拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~
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最終章 卒業後……
誤解と嫉妬 ②
「いやあ、珠莉ちゃんには話しにくくてさ。珠莉ちゃんとは将来、結婚も考えてるけど。あっちの家柄すげえじゃん? だから何か、仕事辞めたいって言うのもみっともないっつうか、男としてのプライドが邪魔して」
「プライドって……。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 大事なことじゃない。本気で珠莉ちゃんと結婚したいって思ってるなら、なおさらちゃんと話さないとダメだよ。それに、こういうことしてたら珠莉ちゃんにわたしとのこと誤解されちゃうし」
「それは……困るよなぁ」
治樹さんが眉根を寄せて頬をポリポリ掻く。
愛美だって、三年かかって親友になれた珠莉に嫉妬されて、関係がギクシャクしてしまうのはイヤだ。それに、純也さんから誤解されるのもイヤなのだ。治樹さんは愛美にとって親友の兄であり、兄のような存在でしかないのだから。
「うん。だからね、ちゃんと珠莉ちゃんにも話した方がいいと思うな。結婚まで考えてるなら、珠莉ちゃんにも無関係な話じゃないんだし」
「だよなあ。……分かったよ、ここは愛美ちゃんのアドバイスどおりにするかな」
「それがいいよ」
愛美はとりあえずホッとひと安心して、レモンティーを飲んでいたけれど。大きな窓の外に見慣れた車を見つけて、驚いて思わず二度見してしまう。
(あの車は純也さんの……。でも、どうして彼がこの町に?)
「愛美ちゃん、どうかした?」
「あ……、ううん。ちょっとね、知り合いの車が見えた気がして」
「もしかして彼氏? 珠莉ちゃんの叔父さんだっけ」
「うん……、まあ……そんなところ」
今日、彼が横浜に来るなんて、愛美には一言も連絡してきていなかったはずなのに。どうして彼がここに来ているんだろう?
(……そういえばわたし、午後から一回もスマホ見てないかも)
スマホのロックを解除すると、純也さんからのメッセージの通知が一件入っていた。
『愛美ちゃん、俺、今日一日予定が空いたんだけど。
今から会いに行っていいかな?』
「…………マジで?」
純也さんは愛美からの返信を待たずに、横浜まで車を飛ばしてきたらしい。
(純也さん……! サプライズで会いに来たかった気持ちは分からなくもないけど、せめてわたしが返事するまで待とうよ……。こっちにも都合ってものがあるんだから)
愛美は頭を抱えた後、ふとあることに気がついた。彼はもしかしたら、愛美が治樹さんと一緒にこのファミレスで食事をしているところを見ていたかもしれない。それをもし「浮気している」と誤解されたら……。
「……愛美ちゃん?」
「治樹さん、ゴメンなさい! わたし、ちょっと用事を思い出したから先に出るね! お会計は済ませておくから、治樹さんはゆっくりしていって!」
愛美は伝票を掴んで席を立つと、慌ててそれだけを治樹さんに伝え、二人分の会計を済ませてお店を出た。
(っていうかわたし、今日お店で支払いするの二回目だよ。お小遣いは充分にあるからいいけど)
そんなことを思いながら、増額してもらったお小遣いと原稿料に感謝したのだった。
* * * *
――ファミレスを出て交差点まで行くと、そこに純也さんの車が停まっていて、愛美に気がつくと二、三回クラクションを鳴らした。
「愛美ちゃん、やっとメッセージに気づいてくれたんだね。ここじゃナンだし、乗って」
「うん……。じゃあ……おジャマします」
愛美は彼からのメッセージに気づくのが遅れたことへの申し訳なさと、浮気をしたわけではないけれど他の男性と会っていたことへの後ろめたさ半々で、恐る恐る助手席に乗り込んだ。
「純也さん、ゴメンね。今日は午後から編集者さんと会ってたから、スマホをずっとサイレントモードにしてて。ついさっきまでメッセージが来てることに気づかなかったの」
これからどこへ向かうのか分からないけれど、走行中の車内で愛美は純也さんに謝った。
「編集者さんと?」
「うん。例の渾身の一作が書き上がったから、原稿を渡すために横浜まで来てもらったの」
「そっか、ついに書き上がったのか。愛美ちゃん、お疲れさま」
「ありがとう! 岡部さんもね、……ああ、編集者さんの名前ね。今度の作品は絶対に出版が決まるようにプレゼン頑張るって言ってくれたから。今度こそ、純也さんにも読んでもらえるよ」
「そっかそっか、それは楽しみだな。……ところでさっき、ファミレスで治樹君と一緒だったように見えたんだけど、俺の気のせいかな?」
「あ……、それは……えーっと」
せっかく話が盛り上がっていたのに、雲行きが怪しくなりかけている。愛美は焦った。
(純也さん……、もしかして怒ってる……? っていうか見られてた……)
「あっ、あの……ね。あれは別に、浮気とかそういうのじゃなくて。岡部さんと別れた後に、偶然バッタリ治樹さんに会ってね、ちょっと悩みを聞いてあげてたっていうか……。ファミレスに入ったのは、治樹さんが仕事に追われてて、お昼ゴハンもまだ食べてないって言ったからで」
「…………そうか」
しどろもどろになりながら答えても、純也さんの反応は冷ややかで、愛美は泣きそうだった。何も悪いことなんてしていないのに……。
「お願いだから信じて! 治樹さんもね、珠莉ちゃんには『仕事を辞めたい』なんて言いにくいからって悩んでて、妹みたいなわたしだから話しやすかっただけだと思うの。わたしとあの人との間に何かあったって思うなら、それは純也さんの誤解だから! ホントに何もないから!」
「あー、もう! 分かった! 俺が悪かったよ。勝手に誤解して本っっ当に申し訳なかった! ガキみたいだって自分でも分かってるけど、愛美ちゃんが他の男と会って話してるだけで面白くなかったんだよ」
「え…………? 純也さん、もしかして治樹さんに嫉妬してたの?」
愛美が指摘すると、純也さんは図星を衝かれたらしく赤面してコクンと頷いた。
「…………自分でも、ガキみたいでカッコ悪いなと思うよ。三十過ぎたいい大人の男が何やってるんだって。でもやっぱり君と年齢が離れてるせいもあってさ、自分より君と年齢の近い男が君と仲良くしてると……何ていうか。愛美ちゃんには俺なんかより、そっちの方がお似合いなんじゃないかって思えてきて」
よく「男の嫉妬はみっともない」と言われるけれど、彼の嫉妬はまったくそんなふうに感じられないのはなぜだろう? それだけ、彼に愛されているからなんだろうかと愛美は思った。
「そんなことないよ、純也さん。たとえ傍から見ればお似合いに見える相手がいたとしても、わたしが好きになった相手は純也さんだけだから。そもそもわたし、治樹さんのことは恋愛対象として見てないから。親友のお兄さんだし、もう一人の親友の恋人だし。それに治樹さんはわたしから見たらまだまだお子ちゃまだもん」
十九歳の愛美が五歳も年上の治樹さんを「お子ちゃま」呼ばわりするのも何だか変な話だけれど、一回り以上も年の離れた人と付き合っている愛美からすれば立派な〝お子ちゃま〟なのだから仕方がない。
(多分、わたしが施設出身だからちょっと精神年齢高めなのかも)
「……ホントに?」
「うん、ホントだよ。だから嫉妬なんかしなくていいんだよ、純也さん」
(だってあなたはわたしの救いの神なんだから。もう保護者じゃないのかもしれないけど、今のわたしがあるのは純也さんのおかげなんだよ。だから、わたしは絶対にあなたを悲しませるようなことはできないの)
本当はそう言いたかった。けれど、まだ本当のことを言える時期ではないので、愛美はその言葉をグッと飲み込んだ。自分でも、この言葉が恋人である彼への言葉なのか、それとも保護者である彼への言葉なのか分からないからでもある。
「そっか……、分かった。ホントにもう、俺バカだよなぁ。みっともないところ見せちまってごめん! でも安心したよ。愛美ちゃんが他の男は眼中にないって分かって」
「うん。それはよかった」
「――さてと、じゃあこれから出かけようか。っていっても、もうこんな時間だからいけるところは限られてくるよな……。どこに行こうか?」
純也さんはそう言いながらスマホで時刻を確かめた。
現在、午後三時過ぎ。大学の寮にも当然のことながら門限があり、寮生はそれまでに帰らなければならない。――ちなみに、〈芽生寮〉の門限は午後八時。〈双葉寮〉の門限は午後七時だった。
「じゃあ……、みなとみらいの方に行きたいな。潮風に当たりたい」
元々デートの予定はなかったので、愛美はとりあえず思いついた行き先を提案した。連休中にはずっと会えなかったので、そのまま寮まで送ってもらうのは淋しいと思ったのだ。
****
『拝啓、あしながおじさん。
大学生になって初めての五月の大型連休が明けました。おじさまはどんなふうに過ごされてましたか?
わたしは連休中もずっと、執筆のお仕事に追われてました。〈わかば園〉を舞台にした長編がやっと書き上がるところに、編集者さんがまた短編のお仕事を依頼してきて……。でも、どちらもちゃんと終わらせました!
ホントは連休中に、一回でも純也さんとデートできたらよかったんですけど。彼も仕事に追われてたみたいで、一度も会えずじまいでした(泣) でも、電話とかメッセージでやり取りはしてましたよ。
さて、さっきも書きましたけど、わたしの渾身の一作がついに脱稿しました! 予定より早く書き上げることができて、自分でもビックリしてます。前にボツを食らった長編小説は、書き上がるまでに半年以上もかかったのに。
いつもは原稿のデータをメールで編集者さんに送るだけなんですけど、今回はどうしても直接届けたくて、わざわざ彼に横浜まで来てもらって、原稿を全部紙にプリントアウトして手渡ししてきました。おかげでバッグは重かったし、肩は脱臼しそうなくらい痛くなったけど、わたしもそうすることでこの原稿の重みを身をもって感じることができたから、そうしてよかったって思ってます。
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