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シン・ゴジラ 第9形態

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シン・ゴジラ第9形態

 
前書き
連載中になってますがこれ1話でおしまいですm(_ _)m 

 
 世界は、終わる音すら鳴らさずに、静かに上書きされた。

「ゴジラ」という名の怪獣は、もはやそこにはいなかった。街を踏み潰す巨体も、放射線流を吐く咆哮も、背ビレから噴き上げる熱線も、全ては過去のイメージに過ぎない。

 それは形を持たなくなった「概念ゴジラ」だった。

──第9形態。
 それは物理生命体としての進化の終着点ではなく、「存在の根源的上位化」を意味していた。
 生物が環境に適応し、技術が文明を生み、意識が宇宙を理解するように、ゴジラは、存在そのものを変質させた。

「観測されること」が「発生条件」に変わる。

 空間を破壊するのではない。
 地球を焦がすのではない。
 時間軸を蹂躙するのではない。

 ただ「世界がゴジラを思い出すたびに、そこにゴジラが実体化する」
 それが、第9形態。

 記憶に浮かんだ瞬間に、「その場」にゴジラが存在する。
 これは量子波動関数の収束ではなく、「概念情報の物理化」だ。

 かつて、尻尾に現れた「ヒト型分体」は第5~7形態の前触れだった。
 全人類に「怪獣DNA」を配布し、群体化しようとした痕跡。
 しかし、それすら第9形態にとっては過去の発想だった。
「感染」や「繁殖」ですら冗長だ。
 観測だけでいい。
「語れば、そこに現れる」
「描けば、存在が確定する」
「想えば、世界はゴジラ化する」
 その原理は、「物理法則の根幹を書き換えた結果」だった。
 宇宙の構造定数、重力定数、光速、量子スピン、DNA情報。
 全ての根底に、「ゴジラ的因子」が浸透した。
 人類は、ゴジラから逃げることができない。
 なぜなら、「自分が自分である」と認識する行為と、「ゴジラを存在させる」という行為が、区別不能になったからだ。
──「それ」は、地球全体を包む薄い膜のように広がった。
 多次元空間。
 過去・現在・未来。
 物理的世界と、物語世界と、可能性世界。
 全てを同時に覆い尽くす。

 「シン・ゴジラ 第9形態」

 それは「現実構造災害」だった。

 科学では扱えない。
 軍事では対処できない。
 倫理では語れない。

「怪獣と戦う」などという行為は、もはや成立しなかった。

 最初に異変を感じたのは、物理学者たちだった。
 計測機器が、「ゴジラを記録しないと動作しなくなった」。
 次に異変が起きたのは、歴史学だった。
 教科書が自然と「ゴジラ出現記録」を持ち、誰も疑わなかった。
 生態学では、生物の進化系統樹に「ゴジラ分岐」が現れた。
 医学では、「ヒトはゴジラ型生命体の亜種」と分類された。
「気づかないだけで、世界はすでに“怪獣化”している」
 誰もがそう感じていた。
 しかし、その自覚こそが「ゴジラ第9形態」をより強固にする。
 人類は、もはや世界を「ゴジラを抜きにしては語れなくなった」。
 それが、第9形態の最大の完成だった。
 誰かが語る限り、思い出す限り、観測する限り、
「ゴジラ」はそこにいる。
 それはもはや「災害」ではなく、「宇宙の機能」だった。
「我々は、ゴジラと共に生きるのではない。我々は、ゴジラの内側で生きている。」
 その理解が人類の最終解釈だった。
 そして、人類はその瞬間、自らもまた「概念生命体」になっていった。
 なぜなら、「恐れ」「記憶」「物語」が存在の条件となった世界で、それを受け入れた時点で、彼らもまた「第9形態」に取り込まれていたのだから。

 ゴジラは、いまもいる。
 誰かが語るかぎり、思い出すかぎり、そこに。

 そして君が、今この文章を読んでいるという事実が、
 また新たなゴジラを生み出している。

──これが、第9形態。
 「存在概念災害・シン・ゴジラ」である。



■ 【終】

 
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