ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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SAO
~絶望と悲哀の小夜曲~
圏内事件~幽霊の正体編~
ギルド聖竜連合ポールアーム部隊リーダーの要職につく攻略組プレイヤー・シュミットは、馴染んだギルド本部の自室に戻ってからも、ベッドに入ることはおろか、重装鎧を解除する気にもなれなかった。
部屋は城――というより城塞の、分厚い石壁の奥深くにあり、窓はひとつたりとも存在しない。そもそもギルドの本拠地はメンバー以外はシステム的に立ち入れないので、自室に居るかぎり安全だ。そう自分に言い聞かせても、どうしても視線をドアノブから外すことができない。
目を離した瞬間、あのノブが音もなく回るのではないか? そこから影のように滑り込んできたフーデッドローブの死神が、気付かないうちに背後に立っているのではないか?
周囲からは豪胆な壁戦士(タンク)と思われていたが、実際のところ、シュミットを攻略組の上位に留めているモチベーションは、《死への恐怖》以外の何物でもなかった。アインクラッドで生き残るには強くなくてはならない。そして強くなるためには大ギルドに所属しなくてはならない。その一念で、シュミットは攻略組プレイヤーとしても異例のペースでのし上がったのだ。
努力の甲斐あって、今やシュミットのHP、装備の防御力、そして鍛え上げた防御スキルの数々は、アインクラッドでも最堅固と言っていい高みに達していた。右手に巨大なランス、左手にタワーシールドを構えれば、たとえ正面から同レベルのMobが三匹来ても支え続けられるという自信があった。シュミットにしてみれば、紙にも等しい革装備に、攻撃一辺倒の武器とスキル構成のダメージディーラー──例えば数十分前まで顔を合わせていた黒づくめのソロプレイヤーのような──は、頭がおかしいとしか思えない人種だった。
なのに。
膨大なHPも。鎧のアーマー値も。ディフェンススキルも。つまりシステム的防御の全てが通用しない殺人者が今更現れるとは。
しかもそいつが、明らかな意思を持って自分を狙っているだなんて。
幽霊だ──などと、本気で信じているわけではない。
いや、それすらももう確信は持てない。アンチクリミナルコードという絶対のルールを黒い霧のようにすり抜け、ちっぽけなスピアやダガー一本で軽々と命を奪っていくあの死神。あれはつまり、殺される間際の彼女の怨念がナーヴギアを通してサーバーに焼きついた、いわば電子の幽霊なのではないか?
だとすれば、堅固な城壁も、分厚い扉の錠前も、そしてギルドホームのシステム的不可侵も一切が無力だ。
来る。絶対今夜、眠りに落ちたところを狙ってあいつはやってくる。そして三本目の逆棘の武器を突き刺し、命を奪っていく。
その運命から逃れるには──もう、手段は一つしかない。
赦しを乞うのだ。跪き、額をこすり付けて謝罪し、怒りを解いてもらうのだ。
自分の罪──半年前、さらなる強さ、いや硬さを求めてより上位のギルドに移るために犯した、たった一つの罪を告白し、心から懺悔すれば、たとえ相手が本物の幽霊だとしても赦してくれるはずだ。乗せられただけなのだから。口車に乗せられ、魔が差して、つい些細な犯罪行為――いや、それ以前の単なるノーマナー行為を犯してしまっただけなのだから。まさか、結果があのような悲劇に結びつくなどとは考えもせずに。
シュミットはふらりと立ち上がると、ウインドウを開き、転移結晶を一つオブジェクト化させた。
力の入らない右手で握り締め、大きく一度深呼吸してから、掠れた声で呟いた。
「転移......ラーベルグ」
視界が青い光に覆われ、薄れると、そこはもう夜のただ中だった。
時刻は二十二時を回り、しかも辺鄙な既攻略層とあって、転移門広場にプレイヤーの姿はまったく無かった。周囲のNPC家屋もきっちりと鎧戸を閉め、商店の営業も終わっているので、まるで圏内ではなくフィールドに出てしまったかのような錯覚に襲われる。
半年前まで《黄金林檎》はこの村のはずれに小さなギルドホームを構えていたので見慣れた光景のはずなのだが、シュミットにはまるで村全体が自分を拒んでいるかのように思えた。
分厚い鎧の下で体をぶるぶる震わせ、崩れそうになる両脚を無理やり動かして、シュミットは村の外へと向かった。
目指したのは、主街区を出て二十分ほども歩いたところにある、小さな丘の上だった。
当然ながら《圏外》であり、もはやアンチクリミナルコードは適用されない。
しかしシュミットにはどうしてもここに来なければならない理由があった。あの黒衣の死神に見逃してもらうためには、もうこれしか思いつかなかった。
脚を引きずるようにして丘の天辺まで登ったシュミットは、頂上に生える捻じくれた低木の枝の下にあるものを少し遠くから見詰め、激しく体をわななかせた。
風化し、苔むした石の墓標。ギルド《黄金林檎》リーダー、今は亡き女性剣士グリセルダの墓だ。
どこからともなく降り注ぐ朧な月明かりが、十字形の影を乾いた地面に刻んでいる。時折吹き抜ける夜風が、枯れ木の枝をぎぎ、ぎぎと鳴らす。
元々は、樹も墓碑もただの地形オブジェクトだった。デザイナーが何の意図もなく設置した風景的装飾だ。
しかし、グリセルダが殺されてから数日後、黄金林檎が解散したその日に、残った七人のプレイヤーでここを彼女の墓にしようと決めて遺品の長剣を埋めた――正確には墓石の根元に放置し、耐久値が減少して消滅するに任せたのだ。
だから墓標に碑銘は無い。しかし、グリセルダに謝罪するためには、もうこの場所しか思いつかない。
シュミットはがくりと跪き、這いずるようにして墓石に近づいた。
砂利混じりの地面に額をこすりつけ、何度か歯をかちかちと鳴らしたあと、ありったけの意志を振り絞って口を開いた。
思いのほかはっきりとした声が迸った。
「すまない......悪かった......赦してくれ、グリセルダ! オレは......オレは、まさかあんなことになるなんて思ってなかった......あんたが殺されちまうなんて、これっぽっちも予想してなかったんだ!!」
『ほんとうに......?』
声がした。奇妙なエコーのかかった、地の底から響いてくるような女の声。
すうっと意識が遠ざかりかけるのを必死に堪え、シュミットは恐る恐る視線を上向けた。
捩れた樹の陰から、音も無く黒衣の影が現れた。漆黒のフーデッドローブ。だらんと垂れた袖。闇夜の底で、フードの奥はまるで見とおせない。
しかし、そこから放射される冷たい視線をシュミットははっきりと意識した。
悲鳴を迸らせそうになる口を両手で押さえ、シュミットは何度も頷いた。
「ほ......ほんとうだ。オレは何も聞かされてなかった。ただ......ただオレは、言われるがままに、ちょっとした......ほんのちょっとしたことを......」
『なにをしたの......? あなたは私に、なにをしたの、シュミット......?』
するするする、とローブの右袖から伸びる黒い細線を、シュミットは見開いた両眼で捉えた。
剣だ。しかし恐ろしく細い。使う者のほとんど居ない、《エストック》という片手用の近距離貫通武器。まさに針と言うよりない円断面の極細の刀身には、螺旋を描くように逆棘がびっしりと生えている。
ひぃぃっ、と喉の奥から細い悲鳴を漏らし、シュミットは何度も何度も額を地面に押し付けた。
「お......オレは! オレはただ......指輪の売却が決まった日、いつの間にかポケットにメモと結晶が入ってて......そこに、指示が............」
『誰のだ、シュミット?』
今度は男の声だった。
『誰からの指示だ......?』
硬く首筋を強張らせ、シュミットは凍りついた。
鋼にでもなってしまったかのような首を軋ませながらどうにか持ち上げ、視線を上向ける。
ちょうど樹の陰から、二人目の死神が姿を現すところだった。まったく同じ黒のフーデッドローブ。身長は一人目より僅かに高い。
「............グリムロック......?」
ほとんど音にならない声でシュミットは呻いた。
「あんたも......あんたも死んでたのか............?」
死神はその問いには答えず、替わりに無音の一歩を踏み出した。フードの下から、陰々と歪んだ声が流れる。
『誰だ......お前を動かしたのは誰なんだ......?』
「わ......わからない! 本当だ!!」
シュミットは裏返った声で喚いた。
「メモには......メモにはただ、リーダーの後を付けろと......や、宿屋にチェックインして、食事のために外に出たら、部屋に忍び込んで回廊結晶の位置セーブをして、そ、それをギルド共通ストレージに入れろとだけ書いてあって......お、オレがしたのはそれだけなんだ! オレはグリセルダに指一本触れてない! ま、まさか......指輪を盗むだけじゃなくて、こ、こ、殺しちまうなんて......オレも、オレも思ってなかったんだ!」
必死の弁解をまくし立てる間、二人の死神は身じろぎもしなかった。
通り過ぎる夜風が枯れ木の梢とローブの裾を揺らした。
限界まで恐怖を募らせながらも、シュミットは脳裏に刹那の回想を瞬かせていた。
メモを見た瞬間、無茶だ、と呆れた。しかし同時に巧い手だと驚きもした。
宿屋の個室はシステム的にロックされるが、寝るとき以外はフレンド/ギルドメンバー開錠可設定にするのが普通だ。
それを利用して回廊結晶のポータル位置を部屋の中に設定し、部屋の主が熟睡している時を狙って侵入する。あとはトレードを申し込み、相手の腕を勝手に動かして受諾させ、指輪を選択して交換ボタンを押す。
とてつもなくリスキーだが、しかし圏内でアイテムを奪うほとんど唯一の方法だとシュミットは直感した。
メモの末尾に提示された報酬は、指輪の売却益の半額。
成功すれば手に入る金額が一気に四倍になり、もし失敗――つまりトレード中にリーダーが起きてしまっても、顔を見られるのはメモの差出人ひとりだけだ。
そいつが後から何を言おうと、知らぬ存ぜぬで通せばいい。宿屋に忍び込みポータルをセーブするだけなら、証拠は何も残らない。
シュミットは迷ったが、迷うことがすでにギルドとリーダーを裏切っているに等しかった。
すべては一足飛びに攻略組にのし上がるため、そこでゲームクリアに貢献すれば結果としてリーダーを助けることにもなるのだと行為を正当化し、シュミットはメモに指示されていた通りのことをした。
翌日の夜、シュミットはリーダーが殺されたことを知った。
さらにその翌日、約束どおりの額の金貨が詰まった革袋が自室のベッドに置かれてるのを見つけた。
「オレは......こ、怖かったんだ! もしあのメモのことを暴露したら、今度はオレが狙われると思って......だ、だから、本当にオレは知らないんだ、あれを書いたのが誰なのか! ゆ、赦してくれグリセルダ、グリムロック。オレは、ほ、本当に殺しの手伝いをする気なんかなかった。信じてくれ、頼む............!」
甲高い悲鳴混じりの声を絞り出し、シュミットは何度も額を地面にこすり付けた。
一しきり夜風が唸り、ぎしぎしと梢が軋んだ。
それが収まると同時に、これまでの陰々としたエコーが綺麗に失せた女性の声が静かに響いた。
「全部録音したわよ、シュミット」
聞き覚えのある――つい最近聞いたばかりの声だった。シュミットはおそるおそる顔を持ち上げ、そして唖然と目を見開いた。
左手で持ち上げられた漆黒のフードの奥から現れたのは、数時間前、まさにこのローブ姿の死神に殺されたはずの当人の顔だった。波打つダークブルーの髪が、ふわりと風にたなびいた。
それを見て、シュミットは掠れた声を出した。
出さずにはいられなかった。
「............ヨルコ............?」
後書き
なべさん「はい、始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!!」
レン「あー、今回出番ねぇー」
なべさん「うん、まあ今回は全部シュミット氏語りですな」
レン「出番欲しぃ~」
なべさん「うるさい黙れィ!たまにはこーやって視点変えとかないと、やってられねぇーんだよ!」
レン「うわぁー、また夢のないことを………んなこと言ってると、読者の人気が落ちるぞ」
なべさん「ハッ!この俺が人気没落なんてアホなオチあるわけないじゃないか」
レン「……………………………………………………………」
なべさん「………あれ?どうしてみんな(スタッフも含めて)黙りこむんでせう?」
レン(及びスタッフ)「………………………………」
なべさん「なんで視線をビミョーに逸らそうとするのでせう?………あれ、カンペ?」
カンペ『気張らなくても、良いんだよ』
なべさん「何ゆえ!?」
レン「はいはーい、自作キャラ、感想を送ってきてくださいねー♪」
なべさん「ねぇ、なんで?何で目線合わしてくんないの!?」
──To be continued──
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