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無印編
第十九話 裏 (アリサ、アルフ、クロノ、なのは)
アリサ・バニングスは未だに悩んでいた。先日、母親から言われた言葉が脳裏から離れないからだ。つまり、特別な好きを示す恋とは何ぞや? ということである。
特別な好きといわれてもアリサからしてみれば、親友である月村すずかも蔵元翔太も両者とも好きだし、母親も父親も好きだ。同じ『好き』だという言葉だが、果たしてそこに違いがあるのだろうか。少なくともアリサが実感する上ではあまり違いが分からなかった。どれも同じように思った。
だが、同じであれば、すずかが翔太に感じている好きを『恋』などと称さなくてもいいだろう。
すずかと翔太は分かっている。しかし、自分だけが分からない。それは不安だった。自分だけがおいていかれているようで。だから、アリサは土日の二日間を『恋』という単語を調べるために使った。
最初に調べたのは国語辞典。そこに載っていた意味は、【恋:特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること】とある。これだけで、なるほどと納得できるようであれば、最初から悩みはしない。
―――特定の異性に強く惹かれる?
その意味を考えてみる。状況だけで考えるなら、なるほど、すずかは翔太【特定の異性】に強く惹かれているのだろう。だが、分かったことはそれだけだ。母親が予想した内容を裏付けるようなことになっただけで、アリサが恋というものを理解できるまでには至らなかった。
次の対象は、電子的な情報であるインターネットで調べてみるか、と検索サイトで単純に『恋』という検索ワードだけで調べてみたが、ヒット件数が多すぎて探すのをやめた。検索サイトの場合、上位に示されているものが合致する場合が多いというが、恋占いなどが上位に示されており、アリサの求めている情報ではなかった。
さて、辞典もダメ、インターネットもダメ、だからといってすずかに聞くのは負けた気がして嫌。いきなり八方塞な様な気がした。だが、アリサにはまだ頼るべき存在が家の中にいるのだ。アリサは決意するとその人物の元へと駆け出した。
「ママっ!」
「なに? アリサ」
今日は休日。いくらアリサの母親が経営者といえども休日には家にいるものである。アリサにとって頼るべき存在は母親しかいなかった。
自分の部屋にいたアリサの母親は、突然入ってきた娘に驚いたようだが、基本的に笑顔でアリサを迎え入れていた。迎え入れたアリサの母親は、アリサの話を静かに聞いていた。アリサの話を全部聞いた母親は、すべて合点がいったように大きく頷くとアリサにこう提案する。
「それじゃ、本屋に行こうか」
なぜ、本屋なのだろうか? とアリサは思ったが、アリサ自身になにか案があるわけでもなかったので、母親に従い、二人で本屋に向かう。そこで母親が買ったのは数冊の本。可愛らしい絵が載っており、すずかや翔太が読むほど分厚いものでもなかった。
「これを読めば少しは分かるんじゃない?」
笑ってそういってくれた。こんな本を読んで本当に分かるのだろうか? と思うアリサだったが、どちらにしても、アリサには母親に頼る以外に道はなかったのだ。ここは、母親を信じてみようと早速家に買ってまず一冊を手に取った。
ゆっくりページを読み進めるアリサ。すずかや翔太ならもうちょっと早く読めるのかもしれないが、アリサには無理だった。一度、彼らがどうしてそんなに早く本が読めるのか、と尋ねてみたこともあったが、答えは、慣れの一言だった。残念ながら、アリサはすずかや翔太ほど本が大好きというわけではなかったので、慣れるほど読むことができなかった。
休日の二日を使って母親から渡された本を読破したアリサはいよいよ意味が分からなかった。
そこに書いてある物語はすべて『恋』が絡んだ物語だった。
笑える物語があった。悲しい物語があった。切ない物語があった。怖い物語があった。たくさんの形の恋があった。
だかららこそ、アリサは混乱する。たくさんの意味がありすぎて。どれが本当の恋なのか分からなくて。すずかたちの形はどれにも当てはまらないような気がして。どれにでも当てはまるような気がして。
さて、これだけ調べたのに結局何も分からずに休日を終えてしまったアリサだったが、これで諦めるような性根ではなかった。『恋』が分からなければ、一人だけ置いていかれるような気がするから。すずかに負けたような気がするから。
だから、休日開けの次の日。すずかたちの恋を理解するためにアリサは観察をするためにすずかたちを目を皿のようにして観察した。すずかが休み時間に翔太に話しかけている様子もお昼ごはんのときに翔太に手ずから食べさせているところも。
結局、丸一日、すずかと翔太の様子を観察したアリサだったが、観察しただけで分かるようなら苦労はしない。分かったことといえば、先日の休日に読んだ本の内容と似たような場面がいくつか見受けられたことだけだろうか。
その日の授業も終わり、放課後。アリサは、未だかつてないほどにイラついていた。
―――分からない、分からない、分からない。
学業レベルでいうと翔太には僅かに劣る部分があるとはいえ、アリサは十二分に秀才と呼ぶにふさわしい頭脳を持った少女だ。ゆえに今まで学校や塾レベルでも悩んだことは殆どなく、少しヒントをもらえればすぐに問題を解くことができた。
だが、今、アリサが悩んでいる問題は、答えがまったく見つからず、未だかつてない経験にアリサはいい加減にイライラしていた。もしも、もう少しアリサが気楽な性格であれば、あるいは翔太たちが大切な親友でなければ、アリサがここまで悩むこともなかっただろう。だが、アリサが負けず嫌いで、翔太とすずかが親友であるがゆえにアリサは悩みを放棄することはできなかった。
「どうした? バニングス。なんだか、イラついているようだが」
ふと振り返ると、そこに立っていたのはアリサたちの担任だった。アリサのあまり見せない態度を怪訝に思ったのだろう。
いつもはどちらかというとアリサの親友である翔太に用事が多い担任で、優等生といえるアリサはあまり話しこんだことはないのだが、アリサにとっては渡りに船だった。目の前の女性は先生なのだ。つまり、自分の悩みも知っているような気がした。
「先生、教えて欲しいの」
「ほう、バニングスが、か? 話してみるといい。私が教えられることなら教えよう」
すぐ傍にあったほかの生徒の椅子を引っ張り、担任はアリサの話を聞く体勢に入った。それを有り難いと思いながらアリサは自分の悩みの内容を話した。
「ふ~む、それは難しい問題だな」
「先生でも?」
アリサの話を聞いた担任は、難しい顔をして顎に手を当てて唸る。それを見てありさも不安になった。先生でも解けない問題なのか、と。だが、アリサの不安げな表情を見て、慌てたように前の言葉を否定する。
「いや、難しいのとはちょっと違うかな。正確には答えがないから答えられないというのが正解か」
「どういうこと?」
今まで答えを探してきたアリサの悩みが答えがないことといわれてアリサは混乱する。ならば、今まで国語辞典や母親が買ってくれた本に載っていたものは何だったというのだろうか。その疑問に答えるように担任は言葉を続けた。
「バニングスが探していることは人によって千差万別なのさ。恋を麻薬のようなものと言う人もいる。楽しいものという人もいる。悲しいものという人もいる。切ないものという人もいる。感じ方なんて人それぞれ。だから、私はバニングスに対しての答えはない。バニングスに答えられるとしたら―――」
そういうと担任はアリサの胸を指差した。
「バニングス、おまえだけだよ。バニングスが恋だと感じたことが答えだ。それが楽しいか、悲しいか、切ないか、私には分からない。だから、言えることは唯一つだけだ」
そういうと担任はアリサの胸を指差していた手を戻して楽しいものでも見たようにカラカラ笑いながらいう。
「焦るな、少女。女の子である以上、避けては通れない道だ。ある日突然わかるかもしれないし、ゆっくりと分かるかもしれない。だから、焦らず、おまえだけの恋を見つければいい」
―――あたしだけの恋……。
その言葉は、酷くアリサを揺さぶった。
そう、アリサはアリサだ。すずかではない。おそらく、すずかはすずかだけの恋を見つけたのだろう。それが翔太だっただけの話である。だが、それはすずかであり、アリサではない。アリサはアリサだけの恋を未だに見つけていない。
ああ、なるほど。それでは、見つからないわけだ。分からないわけだ。なぜなら、アリサは今まで自分の外に答えを求めてきた。だが、違った。答えは、アリサの中にしかないのだから。
「……先生、ありがとう。少しだけ分かったような気がする」
「いやいや、私は先生だからな。生徒の疑問に答えるのは当然のことだ」
いつもは頼りないように見える先生の緩い笑みが、そのときはとても頼りがいのあるように見えた。
◇ ◇ ◇
「お兄ちゃん、動いちゃダメ」
「わかったよ」
うんざりするような口調でソファーに座りなおす翔太を見てアルフはこっそり隠れて笑った。正面から笑うのはさすがに悪いと思ったからだ。
翔太がジュエルシードの捜索から帰って来て、晩御飯を食べた後から、翔太はアリシア―――フェイトのお絵かきにつき合わされていた。どうやら、昨日の休日に買ってもらった色鉛筆と画用紙が気に入ったようで、午前中もずっと画用紙に絵を描いていた。
その時気になったのはフェイトが右手ではなく左手で色鉛筆を握っていることであり、しかも、普通であれば右利きの人間が左手で書くのは難しいはずなのに書いた記憶があるように多少ぎこちないながらもきちんと書けていたことである。
もう一つ気になったのは、昼間、フェイトが画用紙に書いていたのはフェイトと翔太の母親である。ロングの黒髪と柔らかい笑み。フェイトもその隣で笑っている。当然、絵描きのように上手ではないが、要所は押さえた子どもらしい絵である。そして、フェイトと翔太の母親だけではなく、その傍にちょこんと存在する猫のような動物がいた。フェイトにその動物のことを聞いてみたが、フェイトは、あれ? といった様子で首をかしげていた。フェイトが無意識のうちに書いたものである。
アルフにはその姿に見覚えがあった。
―――リニス。
灰色の毛を持つ猫のような動物。かつてのフェイトの教育係にして、思い出したくもないあのクソ婆の使い魔である。
だが、フェイトとしての記憶をなくしているフェイトがどうして彼女を知っているのだろうか。いや、それを言うなら、なぜフェイトは、彼女の人間体ではなく、本来の姿を書いているのだろうか。フェイトの教育係としていたときは人間体の格好が多かったというのに。
「できた」
食後の翔太の犠牲もあったのだろう。どうやらフェイトの絵は完成したらしい。後ろから覗き込んでみるとフェイトとアルフ、翔太の母親、翔太の父親、翔太が画用紙一杯におしくら饅頭をするようにぎちぎちに書かれていた。
「へ~、僕にも見せてよ」
そういいながら、モデルとして今まで動けなかった翔太がソファーから立ち上がり、フェイトの傍へと近づき、画用紙を覗き込もうとしたのだが、翔太の目に入る前にフェイトは、画用紙をパタンと閉じてしまった。
「見せてくれてもいいのに」
「恥ずかしいからダメ」
不満げな顔をする翔太にフェイトはまるで画用紙を守るようにぎゅっと画用紙を抱き込む。自分には見られてもいいのだろうか、と思うのだが、それだけフェイトとの距離が近いと思っておくことにした。しかし、フェイトに画用紙が抱き込まれるととてもじゃないが、翔太は手を出すことはできない。
「どうしても?」
「どうしても」
頑なに拒否するフェイトを見ると翔太も無理にはいえないようだ。ふぅ、とため息を吐いて再びソファーにその身を沈みこませた。もしかしたら、もともとあまり興味がなかったのかもしれない。
「翔太~、アリシア~、お風呂に入っちゃいなさい」
「は~い」
翔太の母親の要請に元気よく返事したのはフェイトだ。逆に翔太は嫌そうな顔をしている。フェイトと一緒に暮らすようになって、一緒にお風呂に入るように言われるたびに翔太はいつも嫌そうな顔をしている。お風呂が嫌いなのだろうか、と思ったこともあったが、聞いてみれば、なんでもフェイトと一緒にお風呂に入るのが嫌なようだ。兄妹が一緒にお風呂に入るのがどうして嫌なのだろうか? アルフにはいまいち理解できないことだった。
「ほら、お兄ちゃん、行こう」
ソファーに座ったままの翔太の手を引っ張って無理矢理立ち上がらせるフェイト。翔太もそれに逆らわない。いや、逆らっても無駄だと分かっているのだ。最初は、かなり逆らったが、フェイトが泣き出し、さらには翔太の母親に怒られて以来、翔太は半ば諦めの境地に立っているといっても過言ではないのではないだろうか。
いつもは、兄貴風を吹かせ、子どもに見えない翔太が唯一子どものように見えて、こみ上げてくる苦笑を先ほどの面白い笑みとは違って苦笑を隠せないアルフだった。
「それじゃ、あたしも一緒に入ろうかね」
魔法生命体とはいえ、お風呂にぐらいは入る。それにアルフはこれでもお風呂は好きなほうだ。もちろん、人間形態だ。そもそも、家庭のお風呂は、狼などが入るように作られていないため、狼姿で入るのはいささか無理があった。
「アルフも一緒にお風呂っ!」
「……勘弁してくれ」
アルフの主であるフェイトは大喜びだったが、なぜか翔太は、ガクリと肩を落としていた。なにか不都合があるのだろうか。確かに三人で入るにはいささか手狭だが、フェイトと翔太はまだ子どもなのだ。アルフが人間形態で入ったとしても余裕があるはずだ。
少し翔太が抵抗したが、結局、後でアルフが入るのもお湯がもったいないということで、三人でお風呂に入ることになった。もっとも、翔太は目を瞑って一切、こちらを見ようとはしないのが不審な行動といえば、行動だったが。
さて、お風呂にも入ってやや時間も過ぎた頃、フェイトは眠くなったのか、いつも翔太の母親と一緒に寝ている寝室へとやってきた。本当なら翔太の母親と一緒に寝ているのだが、今日はまだ翔太の母親が家計簿とやらをつけている最中ということで、今日はアルフと翔太がフェイトが寝付くまで一緒にいることになった。
ちなみにアルフはいつもは、リビングで狼形態になって寝ている。翔太は自分の部屋があるのものの、最近はフェイトと一緒に寝ており、自室のベットはあまり使っていないようだった。
寝室で布団に包まれたパジャマ姿のフェイトは、よほど眠かったのか、布団に包まれた途端に寝息を立てて眠り始めた。
「ねえ、アルフさん」
「なんだい?」
フェイトを起こさないための配慮なのだろう。フェイトを挟んだ向こう側で寝ているはずの翔太が小声でアルフに話しかけてきた。アルフは、最近、ようやく見ることができた安らかな寝顔で眠っているフェイトの頭を撫でながら答える。
「今日、時空管理局の人が来たよ」
「そうかい」
思ったよりも衝撃はなかった。ジュエルシードを集めている頃なら、まだ衝撃はあったのかもしれない。なぜなら、管理局に逆らってジュエルシードを探さなければならないのだから。だが、今はこうしてフェイトはジュエルシードを探すこともなく安らかに眠っている。だから、あまり管理局のことは頭になかったのというのが正確なのかもしれない。
「アリシアちゃんのことを話したよ。どうやら管理外世界の無断渡航で、少し罪があるらしいけど、アリシアちゃんの母親のことを話せば、司法取引で無罪になるらしい」
それを聞いてアルフは、ほっと胸をなでおろした。確かに言われて見れば、管理局に何も言わずに管理外世界に来ているのだから当然、その分の罪がある。だが、あのクソ婆のことを話すことでフェイトが無罪になるのであれば、アルフは洗いざらい話すつもりだった。
「後は、事情聴取とか病院とかあって一度、管理世界の方に行かなくちゃ行けないみたいだけど、それが終わって手続きすれば、このまま僕たちと一緒に暮らすこともできるみたいだよ」
「なるほどねぇ」
翔太の言葉に相槌を打ちながらもアルフは考えていた。つまり、今の言葉は、アルフに問いかけているのだ。このまま残るか、あるいは管理世界に行くか。それはアルフの一存で決めることはできない。だが、このままであれば、翔太の母親を母さんと慕っているフェイトはこの家に残ることを選択するだろう。いや、それ以外の選択肢があるとは考えにくい。もしも、翔太の母親から引き離そうとするとあの症状が出ることも考えられる。
「なあ、一つ聞いてもいいかい?」
翔太からは無言の肯定。そう、これだけは聞いておかなければならない。
「あたしたちがいて、迷惑じゃないかい?」
そう、この家族にとって自分たちは突然現れた異物だ。一時的なものなら許容することはできるだろう。だが、仮にそれが恒久的に続くとなると事情が変わってくる。もしも、迷惑だといわれれば、アルフは何とかしてフェイトとフェイトが幸せになれる道を探すつもりだった。
アルフの問いに翔太は少しう~んと考えるような間をおいて再び口を開いた。
「迷惑なんかじゃないよ。俗物的なことを言えば、お金は月村家から入ってきてるし、アリシアちゃんの戸籍も裁判所に認められればすぐにできるしね。後は、親父と母さんだけど……親父は娘ができて頬緩みっぱなしだし、母さんも女は自分だけだったから、アルフさんとアリシアちゃんが、来て嬉しいと思うよ」
いや、むしろ、母さんなら離れようとしても離してくれないかもね、と笑いながら言う。
「それじゃ、あんたは?」
「僕? 僕は全然迷惑じゃないよ。同い年だけど、妹ができるのも反対じゃない。まあ、お風呂とかは本当に勘弁して欲しいんだけどね」
最後は本当にうんざりした様子だったが、それは嫌々というよりも気恥ずかしさだろう。
「そうかい」
どうやら翔太の家族はお人よしらしい。こんな風に転がり込んできた人間を信用して、ややこしい事情を持つことを分かっているのに受け入れてくれるのだから。だが、それはアルフにとって非常に有り難かった。どうやら、翔太の家族は、アルフたちがこのまま家族になることを悪くないと思ってくれているらしい。ならば―――
―――このまま、ここで暮らせれば一番なのかね。
フェイトの今まで見たこともないような安らいだ寝顔を見て、アルフはそう思うのだった。
◇ ◇ ◇
クロノ・ハラオウンは、疲れたと思いながらアースラの管制塔に入った。
そこでは、クルーの一人で、クロノとも縁のあるエイミィが一人作業をしていた。後ろから覗き込んだコンソールから見るにどうやら今日の模擬戦をまとめていることが見て取れた。
「わっ! クロノくん、いるならいるって言ってよ。びっくりしたじゃない」
「それは、すまないことをしたな」
おそらく、コンソールの画面で反射する姿で自分を確認したのだろう。驚いて、椅子を回して自分と向き合う形になったエイミィにクロノは素直に謝罪した。
「まあ、いいけどね。それで、今まで何やってたの?」
「スクライアの子とジュエルシードの所有権やらについて話してきた」
本当なら接触がもてた今日にでもその話をしたかったのだが、意外とややこしいことになっていたためジュエルシードの話はできなかったのだ。
事故が起きたのはスクライア一族から管理局に運搬する最中。ジュエルシードは売買の形で発掘したスクライア一族から管理局が購入した形になっている。管理局としては、ジュエルシードのような次元干渉型は、すぐにでも手に入れたいのだが、奪うような形で徴収すれば、スクライア一族との軋轢にもなりかねない。故に売買の形。ロストロギアを売買するのはどうなのだ? という議論はあるが、日常的に人員不足に悩まされる管理局としては、ロストロギアの発掘などに割ける人数がいるわけもなく、スクライア一族としても発掘したロストロギアを怪しいところに売るわけにもいかないので、お互い旨みのある取引としてこのビジネスモデルは成立していた。
今回はそれが問題をややこしくしていた。発掘した直後の所有権は、スクライア一族。ジュエルシードが到着して、受取書にサインすれば、所有権は管理局。だが、今回は輸送中の事故なのだ。当然、ジュエルシードのようなロストロギアを運ぶ以上、相当の保険はかけていたので、スクライア一族は保険会社から莫大なお金を得ることになるだろう。だが、ジュエルシードというAクラスのロストロギアが21個も紛失してしまったのだ。保険会社も査定がおいついておらず保険金はもらえるだろうが、まだ保険金は降りていない。
それはともかく、お互いに所有権を受け渡す途中で、保険金も降りていないため、所有権が宙に浮いたままになってしまったのだ。スクライア側は、管理局から代金は受け取っているが、管理局側はジュエルシードを受け取っていない、スクライア側は所有権を手放しているが、管理局側は所有権を受理していない。
なぜ、これが問題になるかといえば、所有権がどちらにあるかによって、現地住民への謝礼金の支払いがどちらになるかが決まるからだ。管理局としては、スクライア一族に払った以上のお金は払いたくない。スクライア一族としても、ジュエルシードの代金と保証金を減らしたくない。ということで、ジュエルシードの所有権をお互いに譲る形となってしまった。もしも、ジュエルシードが見つからなければ、スクライア一族は保険金を受け取り、管理局は支払いの代金を返金という形になったのだろうが。
もっとも、お互いに所有権を譲り合っていては、埒が明かないので、発掘責任者のユーノと執務官のクロノの協議の結果折半という形でなんとか収まった。
「それで、謝礼はどうするの?」
「それがまた問題だな」
管理世界の住民なら規定の謝礼金を支払っておしまいだろう。管理世界の通貨はそれぞれ管理局で交換できるのだから。だが、今回は相手が管理外世界の住民だ。つまり、管理局の通貨は使えない。だからといって、ジュエルシードほどのロストロギアの謝礼金を金などの貴金属で払おうとすると、相対的な価値を持つこの世界の金の相場を崩してしまう。それは、管理局が定めた法に過干渉という意味合いで違反してしまう。
だからこそ、クロノは頭を悩ませていた。もっとも、謝礼の内容は、明日の交渉次第だろう。
「それで、エイミィは何をしてたんだ?」
「今日の模擬戦の解析だよ」
そういって、キーボードをカタカタッと叩くと管制塔の大画面にクロノとなのはという少女の模擬戦の様子が表示された。
杖を振るい、桃色の光に包まれた少女が黒い少年に果敢に戦いを挑む様子が映し出されていた。
「すごいよね。この子、平均魔力値だけで言うならSクラスだよ」
「確かに魔力はすごいが………それだけだな」
そう、だからこそ、魔力で劣るクロノはあの少女に七回も勝てたのだ。
白い少女―――なのはといっただろうか、彼女の戦い方は綺麗だった。綺麗すぎた。おそらく、彼女に対人経験はないのだろう。シミュレーションばかりのはずだ。だからこそ、型にはまった綺麗な戦い方をしていた。シミュレーションをあのインテリジェントデバイスで行っていたとしても、パターンには限りがある。そして、シミュレーションに従い綺麗に戦う以上、執務官としての経験を積んできているクロノが負ける理由は何所にもなかった。
綺麗であるが故に、教科書どおりに対処するが故にクロノにはなのはの次の行動が分かるのだ。次の行動が分かる以上、なのははクロノの手の平の上で踊っているに過ぎなかった。
「しかし、あれで魔法を習い始めて一ヶ月なんていったら、管理局の何人が辞表を出すかな」
最初は耳を疑ってしまったが、信じられないことに彼女が魔法を習い始めて一ヶ月しか経っていないというのだ。もっとも、最初は信じられなかったが、模擬戦を勧めていくうちにそれが信じられるようになった。
高町なのはは成長のスピードがありえないほどに早い。クロノの動きにも模擬戦の三回目には目で追うようになり、五回目ぐらいには半ば反応できるようになっていた。わざとシミュレーションにはありえないトリッキーな動きを取り入れたというのに同じ手が綺麗に決まることはなかった。
最年少に近い管理局の執務官であるクロノでさえ、彼の恩師の使い魔に何度も叩きのめされ、身体で覚えたというのに彼女は、一回の痛みで、クロノの動きをものにしてしまうのだ。それは、シミュレーションとはいえ、一ヶ月であれだけ強くなるはずだ。
「う~ん、この子が協力してくれたら今回の事件も楽に解決しそうなんだけどね~」
「だろうな」
エイミィの言葉には賛成だ。この戦力をもしもアースラが使えるとすれば、それは多少腕は落ちるもののSクラスの魔導師が存在することになるのだから、楽にならないわけがない。
「だが、取りたくない手ではある」
「そうだね」
クロノとエイミィは同じ思いだった。
彼女は、いくら強いといっても齢十の子どもなのだ。しかも、この世界では、十歳はまだ初等教育を受けている最中というではないか。それを言えば、ユーノも十歳であるが、彼は文字通り世界が違う。世界が違えば文化もしきたりも異なる。ユーノの世界では、十歳でも戦力になれば大人なのだ。だが、この世界は違う。管理世界やユーノの世界とは異なり、十歳はまだまだ子どもなのだ。だからこそ、クロノとエイミィはこれ以上、関わってほしくなかった。
―――それに、少し気になることもあるしね。
言葉には出さないもののクロノにも気になることがあった。
杖をあわせたものだけが分かる感覚とでも言おうか、彼女と杖を交わしたときに感じた魔力に込められた強い感情。敵意とも恐怖とも不安とも取れるその感情。敵意は分かる。彼女がクロノを自分よりも弱いといった以上、何かしらの理由から自分に敵意を抱いていたのだろう。子どもといえば、おもちゃを取られただけで怒るのだから、魔法を取り上げられそうになって怒った、といえば説明がつくかもしれない。だが、恐怖とは? クロノに理由が分からない以上、答えの出しようもなかった。
もしかしたら、彼女は魔法が使えなくなることで何か失うものがあるのかもしれない。
もしかしたら、魔法に関わらなければ、そんな恐怖を、不安を感じなくてもよかったのかもしれない。
もしも、魔法に関わってしまったことで何かしらの影響を受けてしまったというのならば、管理世界の治安を守る執務官として申し訳なく思うのと同時に彼女が魔法を失っても幸せを得られることを願うしかなかった。
◇ ◇ ◇
高町なのはが目を覚ましたのは夜も遅い時間帯だった。
―――あれ? 私………どうしたんだっけ?
彼女が目を覚まして最初に目に入れたのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。まだ意識がしっかりと覚醒していないなのはは、どこかだるい身体に少し力を入れて、意識が覚醒しないながらも上半身を起こす。彼女の身を包む衣服が制服からパジャマに替わっているのだが、そのことにまだ意識がはっきりしないなのはは、気づくことはなかった。
上半身を起こしたなのはは、ここが自分の部屋であることを確認すると、未だはっきりしない意識の中で状況を整理し始めた。
―――ショウくんとジュエルシードを探して、ジュエルシードが暴走して、封印して………あれ? どうなったんだっけ?
そこから先がはっきりしない。まるで、そこから先を思い出すことを拒否するかのように。その先を思い出そうとするとガタガタと身体が震える。だが、一度辿り始めた記憶の線はいくら拒否してもその先を思い出させることになってしまった。
―――時空管理局の人が来て、アースラとか言う船にいって、そして、そして、私は、わたしは、わたしは……あ、あの黒い人に……
その先を考えることができなかった。それを考えてしまうと、なのはの意思が壊れてしまいそうだったから。その結果はなのはの禁忌に触れるものだったから。だが、なのはは思い出してしまったのだ。ゆえにそれから目を背けることはできても頭の中にこびりついてしまう。いくら現実を否定しても、目の前にぶら下がる現実は変わらない。
つまり―――高町なのはがクロノ・ハラオウンに負けたという現実は。
負けたという現実は認めたくない。認められない。だが、それはなのはが目を背けようが逃げようのない現実だった。
「あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ」
魔法で誰かに負けてしまったという現実は、なのはをパニックに導いてしまう。口から出る音はなのはの心の悲鳴だった。
パニックと恐怖に支配されたなのはは、ベットの上で膝を抱えて体操座りのような体勢で、身を守るように体を小さくしていた。だが、心の内から湧き出してくる恐怖のせいだろうか、なのはの肩はガタガタ震えているし、カチカチと口も震えて歯が鳴っていた。
―――負けた、負けた、負けた、負けた、まけた、まけたまけたまけたまけた。まけてしまった。
なのはの中で思考がループする。
魔法で誰かに負けること。それはなのはにとっての禁忌だったのだ。だからこそ、今では3万を超えるシミュレーションにも耐えられたし、苦手な早起きにも耐えられたのだ。それも全部、負けないことで翔太と一緒にジュエルシードの捜索をするために。
だが、今のなのはは、クロノに負けてしまった。あの時空管理局の執務官を名乗る青年に。
彼と対峙したとき、なのはは勝てると思っていた。彼から感じられる魔力は明らかに自分よりも小さかったから。それにジュエルシードを集める上で戦ったことも、あの黒い少女に勝てたこともなのはにとっては自信の一部だったのだろう。
だが、それはなのはの勘違いだった。いや、魔力で判断したことが間違いだったのかもしれない。現になのはは、クロノに負けたのだから。
このままではクロノが言ったとおりになってしまう。それが、なのはにとって一番恐れることだった。
―――明後日から今までのことは忘れて元の生活に戻ってください。
今までのことを忘れて、元の生活に戻る。それは、なのはにとっては、魔法に出会う前の生活に戻るということだ。
あの暗く沈んだ闇の中にあるような生活に。なんの楽しみもなく、喜びもなく、光もない。あの生きた屍のような日々に戻るということである。
それは、翔太との生活の中で、褒められる喜びと認められる嬉しさを知ってしまったなのはには耐えられないことだった。そんな生活に戻るぐらいなら悪魔と契約してでも今の時間を護るために戦うことを選ぶだろう。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう」
がりがりと親指の爪をかみながら出口のない迷路を迷うようになのはは起死回生の一手を探していた。だが、そう簡単に見つかるはずもなかった。しかし、見つけなければならない。なのはが今の時間を護るために。タイムリミットは明日の夕方までだろう。それまでになんとしてでも探さなければならない。
そして、先ほどの思考の一部が起死回生の一手のためのヒントを与えてくれていた。
―――悪魔と契約してでも。
ふと、なのはの虚空を見つめていた視線がある一点を凝視する。そこは、なのはが愛用している学習机だ。その中でも特に見ているのは、学習机に付属している鍵がかかる一番上の引き出し。正確にはその中に大事に仕舞われている中身だ。
「みつけた……」
なのははうわ言のように呟きベットから降りるとふらふらと夢遊病者のようなおぼつかない足取りでまっすぐ鍵のかかった学習机の引き出しへと歩く。彼女の机なのだ。鍵のある場所など分かっている。隠すように仕舞っていた鍵を取り出すとなのはは躊躇せずに鍵を回して引き出しを開けた。
そこに鎮座しているのは、小さな箱。その中身は、それ一つで海鳴の街を灰燼にできるほどの力を秘めた蒼い宝石。
なのはの手がゆっくりとその箱に伸び―――
「これが……あれば……」
なのはの小さな手は、願いの叶うといわれる宝石が仕舞われた箱を手に取るのだった。
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