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桜の木の下で

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第一章

                桜の木の下で
 春になった、その時にだった。 
 西行は奈良の長谷寺にいてだった、親しい僧侶に静かに言っていた。
「拙僧には願いがありまして」
「何でしょうか」
「この世での生を終えるなら」
 桜に満ちた山の寺で言うのだった。
「桜の木の下で」
「そう願われますか」
「はい」 
 そうだというのだ。
「そうありたいです」
「桜の木の下ですか」
「この木が好きで」
 満開の桜達を愛し気に観つつ話した。
「それで、です」
「桜の花達を観ながらですね」
「春になり」
 今の様にというのだ。
「そうしてです」
「満開の桜の花の下でこの世の生を終える」
「それが煩悩と呼ばれようとも」 
 それでもというのだ。
「そうしたいです」
「煩悩ですか」
 僧侶は西行の今の言葉を受けて言った。
「それは様々ですが」
「拙僧の願いも煩悩ですね」
「煩悩は欲です」  
 僧侶は述べた。
「ですから西行殿の願いも」
「煩悩になりますね」
「そう言えばそうです」
 まさにというのだ。
「それは」
「やはりそうですね」
「はい、ですが」
 僧侶は西行のそれでもと話した。
「美しい煩悩ですね」
「そう言って頂けますか」
「そうした煩悩もあるのですね」
 西行は言った。
「気付きました、そしてその煩悩が適うなら」
「それならですか」
「いいかと。拙僧も願わせてもらいます」
 西行に微笑んで話した。
「西行殿の願いが適うことを」
「春に桜の木の下でこの世の生きることを終えることを」
「願います、煩悩であろうとも」
「それでもですね」
「適わんことを」
「それでは」
 こう話したのだった、春の長谷寺での話である。
 その後歳月は流れた、そして。
 僧侶はまだ長谷寺にいた、季節は春だった。西行と話したその季節だった。
 今も桜の花が咲いている、寺の全ての桜の花が咲き実に美しかった。その花達の中で彼はその話を聞いた。
「そうですか」
「はい、西行殿が」
 若い僧侶が告げた。
「先日です」
「この世を去られましたか」
「その場所は」
 そこはというと。
「桜の木の下でした」
「今の季節のですね」
「まさに先日でした」
「願いが適ったのですね」
 僧侶はその輪を聞いて優しい笑みになって述べた。
「まさに」
「確か」
「はい、あの方はです」
 僧侶は若い僧侶に話した。
「拙僧に話して下さいましたが」
「この世を去られる時はですね」
「この季節にです」
 春にというのだ。
「花が咲く桜の木の下で」
「去られたいと言われましたね」
「そうでした。まさに満開に咲き誇る」
 そうしたというのだ。
 
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