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ドリトル先生の長崎での出会い

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第十幕その七

「極左活動家になっていたり日本の皇室は反対でも北朝鮮の世襲の独裁はいい」
「そうなるとね」
「もうどうにもならないのよね」
「それこそ」
「そこまで間違えるとね」
「ああはなるまいってね」 
 その様にというのです。
「思われる様な人になったら」
「終わりだよね」
「人として」
「神仏を信じないとね」
「そうした人になる可能性があるね」
「そうだよ、神仏を信じると」
 そうすると、というのです。
「それが倫理観にも常識にもなるからね」
「無神論者の人達に倫理観がないって訳じゃないけれど」
「非常識とか」
「そうした人になる可能性が高いよね」
「そうだよね」
「半グレとかどうしようもない不良とかいう人達もね」
 そうした人達もというのです。
「倫理観がないことは見てわかるけれど」
「ああした人達もだね」
「信仰心がないね」
「神様も仏様も信じないね」
「信仰は本当に倫理観も形成するから」
 そうなるからだというのです。
「あればね」
「それならだよね」
「それでいいよね」
「本当にね」
「それならね」
「そうだよ、神仏を信じられるならそれでよくて」
 そうであってというのです。
「素晴らしいことだよ」
「全くだね」
「無神論者で間違える人達を見ていると」
「とんでもない間違いをしているからね」
「それを見ていると」
「信仰がある方がいいね」
「全くだよ」
 先生は心から言いました。
「蝶々さんはまず武士道があったけれどね」
「武家の娘さんでね」
「それがあったね」
「そうだね」
「あの人は」
「けれどキリスト教もあって」
 改宗したこの宗教もというのです。
「その信仰もだよ」
「生きていて」
「蝶々さんを形成していたね」
「そうだね」
「その前は仏教のね」
 この宗教のというのです。
「信仰もあったしね」
「神仏を信じていて」
「その倫理観もあったね」
「そうだね」
「そうだったね」
「だからこその悲劇でもあったけれど」
 その結末はです。
「蝶々さんも間違っても北朝鮮みたいな国を見たらね」
「おかしいって言うよね」
「好きになんてならないよね」
「絶対に」
「そうだよね」
「倫理観があるからね」
 確かなそれがです。 
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