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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第2章 高校2年生
  純也の来訪、再び。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 わたしが横浜に来て、二度目の春がやってきました。そして、高校二年生になりました!
 今年は一人部屋じゃなく、さやかちゃんと珠莉ちゃんと三人部屋です。お部屋の真ん中に勉強スペース兼お茶スペースがあって、その周りに三つの寝室があります。でも、ルームメイトだったらそれぞれの寝室への出入りは自由なんだそうです。
 そして、わたしは文芸部に入ることにしました。小説家になるには、個人で書くだけじゃ多分、人から読んでもらう機会は少ないと思うので。もっとたくさんの人の目に触れるには、その方がいいと思うんです。
 今年は一年生の頃よりもたくさんの本を読んで、たくさんの小説を書こうと思います。
 一年前、わたしは孤独でした。でも今は、さやかちゃんと珠莉ちゃんという頼もしい親友がいるので、もう淋しくありません。
 ではまた。これからも見守っててくださいね。    かしこ

             四月四日    二年生になった愛美    』

****



 ――新学期が始まって、一週間が過ぎた。

「愛美、結局文芸部に入ることにしたんだ?」

 夕方、授業を終えて寮に帰る道すがら、さやかが愛美に訊いた。――ちなみに、もちろん珠莉も一緒である。

「うん。せっかく誘ってもらってたしね。あの時の部長さんはもう卒業されちゃっていないけど、大学でも文芸サークルに入ってるんだって。たまに顔出されるらしいよ」

 愛美は春休みの間にそのまま茗倫女子大に進学した彼女を訪ね、わざわざ大学の寮まで出向いた。
 大学の寮〈芽生(めばえ)寮〉は、この〈双葉寮〉よりもずっと大きくて立派だった。外部からの入学組も多いため、収容人数も高校の寮の比ではない。

「へえ、そっか。喜んでたでしょ、先輩」

「うん。二年生だけど、新入部員だからなんかヘンな感じだね」

「そんなことないよ。むしろ新鮮だって思うべきだね、そこは」

 上級生になったからって、いきなり先輩ヅラする必要はない。一年後輩の子たちとも、新入部員同士で仲良くなれたらそれでいい。そうさやかは言うのだ。

「そうだね。――ところで、二人はもう部活決めた?」

 一年生の時は、それぞれ学校生活に慣れるのに必死だろうからと、部活のことは特に言われなかったけれど。二年生にもなれば、各々(おのおの)入りたい部活ややりたいことも見つかるというもので。
 ――もっとも、この学校は部活に対しても生徒個人の意思に任せる校風なのだけれど。

「あたしは陸上部かな。中学でも三年間短距離(スプリンター)やってたし、小さい頃から運動得意なんだよね」

「へえ、スゴい! 珠莉ちゃんは?」

「私は茶道部かしら。お茶とお花は大和(やまと)撫子(なでしこ)のたしなみですもの」

 対照的な性格の親友たちは、部活を選ぶ基準も対照的だ。運動神経のいいさやかと、「さすがはお嬢さま」という珠莉。それでも仲良くできているのだから、世の中は不思議である。

 ところが、そんな珠莉にさやかが茶々(ちゃちゃ)を入れる。

「そんな優雅なこと言ってるけど、ホントはお茶菓子が食べたいだけなんじゃないのー?」

「……んなっ、そんなことありませんわ! さやかさんじゃあるまいしっ」

「どうだかねえ」

 珠莉はムキになって否定したけれど、本当のところはどうなんだろう?

(まあ、楽しめたら理由なんて何でもいいよね)

 本当に茶の湯を学びたかろうが、お茶菓子目当てだろうが、どちらでもいいと愛美は思う。

「――あら?」

「……ん?」

 〈双葉寮〉の手前まで来た時、珠莉が寮の前に(たたず)む一人の男性の姿に気がついて声を上げた。
 百九十センチはありそうな身長といい、ナチュラルブラウンの髪の色といい、あれは――。

「やあ。久しぶり」

「純也さん……」

「おっ、叔父さま!」

 やっぱりその男性は、ベージュ色のスーツをビシッと着こなしている純也さんだった。
 今日は何やら箱を持っている。――あの中には何が入っているんだろう?

「今日はどうなさいましたの? ご連絡もなしでいらっしゃるなんて」

「いや、仕事の用事で横浜まで来たから、ついでに寄ったんだ。連絡しなかったのは、ビックリさせようと思ったからだよ」

 叔父と姪の会話に入っていけない愛美の背中を、さやかがポンと叩いた。

「……えっ?」

「ほら、行っといで」

「わわっ!」

 そのまま文字通り背中を押された愛美は、純也さんの目の前で止まった。

(~~~もう! さやかちゃんのバカ!)

 純也さんと話したいのに、緊張でなかなか言葉が出てこない。あたふたしている愛美の顔は今、茹でダコみたいに赤くなっているに違いない。

「あ……、あの。お久しぶりです」

「久しぶりだね。去年の夏に、電話で話したきりだったっけ?」

「はい、そうですね」

 千藤農園にかかってきた電話のことだ。もう忘れていると思っていたけれど、彼はちゃんと覚えていてくれた。

「体調はどう? 冬にインフルエンザで入院してたって、珠莉から聞いたんだけど」

「――あら? 私、そのこと叔父さまにお話したかしら?」

「えっ、どういうこと?」

 困惑気味に交わされた親友二人の会話は、幸いにも愛美の耳には入らなかった。

「もうすっかり元気です。一ヶ月以上も前のことですよ? でも心配して下さってたんですね。ありがとうございます」

「そっか、よかった。僕もお見舞いに来たかったんだけど、仕事が詰まっててね。ゴメン」

「いえ、いいんです。そんなに気を遣わないで下さい」

 病気でふうふう言っている時よりも、元気になってからこうして会いに来てくれた方が、愛美は嬉しい。

「――ところで叔父さま、その箱は?」

 珠莉が目ざとく、叔父の手にしているケーキの箱のようなものを指さして訊ねた。

「ああ、コレか? 差し入れに、横浜駅の駅前のパティスリーで買ってきたチョコレートケーキだよ。ちょうどいい。愛美ちゃんの全快祝いにもなるかな?」

 純也がいうパティスリーは、ちょっと値の張るケーキやスイーツが売られているお店で、中にはカフェも併設されている。でも、高級店のイメージが強いので、女子高生にはなかなか入りづらいお店でもある。
 ……それはさておき。

「えっ、チョコレートケーキ!? ありがとうございますっ!」

 チョコと聞いて、さやかが目を輝かせたのはいうまでもない。

「ねえ叔父さま、まだお時間あります? でしたら、私たちのお部屋で一緒にお茶にしません? そのケーキを頂きながら」

「うん、まあ……大丈夫だけど。愛美ちゃんはどうかな?」

「ああ、それいいねえ☆ ね、愛美?」

「ええっ!?」

 純也さんとさやかの二人に畳みかけられた愛美は、返事に困ってしまう。
 別にイヤではない。むしろ嬉しい。けれど、好きな人と何を話していいのか分からない。
 ……というか、さやかも珠莉も、面白がってけしかけているとしか思えない。のはおいておいて。

「…………ハイ。わたしも一緒にお茶したいです」

 多分まだ真っ赤な顔をしたまま、愛美も頷いた。

「ホントにいいのかい? イヤならムリにとは言わないけど――」

「いえ、大丈夫です。イヤなんかじゃないです。むしろ……嬉しいです」

 ちょっと食い気味に言って、愛美はやっと純也さんにはにかんで見せた。

「そっか……、よかった。でも、寮母さんからは何も言われないのかな?」

「大丈夫だと思いますよ。心の広い人ですから」

 純也さんの疑問には、さやかが答えた。

「お帰りなさい。――あら。どうも」

 今日も笑顔で三人を迎えた晴美さんは、純也さんの姿を認めて目を瞠った。

「こんにちは。その節はどうも。――これから、姪たちの部屋でお茶会をしたいんですが、構いませんか?」 

 一年前の五月に一度、純也さんと面識のある晴美さんは、彼の顔をうっとりと見ながら答えた。

「ええ、どうぞどうぞ。ごゆっくり」

「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて」

 純也さんが晴美さんに会釈をしてから、四人は寮のエレベーターに乗って三〇一号室へ。そこが愛美たちの部屋である。

「――晴美さん、純也叔父さまに見とれてらしたわね」

「単なる目の肥やしじゃないの? イケメンは目の保養になるからさ」

(イケメン……)

 エレベーターの中でさやかと珠莉のガールズトークを聞きながら、愛美は自分より四十センチも背の高い純也さんの横顔をおそるおそる見上げた。
 ちょっと切れ長の目に、すっと整った鼻筋。シャープな輪郭(りんかく)。――なるほど、確かにイケメンだ。晴美さんがうっとり見とれてしまうのも分かる。きっと、他の女性もそうだろう。

(でも、わたしは彼を顔だけで好きになったんじゃないもん)

 もちろん、彼がセレブの御曹司だからでもない。彼の内面にある優しさや穏やかさ、時々見せてくれる無邪気さに、愛美は惹かれたのだ。

「……? どうかした?」

 あまりにも夢中になって見つめていたら、ふと視線が合ってしまった。

「あ……、いえ。何でもないです」

 愛美ひとりが気まずくなって、ごまかしながら視線を落とした。
 恋愛経験が皆無で、異性に免疫のない愛美は、まだ男性と目が合うことに慣れていないのだ。
 純也さんはそれなりに女性との交際歴もあるようだから、これくらい何ともないだろうけれど……。

 ――エレベーターを降りてすぐ目の前が三〇一号室だ。

「さ、叔父さま。ここが私たちのお部屋ですわ」

 珠莉が先頭になって叔父を勉強スペースに案内し、愛美たちはフローリングの上にスクールバッグを下ろした。

「――さて、紅茶を淹れる前にケーキを切り分けようか。この部屋に包丁かナイフはある?」

「あ、果物ナイフならありますよ。キッチンはこっちです」

「ありがとう。じゃあ、それを使わせてもらうかな」

 純也さんは愛美に案内されて、勉強スペースの隅に(もう)けられた小さなキッチンへ。
 そこにあった果物ナイフを持って、テーブルの場所に戻ってきた。

「純也さん、お皿とフォーク出しときました」

「ああ、ありがとう。――えっと、君は……」

「自己紹介がまだでしたよね。あたし、珠莉とは二年連続でルームメイトになった牧村さやかっていいます」

「さやかちゃん、だね。よろしく。さっき、チョコレートケーキって聞いてすごく喜んでたね。チョコ好きなの?」

「え……、はい。見られてたんだ……」

 純也さんに笑いながら訊かれたさやかは、愛美とは違って恥ずかしさに赤面しながら呟く。
 恥ずかし過ぎて自らも笑い出した彼女につられて、キッチンでお茶の準備をしていた愛美も珠莉も笑い出し、室内は(なご)やかな空気に包まれた。

「――さて、切り分けようか」

 ジャケットを脱ぎ、ブルーのカラーシャツの袖をまくった純也さんが、ホールで買ってきたチョコレートケーキを八等分に切ってくれ、四枚のお皿に二切れずつ載せた。

「二つも食べられるかしら……」

 四人分のティーカップを熱湯で温めていた珠莉が、キッチンから心配そうに言った。
 彼女はモデル並みのスタイルをキープしたいので、太らないか気にしているのだ。

「大丈夫だよ、珠莉ちゃん。珠莉ちゃんが食べられなかったらわたしがもらうし、わたしがムリでもさやかちゃんが喜んで平らげてくれるよ」

 さっきの喜び方からして、彼女ならチョコスイーツはいくらでも入るんだろう。

「……そうね。ところで愛美さん。私ね、先ほど叔父さまがおっしゃったことで、一つ引っかかっていることがあるんだけど」

「ん? 引っかかってることって?」

 愛美は首を傾げた。――彼は何か気になるようなことを言っていただろうか? と。

「…………いえ、何でもないわ」

 何か言いかけた珠莉は、言うのをためらったあと、結局やめた。
 愛美はますますワケが分からなくなり、頭の中には〝(はてな)〟マークが飛んだ。

(珠莉ちゃん、何が引っかかってるんだろ?)

「――そういえば珠莉ちゃん、純也さんに知らせてくれてたんだね。わたしが入院してたこと」

「……えっ? ええ……」

 珠莉は戸惑いながらも頷く。――何に戸惑っているのかは、愛美には分からなかったけれど。

「そっか。ありがとね、珠莉ちゃん。おかげでまた純也さんに会えた」

「……とっ、当然のことでしょう? 親友なんですから、私たちは。――さ、紅茶が入ったわ。テーブルまで運ぶわよ」

 思いがけず、愛美に感謝された珠莉は満更(まんざら)でもなさそうで、照れ隠しにつっけんどんな態度を取ってみせた。

「うん。お砂糖はシュガーポットごと持ってって、各自の好みで入れてもらうってことでいいよね?」

「ええ、そうね」

 さやかは甘さ控えめ、純也さんは自分と同じ甘めが好みだと愛美は知っているけれど。珠莉の好みまではまだ()(あく)していない。
 カフェや喫茶店じゃあるまいし、一人一人にいちいち訊いていたらキリがない。各自で入れてもらう方が合理的ではある。

「――紅茶が入ったよー。お砂糖はここね。各自で入れて下さーい」

 愛美は珠莉と手分けして、紅茶で満たされた人数分のティーカップをテーブルに置いて回った。最後にシュガーポットをテーブルの真ん中に置き、説明する。
 珠莉は太りたくないのか、紅茶にお砂糖を入れなかった。

「ありがとう。じゃあ、頂こうか」

「「「いただきます」」」

 女子三人が手を合わせ、全員がフォークに手を伸ばした。

「――美味し~♪ フワフワ~☆」

 チョコスイーツには目がないさやかが、一口食べた途端にうっとりと顔を(ほころ)ばせた。
 見た目は濃厚そうなチョコレートケーキは、食べてみるとそれほど甘さがしつこくなく、フワッと口の中で溶けてしまう。

「ホントだ。コレなら二切れくらい、ペロッと食べられちゃうね」

 愛美も同意した。これなら胸やけの心配もなさそうだ。
「二切れも食べられるのか」と心配していた珠莉も、一切れはあっという間に平らげ、早くも二切れめにかかっている。

「――ところで愛美ちゃん。千藤農園はどうだった?」

 ケーキを一切れ残し、紅茶を飲んでホッとひと息ついた純也さんが、愛美に訊ねた。
 話すのはもう八ヶ月ぶり、しかも前回は電話だったので、面と向かっては約一年ぶりになる。

「はい、すごくいいところでした。空気はおいしいし、星空もキレイだったし、みなさんいい人でしたし。色々と勉強になることも多くて」

「そっかそっか。楽しかったみたいで何よりだよ」

 愛美の答えに、純也さんは満足そうに笑った。

「ホタルは見に行った?」

「いえ。いるらしいってことは、天野さんから聞いたんですけど。わたしは遠慮したんです。一人で行ってもつまんないし、もし見に行くなら好きな人と一緒がいいな……って」

 その〝好きな人〟を目の前にして、とんでもないことを口走ってしまったと気づいた愛美は、最後の方はモゴモゴと口ごもってしまった。

「好きな人……いるんだ?」

「ぅえっ? ええ、まあ……」

 正面切って訊ねられ、愛美は思わず挙動(きょどう)()(しん)になってしまう。

(う~~~~っ! 穴があったら入りたいよぉ……)

 これ以上勘繰られても困るので、愛美はコホンと小さく咳ばらいをし、気を取り直して話題を農園のことに戻した。 

「――純也さん、子供の頃にあの場所で過ごしてたんですよね? 喘息の療養をしてたって。多恵さんが教えて下さいました」

「多恵さんが? 僕について、他には何か言ってなかった?」

「純也さんのこと、ベタ褒めしてらっしゃいましたよ。すごく正義感が強くて、素直で無邪気な子だったって」

 多恵さんがベタ褒めしていた純也さんのいいところは、大人になっても変わっていないと愛美は思う。彼は今でも、純粋で優しくてまっすぐな人だから。

「いやぁ、そんなに褒められてたか。ちょっと照れ臭いな」

 そう言いながら、頬をポリポリ掻く純也さん。でも、言葉とはうらはらにとても嬉しそうだ。

(こういうところが素直なんだよね、この人って)

 だから愛美も、彼に惹かれたんだと思う。

「久しぶりに多恵さんに会いたいな。去年の夏は忙しくて、長期休暇も取れなかったから行けなかったけど。今年の夏は何とか農園に行けそうなんだ」

「えっ、ホントですか? 多恵さん、きっと喜んでくれますよ」

「うん。夏のスケジュールがまだハッキリしてないから分からないけど、多分行けると思う」

(今年の夏は、純也さんも一緒……。わたしも行かせてもらえるかな)

 〝あしながおじさん〟が気を回して、そう手配してくれたらいいのになぁと愛美は思った。
 それとも、「男と一緒なんてけしからん!」なんて怒って、許してくれないだろうか?

「――ねえ愛美、純也さんに言うことあったんじゃない? ほら、小説の」

「あ、そっか」

 愛美が純也さんの子供時代をモデルにして小説を書いたことを、彼はまだ知らないはずだ。珠莉から聞いているなら話は別だけれど、それでも本人の口から伝えるに越したことはない。それが誠意というものだ。

 さやかに助け船を出され、愛美は思いきって純也さんに打ち明けた。

「あのね、純也さん。実はわたし、子供の頃の純也さんをモデルにして、短編小説を書いたんです。で、それを学校の文芸部主催のコンテストに出したの」

「僕をモデルに、小説を?」

「はい。……あの、気を悪くされたならすみません」

「いや、別にそんなことはないよ。気にしないで」

 純也さんは、こんなことで怒るような人じゃない。それは愛美にも分かっているけれど、本人に無断でモデルにしたことは事実だ。それは褒められたことじゃないと思う。

「そうですか? よかった。――で、その小説がなんと、大賞を取っちゃったんです」

「へえ、大賞? スゴいじゃないか。おめでとう」

 純也さんは目を大きく見開いたあと、愛美に「おめでとう」を言ってくれた。
 〝あしながおじさん〟からはとうとう言ってもらえなかった言葉。でも、純也さんに言ってもらえたので、もうそんなことはどうでもいいように愛美には感じられた。

「ありがとうございます。――援助して下さってるおじさまにも手紙でお知らせしたんですけど、何も言って下さらなくて。わたし、ちょっとヘコんでたんです。でも、純也さんに言ってもらえたからそれで満足です」

「そうなんだ……。まあ、彼もどう伝えていいか分からなかったんだろうね。女の子が苦手みたいだし」

「え……?」

(どうしてこの人が、そのこと知ってるの……?)

 愛美は純也さんをじっと見つめる。――一年前に、〝あしながおじさん〟のことは話したと思うけれど。そのことはまだ話していないはずなのに。

「ええ、まあ、そうらしいんですけど。どうして純也さん、そのことご存じなんですか? わたし、まだお話ししてませんよね?」

 回りくどいのはキライな(しょう)(ぶん)の愛美は、正面から疑問をぶつけてみた。

「それはね……。実は僕と彼は、同じNPO法人で活動してるんだよ」

「NPO法人?」

 オウム返しにする愛美をよそに、珠莉が何やら()(げん)そうな視線を向けているけれど。愛美はそれには気づかない。

「うん。全国の児童養護施設とか、母子シェルターとかを援助してる団体でね。彼もある施設に多額の援助をしてるって言ってた。でも、まさかそこが愛美ちゃんのいた施設だったなんてね。初めて知った時は驚いたよ。世間って狭いんだなーって」

「そうだったんですか……」

 愛美は妙に納得してしまった。
 同じような年代で、同じ(こころざし)を持つ二人の資産家が同じ団体で活動。偶然が重なりすぎているような気もするけれど、まあそういうこともあるだろう。

 ちなみに、〝母子シェルター〟というのはDV(家庭内暴力)(きょう)()から母と子を保護するための施設である。

「じゃあ、純也さんも施設に寄付とかなさってるんですか?」

「うん、まあ……。彼ほどじゃないけどね」

「何をおっしゃいますの? 叔父さまだって四年くらい前から、私財をなげうってあちこ多額の寄付をなさってるじゃございませんか」

 謙遜する純也さんに、珠莉がなぜかつっかかった。

「いいんだ、珠莉。ここは対抗意識燃やすところじゃないから。使いきれないほど財産があるなら、世の中のためになることに使う。これは当たり前のことだ」

「「……?」」

 二人だけが何だか次元の違う話をしていて、愛美とさやかは顔を見合わせた。

「――ああ、ゴメン! 話が脱線しちゃったね」

「いえいえ、大丈夫です。あたしたちの方が、話について行けなかっただけですから」

 さやかが手をブンブン振って否定する。お金持ち同士の会話に入っていけないのは、愛美も同じだった。

「でも、純也さんの考え方って立派だと思います。わたしもそういう人たちのおかげで、今日まで生きてこられたようなもんですから」

 まさに今この瞬間も、その恩恵(おんけい)にあずかっているのは愛美自身なのだ。

「そうだね。世の中には、国とか僕が参加してるNPO法人みたいなところの援助がないと生活できない人がまだまだいる。愛美ちゃんみたいにご両親のいない子供たちとか、生活保護を受給してる人たちもそうだね。僕たちは恵まれてることを、当たり前だと思っちゃいけないんだ。世の中に〝当たり前〟のことなんてないんだから」

 純也さんの言っていることの意味が、愛美には一番よく分かるかもしれない。
 この学校に入ってから、他の子たちが「当たり前だ」と思っていること一つ一つに、愛美はいつも感謝している。
 高校で勉強できること、三食きっちり美味しいゴハンが食べられること、お小遣いをもらって欲しいものが買えること――。

 もちろん、小説が書けることもそうだ。〝あしながおじさん〟が援助を申し出てくれなかったら、愛美は夢を諦めなければならないところだった。
 高校へも行かずに小説家になることは、不可能ではないけれどとても高いハードルを越える必要があるから。

「でも、ウチの親族は僕の考えを理解してくれないんだ。『そんなこと、バカらしい』って言われるんだよ。僕に言わせれば、他の連中の方がおかしいんだけどね」

「はあ……。きっと感覚がマヒしてるんでしょうね。お金があるのが当然みたいに。――あっ、珠莉ちゃんは違うよね?」

 愛美は慌ててフォローした。珠莉も最初はそういう子だと思っていたけれど、今は違う。本当はただの淋しがりやで、思いやりもあって、ただ素直じゃないだけだと分かっているから。

「お気遣いどうも、愛美さん。私も前はそうでしたわ。でもね、あなたやさやかさんとお友達になって、ちょっと価値観が変わったの」

「確かに、珠莉は昔会った時より人間が丸くなったな。こんないい友達に恵まれて、君は幸せものだと思うよ」

 純也さんは、姪の珠莉にそんな言葉をかける。さすがは親戚だけあって、彼女の幼い頃のことをよく知っているのだ。

「そういえば純也さん、一年前にお話した時は珠莉ちゃんのこと『苦手だ』っておっしゃってましたっけ」

「愛美ちゃん……。そのことはもう忘れてくれないかな」

 純也さんが、「余計なこと言うな」とばかりに愛美に懇願した。さすがに本人の目の前では言いたくなかったらしい。

「えっ、そうだったんですの?」

 と、珠莉が今更ながら驚けば。

「アンタさぁ、叔父さん困らせるようなこと、さんざんやってたんじゃないの? そりゃ迷惑がられるわ」

 と、さやかが彼女を茶化す。これは珠莉の図星だったらしく、珠莉はぐうの音も出なかった。


   * * * *


 ――楽しいひと時はあっという間に過ぎ、ケーキも紅茶もすっかりなくなった頃。

「愛美ちゃん、さやかちゃん、珠莉。僕はそろそろ失礼するよ」

 腕時計にチラッと目を遣った純也さんが、席を立った。

「えっ? ――わ、もうこんな時間!?」

 愛美も自分のスマホで時間を確かめると、もう夕方の五時前だ。
 純也さんが訪ねてきたのが三時半ごろだったので、かれこれ一時間半もこの部屋にいたことになる。

「じゃあ、三人で下までお見送りします」

 愛美たちは制服のまま、純也さんと一緒に寮の玄関まで降りていった。

「今日はありがとう。楽しかったよ」

「こちらこそ、色々話を聞いて頂いてありがとうございました。お気をつけて」

「うん。――愛美ちゃん、小説頑張ってね。いつか僕にも読ませてほしいな」

「あ……、はいっ!」

 愛美は満面の笑みで頷いた。
 
(やっぱりわたし、この人が好き。大好き!)

 会うたびに、声を聞くたびに、愛美の中で彼への想いはどんどん大きくなっていく。こんな気持ちは生まれて初めてだった。
 彼が十三歳も年下の、それもまだ高校生の自分をどう思っているのかはまだ分からない。でも、これが恋なんだと初めて知った一年前とは違って、もう不安はない。不思議だけれど、自分に自信がついた気がする。

 ――が、そんな愛美とはうらはらに、珠莉はなぜか(けわ)しい表情をしていた。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

「ちょっとお待ち下さい、叔父さま! ――お話があります。ちょっと来て頂けます?」

「…………え? 珠莉? 話って――」

「いいから来て下さい!」

 困惑する叔父の腕を、珠莉は有無(うむ)を言わせない態度でグイッとつかんだ。

「どうしたんだろ? 珠莉ちゃん、なんか怒ってる?」

「……だね。あたしたち、片付けもあるし先に戻ってよっか。――珠莉ー! 先に部屋に行ってるからー!」

 さやかは珠莉の返事を待たずに、愛美を促してエレベーターに向かう。愛美は珠莉と純也さんとの話の内容が気になって仕方がなかった。


   * * * *


「――さやかちゃん。珠莉ちゃん、純也さんとどんな話してるんだろうね? わたし、珠莉ちゃんのあんな剣幕(けんまく)初めて見たよ」

 先にさやかと二人、三階の部屋に戻ってきていた愛美は、私服に着替えながらさやかに話しかけた。

「さあ? でも、あたしたちに聞かれちゃ困る話だってことは間違いないよね。内々で何かあるんじゃない?」

 親戚同士には、他人が踏み込んではいけない問題もあるのかもしれない。たとえそれが親友であったとしても。

「多分、訊いても珠莉も教えてくんないと思うよ。――愛美、洗い物するから、テーブルの上の食器、キッチンまで持って来て」

「うん、分かった」

 愛美はお盆をうまく利用して、お皿・フォーク・ティーカップと受け皿(ソーサー)・ティーポットをキッチンまで運んだ。

「それだけの量、一人じゃ大変でしょ? わたしも手伝うよ」

「サンキュ。じゃあ、洗い終わった分を食器カゴに置いてくから、拭いて食器棚にしまってってくれる?」

 ――二人が手分けして片付けをしている間に、珠莉がひょっこり帰ってきた。
 純也をつかまえてひっぱっていった時の剣幕はどこへやら、何だか上機嫌だ。何があったんだろう?

「……あ、おかえり、珠莉ちゃん」

「ただいま戻りました。あら、お二人で片付けして下さってたの? ありがとう」

「いや、別にいいけど。アンタが素直なんて気持ち悪っ! 何かあったの?」

「さやかちゃん……」

 親友に面と向かって「気持ち悪い」と言ってのけるさやかに、愛美は絶句した。

(それ、思ってても口に出しちゃダメだって)

 そう思っているのは愛美も同じだけれど、間違っても口に出して言ったりはしない。施設で育ったせいなのか、場の空気を読みすぎるくらい読んでしまうのだ。

「叔父さま、無事にお帰りになったわ。それにしても、あんなに上機嫌な叔父さま、初めて見ました。いつもはあんな風じゃないのよ」

「えっ、そうなの?」

 愛美はものすごくビックリした。だって、一年前にこの学校に来た時だって、彼はあんなにニコニコして上機嫌だったのだ。逆に、機嫌の悪い彼なんて想像がつかないくらいに。

「それってやっぱ、アンタがウザいからじゃん? 違うの?」

「失礼ね!」

 またしても茶々を入れるさやかに、珠莉がムッとした。――ここで怒るのは、図星だからじゃないかと愛美はこっそり思う。

「……まあ、それは置いておくとして。叔父さまがあんなにご機嫌だったのはきっと、愛美さんのおかげかもしれませんわね」

「えっ? わたし?」

 愛美はまたビックリ。珠莉の言う通りだとしたら、一年前も愛美が案内役だったから上機嫌だったということだろうか。

「ええ。愛美さんのこと、すごく気に入ってらっしゃるみたいよ。よかったですわね、愛美さん」

「…………そうなんだ」

 愛美はその言葉がまだしっくり来ず、顔の火照りをうまくごまかせない。

(気に入ってるって、どっちの意味だろう? 姪っ子の友達として「あのコはいいコ」って意味? それとも、一人の女の子として……?)

 これは、この恋に希望があるということだろうか?
 でも、本当に有りうるんだろうか? あのステキなイケメンの(もちろん顔だけじゃないけれど)、しかもセレブの(愛美はそんなこと、別にどうでもいいと思っているけれど)純也さんが、こんな十三歳も年下の普通の女子高生に気があるなんて……!

「ええ、そうなのよ。『また会いたいな』っておっしゃってましたわよ」

「…………」

(珠莉ちゃん、一体どうしちゃったの? なんか今までになく、すごくわたしに協力的になってくれてる)

 もちろん珠莉も、さやかと同じく愛美が叔父さん(じゅんやさん)に恋心を抱いていることは知っている。けれど、彼女は今まで、ただ静観(せいかん)しているだけのポジションだった。

(コレって、純也さんと話してたことと何か関係あるのかな……?)

 愛美はふとそう思った。確信はないけれど、何となくそう思ったのだ。

 珠莉は何か、純也さんの秘密を知っている。それが何なのかはまだ分からないけれど。そして多分、彼女はその秘密を自身の口からは教えてくれないだろう。叔父が自ら打ち明けるまで。

(本人が打ち明けてくれるまで、待つしかないか……)

 モヤモヤしながらも、愛美は自分の恋がほんの少しだけ進展を見せかけていることに喜びを感じていた。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 お元気ですか? わたしは今日も元気です。
 今日の放課後、珠莉ちゃんの叔父さんが寮に遊びに来ました。高級パティスリーで買ってきたっていう、チョコレートケーキ1ホールを持って。
 チョコスイーツ好きのさやかちゃんはもうそれだけで喜んじゃって、わたしも純也さんが会いに来て下さったのが嬉しくて。そのままわたしたちのお部屋で、四人でお茶会をしようってことになりました。
 ケーキは純也さん自らが切り分けて下さって、一人二切れずつ頂きました。
 純也さんはわたしが冬に入院してたことを、珠莉ちゃんから聞いてたらしくて。心配して来て下さったそうです。でも、わたしの元気な姿をご覧になって、ホッとされたみたいです。
 みんなで色んなお話をしました。っていっても、ほとんどわたしと純也さんばかりお喋りしてたんですけど(笑)
 農園でのこと、純也さんの子供の頃のこと、わたしの小説がコンテストで大賞を頂いたこと、そして純也さん自身のこと……。
 純也さんは、おじさまのことをご存じみたいです。同じNPO法人で活動されてるっておっしゃってました。おじさまが初めて女の子を援助されることは伺ってたけど、それがわたしのことだと知って驚いたって。こんな偶然ってあるんですね。
 そして、純也さんは「楽しかったよ」っておっしゃって、すごく上機嫌で帰っていかれました。
 珠莉ちゃんが言うには、「純也叔父さまがあんなにご機嫌なのは愛美さんのおかげ」だそうです。わたし、すごく嬉しくて、ますます彼のことを好きになっちゃいました。
 あのね、おじさま。わたし、今日純也さんのおっしゃってたことで、すごく心に残ってる言葉があるんです。それは、「世の中に当たり前のことなんてないんだ」ってことです。
 今の日本って、法律で色んな権利が守られてるでしょう? でも、それを当たり前だって思ってちゃいけないんだな、って。一分一秒、自分が生かされてるこの瞬間に感謝しなきゃいけないな、って。
 わたしだって、今当たり前に学校に通えてるわけじゃない。両親が亡くなってから、わたしを育ててくれたのは〈わかば園〉のみなさんだし、おじさまがいて下さらなかったら、わたしは高校に入れなかった。だから、純也さんのおっしゃった意味が、わたしにはよく分かるんです。
 彼ご自身も、恵まれた境遇に生まれ育ったことを当たり前に思うことなく、私財をなげうって困ってる人たちの支援をなさってます。それって、なかなかできることじゃないですよね。でも、彼はそのことを「当たり前のことをしてるだけだから」ってサラッと言っちゃうんです! すごいと思いませんか?
 わたしもいつか、純也さんみたいな人になりたいです。そんなに大げさなことじゃなくていいから、困ってる人を見つけた時、そっと手を差し伸べられるような人になりたいと思ってます。
 ごめんなさい、おじさま。なんか純也さんのことばっかり書いてますね。もうこれくらいでペンを置きます。            かしこ

          四月 十二日   おじさまのことも大好きな愛美 』   

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