金木犀の許嫁
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第五十二話 歴史の真実その八
「左様でした」
「何かそう聞きますと」
「家康さんへの見方が変わりますね」
「そうなりました」
実際にというのだ。
「私も」
「何かね」
真昼は夜空に話した。
「幕府開いてから大坂の陣までの家康さんってね」
「狸親父って言われてね」
「陰険な謀略ばかり働く」
「悪い人ってイメージあるわね」
「何が何でも豊臣家を滅ぼそうとする」
「手段を選ばない人ってね」
「けれど大坂が欲しいだけで」
その実はというのだ。
「豊臣家はどうでもよかったのね」
「滅ぼさなくてもね」
「そういえば秀頼公だけになっていて」
「何時どうなるかわからなかったわね」
「小さなお子さんってあの頃すぐに死んだしね」
「豊臣家はその秀頼公だったし」
「というか」
真昼は考える顔で言った。
「あの頃の豊臣家って物凄く危なかったのね」
「そうね」
夜空も確かにと頷いた。
「今の基準じゃ言えないわね」
「小さなお子さんが亡くなるなんてそうはないし」
「けれどあの頃はそうで」
「はしかとかですぐに死んだのよね」
「あっ、はしかですか」
白華は二人の話を聞いてはっとした顔になった、そのうえで二人に対してこんなことを言ったのだった。
「はしかって命に関わる病気ですね」
「今は何でもなけれどね」
「昔はそうなのよね」
「本当にはしかにかかってね」
「小さな子はよく死んだのよね」
「そうでしたね、そんな時代でしたから」
白華はだからだと言った。
「もう秀頼公だけですと」
「豊臣家なんてね」
「どうなるかわかったものじゃなかったわね」
「秀頼公がお亡くなりになったらね」
「もうお家断絶よ」
「そうでしたね、危ういお家でしたね」
白華はこのことを心から思った。
「豊臣家は」
「元々家族少なかったよ」
佐京も言ってきた。
「秀吉公のお姉さんと妹さんがおられて」
「秀長公がおられましたね」
「弟さんのね、けれどね」
「秀長公もご子息がおられなくて」
「秀次公は切腹させたし」
秀頼を跡継ぎにする為だったと言われている。
「もうね」
「秀頼公だけでしたね」
「小早川秀秋さんは養子に出してね」
「関ケ原の後すぐに亡くなっていて」
「もうね」
そうした状況でというのだ。
「秀頼公だけだったから」
「危うかったですね」
「何時断絶するかわからないお家よりも」
「家康さんですね」
「あの人はお子さん多かったからね」
「そうでしたね」
「ご子息十五人おられたから」
その中には還暦前後でもうけた子もいた。
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