太の姿があった。
翔太の言葉を信じるなら、プレシアの目的はアルハザードである。だが、リンディはその目的が信じられなかった。なぜなら、アルハザードは失われた魔法の都。御伽噺の世界にのみ存在するはずの世界だからだ。しかし、その一方で、状況は翔太の言葉を肯定していた。
魔法の都、アルハザード。そこには、不老不死、時間逆行といった夢物語にしか思えない魔法の数々が存在したといわれる魔法の都。だからこそ、アリシアという娘を亡くしている彼女の目的に符合する。さらに、アルハザードは次元の狭間に沈んだとされる都だ。ならば、ジュエルシードによる次元震によってたどり着くという推測も立てられる。
しかし、その考えもリンディは信じられない。状況証拠による推測による推測。常人であれば、考えられないほどの無秩序な計画を前提にした推測だった。だが、もしも、この推測が事実だとすれば、一刻の猶予も許されないことは明白だった。
「本当なのっ!? 翔太くんっ!!」
「え、ええ。そこで、アリシアちゃんとの時間を取り戻す、と」
間違いない、と見るべきなのだろう。自分が仕掛けた策が生きている間は大丈夫と太鼓判を押せるが、それもどこまで時間稼ぎになるか、リンディには予想ができなかった。だから、本当に一刻の猶予も許されなかった。早く、武装隊に突撃命令を出さなければ、と思ったところに緊急入電が入った。
『艦長っ! 時の庭園内部に魔力反応多数っ! Aランクの魔力反応……50、60、70。まだまだ増大中ですっ!』
こちらの対応が一歩遅かったことを悔やんで、くっ、と唇を噛む。これがアースラの部隊が強襲することを読んでの迎撃態勢であることは明白だった。
「エイミィっ! 武装隊に突入命令をっ! クロノもすぐに出撃させるわっ!!」
医療局員を連れてきたクロノを見ながら命じる。こちらがプレシアを確保するのが先か、あるいは、プレシアがリンディの策を破ってから、次元震を起こすのが先か。チキンレースのような模様になってきてしまった。
『了解っ!』
頼もしい声と共に通信が切れる。翔太が医務局員によってストレッチャーで送られ、それに付き添うように動くなのはを見送って、リンディは管制塔へと足を向けた。これからきつい戦いが始まることを予感して、自分も出ることになるだろう、と予感に近い確信を得ながら、歩き始めるのだった。
◇ ◇ ◇
武装隊が突入して、十分。かなり厳しい戦いにリンディは、眉をしかめながら戦況を見守っていた。突入回廊は、何とか確保した。だが、突入して最初の大広間の確保が中々できない。クロノとこの状況を見て今までフェイトの元に居たアルフが補助で、プレシアの元へと向かえた唯一の救いだが、それ以外に状況は好転していない。むしろ、悪化しているように思える。もし、クロノがジュエルシードを得たとしても、退路が確保されていなければ、逃げられない。プレシアと戦った後に突貫できるような余力がクロノに残っているとは思えない。限定とはいえ、相手はSSランクなのだから。
―――あと一つでもカードがあれば……。
ないものねだりだが、そう望まずにはいられない。もう一つだけでも切り札が、あれば戦況はこちらに傾くというのに。戦力という形でいえば、翔太の両親と共に待機していた恭也や忍が参戦を希望してくれたが、いくらなんでも魔法が使えない、しかも、局員でもない人間を参戦されるわけにはいかない。
その方向性で言えば、もう一人だけ、脳裏によぎる影があったが、それを振りかぶって、その考えを捨てた。それは、考えてはいけないことだからだ。いくら戦力が足りないからといっても、子ども―――しかも、現地の住民にそんなことを頼むわけにはいかない。それは、リンディの時空管理局員としてのプライドだ。
だが、だが、しかし、向こうから参戦を希望してきたら?
そんな甘い誘惑を肯定するかのようにリンディの後ろに一人の人影が立った。
「リンディさん」
少し高い子どもの声。そんな声を出せるのは、アースラの中では二人だけだ。一人は、翔太。だが、彼は今、医務室で寝ている。そして、もう一人は―――
「なに? なのはさん」
普通なら返事もできないはずの事態に返事をしてしまったのは、先ほどの甘い誘惑が頭の隅に残っていただろうか。そして、なのはは、リンディが望んだ言葉を紡ぐ。
「私も、あそこに行きます」
「―――っ!」
淡々と意思の燃える瞳でまっすぐリンディを見つめながら、なのはは言う。それを受けて、リンディは、彼女が望んでいた言葉なだけに絶句する。当たり前だ。こうも易々とリンディの想像が具現化すれば、絶句したくもなる。
この場合、リンディは、ダメだとなのはの提案を拒否するべきなのだろう。だが、時間がないのも事実。戦況が悪いのも事実。このまま、負けてしまえば、ここら一帯の次元世界が消滅するのも事実。アースラが沈むもの事実。いくつかの事象を挙げてみても、リンディのプライドやもろもろの事情を棚上げにしてでもなのはの提案を肯定するべきだといっていた。
ここが決断時なのだろう。なのはが子どもである。現地住民である。拒否する理由はいくつもある。だが、それ以上に世界を救うという大義名分の下、リンディは、それらの拒否の理由に目を瞑った。
「……お願いできるかしら」
苦渋の決断だった。
だが、なのはは、はそれを慮ったのか、あるいは、状況を理解して最初からそう答えることが分かっていたのか、彼女は、淡々とはい、とだけ答えて、管制塔の後ろに特別に設置してある転送ポートへと足早に向かった。
「なのはさんっ!!」
そんな彼女の後姿にリンディは、一声かけられずにはいられない。それは、巻き込んでごめんなさいという言葉だろうか。いや、それ以上に必要な言葉があった。
「必ず、戻ってきてね」
リンディの言葉に大きく頷いてなのはは、転送ポートへと入る。それを確認してエイミィがキーボードを叩き、転移座標を時の庭園へとあわせ、なのはを時の庭園へと送り込んだ。
送り出したリンディは、戦況が映されたモニターへと視線を向けて、刻一刻と悪くなる戦況を見ながら、なのはが無事に切り抜けられることを祈らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
アルフは、懐かしいというほど離れていない時の庭園の内部をアースラ執務官のクロノ・ハラオウンと一緒に駆けていた。
アルフが協力したのは他でもない。プレシアが動き始めたからだ。フェイトを放っておくのは確かに気がとがめたが、フェイトの傍には翔太の両親がいる。彼らにならフェイトを安心して預けられる。だから、アルフはアルフにしかできないことをするためにこうして道案内を買って出ていた。
クロノと並んで走るアルフ。先ほどまでは、ウジャウジャと出てきていた傀儡兵の姿も見えない。それはアルフたちが、下層へと突入したからだろう。彼らが今向かっている場所は、アルフがここに住んでいた時代にプレシアに決して入るなと言い含められていた場所だ。
本当にそこにプレシアたちはいるのだろうか、と思っていたのだが、サーチを投げることもなく肌に刺すように感じる高密度の魔力から考えるにどうやら正解だったようだ。クロノもそれを感じ取っているのか無言でアルフについてきていた。
傀儡兵に邪魔されることもなくなった通路を走破することは簡単だった。上層、中層での戦いが嘘であるかのようにいとも容易くたどり着いたのは大きな扉の前。ここから先には決して行かないようにと言い含められたその入り口である。ここから先には何があるかアルフにも分からない。だが、それでも、彼女は進まなければならない。
バンッ! という音共にアルフが扉を蹴破る。扉の向こう側に何が待っているか分からないため、警戒を怠ることはなく、クロノもデバイスを構えたままだった。だが、扉を開けた直後の奇襲はなかったようで、それらの準備は杞憂に終わった。
しかしながら、奇襲がなかったにも関わらずアルフはその場を動くことはできなかった。
扉の向こう側は、一つの大きな部屋だった。机と様々な機械が並んでいるだけの部屋。そして、部屋の真ん中には一つの人影が存在していた。
猫耳を頭の頂点につけた使い魔の女性。アルフの師匠ともいえる存在―――リニスがお客様を迎えるように手を合わせて立っていた。そんな彼女をアルフは、敵意を持った視線で睨みつける。だが、その視線を気にもせず飄々とリニスは受け流している様子だった。
「執務官とアルフですか。これは予想外です。てっきり、あなた方は上層で傀儡兵を相手にしていると思ったのですが」
「何を言っているんだいっ!?」
入ってきたクロノとアルフを一瞥して、なにやら考えた後にポツリと呟いた言葉の意味が分からず、アルフは苛立ちながら、リニスに尋ねる。だが、その問いに簡単に答えが返ってくるはずもなかった。
「あなた方には関係のないことです。それよりも―――」
すぅ、とリニスの目が細められる。お客様を迎えるような安穏した雰囲気から肌を刺すような鋭い雰囲気へと変わった。臨戦態勢に入っていることは明白だ。その空気に煽られてクロノはデバイスを、アルフは拳を構える。
「申し訳ありませんが、ここから先は立ち入り禁止となっておりますので、お帰り願います」
「はっ! そんな訳にはいかないねっ! こっちはプレシアに用があるんだっ!」
帰らなければ、力ずくにでも、という雰囲気を醸し出しているが、そんなリニスの言葉をアルフは鼻で笑う。笑いながら、アルフはこっそり、小声で隣に立つクロノに対して話しかけた。
「リニスの向こう側に見える通路があるだろう。ここにリニスがいるってことは後は一本道なはずだ」
「だが、君だけでは……」
クロノがたった一人で戦おうとしているアルフを心配するように顔を曇らせるが、クロノの気遣いは余計なお世話というものだ。最初からアルフは彼女に話があった。プレシアにも言いたいことはあった。だが、それよりも、この師匠ともいえる彼女のほうに用事があるのだ。だから、プレシアはクロノに任せることにした。
「余計な心配はいらないよ。時間がないんだろう。ここはあたしに任せて、あんたは先に行きな」
アルフの言葉もまた事実。現状は、制限時間付きのチキンレースに近いのだから。だから、クロノは一瞬、逡巡した後、頼んだと残して一気に駆け出した。
だが、それを暢気に見逃すようなリニスではない。すぐさま、クロノの動きを妨害するように動き始め、その無手の拳がクロノを襲う直前にクロノとリニスの間に割って入るようにアルフが拳を片手で受け止めた。アルフの行動に一瞬だけ眉をひそめるリニス。その一瞬の隙の間であろうとも、クロノはそのまま駆け出し、通路の奥へと消えていった。
それを見届けて、もはやクロノを追うのは目の前のアルフを何とかしないといけないと思ったのだろう。リニスはアルフから距離を取るように数回のバックステップで距離を取って、アルフにとって馴染みのある構えを取った。
「いいでしょう。先にあなたから黙らせることにして、彼を追うことにしましょう」
リニスの言い方が、いかにもアルフをすぐさま片付けるという風に聞こえて、アルフの神経を逆なでにする。そもそも、アルフは、フェイトの件やら、翔太の件やらで色々鬱憤が溜まっているのだ。今のリニスの言葉は、アルフが堪忍袋の尾を切るのに十分だった。
「はっ! あんたは確かにあたしの師匠だったかもしれないけどさ、弟子はいつかは師匠を越えるもんだよっ!!」
先に仕掛けたのは、アルフ。お互いに武器は、その拳のみ。故に戦闘は近接戦闘が主になる。
拳を交わす二人。いや、正確には攻めているのはアルフで、それを無表情で鮮やかに捌いているのはリニスだった。二人の間には、まるで予定調和のようにある種の流れが見られる。それもそうだろう。彼らは師匠と弟子なのだ。アルフがリニスの戦い方を読めるように、リニスとてアルフの戦い方を読める。
何度、拳を捌かれただろうか。黙らせるといっておきながら、リニスが手を出してくることはあまりなかった。ただ、その数少ない一手は、確実にアルフの隙を突いており、アルフが捌けたのは、どれもここに来るまでに傀儡兵を相手にした戦闘の高揚感によって集中力が増していたからに他ならない。もしも、最初の戦闘がリニスであれば、最初の隙を突いたリニスの一撃で、彼女の宣言どおり、アルフは黙って床に沈んでいただろう。
このままでは、埒が明かないと思ったのだろう。一旦、仕切りなおすためにアルフはリニスと距離を置いた。リニスは、あえてそれを追わない。お互いに構えたままにらみ合う。
不意にアルフの脳裏をよぎったのは、まだ何も知らなかった時代の出来事。フェイトがいて、アルフがいて、リニスが魔法を教えていたあの頃の記憶だった。あの頃のリニスは、目の前に立つリニスのように無表情ではなかった。妹を見守る姉のように優しく微笑んでいたものだ。フェイトにも、そして、アルフにも。
「……何があんたを変えたんだい」
思わず、ポツリとこぼれてしまった疑問。目の前のリニスが、リニスと認めたくなかったが故の呟きだった。だが、それは独り言というには少々、声量が大きかったらしく、猫耳を持つリニスの耳にも届いていた。
「アルフ、あなたはF.A.T.E計画を知っていますか?」
「………ああ」
突然、口を開き始めたリニスを警戒しながらも、アルフは聞きたくもない忌々しい計画の名前に頷いた。
頷いたアルフに対して、リニスは、まるで教師のようによろしい、とでも言いたげに頷くと先を繋いだ。
「使い魔とは異なるコンセプトで人工生命体を作る計画がF.A.T.E計画です。ならば、その計画のために必要なことは? まず、最初に研究することは、使い魔の契約魔法とは? ということを知ることから始まります」
『使い魔とは異なる』というのが命題なのだ。異なるものを作る際に先行研究を調べることは、研究においては重要なことである。それは優秀な研究者である、いや、優秀な研究者ゆえにプレシアは、使い魔の魔法に関して研究したことだろう。
「その研究の過程で、いくつかの使い魔の契約魔法について成果を出しました。その一つが、私です。本来、機械のように命令を受諾するか、あなたのように人と変わらないタイプの使い魔しかできなかったのですが、そこに感情を排除した柔軟な使い魔を作る契約魔法をプレシアは、成果として出しました」
前回のプレシアは、私をリニスとして作ったためにあなたと同じタイプの使い魔でしたがね、とリニスは付け加えた。
「つまり、姿形、記憶は同じでも、あなたの目の前の私とあなたの記憶の中にある私は同じとは思わないほうがいいですよ。私も前の私の感情が理解できない部分が多々ありますから」
理解できない感情を抱いた他人の記憶を見せられるということは、まるで映画を見るようなのだろうか。アルフには、そんなリニスがよく分からなかった。だが、分かったのは、目の前のリニスが、アルフの記憶の中にあるリニスとは異なる存在であることだ。
「……そうかい」
アルフの中で何かが吹っ切れたような気がした。目の前の存在が、リニスとそっくりなのは否定できない。もしかしたら、と心のどこかで思っていたのも事実だ。だが、リニスの口から自分はリニスではないということを聞かされた瞬間、アルフの中で、過去のリニスと目の前のリニスが等式で結ばれる要素が一切なくなった。
そうだ、最初から考えれば、それは当然の話なのだ。フェイトにあんなことを言うプレシアに我慢できるような彼女ではなかったはずなのだから。あの場で、従者のように大人しく従っていたことこそが何よりの証拠。それなのに、どうして自分は躊躇していたのだろうか。
「それじゃ、あんたを遠慮なくぶっ飛ばせるねっ!!」
一切、遠慮がなくなったアルフは、今度こそという気概を振りかぶった拳に乗せてリニスに飛び掛った。その速度は、先ほどよりも鋭く、速い。だが、その拳がリニスに届くことはなかった。その拳がリニスの顔面に届く直前にアルフの手首は、幾重もの鎖に絡みつかれているのだから。
「なっ!?」
―――チェーンバインド。
アルフも使える拘束魔法。それを教えたのはリニスであり、アルフもそれを使えることを知っていた。だが、魔法を発動した気配はなかったはずだ。そんな、アルフの疑問を読み取ったのだろうか。種明かしするようにゆっくりと動き、振りかぶった拳をチェーンバインドによって無理矢理、下ろさせながら口を開く。このとき、アルフは既に他の場所から発生したチェーンバインドによって縛られており、身動きができない状態になっていた。
「あなたのお喋りに無意味に付き合ったわけではありません。あなたに気づかれないように慎重に構成してしましたからね。しばらく、時間が必要だったのです」
策が成ったというのに、嬉しそうに微笑むでもなく、こんな策に引っかかってしまったアルフを蔑むわけでもなく、淡々と無表情のままリニスは、教え子に諭すような口調で言った後、近接戦闘中では、とてもできないほどに大きく振りかぶり―――
「それでは、先の宣言どおり、黙ってもらいましょう」
「かはっ!」
その拳を躊躇なく、アルフの鳩尾にめり込ませた。使い魔とはいえ、痛覚もあり、生命体に近い活動をしている。鳩尾に叩き込まれた拳によって肺にあった空気を強制的に吐き出されたアルフは、一瞬で酸欠状態に陥り、そのままリニスの宣言どおり気を失いそうになった。
どさっ、と倒れる身体。上手く呼吸ができない体は、意識を保つことを放棄しており、今は気力で持っているようなものだ。だが、それも長く続くこともない。
「―――おや、もう一人のお客様ですか」
アルフが完全に意識を失うまで見守っているつもりだったのだろう。だが、それはカツン、カツンと一定のリズムで刻まれる足音によって中断された。誰かが、上層からあの傀儡兵の群れを抜けてやってきたのだ。
援軍が嬉しいのは確かだ。だが、生半可な援軍が来たところでリニスに適うはずもない。
――― 一体、誰が来たんだ?
そう思って、少しだけ頭を動かすが、援軍の正体を知るよりも、アルフの気力が限界を迎えるほうが早かった。ただ、最後に見えたのは、黒い靴とスカートの端だったような気がした。
◇ ◇ ◇
リニスは、感情をなくしたにも関わらず、目の前の存在に恐怖を覚えていた。それはリニスが使い魔にされる前身だった山猫に残っていた本能だったのだろうか。それは、間違いなく目の前に存在に平伏しろと告げていた。だが、使い魔になったことで得た理性がそれをとどめていた。
「申し訳ありませんが、ここから先は立ち入り禁止となっております」
本能からくる恐怖を必死に押し込みながら、平坦な口調でリニスは目の前の存在―――黒いワンピース型の赤い文様が描かれたバリアジャケットに包まれた彼女にそれを告げた。
だが、彼女はそれを聞いていないような気がする。ただ、何かに耐えるようにギリギリと拳に力を入れていた。
もしかして、そこに転がっているアルフの仲間で、仲間がやられている怒りに震えているのだろうか? とリニスは思った。そうだとすれば、アルフを連れて引き返してくれればいいのだが、そう簡単にいくはずもなかった。
「もしも、アルフを「五月蝿い」
それは酷く低い声。聞いたものは一言で分かる。その声に内包されているのは、純粋な怒りだ。
「あなたは、ショウくんを傷つけた。私の大切な友達を傷つけた。だから―――」
ああ、彼の仲間だったのか、などと感心するような時間をリニスには与えられなかった。なぜなら、その言葉を言い終わる前に彼女の姿が不意に消えたからだ。いや、違う。彼女が消える直前に感じた魔力の揺らぎ。高速移動の魔法を使ったに違いない。そこまでは判断できた。だが、それ以上の判断を与える時間などなかった。
「壊す」
すぐ目の前に彼女が現れたと思った次に瞬間、腹部に衝撃が走った。
殴られたと気づいたのは、あまりの衝撃に身体を折ったあと、目の前に拳が迫っているのを確認した後だ。さりとて、腹部への痛みで怯んでいるところへの拳が避けられるはずもなく、リニスの顔面は、彼女の拳を受け入れ、あまりの衝撃に空を飛ぶように吹き飛んでしまう。そのまま、壁にぶつかるかと思ったが、叩きつけられるような衝撃はなく、代わりに身体中に何かが巻きつくような感覚。殴られた跡が焼けるように痛いが、それを我慢して目を開いてみると身体中が、桃色の魔力光で縛られていた。
レジストしようと頑張ってみたが、足掻きようがないほどの魔力で構成されたバインドを解くことなどリニスの卓越した魔法をもってしてもできるはずがなく、カツン、カツンと死神のように近づいてくる彼女を見ていることしかできなかった。
やがて、近接戦闘には最適な位置まで近づくと彼女はポツリと言う。
「43。ショウくんが、あなたに殴られた回数だよ。だから―――それまで、壊れないでね」
にぃ、と口の端を吊り上げて嗤いながら、リニスにとって絶望的なことを口にする。
ちょっと待ってください、という制止の声をかける暇もなく、またしてもリニスの顔面に衝撃。次は、肩、胸、二の腕、鳩尾、わき腹。上半身を殆ど間隔をおかずに殴り続ける。
「あはっ、あはははははははっ!!」
バインドで縛られ、無抵抗のリニスを殴りながら、彼女は声を上げて嗤う。リニスの返り血で自らの拳が汚れようとも。まるで、子どもが無邪気に虫を殺すように。
上半身から痛まないところがなくなった頃、あれだけ継続的に感じていた痛みを不意に感じなくなった。
「―――起きてよ」
パシンッと脳を揺らすように平手打ちで文字通りたたき起こされるリニス。どうやら、痛みのあまり気を失っていたようだ。だが、気絶の前に感じていた身体中からの痛みがなくなっていた。まるで回復魔法で傷が癒されたように。
「壊れないでって言ったよね」
まるで恨むような口調で彼女は言うが、それは無理な話だ。あれだけの痛みを感じておきながら、気絶しないなどということは、生命体をやめたはずの使い魔であるリニスでも不可能なのだから。
「……どこまで数えたかな」
回数を覚えていないのか、思案顔になる彼女。どうやら、先ほどまで殴っていた回数を忘れてしまったらしい。そのまま、忘れてくれれば、幸いなのだが。そう思ったが、彼女がたどり着いた答えはより残酷だった。
「まあ、いっか。最初からで」
無邪気な女童のような笑みで言う彼女に恐怖をプログラムされていないはずのリニスの表情が、身体の奥底から湧き出してくる恐怖で固まり、引きつるのだった。
◇ ◇ ◇
アルフが次に目を覚ましたのは、気を失って一体どれだけの時間が経った頃だろうか。それは、アルフには分からなかった。ただ、しょせん酸欠で一時的に意識を失っていただけだ。殴られた箇所は多少痛むが、それだけで、意識をはっきりさせるようにアルフは頭を振りながらゆっくりと起き上がった。
気絶する前に仕掛けられたバインドが解けていることに気がつきながら、周囲を見渡す。もしも、リニスがいたとすれば、すぐさま捕まえられる可能性が高いからだ。そして、周囲を見渡したアルフは確かにリニスを見つけた。ただし、床に倒れ、満身創痍の状態だったが。
「リニスっ!?」
気絶する前までは、傷一つなかったはずなのに、今はその真逆の状態だ。本当は敵であるはずの彼女に駆け寄る必要はないのに、満身創痍で床に倒れているリニスを目にした瞬間、思わず駆け寄ってしまったのはアルフの中にあるあの懐かしい記憶があるからだろう。
駆け寄ったアルフは、うつ伏せに倒れているリニスを仰向けの状態にする。その過程で、気がついてしまったことにアルフは思わず、ひっ、という悲鳴を上げてしまった。まず、リニスの怪我の状態だ。長袖を着ていたから分からなかったが、左右の腕の関節がいくつか増えており、曲がってはいけない方向に曲がっていた。また、仰向けにしたとき、胸元に付着していたのは赤黒い液体に気づいた。言うまでもなく、リニスの血である。その証拠に彼女の口元は、どこかが切れたのだろう、血が流れた後があったのだから。いや、それよりも顔全体も腫れており、目元には蒼痣になっているところもある。
リンチでも受けたような酷い怪我の様子に生きているのか? と疑問を持ったアルフだったが、そもそも考えてみれば、その問いは愚問だ。なぜなら、使い魔という存在はそもそも死んでいるのだから。彼女たちが死ぬときは、契約の内容を遂行したときか、主からの魔力供給が途絶えたときだけだ。
もっとも、これだけの怪我を負えば回復するのにかなりの時間が必要になることも確かだ。
「……気がついたのですね」
仰向けにされたときの衝撃で、怪我に響いたのか、ひゅー、という薄い呼吸音で懸命に呼吸をしながら、呟くようにリニスが小さく口にする。目があまり開いていないのは目の周りが腫れているためだろう。
「酷くやられたもんだね」
あまりに酷い怪我に顔をしかめながら言うアルフ。
一体、誰にやられたのだろうか? と思ったが、予想したところで意味がない。リニスを倒した誰かは、今ここにいないということは、クロノを追ってプレシアの元へと行ったのだろう。自分は、どうするべきか? と迷ったが、今にも事切れてしまいそうなリニスを目の前にして、プレシアの元へ応援に行くか、ここに残ってリニスを見張るべきか悩んでいた。
「さて、どうしたもんかね?
そんなときだ。時の庭園全体が大きく揺れたのは。まるで、アースラの内部で感じたような次元震のような揺れ。
「な、なんだいっ!?」
だが、それに答えてくれるものはなく、代わりにアルフが感じたのは、プレシアの部屋へと続く通路から人がやってくる気配。まさか、プレシア本人がやってくるのか!? 先に向かったクロノは? と疑問に思っているアルフの前に通路の向こう側から姿を現したのは、頭から血を流しながら、息を切らせたクロノだった。
「クロノっ!?」
リニスほどの満身創痍ではないとはいえ、かなり酷い怪我だった。急いで近づこうとしたアルフをクロノは手で制する。どうやら、見た目には酷いものだが、自力で動ける程度の怪我だったらしい。
「撤退だ」
どうしてここに? という疑問に答えるようにクロノは端的に事を口にした。
「プレシアは?」
「なのはさんが相手にしている。悔しいが、あんな魔法戦に加勢はできない」
執務官というプライドにかけて地元住民の女の子に頼るしかないという状況は、悔しいのか、吐き捨てるように言うクロノ。なのはという言葉に少し驚いたアルフだったが、心のどこかでは納得していた。なぜなら、リニスをここまでボロボロにできるのは確かにクロノを除けば彼女ぐらいしか思いつかないからだ。
「彼女のためにも退路の確保が必要だ」
「ちょいと待っておくれ」
急いでクロノが行こうとしているのを呼び止めてアルフは、リニスの元へ近づく。
「よっ、と」
アルフはリニスに肩を貸すように起き上がらせた。その際、怪我が痛んだのか、リニスは顔をしかめる。だが、そればかりは我慢してもらわなければならない。こうでもしなければ、彼女を連れて行くことなどできないのだから。
元々仲間だから、という単純な理由で助けるわけではない。彼女にはプレシアのことに関して供述してもらわなければならない。フェイトに罪がないようするにためにも。そう、そのために連れて行くのだ、とアルフは自分に言い訳するようにしてリニスをアースラへと連れて行こうとした。
「……アルフ、私はここに残ります」
それをリニス自身が拒否する。だが、そもそも、彼女に拒否権はない。だから、次の言葉がなければ、アルフは無理矢理にでも彼女を連れて行っていたことだろう。
「プレシアからの魔力供給が切れました。間もなく私は消えるでしょう」
「なっ!?」
リニスの言葉に驚くしかない。使い魔にとって主からの魔力供給は文字通り生命線だ。それが切られた以上、待っているのは、機能停止、使い魔にとっての死でしかない。
「それに、一応は、二度も仕えた主ですし、ここには前の私の分も合わせて思い出が多いですから」
だからこそ、ここに残りたいと彼女は言う。アルフは一瞬、逡巡した後、肩を貸した腕を外し、部屋の壁に寄りかかるようにしてリニスをゆっくりと下ろした。おそらく、自分がリニスと同じ立場であれば、同じようなことを頼んだだろうから。使い魔である以上、それがどんな主であったとしても最期は、主の近くで迎えたいと思うだろうだから。それがたとえ、プログラムされた擬似生命体とはいえ。
アルフの気遣いが嬉しかったのだろうか。今まで無表情だったリニスが少しだけ、笑って、ありがとうございます、といった。
それを見届けた後、クロノが急かす様にアルフの名前を呼ぶ。最期の別れが名残惜しいが、それでも彼女はここで消え、アルフはあの世界でフェイトと共に生きていくのだ。だから、ここでお別れ、彼女はアルフの思い出の中で生きていくだろう。そう考え、いい加減に見切りをつけ、リニスに背中を見せたアルフの背後からリニスの最期の言葉が聞こえた。
「ああ、そうだ。前の私が最期に思ったことをあなたに伝えておきます」
その時、なぜかアルフはリニスに対して背中を向けているのに、彼女が感情を持っていないのにも関わらず、リニスが笑っているような気がした。
「『フェイトをよろしく頼みましたよ』」
ああ、当たり前だろう、と心の中で返事をしながら、アルフは待っていたクロノと共に退路を確保するために時の庭園を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
プレシア・テスタロッサは苛立っていた。
「どうしてっ!? どうしてなのよっ!!」
目の前の二十個のジュエルシードと緑色の液体に包まれたアリシアを前にして、時の庭園の最下層でプレシアは叫んでいた。心の中では、なぜ? なぜ? なぜ? と自問自答する。理論は正しいはずだ。本物のロストロギアであるジュエルシードもこうして規定個数以上の数が揃っている。それにも関わらず、プレシアの計画通りに進まない。
プレシアの計画通り動いていたならば、既にジュエルシードは閾値以上の魔力を共鳴させ、暴走させ、大規模な次元震を起こしてプレシアたちをアルハザードへ誘っているはずなのだ。それなのに、目の前のジュエルシードはある程度の魔力を共鳴反応で発生させるものの一定値以上の魔力を発生させることはなかった。
自分の数年かけた魔方陣が間違っているのかと思ったが、その可能性は何百というパターンに渡ってデバッグしたはずだ。その可能性は低いといわざるを得なかった。後は、ジュエルシードの封印が解けていない可能性を考えたが、先ほどからプレシアの魔力を外部から与えているのだ。プレシアの魔力は全盛期よりも劣ったとはいえ、限定のSSランクは伊達ではない。アースラにいるのは最高でも高町なのはのSランクが最高のはずだ。つまり、プレシアの魔力で解けないはずがないのだ。
だからこそ、自分の計画が発動しない理由が分からない。
ここまでは順調だった。途中で、自分が作った人形が使い物にならないというアクシデントはあったが、それは即座に斬り捨てることと、計画の修正だけで後は、面白いように上手くいったものだ。まるで、天が、運命が、プレシアにそれを望んでいるように。だからこそ、最後の最後で、こんなことで躓いている事が許せなかった。
「私は、すべてを取り戻す。アリシアとの過去も未来も、すべてを。そう、こうでなかったはずの世界のすべてを手に入れるために」
それはまるで自分に言い聞かせるような言葉。いや、実際に言い聞かせているのだ。これが、これこそが、アリシアという最愛の愛娘を失っても生きられた最大の柱なのだから。取り戻す、手に入れる。過去を、明日を、すべてを。それだけが、プレシアの望みであり、願いであり、すべてだった。
だが、それを否定するものもいる。
「世界はいつだって、こんなことじゃないことばかりだよ」
いつの間にこの部屋に入ってきたのだろうか。カツン、カツンと足音を立てながら、黒い執務官のバリアジャケットに包まれた少年がプレシアに近づいてきていた。
「それに対して、どう足掻こうが、個人の自由だ」
アリシアを失ったという世界の理不尽をプレシアは受け入れることはできなかった。だから、足掻いた。もがいた。取り戻そうとした。
「だが、それのために誰かを犠牲にする権利はどこの誰にもありやしないっ!!」
それは、彼の宣言だったのだろう。力強い言葉だった。
だが、その言葉をプレシアは受け入れる事ができない。
犠牲? 知ったことではない。何を犠牲にしようとも、利用しようとも、プレシアはすべてを取り戻すのだ、手に入れるのだ。だから、ジュエルシードを使うことで、次元震を起こすことでたくさんの犠牲がでることも承知の上で計画を進めた。すべては、アリシアを蘇らせるという至上の目的のために。
「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。プレシア・テスタロッサ。あなたを逮捕する」
すっ、と彼が持っているデバイスを構える。
それに対して、プレシアは、一時、彼が何を言っているのか理解できないように動きを止め、やがて、表情を憤怒に彩られたものへと変える。アリシアと失った時間を取り戻すことを邪魔しようという相手なのだから。それらは、すべてプレシアにとって排除するべき敵だった。
「いいわ、坊や。少し遊んであげる」
プレシアが杖を手に取る。まるで、餌を目の前にした蛇のようにチロリと舌をだし、妖艶に笑うとプレシアは、静かに忠告する。
「だから、これで終わるなんてつまらない真似はしないでね」
―――フォトンランサー・ファランクスシフト。
プレシアの周囲に四十を越えるフォトンスフィアが一気に展開される。それを見て、クロノは度肝を抜かれたように驚いた表情をしていた。彼の反応はある種、当然といえた。その魔力量、魔法の難易度、どれをとっても無詠唱で展開できるはずの魔法ではない。それにも関わらず、プレシアはトリガーワードのみで展開していた。
驚くクロノの反応を面白がるように笑うとプレシアは、無慈悲に容赦なく、最後の言葉を口にした。
「ファイア」
四十七個のフォトンスフィアから毎秒八つのフォトンランサーがクロノに向けて発射される。それが、八秒。つまり、合計三千八のフォトンランサーがクロノを襲っていた。個人に対しては過剰ともいえる火力。いくらクロノが執務官とはいえ、まともに喰らっていれば、非殺傷設定であったとしても、意識を失うことは逃れられないだろう。
三千発を越えるフォトンランサーを放った後、魔法の爆発の衝撃でおきた煙がはれた時、クロノは額から血を流し、ところどころ爆発の衝撃でバリアジャケットが煤けていたりするものの、プレシアの予想に反してそれなりに無事だった。
ほぅ、と感心したような声をあげるプレシア。おそらく、プレシアの言葉から攻撃が来ることを予想してすべての魔力を防御魔法に集中したのだろう。全身から血を流している姿を想像していたのだが、思ったよりも楽しめそうだ。
もっとも、先ほどのフォトンランサー・ファランクスシフトをまともに防御しただけで、ほぼ限界が見えているようなものだが。だが、そのほうが八つ当たりには丁度よかった。
にぃ、と罠に飛び込んできたネズミを愚か者、と罵りながらプレシアは嗤う。
そもそも、ジュエルシードを奪えば、時空管理局が乗り込んでくる。それは予定調和のように当たり前のようだった。ならば、それに対して対策をしないほどプレシアはバカではない。しかも、そのための時間はたくさんあったのだから。プレシアにとってこの部屋はある種の要塞だ。いたるところに刻まれた魔法をアシストする魔方陣。ほぼ無限に魔力を供給するロストロギアに匹敵する時の庭園の動力炉と直結しており、無限に魔法を唱える事が可能となっている。しかも、これでも尚、プレシアはまだ隠し玉を持っている。もっとも、目の前の少年に使う必要はなさそうだが。
それからは、プレシアの狩りの時間だった。先ほどのような大規模な魔法を使うことはなかったが、中級魔法でいたぶるようにクロノに魔法をぶつける。クロノもそれが分かっているのか悔しそうにしながらも、反撃の手立てが見つからず避けることに集中している。もしかしたら、プレシアの魔力切れを狙っているのかもしれない。
だが、それも無駄なことだ。この場所において、プレシアの魔力は無限と言っていいのだから。
しかしながら、そろそろ遊ぶのも飽きてきた。そもそも、プレシアには崇高な目的があるのだ。アリシアとの時間を取り戻すという崇高な目的が。後一歩で、その時間は手に入れられる。だから、もうそろそろ遊ぶのも終わりにしようと思った。そう思って、クロノにとって最期に聞く魔法になるであろうトリガーワードを口にしようとしたとき、プレシアの脳裏に念話が入ってきた。
―――プレ……シア。申し訳………ありま…せん。そちら……に、もう一人……行かしてしまいました。―――
せっかく、もう一度使い魔にしてやったのに、使えない使い魔だ、とプレシアは思った。もっとも、一人が二人になったところで変わらないだろう。なぜなら、あの傀儡兵の山を越えてこられるとすれば、それは、執務官であるクロノか、あるいはプレシアが目をつけた高町なのはしかありえないと思っているからだ。
なのはが来たところで所詮Sランクの魔力。対してプレシアは、SSランクの魔力を自在に扱える。どう考えてもアドバンテージはプレシアにあった。しかし、目の前のクロノと協力されても面倒だ。だから、さっさと目の前のクロノは片付けてしまおうと先ほど中断した魔法を唱えようとして、またしても中断することになる。
今度はリニスからの通信ではない。気づいた、気づいてしまったからだ。この部屋にゆっくりと近づいてくる莫大な魔力を持ったものの存在に。少なくともプレシアはこんな魔力を持つ存在を知らない。思わず目の前のクロノの存在を忘れて、クロノに蹴破られた部屋の入り口を見てしまう。
カツン、カツンという足音と共にゆっくりと姿を現した彼女の姿をプレシアはどことなく知っていた。なぜなら、彼女は常に見張っていたから。彼女という存在を。翔太という餌がどれだけ彼女にとって効率的か、ということを調べるために。だから、少し成長したとしてもプレシアは彼女の名前を呼ぶ事ができた。
「高町なのはっ!!」
夜を流したような漆黒と血のように赤い文様に包まれた魔導師が、下種なものを見るような目でプレシアを見ながら、そこに立っていた。
つづく
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