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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第3章 高校3年生
  渾身の一作と卒業の時 ①

「――園長先生、実はわたし、もうだいぶ前から〝あしながおじさん〟の正体に気づいてたんです。でも、ずっと気づかないフリを続けてるんです」

「……ああ、そういえば手紙にもそう書いてあったわね。あなたの身近にいる人だって」

「はい。もしかしたら違ってるかもしれませんけど……、その人って辺唐院純也さん……ですよね? わたしの親友の叔父さまなんです。そして、わたしと彼は一昨年の夏からお付き合いしてます」

 愛美が思いきって打ち明けると、聡美園長は驚いたように大きく目を見開く。そして大きく頷いた。

「…………ええ、間違いないわ。辺唐院さんはあんなにお若いのに、もう何年もこの施設に多額の援助をして下さってるの。そして三年前、中学卒業後の進路に悩んでいたあなたに手を差し伸べて下さったのよ。女の子が苦手だったはずなのに、『この子だけは放っておけない。この子の文才をこのまま埋もれさせるのは惜しい』って」

 純也さんはもしかしたら、その頃から愛美の文才に惚れ込んでいたんだろうか。自分が援助することで、作家としてデビューできるように。

「そうでしたよね。そういえば、彼も言ってました。『最近はどんな本を読んでも楽しいと感じられないんだ』って。だからわたし、彼と約束したんです。『わたしが絶対、純也さんが面白いって思えるような小説を書く』って。……その時はまだ、彼が〝あしながおじさん〟だなんて気づいてなかったんですけど」

「そう……。じゃあ、今回書こうとしてる小説は彼のためでもあるわけね? でも、まさかお付き合いまでしてるなんてビックリしたわ。辺唐院さん、ここへ毎月いらっしゃってるのに、私にはそんな話、一度もして下さらないんだもの」

「それは、後ろめたい気持ちがあるからじゃないですか? 後見人の立場とか、年齢差とか色々気にして」

 年の差については純也さん自身もいつか言っていたことだけれど、後見人の立場を気にしているというのはあくまでも愛美の考えだ。愛美がそう思っていなくても、愛美が有名作家になった時に周囲からいわゆる〝パトロン〟のように見られることを気にしているんだろう。

「恋愛は個人の自由なんだから、話を聞いたところで私は何も言わないのにねぇ。――それはともかく、愛美ちゃん。本当のことを知っているのに、気づかないフリをしているのはどうしてなの?」

「彼から打ち明けてくれるのを待ってるからです。きっと、彼もわたしを欺いてることに苦しんでるはずだから。で、打ち明けてくれた時に、『実はわたし、ずっと前から知ってたよ』って彼に言うつもりなんです」

 愛美の答えを聞いた園長は、困ったような笑みを浮かべた。

「……実はね、愛美ちゃん。辺唐院さんも今月の第一水曜日にここへいらした時、私におっしゃってたのよ。『どうやら彼女は、僕の正体に気づいているみたいです』って。あなたは頭のいい子だから、いずれはこうなると思ってらっしゃったみたいで。もしかしたら、あなたに本当のことを打ち明けるタイミングを計りかねている感じだったわ」

「そう……なんですか? だとしたら、彼はいつごろわたしに打ち明けてくれるつもりなんだろう……?」

 彼がタイミングを計っていることは間違いないだろうけれど。打ち明けると愛美と気まずくなるのを恐れて、なかなか打ち明けられないというのもあるのかもしれない。

「――とにかく、今日から二週間はあなたも実家に帰ってきたつもりで、ここでお過ごしなさい。ちゃんと取材には応じてあげるから。あとは子供たちの相手をしてくれたり、事務作業を手伝ってくれると助かるけれど。それはあくまであなたの意思に任せるわね」

「はい」

「あなたはまた六号室で寝泊まりしてもらおうかしらね。みんな、愛美お姉ちゃんと一緒に寝るのを楽しみにしてるから」

「分かりました。六号室かぁ……、懐かしいなぁ」

 愛美はここを巣立っていくまでずっと、六号室で五人の幼い弟妹たちと過ごしていたのだ。あれから三年近く経って、あの子たちも大きくなったことだろう。幼稚園の年長組だった子も、小学三年生になっているはずだ。

「あ、あとね、涼介君も今、施設に帰ってきてるのよ。引き取られた先のご両親が、夏休みと冬休みにはここに帰ってきてもいいっておっしゃったらしくて」

「えっ、リョウちゃんも? 嬉しいな」

「ええ。今夜はクリスマス会をやるから、愛美ちゃんも参加してね。涼介君も参加したいって言ってたから。お正月にはみんなでまた近くの神社へ初詣に行きましょうね」

「はい!」

 まるで自分の祖母のような園長とのやり取りで、愛美はあっという間に三年前に引き戻されたような懐かしい気持ちになった。このアットホームな雰囲気が、この園での生活が楽しいと感じたいちばんの理由だった。

「――そういえば、その服の感じも懐かしいわね。愛美ちゃん、ここにいた頃もよくブルーのギンガムチェックの服を着てた憶えがあるわ」

 園長はふと、愛美が着ているブルーのギンガムチェックのシャツを眺めて目を細める。ボトムスは赤茶色のコーデュロイのロングスカートで、シャツの上には白いニットを着込んでいる。足元は黒の編み上げブーツだ。

「はい、今でもお気に入りの模様なんです。だから、新しい服を買う時にも自然とブルーのギンガムチェックを選んじゃって」

 純也さんに招かれて、親友二人と原宿へ行った時にも、愛美はブルーのギンガムチェックのワンピースを買っていた。彼に告白した夜に着ていたものだ。

(そういえば、『あしながおじさん』のジュディはブルーのギンガムチェックが大嫌いだったっけ。なんか面白いな)

 こういうところも、ジュディと自分はまったく違う人間なんだなと感じる愛美だった。


   * * * *


 愛美は宿舎へ向かう前に、庭の方を通りかかった。サッカー少年の涼介が、今日もここでサッカーの練習をしているような気が下から。
 今もこの施設に暮らす男の子たちに混ざって、高校生くらいの少年が一人、サッカーボールを追いかけながら走っている。愛美は彼の顔に、自分がよく知っている少年の面影を見た。

「――あっ、やっぱりいた! お~い、リョウちゃーん!」

 手を振りながら呼びかけると、驚きながらも手を振り返してくれた少年――小谷涼介は、身長が少し伸びて筋肉もついているけれど、顔は三年前とほとんど変わっていない。

「愛美姉ちゃん! 久しぶり……っていうかなんでここに? ――あ、ちょっとごめん! お前ら、今日の練習はここまで。もうすぐ晩メシだから、ちゃんと手洗えよ!」

 子供たちのコーチをしていたらしい涼介は、泥まみれになっている彼らに練習の終了を告げた。三年近くここに帰ってこない間に、彼もすっかり〝お兄さん〟になっていた。

「リョウちゃん、元気そうだね。わたしもね、今年の冬休みの間はここで過ごすことにしたんだよ。新作のための取材も兼ねてるんだけど」

「そっか。そういや愛美姉ちゃん、作家になったんだよな。おめでと。オレも本買ったよ。義父(とう)さんも義母(かあ)さんも、『この本は施設にいた頃のお姉ちゃんが書いたんだ』ってオレが言ったら二人とも買ってくれてさ。ウチにはあの本が三冊もあるんだぜ」

「そうなんだ? リョウちゃん、すっかり新しいお家に馴染んでるみたいだね。よかった」

 自分が〝あしながおじさん〟=純也さんにお願いして見つけてもらった涼介の養父母。彼がその家に馴染んでいるか、愛美はずっと心配だったけれど、彼の口ぶりからしてすっかり気に入っているようでホッとした。

「うん。二人とも、オレにすごくよくしてくれてるよ。園長先生から聞いたんだけど、愛美姉ちゃんが理事の人に頼み込んで見つけてくれたんだよな? 姉ちゃん、ありがとな」

「ううん、わたしはただお願いしただけで、実際に動いてくれたのはその理事の人だよ。わたしの時にも手を差し伸べてくれたから、リョウちゃんのことも何とかしてくれるかな……と思ってダメもとでお願いしたら、ちゃんとしてくれて。ホント、いい人でしょ?」

 彼はお金を出してくれて終わりではなく、常に相手にとって最善の方法を見つけてくれる。
 愛美だって、高校の進学費用を出してもらえたり、作家になれて嬉しいのはもちろんだけれど、いちばんの望みは家族のように寄り添ってくれる相手であってくれることだった。困ったり悩んでいる時に相談に乗ってくれて、そっと手を貸してくれるようなそんな相手に、彼=純也さんはちゃんとなってくれているのだ。

「わたしが作家になれたのも、その人のおかげなんだよ。だから、わたしも感謝してるの」

「そっか。うん、めちゃめちゃいい人だよな。で、姉ちゃん。さっき言ってた『新作のための取材』ってどういうこと?」

「あのね、新作はここを舞台にして書くつもりなの。ここにいた頃のわたしを主人公のモデルにして。……この施設がわたしの、作家としての原点だと思ってるから」

 もし両親が生きていて、この施設で暮らすことがなかったとしたら、愛美は果たして「作家になりたい」という夢を抱いていただろうか……? そう思うと、やっぱり愛美の作家としての原点はここなのだと愛美は思うのだった。

「オレも久しぶりに愛美姉ちゃんと過ごせて嬉しいよ。静岡に行って、高校に上がってから夏休みにもここに帰ってきてたけど、姉ちゃんがいないと淋しかったからさ。また一緒にサッカーの練習、付き合ってよ」

「いいよ。でもリョウちゃん、サッカー上手くなってるからついて行けるかな……」

 三年近く会っていない間に、彼のサッカーはグンと上達している。サッカーの強豪校に進学させてもらったからでもあると思うけれど、今の涼介に愛美はついて行けるかちょっと不安だ。

「大丈夫だよ、一緒にボールを追いかけられるだけでオレは楽しいから」

「そっか」

 いちばん年齢の近かった涼介と再会できただけで、愛美はここを離れていた三年間という時間がまた巻き戻ったような気持ちになった。 


   * * * *


 その夜、〈わかば園〉では施設を卒業した愛美と涼介も参加してのクリスマス会が行われた。
 今年のクリスマス会は、早速愛美が寄付したお金も使われたのか例年に増してケーキもごちそうも豪華になっていて、子供たちも大喜びだった。
 そして、例年どおり〝あしながおじさん〟=田中太郎氏=純也さんを含む理事会から子供たちへのクリスマスプレゼントもどっさり用意されていて、「そうそう、これがここのクリスマスだったなぁ」と懐かしくなった。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 新年あけましておめでとうございます。おじさまはこの年末年始、どんなふうに過ごしてましたか?
 わたしは今年の冬休み、予定どおり山梨の〈わかば園〉で過ごしてます。新作の取材もしつつ、弟妹たちと一緒に遊んだり、勉強を見てあげたり。
 施設にはリョウちゃん(今は(ふじ)()涼介くん)も帰ってきてます。新しいお家に引き取られてからも、夏休みと冬休みには帰ってきてるんだそうです。向こうのご両親が「いいよ」って言ってくれてるらしくて。ホント、いい人たちに引き取ってもらえたなぁって思います。おじさま、ありがとう! お願いしててよかった!
 リョウちゃんは今、静岡のサッカーの強豪高校に通ってて、三年前よりサッカーの腕前もかなり上達してました。体つきも逞しくなってるけど、あの無邪気な笑顔は全然変わってなかった。「やっぱりリョウちゃんだ!」ってわたしも懐かしくなりました。
 そして、わたしが今回いちばん知りたかったこと――両親がどうして死んでしまったのかも、聡美園長先生から話を聞かせてもらえました。
 わたしの両親は十六年前の十二月、航空機の墜落事故で犠牲になってたんです。で、両親は事故が起きる二日前に、小学校時代の恩師だった聡美園長にまだ幼かったわたしを預けたらしいんです。親戚の法事に、どうしてもわたしを連れていけないから、って。でも、それが最後になっちゃったそうで……。
 幸いにも両親の遺体は状態がよかったから、園長先生が身元確認をしたそうです。二日前には元気だった二人の教え子と、変わり果てた姿で無言の再会をすることになってしまった園長先生の気持ちを思うと、わたしもつらくなってもらい泣きしちゃいました。
 今日、園長室にはその事故で遺族の救済を担当してた弁護士の先生も来てて、意外な話をしてくださいました。事故の後、遺族には政府から一千万円のお見舞金が支払われたそうなんですけど、わたしを引き取ってた母方の叔父さん夫婦がそのお見舞金を自分たちのものにしちゃって、お金が手に入ったらわたしを育てることを放棄しちゃったそうなんです。
 たまたま様子を見に来てた園長先生がその事実を知って、児童相談所に通報してくれて、わたしは保護されたそうなんですけど。叔父さん夫婦はわたしへの養育権を奪われて、わたしは一時的に預けられてた〈わかば園〉で暮らすことになったそうです。もし園長先生の通報がなかったら、わたしは一体どうなってたんだろう? そう思うと怖いです。
 そして、弁護士の先生は叔父さん夫婦からその時に使い込んでた見舞金を全額回収したっておっしゃって、わたしに受け取ってほしいって差し出したんですけど。一千万円なんて金額、わたしには大金すぎるので二百万円だけ受け取って、残りの八百万円は「施設のために役立ててほしい」って聡美園長に渡しました。
 それでも、二百万円だけでもすごい金額だけど。使い道、どうしよう……? とりあえず銀行の口座には入れておきましたけど。
 それはともかく、わたしは園長先生から両親のお墓の場所を教えてもらって、クリスマス会の翌日、園長先生と二人でお墓参りに行ってきました。〈わかば園〉で聡美園長先生たちによくして頂いたこと、そのおかげで今横浜の全寮制の女子校に通ってること、そしてプロの作家になれたことを天国にいる両親にやっと報告できて、すごく嬉しかったです。
 園長先生はさっそくわたしが寄付したお金を役立てて下さって、今年のクリスマス会のごちそうとケーキをグレードアップさせて下さいました。おかげで園の弟妹たちは大喜びしてくれました。まあ、ここのゴハンだって元々そんなにお粗末じゃなかったですけどね。
 そしておじさま、今年もこの施設の子供たちのためにクリスマスプレゼントをドッサリ用意して下さってありがとう。もちろん、おじさまだけがお金を出して下さったわけじゃないでしょうけど。名前は出さなくても、わたしにはちゃんと分かってますから。
 お正月には、施設のみんなで近くにある小さな神社へ初詣に行ってきました。やっぱりおみくじはなかったけど……。
 もうすぐ三学期が始まるので、また寮に帰らないといけないのが名残惜しいです。やっぱり〈わかば園〉はわたしにとって実家でした。三年近く離れて戻ってきたら、ここで暮らしてた頃より居心地よく感じました。
 三学期が始まったら、文芸部の短編小説コンテストの選考作業をもって文芸部部長も引退。そして卒業の日を待つのみです。わたしはその間に、〈わかば園〉を舞台にした新作の執筆に入ります。今度こそ出版まで漕ぎつけられるよう、そしておじさまやみんなにに読んでもらえるよう頑張って書きます! ここにいる間にもうプロットはでき上って、担当編集者さんにもメールでOKをもらってます。
 では、残り少ない高校生活を楽しく有意義に過ごそうと思います。      かしこ

一月六日      愛美』

****


 ――そして、高校生活最後の学期となる三学期が始まった。

「――はい。じゃあ、今年度の短編小説コンテスト、大賞は二年生の(むら)()あゆみさんの作品に決定ということで。以上で選考会を終わります。みんな、お疲れさまでした」

 愛美は部長として、またこのコンテストの選考委員長として、ホワイトボードに書かれた最終候補作品のタイトルの横に赤の水性マーカーで丸印をつけてから言った。
 
(これでわたしも引退か……)

 二年前にこのコンテストで大賞をもらい、当時の部長にスカウトされて二年生に親友してから入部したこの文芸部で、愛美はこの一年間部長を務めることになった。でも、プロの作家になれたのも、あの大賞受賞があってこそだと今なら思える。この部にはいい思い出しか残っていない。

 ……と、愛美がしみじみ感慨にふけっていると――。

「愛美先輩、今日まで部長、お疲れさまでした!」

 (ねぎら)いの言葉と共に、二年生の和田原絵梨奈から大きな花束が差し出された。見れば、他の三年生の部員たちもそれぞれ後輩から花束を受け取っている。
 これはサプライズの引退セレモニーなんだと、愛美はそれでやっと気がついた。

「わぁ、キレイなお花……。ありがとう、絵梨奈ちゃん! みんなも!」

「愛美先輩とは同じ日に入部しましたけど、先輩は私にいつも親切にして下さいましたよね。だから、今度は私が愛美先輩みたいに後輩のみんなに親切にしていこうと思います。部長として」

「えっ? ホントに絵梨奈ちゃん、わたしの後任で部長やってくれるの?」

 いちばん親しくしていた後輩からの部長就任宣言に、愛美の声は思わず上ずった。

「はい。ただ、正直私自身も務まる自信ありませんし、頼りないかもしれないので……。大学に上がってからも、時々先輩からアドバイスを頂いてもいいですか?」

「もちろんだよ。わたしも部長就任を引き受けた時は『わたしに務まるのかな』ってあんまり自信なくて、後藤先輩とか、その前の北原部長に相談しながらどうにかやってきたの。だから絵梨奈ちゃんも、いつでも相談しに来てね。大歓迎だから」 

「ホントですか!? ありがとうございます! でもいいのかなぁ? 愛美先輩はプロの作家先生だから、執筆のお仕事もあるでしょう?」

「大丈夫だよ。むしろ、執筆にかかりっきりになる方が息が詰まりそうだから。絵梨奈ちゃんとおしゃべりしてたらいい気分転換になると思う。寮まで来るのに気が引けるなら、電話でもメッセージアプリでもいいし」

「そうですね」

 可愛い後輩が、この先も自分を頼ってくれるということが愛美には嬉しかった。とはいえ、まだ卒業までは二カ月近くもあるので、ここで涙のお別れをしても、学校内でまたバッタリ会った時に気まずい。絵梨奈は別の寮に住んでいるので、寮で出くわすことはないだろうけれど……。


   * * * *


 部活も引退したことで執筆時間を確保できるようになった愛美は、本格的に新作の執筆に取りかかることができるようになった。

「――愛美、まだ書くの? あたしたち先に寝るよー」

 〝十時消灯〟という寮の規則が廃止されたので、入浴後に勉強スペースの机にかじりついて一心不乱にノートパソコンのキーボードを叩き続けていた愛美に、さやかがあくび交じりに声をかけた。横では珠莉があくびを噛み殺している。

「うん、もうちょっとだけ。電気はわたしが消しとくから、二人は先に寝てて」

 本当に書きたいものを書く時、作家の筆は信じられないくらい乗るらしい。愛美もまさにそんな状態だった。

「分かった。でも、明日も学校あるんだからあんまり夜ふかししないようにね。じゃあおやすみー」

「夜ふかしは美容によろしくなくてよ。それじゃ、おやすみなさい」

 親友らしく、気遣う口調で愛美に釘を刺してから、さやかと珠莉はそれぞれ寝室へ引っ込んでいった。

「うん、おやすみ。――さて、今晩はあともうひと頑張り」

 愛美は再びパソコンの画面に向き直り、タイピングを再開した。それから三十分ほど執筆を続け、キリのいいところまで書き終えたところで、タイピングの手を止めた。

「……よし、今日はここまでで終わり。わたしも寝よう……」

 勉強部屋の灯りを消し、寝室へスマホを持ち込んだ愛美は純也さんにメッセージを送った。

 
『部活も引退したので、今日からガッツリ新作の執筆始めました。
 今度こそ、わたしの渾身の一作! 出版されたらぜひ純也さんにも読んでほしいです。
 じゃあ、おやすみなさい』


 送信するとすぐに既読がついて、返信が来た。


『執筆ごくろうさま。
 君の渾身の一作、俺もぜひ読んでみたいな。楽しみに待ってるよ。
 でも、まだ学校の勉強もあるし、無理はしないように。
 愛美ちゃん、おやすみ』


「……純也さん、これって保護者としてのコメント? それとも恋人としてわたしのこと心配してくれてるの?」

 愛美は思わずひとり首を傾げたけれど、どちらにしても、彼が愛美のことを気にかけてくれていることに違いはないので、「まあ、どっちでもいいや」と独りごちたのだった。

 高校卒業まであと約二ヶ月。その間に、この小説の執筆はどこまで進められるだろう――?
 
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