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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第六章 贖罪の炎赤石
  第二話 姉妹

 
前書き
カトレア 「シロウさんわたし病気であまり激しい運動が」
士郎   「ふむ、だが適度な運動は健康にいいものだ」
カトレア 「どんな運動がいいですか?」
士郎   「大丈夫だ。俺に身を任せてくれればいい」
カトレア 「身を、任せる……ですか?」
士郎   「そうだ、最初は少し痛いが、何、慣れればだんだん気持ちよくなる。ほら、まずは服を脱いで」
ルイズ  「……じゃあ、シロウのはわたしが脱がせてあげる」
士郎   「る、ルイズ」
ルイズ  「でもわたし今、何故かわからないけど手が震えてて……服と一緒に生皮も剥いでしまいそう」
士郎   「ひっ! ひいいいいいいいいいいいいい」
ルイズ  「待てえええええええええええ!!!」


 ハサミを持って追いかけてくる少女。
 ルイズよ! 君は何時からヤンデレにッ!?
 まあ、素質はあるかもしれないが……。

 次回『切らなければならない皮もある』

 選択肢! 間違えるな士郎ッ!!? 

 
 夜が明けきる前。
 空に月はなく、かと言って太陽の姿もない。
 微かに残った星明りが、唯一の明かりである。
 そんな時間帯。
 天を突き刺す槍のような針葉樹の森の中、明かり一つない暗闇の中から、風を切る音が響いていた。
 響く音は速く鋭く、聞いた耳が切り裂かれるかのような気さえする。
 小さく吹いた風が、微かに枝を揺らし、僅かに出来た隙間から、星明りが差し込む。闇を切り裂くように差した光は、風を切るものの正体を露わにする。
 
「フッ」

 光の下に曝け出されるが、男は気にすることなく両の手に持った剣を振るう。手にする剣は黒と白の夫婦剣。霞むほどの速度で両の手がバラバラに動く。誰か見るものがいれば、腕が絡まらないかと心配になる程の動きだ。右が突きを放てば左は切り払い。左が袈裟斬りすれば右は振り上げる。どれ一つとして同じ動きはなく、一見して滅茶苦茶に振り回しているように見えるが、振るわれる剣先にブレはなく、動きの一つ一つは洗練されていた。
 流れるような動き。男の動きを一言で言えばそのようなものだろう。剣を振るう手だけでなく、身体も一度も動きが止まらない。淀みなく動く男の足元には柔らかな土。しかし、濡れて泥濘む土に、男の足跡はない。男の身体の動きは遅くはない。いや、それどころか速い。瞬きすれば別の場所にいるほどの速さだ。なのに足跡はない。

「ッ! フッ!」

 剣を立て両手を軽く広げた形で男は動きを止めた。

「……信じる……か」

 あったばかりの頃は、周りに認めてもらおうと常に余裕がなく、何かに急き立てられているかのようだったルイズは、今は大分落ち着き、硬い表情も随分と柔らかくなり。最近は良く笑うようになった。
 
『シロウ、ここは私だけで十分だ。君は君を求める人達の所へ早く行け』

 剣が動く。
 右から左に。

 周囲に認められようと無茶をしていた以前とは、今は肝を冷やすような行動を取ることも少なくなってきた。人の話もよく聞いてくれるようになったし、言うもこともよく聞いてくれる。
 
『この私を信じないのか君は? 私は君を信じているというのに』

「……信じていた……ッ!」

 唸りを上げ剣が空を裂く。
 悲鳴のような音が木々を揺らす。

 もともとルイズは頭が良く、運動神経もいい。弱点だった魔法も自分の系統である『虚無』に目覚めてからは問題はなくなった。

『なぜだって? ……さあ? なぜだろう……私にもわからない……ぁぁ……そうか……わからないのが理由なんだ……な』

「……俺は……ッ! ……ッ!」 

 泥濘んだ土が宙を舞い、めくり上がった土の中から木の根が露出する。男が踏み込むたびに木々が揺れ葉が空を舞う。

 アンリエッタがアルビオンに攻め入るというのは予想はしていた。その際、アンリエッタが望んでも望まなくともルイズの力が求められるだろうとは思っていた。
 そして、ルイズがそれに応えるだろうということも。 

『……いいんだ……覚悟はしていた……こうなる可能性があるということを含めて、ね……』

「……ッ!! 守られてばかりだッ!!」

 男の左手に描かれた文字が輝きだし、さらに男の動きが速くなる。霞む程の速度で振るわれていた剣は、既にその姿を見ることは叶わない。男の動きも更に速くなる。男が動く度に、大地に深い線が描かれた。既に柔らかな土は全て吹き飛び、地下の硬い土が姿を現している。その硬い土を更にめくりながら男は動く。

 だが……戦場から離れさせることが本当にいいことかわからない。
 ルイズの行動力は尋常じゃない。目の届かない場所にいれば、一体何をするのか……。
 それならば、危険であっても戦場に共にいることにすれば……。

『さ、て……羨まし、かったのか……それ、とも……憧れ、た、のか……だか、ら、かな……き、み……のまね、ごとを、した、のは……ね』

「俺……は……俺、はッッアアァッ!!」

 両手の剣を振り下ろす。
 地面ギリギリで剣が止められるが、衝撃波だけで硬い土が抉れる。 

 ルイズは随分と成長した。
 シエスタとも腹を割って話すようになったし、マチルダに何かを相談している姿も見かけた。
 キュルケとは相変わらず喧嘩をしてばかりだが、あれは喧嘩するほど仲がいいというものだろう。
 なら、もう大丈夫だ……。

『……ぁぁ……もう、なく、んじゃない……こん、なこと、で……こうい、うのはもっとだい、じなひ、とのため、にのこ、しと、け……』

「……ハァッ……ハァッ……ハァ……はぁ……っ……」

 肩が微かに上下に揺れていたが、直ぐに平に治まる。額にはうっすらと汗がにじんでいるが、ただ、それだけだ。男が立つ範囲二~三十メイル内は、局所的な竜巻が起こったのかと思うほど荒れているが、男はそれを成したとは思えないほどの落ち着きを見せている。
 呼吸が正常に戻ると、男は時間を確かめるように空を見上げ、

 例え……俺がいなくなったとしても……。

『この……てい、ど、で……ゆれ、る、な……ば、か……せい、ぎの、みか、た……に、なる……ん……だ……ろ』

「っ! 誰だッ!?」

 唐突に顔を横に向けた。
 男が顔を向けた先にいたのは、

「す、すいません」

 桃色がかったブロンドに柔らかな目つき。 
 すらりと伸びた身体は女性らしいふくよかさが。
 鳶色の瞳が美しい目は大きく見開かれ、身を守るかのように胸の前に寄せられた手は小さく震えている。
 
「ちょ、ちょっと散歩をしていたのですが……その、ぐ、偶然ここを通り、掛かって……その……それで……」

 ラ・ヴァリエール公爵家の三姉妹の次女、カトレアがそこにいた。








 目を覚ました時、外はまだ暗かった。
 毛布を寄せ、目を閉じるが眠りに落ちる感覚は遠い。小さく溜め息を吐くと、ゆっくりと身体を起こす。ベッドの上や、部屋の隅に眠る子犬や子猫。天井からぶら下がる鳥かごに眠る小鳥を起こさないよう部屋の中を歩き、音を立てないよう注意しながらドアを開ける。

「……ちょっとお散歩に行ってきますね」  

 所々に魔法の明かりが設置されている廊下を通り抜け、カトレアは城の外に出る。
 外に城の明かりは届かず、夜明け直前の空に明かりは少ない。しかし、城の周りは子供の頃から良く利用していたカトレアには、明かりがあってもなくてもそこまで問題はなかった。そのため、カトレアは臆することなく何時もの散歩コースの針葉樹の森の中へ歩き出す。
 空からの微かな星明りさえ遮られた暗い暗い森の中を歩くうち、カトレアの脳裏で昨夜ルイズと話していた彼のことが思い出されていた。
 
「……矛盾しているようで……矛盾していない人」

 初めて彼を見た時感じたもの……冷たく乾いた心と暖かく柔らかな心……。
 一体どんな人なんでしょうか。
 初めて会った時、冷たい氷で胸を刺されながら、柔らかく包み込まれたかのような、そんなある意味暴力的な感覚に戸惑い、恐怖し……馬車の中では結局話すことは出来なかった……。
 ……馬車の中、時折盗み見ていたけど……ルイズを見る彼の目はとても優しかった……。
 ルイズも喧嘩をしているって言っていたけど、不意に彼を見る時の目は柔らかく暖かかった……。
 心を感じなくてもわかる……ルイズが彼をどれだけ信頼し信用し……そして、愛しているのが……。
 でも……馬車の中の動物たちは、彼に怯えていた。
 あれは……小鳥が猫に怯えるように……犬が狼に怯えるように……絶対に勝てない脅威に対するものだった。虎も、熊さえ……彼に怯えていた。
 ……わからない……どちらが本当の彼なのか……。
 





「……こんなの初めて……全然わからないなんて……ぁ……れ……ここ、何処かしら?」

 顎に手を当て、小首を傾げる。
 考え事をしていたからか、何時の間にか整備された道を外れ、見覚えがない場所に立っていた。とはいえ、枝葉により更に暗くなった森の中は、十メイル先もよく見えない。もしかしたら、見覚えがあるかもしれないが、これだけ暗ければ同じこと。どちらに行けばいいかわからず、顔を回していた時だった。

「……ん? ……何でしょうかこの音?」

 微かに耳に入り込む、鳥の甲高い鳴き声にも似た音。
 どちらに行こうかと迷っていた足が、誘われるように音が響いてくる方向に向かって歩き出す。朝露で濡れ、泥濘んだ柔らかな土の上を歩くうちに、聞こえてくる音は大きく、そして多くなっていく。

「これは……もしかして……」

 音源に近づくにつれ、音の形が明確になっていく。
 ハッキリと形となっていく音に、カトレアは覚えがあった。それどころか、気付けば小さな頃から身近にあった音。母親である公爵夫人が時折響かせるそれは……。

「……すご……い」

 ざらつく木に手を添え、顔を向けた先にあったのは、ふた振りの剣を振るう剣士の姿。枝葉の隙間から、微かに差す星明かりに照らし出された剣士は、ゆっくりと緩やかに動いているように見えるが、その実、瞬きした瞬間、視界から消えてしまうほどの速さで動いている。剣士が持つふた振りの剣もそうだ。空に絵を描くように振るわれる双剣は、複雑に動き、振るわれる腕が絡まらないか、見ているとハラハラしてしまう。

 でも……とても綺麗……。

 聞こえるのはただただ、双剣が空を切り裂く音だけ。濡れた地の泥が泥濘む音も、湿った土が落ちる音も……何も聞こえない……。
 それは、まるで幻……。
 剣と共に行われる幽玄な舞い。
 暗い森の闇の中、剣と共に踊る彼は酷く現実感がなく、それは、まるで夢を見ているかのようで……。

 剣士が不意に立ち止まる。

「……信じる……か」

 剣を持ち立ち尽くしていた剣士から声が漏れ、幻が急に現実味を帯び始め……暴風が吹き荒れた。

「……信じていた……ッ!」 

 悲鳴に似た声と共に、再度剣が振るわれ始める。
 始まったのは……破壊。                                    剣が振るわれる度に、破壊させる大地。
 剣は何にも当たっていない。
 にもかかわらず、双剣が振るわれる度に地が裂け、ズッシリと地に根を張る木々が揺れ葉が散り、枝が折れる。
 
「……俺は……ッ! ……ッ!」 

 剣士が泥濘む大地を踏み込むと、大量の土砂が空を舞い、泥が雨のように降り出す。
 泥が空を覆い、森の中にか細い星明かりさえ消えるが、カトレアが剣士の姿を見失うことはなかった。
 何故ならば……

「……光り、が」

 闇の中に、鈍く輝く光が生まれていた。                             光はギラギラと輝き、闇を照らし出す。                    

「……ッ!! 守られてばかりだッ!!」

 光は線を描く。
 残光が消える一瞬のうちに、闇に光の絵が描かれる。

「……っぅ……ぁ」

 剣士が何かを叫ぶたび、カトレアは胸を抑える。
 刃物が突き立てられるかのような鋭い痛みが走り、喘ぐような呼吸に小さく速く変化していく。
 壊れる……壊れてしまう……。
            
「俺……は……俺、はッッアアァッ!!」

 怒号と共に爆風が起きる。
 未だ空に留まっていた泥が吹き飛ばされ、木々がミシリと悲鳴を上げた。

「つら、い……かなし、い……い、たい……な、んで……何で……あなたは耐えられ、るのですか」

 剣士が剣を振るう度に起こる暴風と共に、男の心が突き刺さる。剣がひと振りされる度に、様々な痛みが突き立てられ、カトレアの心を男の傷跡が染めていく。
 胸を抑えた手を握り締め、身を縮め眉根に皺を寄せた時、脳裏に一つの情景が浮かんだ。
 それは……。

 光を遮るものが全て剥がされ、辺りに柔らかな星光が満ちる。
 両手に持つ双剣を地につくギリギリで止めた剣士の姿を、暴風により開けた空から降り注ぐ光りが浮かび上がらせた。

「……ハァッ……ハァッ……ハァ……はぁ……っ……」

 剣士は肩を微かに上下させている。
 荒い呼吸が耳に触れるが、直ぐに元の正常な呼吸に戻っていく。
 そして、剣士は空を仰ぎ……

「っ! 誰だッ!?」

 前振りもなく顔がこちらを向き、誰何の声が上がった。
 その鷹の様に鋭い目に、がちりと捕らえられ、逃げることが出来ない。膝から力が抜け、倒れ掛かる身体を手を添えた木で支えようとするが、ふらついた足は身体を剣士の前にさらけ出してしまう。

「す、すいません」

 鳶色の目を大きく見開き、カトレアは身を守るかのように胸の前に寄せられた手は小さく震わしている。
 
「ちょ、ちょっと散歩をしていたのですが……その、ぐ、偶然ここを通り、掛かって……その……それで……」

 途切れ途切れに言い訳のような言葉を呟くカトレアに、剣士……衛宮士郎が声を返す。 

「……君は」









 地に落ちた枝葉を踏みながら、士郎はカトレアの元へと歩き出す。カトレアは近付いてくる士郎に一瞬ビクリと肩を震わせたが、結局その場から動くことはなかった。目鼻の形が見える距離で士郎は立ち止まる。

「……修行をしていたのですか?」
「あ、ああ。まあ、そう、だな」

 カトレアの視線が士郎からその後ろに移動する。
 導かれるように士郎の視線もカトレアの視線を追う。目に映るのは変わり果てた森。

「……すまない」
「い、いいえ構いませんが。その、すごいんですね」
「……すごくはないさ」

 士郎の目が手に持つ双剣を見下ろす。
 噛み締めた歯の隙間から、吐き捨てるように言葉を呟く。
 士郎の様子に気付いていたカトレアだったが何も言わなかった。
 代わりに手を伸ばす。
 よろよろとよろめく足を動かし、士郎に近づくと、腕を伸ばし俯く士郎の頬に触れた。
 震える手が士郎の頬に触れる一瞬、パッと離されるが、恐る恐ると再度伸ばされ、指先が士郎の頬をなぞる。
 
「ん? ……何だ?」
「いえ……その、何かその……辛そうに見えて……何か……あったのですか」
「……君は……優しいんだな」
「ぁっ……」

 顔を上げた士郎は、心配気に見上げてくるカトレアに小さく笑いかける。士郎の笑みを見たカトレアの身体がビクリと震えた後、指がゆっくりと離れていく。離れていく指先に、士郎は頬を掻きながら目を細めた。

「しかし、俺は君に嫌われていると思っていたのだが」
「えっ? 嫌われてる? どうしてですか?」
「いや、どうにも避けられているように感じていたんだが……違うのか?」
「そ、そういうつもり……じゃ……ないんですが」

 わたわたと顔の前で両手を振るわれる腕が、次第に弱くなり、遂には力なく下ろされる。
 視線も下がり、濡れた黒い地面を見つめ始めていたが、再度ゆっくりと頭が持ち上がっていき、士郎に顔が向けられた。
 
「ん?」

 士郎の眉根に皺が寄る。
 弱々しく迷うように揺れていた瞳が、今は真っ直ぐとこちらを見つめてくる。向けられる視線には、今まで向けられていたオドオドとした怯えが見えず、何か決意した光が見えた。

「……あなたは何故、生きていられるのですか」
「なに、を……君は言って――」 

 カトレアの言うことがわからず、思わずと士郎が声を上げるが、カトレアは構うことなく言葉を続ける。

「辛いはずです、悲しいはずです、痛いはずです……一つだけでも壊れてしまいそうなものをいくつも胸に抱いているのに、あなたは何故生きているのですか……生きて……いられるのですか」
「っ……君は……やはり……」

 士郎が探るような目をカトレアに向ける。

「読めるのか……人の心を」
「……少し……違います」

 士郎の言葉を、カトレアは否定しなかった。
 士郎の探るような目を真正面から受け止め、カトレアは微かに頷く。

「ただ……感じるだけです。はっきりとはわかりません、ただ、そう……ただ何となくわかるだけです」
「何となく……か」
「……でも……あなたは違いました」
「違う……とは」

 カトレアの両手が伸ばされる。士郎の頬をカトレアの両手が挟みこむ。 
 
「? ちょ、何を」
「はっきりと……感じ取れたのです……こんなこと、初めてなんです。軋み、悲鳴を上げるあなたの心はボロボロです……なのに……あなたは」

 士郎を見つめる瞳が涙に潤んでいる。

「あんなに優しく笑えるのですか」
「…………」

 カトレアの問いに、士郎は何も答えない。
 二人の間に沈黙が満ち、辺りには風が葉を揺らす音だけが広がっていた。
 
「――ぁ……」
「ん?」

 顔を上げ、何かを言おうと口を開いたカトレアだったが、言葉途中で顔が別の方向に向けられる。
 前振りなく顔が背けられた士郎は、同じ方向に顔を向けたが、鷹の目にも何も映らない。

「おい、どうした」

 士郎の声に振り返ることなく、カトレアは森の中を進む。
 





 立ち止まったカトレアは、膝を曲げ地面に落ちた何かを大事そうに拾い上げた。
 女性の小さな手のひらにすっぽりと乗っているのは、柔らかな塊。ピクピクと動き、ぴぃーぴぃーと鳴くそれは、

「鳥の、雛か……」
「はい……どうやら、巣から落ちたようです」
「怪我は……ないようだが」
「そのようですね。下が柔らかい土だったのが幸いしたようです」

 鳥の雛を両手に立ち上がったカトレアは、周りの木よりも二回りは大きい目の前に伸びる木を見上げた。

「どうしましょう」
「『レビテーション』で上に運ぶことは出来ないのか?」

 士郎が何気なく問いかけると、カトレアは寂しげな笑みを浮かべた。

「出来なくはないのですが、多分途中で落ちてしまうと思います」
「落ちる? 何故だ?」
「わたしは身体が弱くて、魔法の行使に身体が耐えられないのです。これだけ大きな木の上までいこうとしたら、確実に身体が魔法に耐えられません」
「身体が弱い?」
「はい、生まれてきた時から……だそうです。父さまや母さまが国中のお医者さまをお呼びして、強い『水』の魔法を試したんですが、どうにも身体の芯から良くないようで」
「そうか」
「……すいません」

 手の平に乗せた小鳥に目を落とすカトレアに向かって士郎は手を差し出した。

「少し、触れてもいいか」
「え?」

 突然の士郎の発言と共に差し出された手に、カトレアは戸惑いの目を向ける。士郎の手と自分の身体を交互に見返すと、カトレアは小首を傾げた。

「あの……何処を、ですか?」
「そう、だな……」

 小鳥を両手で掬うように持っているため、カトレアの両手は塞がっている。士郎の目がカトレアの身体を足先から頭の先まで見回すと、

「頭……でいいか?」
「頭……ですか? 別に、構いませんが」
「ふむ……それでは失礼して」

 士郎の手がカトレアの柔らかな桃色がかったブロンドに触れる。カトレアの髪が、士郎の手の形に柔らかく沈む。無骨だが優しく触れてくる士郎の手の感触に、カトレアの目が細められ小さく喉の奥が鳴る。

「解析開始(トレース・オン)」
「あの……何か?」

 上目遣いで問いかけてくるカトレアに、士郎は閉じていた目をゆっくりと開き、

「……生まれつき身体が弱いため、ちょっとした病気が重症になるようだな」
「……? あの、どうしたんですか?」
「いや、ちょっとな……ふむ……これならあれを使えば」
「? どうかしましたか」
「気にするな、それよりまずはこの雛をなんとかしようか」
「どうするんですか?」
「俺が上まで持っていく」

 士郎が木を見上げながらいうと、カトレアも同じように背の高い木を見上げる。巣がある木には手をかけるような枝はなく、幹も太く腕を回すことは出来ず、木登りには適さない木であった。上まで持っていくとは言っても、どうやってやるのかその方法がわからず、カトレアが士郎に声を掛ける。

「そう言いますが、雛を持てば片手が使えなくなりますよ。ただでさえ登りにくい木なんですから」
「いや、手を使わんぞ」
「使わないんですか?」
「ああ。ま、取り敢えずその子を渡してくれるか」
「あ……はい」

 士郎の手の上に、カトレアが雛を置こうとする。掌から雛が離れようとする瞬間、カトレアの顔に寂しげな笑みが浮かび、

「ん……いや、やはり止しておこう」
「え」

 それを見た士郎が手を引いた。雛の置き所がなくなり、結局カトレアの掌に戻っていく。雛と士郎を見返すカトレアに、士郎が両手を上げてみせる。

「俺が持つと雛が怯えそうだからな、雛は君が持っていてくれ」
「わたしは構いませんが、でも、それならどうやって雛を戻すのですか?」
「こうやってだ……少し失礼するぞ」
「え? あの、ちょ、きゃっ?!」

 士郎は腰を落とすと、戸惑うカトレアの腰と膝に腕を回し、

「その、これは、その、どうしたら……」

 腰と膝に腕を回され持ち上げられ、所謂お姫様抱っこをされたカトレアが上擦った声を上げる。手の上にいる雛を気にしてか、特に抵抗らしい抵抗を見せない。士郎は石のように固まったカトレアを見下ろし。

「すこし目を瞑っていてくれ」
「あ、あの、こ、これは、その」
「大丈夫だ。安心しろ」
「っ……は、はい」

 ぱくぱくと口だけを動かすカトレアを落ち着かせようと、士郎が優しく諭すように笑みを向ける。何か言おうと口を開いたカトレアだったが、結局小さく頷き目を閉じた。

「それでは……いくぞ」
「ッン!」

 士郎が地面を蹴る。ドンッという重い音が響くと同時に、カトレアの身体に強い風が吹き付けた。ゴウゴウと耳鳴りのような風を切る音が聞こえたが、直ぐにそれは途切れてしまう。次に感じたのは柔らかく髪を揺らされる感触。穏やかに吹く風が、長い桃色の髪を揺らす。

「……ン……あ……綺麗」
「夜明けか、いいタイミングだったな」

 カトレアが目を開けると、そこには草原が広がっていた。彼方から登り始めた太陽が、辺りを照らし出す。目の前に広がるのは一面の緑。草原かと思ったのは、森を構成する針葉樹だった。士郎は高い木の頂上付近に生えている、一際太い枝に器用に立つと、腕に抱いたカトレアと共に枝葉の隙間から身体を出している。
 幼い頃から魔法がまともに使うことは出来ず、フライもレビテーションもほとんど使ったことがなかった。だから、こんな風に、森を見下ろすのは初めてであった。屋敷や城から見下ろすのとは違う目の前に広がる光景は、身震いするほど美しい。

「見とれるのはいいんだが、まずは雛を元の場所に戻そうか」
「っあ! は、はい、そうですね。それで、巣はどこに」
「ここだな」

 そう言って士郎は膝を曲げると、カトレアの視線と巣の高さを合わせる。カトレアの目の前にきた巣には、拾った雛と同じ種類の雛が巣の中で眠っている。そこに親鳥の姿はない。どうやら餌を取りにいったのだろう。
 
「親鳥が戻って来る前に戻そうか」
「はい」

 士郎にお姫様抱っこされながら、カトレアは眠っている雛達を起こさないようそっと雛を巣に戻す。カトレアの手の平から巣に戻された雛は、ぴよぴよと鳴きながら左右を見渡し……電池が切れたように眠り始めた。 
    
「ふふ……かわいい。鳴き疲れて眠むっちゃった」
「これは大物になるな。この高さから落ちて直ぐに寝れるとは」
「……あの、し、シロウさん……でいいんですよね」
「ん? ああ、そう言えば自己紹介がまだたったな」

 士郎は軽くカトレアを抱え直すと、腕の中にいるカトレアを見下ろす。

「俺の名前は衛宮士郎。ルイズの使い魔だ。さっきみたいに士郎と呼んでくれ」
「はい、わかりましたシロウさん。それでは、わたしのことはカトレアと呼んでください」
「いいのか?」
「はい、構いません。わたしはそういうのは気にしない方なので……でもシロウさんもそういうことを気にするんですね。先程から随分砕けた喋り方だったので、そういうのは気にしない方だと」
「……すまない……少し気が緩んでいたみたいだ……」

 肩を落とし謝る士郎に、カトレアは小さく笑いながら首を振る。

「くすくす……さっきも言いましたが、わたしはそういうのは気にしないのでこのままでいいです……いえ、この方がいいです」
「何だって?」

 最後にカトレアが呟いた言葉が聞こえず聞き返す士郎に、カトレアは小さく笑みを返す。

「何でもありません。でも、わたしはいいですが、父さまや母さま、エレオノール姉さまには注意してくださいね」
「ああ、了解した。忠告心に留めておくよ」
「……はい」




 沈黙が落ちる。しかし、嫌な気はしない。
 時折吹く穏やかな風は冷たいが、気になることはなかった。自分の腰と足に回された腕は硬く、身を寄せる身体は厚かったが、優しく包み込むように抱きしめてくれる彼の身体が、まるで暖炉のように暖かいからだ。
 急に抱えられた時は、父親にもされたことのない初めての経験に戸惑い慌ててしまったが、不安定な高い木の枝の上にいるというのに、今は自分でも驚く程落ち着いている。
 余りにも心地よく、気が遠くなりそうな中、ふと気が付くと、自分の顔がゆっくりと彼の胸元に向かいだしていた。
 耳に彼の厚い胸板が当たる。
 とくんとくんという穏やかな鼓動が聞こえてきた。
 顔に風が吹き掛かる。
 冷たい風の中に、微かに熱く湿った不思議な匂いが混ざっていた。
 それは虎や熊のような獣の匂いに似ているようでいて、それでいて、父親が付けているコロンの匂いにも似ている……でも、そのどちらでもない不思議な匂い。
 ただ……嫌いな匂いじゃなかった。
 いや、それどころかずっと嗅いでいたとさえ思ってしまうほど……。
 それ(・・)が一体何なのかわからないまま、匂いに誘われるまま顔が動き、

「……カトレア、すまないがくすぐったいんだが」
「……っ……ん……ん? え? あっ?! す、すいませんっ!?!」
「っうおっ?! 危ない暴れるな! 落ち着け!」
「あっ……は、はい……」

 士郎の首元に顔を押し付けていたカトレアに士郎が声を掛けると、カトレアは半分寝ていた意識を一瞬にして覚醒させた。自分が何をやったのか気付いたカトレアが、反射的に士郎の胸板を両手で勢い良く押し離れようとしたが、ここは木上、落ちたら大変だと士郎はカトレアを更に強く抱きしめる。
 強く抱きしめられ更にパニックになりかけたカトレアだったが、士郎の言葉に我に帰り、徐々に落ち着きを取り戻していった。

「急にどうしたんだ?」
「……あ、そ、その……な、何でもありません……」
「……そう、か」

 真っ赤な顔で俯き呟くように答えるカトレアに、士郎も小さく頷く。
 またもや二人の間に沈黙が落ちる。しかし、それは先程のものと違ってどこか居心地が悪い。
 その沈黙を破ったのは、カトレアだった。
 カトレアは俯いていた顔を上げ、草原のように広がる森を見下ろすと、頭の上にいる士郎に向かって顔を向けず声を掛ける。

「シロウ……さんは、なぜ……嘘をついたんですか……」
「嘘……とは?」 
「小鳥が怯えるといったのは、嘘ですよね。なぜ、そんな嘘を」
「ふむ……」

 カトレアの言葉に、士郎は朝日に照らされだした森を眺め、

「……まあ、ただの自己満足だ」
「自己満足……ですか?」
「あ~……その、だな。君から雛を渡される際、君がどこか寂しげな顔を浮かべていた気がして……な」
「寂し、そう……ですか」

 士郎の言葉に小首を傾げてみせるカトレアに士郎は苦笑いを浮かべ。

「まあ、俺が勝手にそう思っただけだ。もしかしたら、自分の手で返したかったのではないかと思ってな」
「……それだけで、わたしを抱えて木に登ったというのですか」

 カトレアは、自身の手を見た後、未だ雛達が眠る巣を見下ろし、士郎の顔を見上げた。

「……あなたは……本当に馬鹿な人ですね」
「……良く言われる」


 三度目の沈黙が、二人の間に満ちる。
 三度目の沈黙は……何処か気恥ずかしい
 二人の顔はそれぞれ別の方向を向いている。
 二人共何も言わない……言えないでいた。
 気恥かしさと、何処か心地よい甘い痛みに、カトレアは火照る頬を隠すように両手で挟んでいる。
 そんな三度目の沈黙を破ったのは、第三者だった。
 
 ――チチチチッ――

「ぁ……小鳥、さん?」
「ん? ああ、親鳥みたいだな」

 掌サイズの小さな青い色の小鳥が2羽、ぐるぐるとカトレアと士郎の周りを飛び回っていた。二羽の小鳥は、可愛らしい声で鳴きながら、じゃれつくように飛んでいる。巣の近くにいるというのに、威嚇してくる様子がみえないことに、士郎が苦笑を浮かべた。

「随分と人懐こい鳥だな?」
「……もしかして……この子」

 カトレアが飛び回る小鳥に向けて片手を差し出す。小鳥は差し出された手とカトレアの顔を交互に何度も見返すと、

「……ふふ……お久しぶりです……元気だったみたいですね」
「知っているのか?」
「ええ。昔、助けたことがある小鳥たちです」
「……よくわかったな」

 カトレアの手の平の上にチョコンと乗った小鳥と、そこらに飛んでいる小鳥がどう違うか士郎にはわからず、それを見分けたカトレアに感心の目を向ける。

「ん~……何となく、ですね。でも、多分間違いないですよ」

 カトレアは顎に指を当てると、小首を傾げながらもうんうんと頷いてみせた。

「あら? ふふふ……どうしたの? もうっ……こら、くすぐったいわ」

 小鳥たちは掌から飛び立つと、カトレアの肩や胸、頭などを歩き回る。ちょこちょこと歩き回る小鳥たちの感触に、カトレアがくすぐったそうに笑う。

 ――チチチッ――

 カトレアの身体から離れた小鳥たちは、カトレアの顔の前で一つ小さく鳴くと、少し離れた場所に飛び上がった。

 ――チチチッ――

 そして、また小鳥たちは鳴く。
 それはまるで、一緒に遊ぼうと誘うかのように……。
  
「……どうする?」
「……え? どうするって、それは、どういう……」

 誘うように鳴く小鳥たちを、また、どこか寂しげな目で見ていたカトレアに、士郎は小さく問う。カトレアが戸惑うような顔を士郎に向ける。士郎はカトレアを抱きながら器用に肩を竦めると、再度腕の中のカトレアに問いかけた。

「あの鳥たちは君を誘っているようだが……どうする?」
「で、でも、わたしは……飛べません……」
「……君は……もう少し我侭になってもいいんじゃないか」

 士郎の腕の中で小さく身体を縮め、俯いてみせるカトレアに、士郎は語りかける。

「え?」

 耳に入った言葉の意味がわからないというように、のろのろと顔を上げたカトレアの顔には、疑問の表情が浮かんでいる。そんなカトレアに、士郎は笑いかけた。

「ルイズなら、ここで俺に命令するぞ」
「めい、れい?」
「『あの小鳥を追いかけなさいっ』とな」
「でも……それはルイズがあなたの主だから」
「……それもあるだろうが、それだけじゃない」
「それだけじゃない?」

 見上げてくるカトレアに向けていた笑みを苦笑いに変える。

「ルイズはな、我侭なんだ」
「わが、まま?」
「そうだ、まあ、最近は少し収まってきたが……昔はそれはもう酷かったぞ」
「ふふ……そうですか」
「ああ、そうなんだ。それに、姉のエレオノール嬢も我侭だったな」
「エレオノール姉さまもですか?」
「……ああ」

 士郎は昔を思い出すように目を閉じると、エレオノールが学園にやってきた時のことを思い出した。
 シエスタの手伝いをしていると、ルイズを引きずりながら現れたエレオノールが、『ついてきなさい』と一言命令して歩き去っていったのだ。状況が把握出来ず立ち尽くしていると、振り返りもせずエレオノールは隣にいたシエスタにも『あなたもついてきなさい』と命令すると、止める学園長を一顧だにせず停めていた馬車に乗り込んでいった。その際、一言の説明もなしで。事情は説得を諦めた学園長に聞いた。

「……あれは我侭とはいわないか」
「ふふふ、エレオノール姉さま母さま似だから」
「……急に君たちの母親と関わりたくなくなった」
「ふっふふ……それは困りましたね」
「困る? 何故だ」
「……あれ? 何ででしょう?」
「いや、俺が聞きたいんだが」
「……あれ?」

 子犬のように純粋な瞳で見上げ、首を傾げてくるカトレアに、士郎も同じように首を傾げる。
 しかし、話しが逸れたとばかりに顔を振ると、あれあれ? と未だ首を傾げるカトレアに苦笑いを向けた。

「話しがそれたが。つまり俺が言いたいことはだな……君はもう少し我侭になってもいいんじゃないかということだ」
「わが、ままにですか?」

 どう言う意味だろうと悩むカトレアに、士郎は顔で飛び回る小鳥を示す。

「そうだ……あの鳥と遊びたいのだろう?」
「でも……それでは、シロウさんに迷惑が……」
「ふむ、確かに君を抱えながら飛び回るのはいささか大変だが……」
「……そう、ですよね……」

 どこか残念そうな顔になるカトレアに、士郎は惚けた顔を向ける。

「まあ、無理ではないな」
「え? それは、どういう……」
「大変だが無理じゃないと言っている……でだ、どうする?」
「どうする……とは?」
「大変だが無理ではないという男が目の前にいる。それじゃあ君はどうする?」

 ん? と何処か悪戯っぽく士郎が聞くと、

「……ぷっ……ふふふ……シロウさん……本当にあなたという人は……もうっ……」

 カトレアが唐突に吹き出した。
 急に笑い出したカトレアは、士郎の腕の中で身体を震わせながら笑い続けている。

「……で、どうする?」
「ふふふ……それでは、お願いします」
「何を……かな」

 目尻から溢れた涙を白く細い指先で拭いながらカトレアが頭を下げると、士郎は口の端だけを曲げた笑みを浮かべた。

「あの小鳥たちを……追ってください」
「くくっ……了解した。少し揺れるぞ、しっかり捕まっていろ」
「捕まる? どうすればいいのですか?」
「俺の首に両手を回すんだ」
「し、シロウさんの首にですか」

 士郎の言葉に戸惑うカトレアに、首を差し出しながら説明すると、カトレアが『両手で……』と呟きながら両手を眺めだす。
 
「ああ」
「そ、それだと……もっとくっついてしまいます」
「ん? 何か言ったか?」
「っ?! な、ななな何でもありません。そ、それでは失礼して」
「よし、それではいくぞ」

 首に両手が回り、士郎がカトレアに声をかけるが、

「…………」

 カトレアは何も答えずぼ~としていた。

「カトレア?」
「…………」
「カトレア?」
「…………っえ? な、何ですかシロウさん?!」
「いや、どうしたのかと思ってな? 急に黙り込んでどうし……いや本当にどうした顔が真っ赤だぞ」
「へっ?! い、いえっ!! 何でもありません!! 大丈夫ですッ!!」
「いや、本当に真っ赤だ。もしかして……」

 何の反応のないカトレアに士郎が何度も声を掛けると、目の焦点が元に戻ったカトレアがわたわたと両手を振り出した。真っ赤な顔で目を伏せるカトレアに、士郎はどうしたのか? と首を傾げていたが、はっと何かに気付くと、顔をカトレアに近づけ出す。

「ひゃうっ……」

 近付いてくる士郎の顔に、更に顔を赤くしたカトレアは、ぎゅっと目を瞑りながら身体を小さくし、ぷるぷると震えだした。

「熱はないようだが?」
「っ! え? あ……はぅ……は、はい……大丈夫です、よ」

 コツンとカトレアの額に自身の額を当てた士郎が、首を傾げながら顔を離すと、小さなリスのように震えながらカトレアが小さく頷く。

「そうか……なら、いくか」
「はい……お願いします」

 士郎が笑いかけると、カトレアは真っ赤な顔で頷いてみせた。







 跳ぶ、翔ぶ、飛ぶように士郎は木の上を掛ける。
 草原を駆けるように、木から木へと飛び移る士郎。そんな士郎の周りを、鳥たちがじゃれつくように飛び回っている。

「は、ははは……あはははははははっ!!」
「ふっ……くくく……ハハハハッ!」
 
 唐突に二人は笑い出した。
 カトレアは片手を士郎から外すと、羽ばたくように揺らす。士郎の首に回した腕に力を込め、胸が押しつぶされているのに気付かず、カトレアはぎゅっと士郎に抱きついている。

「わたし……飛んでる……っ! 飛んでるわたしっ!! あはははははははははは」
「ああ、そうだな。寒くはないか」
「? 何ですかシロウさんっ!?」

 轟々と風を切る音が邪魔をして、士郎の声が聞こえなかったカトレアは、腕にぐっと力を込めると士郎の口に耳を近づける。

「寒くはないかっ」
「っふふふ……くすぐったい。ええ、大丈夫です! シロウさんがとても暖かいから!」
「そうか」

 士郎の吐息が耳に当たり、くすぐったそうに肩を竦めてみせたカトレアは、風の音に負けないよう大きな声で答える。
 小さな……幼い少女のようにキラキラと輝く笑みを浮かべてはしゃぐカトレアの様子に、士郎の顔に優しい笑みが自然に浮かぶ。
 空に輝くか細い星の明かりが消え、大きな強い光りが満ちる。
 青々とした針葉樹の草原が広がる中、駆ける一つの影。
 士郎とカトレア、そして二羽の青い小鳥との散歩は、その後暫らくの間続くことになった……。









「ふふふ……とても楽しかった」
「そうか」

 小鳥との空中散歩を終えた士郎は、日が差し込んでくる森の中に立っていた。散歩を終えた士郎は、木の上ではなく地上に降りていた、未だカトレアを腕に抱いたままで。
 笑いすぎでない理由で顔を赤くしているカトレアが、恐る恐ると士郎に顔を向ける。

「えっと……それで、あの……そろそろ」
「ん? ああ、そうだな。すまんな、今すぐ下ろす」
「あ、はい……っと、あれ? あっ?!」
「おっと、大丈夫か?」

 士郎腕の中から地上に下ろされると、足に力が入らなかったのか、カトレアはふらつきながら士郎に倒れかかった。そんな倒れかかってきたカトレアを、士郎は抱きとめる。

「あっ……は、はい。だ、大丈夫です」
「そうか、それではどうする?」
「そうですね……明るくなってきましたし、そろそろ帰ろうかと思います」
「俺もついていくか?」
「大丈夫です。ここからそんなに遠くありませんので、そんなに心配しなくてもいいですよ」
「そうか、それではここでお別れだな」
「…………」

 俯くカトレアの頭を軽くぽんぽんと叩くと、士郎はカトレアに背中を向けてゆっくりと歩き出した。

「……シロウさん」

 小さくなる士郎の背中に向けて、カトレアは声をかける。
 それは大きな声ではなかったが、士郎は立ち止まり振り返った。

「どうした?」

 振り返った士郎の目に、口元に小さな笑みを浮かべながら立つカトレアの姿が映る。

「……聞き忘れていたことがありました」
「聞き忘れていたこと?」
「はい」
「それは――」
「シロウさん……あなたは何故、生きていられるのですか……そんなぼろぼろの心で……生きて……笑っていられるのですか……」


 士郎の言葉を遮ったカトレアは、小さく震える声で問いかけた。
 カトレアは俯き、今どんな顔をしているのかわからない。

「……」
「あなたは何故……笑えるのですか」
「…………さあ、俺にもわからないな」
「えっ?」

 震える声に水音が交じった問いかけに、士郎は小さな笑みを浮かべて答えた。士郎の答えに、カトレアの顔が上がる。カトレアの目は、濡れ潤み……端から細い川が流れていた。

「わか、らない……とは?」
「俺がボロボロになりながらも生きていられるのも、そんな状態で笑っていられる理由も……正直なところわからないな」
「そう……ですか」
「ただ」
「え?」
「ただ、一つだけ知っていることがある」
「知っているですか?」
「……俺が生きて笑っていると、笑ってくれる人たちがいるということを」

 何処か照れるように笑う士郎の顔を、カトレアは大きく見開いた目で見つめる。

「わら……って」
「そうだ……笑ってくれる奴らがいる」

 自分の言葉に苦笑を浮かべた士郎は、浮かんだ笑みを隠すように顔を片手で覆うとカトレアに背を向けた。士郎は「それじゃあ」と、残った片手を上げ、カトレアから離れだす。どんどん小さくなっていく士郎の背中に、

「シロウさんっ!!!」

 大きなカトレアの声がかけられた。

「何だカトレア?」
「わたしも……」
「ん」
「わたしも……わたしもっ! 笑います!!」
「カト、レア?」
「わたしもっ! シロウさんが生きて笑ってくれると……わたしも笑いますっ!!」

 激しく高鳴る心臓を抑えるように、強く胸を押さえつけながらカトレアは叫ぶ。
 真っ赤な顔を満面の笑みに変え。
 心の底から笑いながら。

「だからシロウさんっ!! 生きて……生きて笑っていてください!!!」
「……ああ、了解した」

 士郎は片手を高く上げ応えると、ゆっくりと歩き出す。
 カトレアはどんどん小さくなっていく士郎の後ろ姿を見つめている。
 夜が明けても未だ残る森の闇の中に士郎が消えるまで見つめていたカトレアの鼻に、あの匂いが触れてきた。

「……ぁ……ふふ……」

 くんくんと鼻を鳴らし匂いの発生源に気付いたカトレアは、自分の身体を抱きしめるように腕を回すと小さく呟く。

「……シロウさんに抱かれているみたい」

 自分を包む服に残った士郎の残り香を嗅ぎながら、カトレアは士郎が消えていった森の奥を眺め……

「……何だか……胸が、苦しい……」

 ぎゅっと服がシワになるほど胸を掴みながら、

「……でも……とてもいい気分……」

 赤く染まった顔で華のような笑みを浮かべた。











「ふ……ぁ~ああ……眠い」

 城の一角にある自分の部屋の窓を開けると、エレオノールは大きなあくびをしながら大きく伸びをした。伸びをする手に持っているのは、眠気を犠牲にして手に入れた研究結果だ。
 エレオノールは王立魔法研究所、通称『アカデミー』に勤めているのだが、ルイズを連れて来いと母親に命令され、研究途中でルイズを連れに魔法学院に行ったのだ。一応資料は持ってきていたため、空いた時間を利用して研究を続けていたのだが、思った以上に研究が進み、結果……。

「……眠い」

 寝不足となった。
 研究結果を握り締めうんっと背を伸ばしていると、窓から一際強い風が吹き込んできた。

「もうっ! 髪が乱れッ――あ……ああ――ッ!!」

 吹き込んできた風で乱れる髪を抑えようとした瞬間、握りしめていた研究結果の一部が風にまかれて窓の外に飛んでいった。反射的に取ろうと手を伸ばしたエレオノールだったが、

「ちょっ! 待ちなさ……あれ……ひっ」

 窓から身を乗り出しすぎ……落ちていった。

「ひぃっ! っきゃああああああああああ」

 轟々と風が通り過ぎ、内蔵が持ち上がる。手には見事研究結果を手に入れたが、その結果は地面への急降下。最悪なことに杖はない。エレオノールの脳裏に死の一文字が浮かぶ。
 反射的に身体を縮めたエレオノールは、ぎゅっと身体を抱きしめながら悲鳴を上げる。
 もうダメ! と心の中で叫んだ瞬間、ザグンっ! という鈍い音が響くと同時に、内蔵が押し下がった。

「大丈夫か」

 力強い何かが身体に回される感触と、落ち着いた低い声に恐る恐ると目を開けるエレオノールの目に、

「へ?」
「どうした?」

 浅黒い肌の男がいた。



 

 エレオノールが窓から落ちる数分前、士郎は修練を終え、森から出ようとしていた。森を抜けた士郎は、朝日に照らされる城の威容を、折角だから改めて眺めてみようと顔を上げ、そこでエレオノールが窓から落ちる瞬間を目撃したのだ。

「なっ!? 何やってるんだあいつはっ!!?」

 悲鳴を上げながら落ちていくエレオノールに向かって、士郎は身体を強化し、「何だか随分と久しぶりな気が」と呟くデルフリンガーが無視しながら抜き放つと駆け出していった。







「君は一体何をやっているんだ」
「な、誰よあんたっ! 何してるの離れなさい!!」
「待てッ! 落ち着け! 下を見ろ下をッ!!」

 呆れた顔を浮かべる士郎にエレオノールは両手を突き出して離れようとする。士郎は暴れるエレオノールに焦りながら下を見ろと忠告する。

「下って、なに……よ……ひっ! きゃあああ! きゃああああ」 
「だから落ち着け」

 下を見て自分の今の状況に気付いたエレオノールは、先程との反対に、悲鳴を上げながら士郎に抱きつき出す。
 士郎たちは今、士郎はエレオノールの腰に腕を回した姿で、城の壁に突き立てたデルフリンガーにぶら下がっていた。エレオノールはきゃあきゃあと悲鳴を上げながら士郎を抱きしめる。士郎が何とかエレオノールを落ち着かせようとするが、全く上手くいかない。何時までたっても悲鳴を上げることを止めず、離れようとはしないが暴れるエレオノールに、これは以上はやばいなと判断した士郎は、

「落ち着け。大丈夫だ俺が絶対に助ける」
「へっ! ひゃ! ふぅわっ……ぁ……」

 エレオノールの腰に回していた腕に力を込めると、耳元に囁くように、それでいて力強く声を掛けた。
 逆らうことの出来ない強い力で引き寄せられ、耳元で囁かれたエレオノールは、ボンッ! と音がなる程の勢いで顔を真っ赤にする。急に力が抜け、ぐったりとなったエレオノールを、士郎は訝しげな目で見下ろす。

「どうした?」
「…………」
「ふむ……この隙に」

 黙り込み、だらりと力が抜けたエレオノールの身体に、士郎は剣にぶら下がりながらも器用に腕を回すと、身体に力を込めて壁に立つような姿勢になる。

「エレオノール、俺の首に腕を回すんだ」
「う、で? まわ、す?」
「そうだ、ゆっくりでいい」

 士郎の言葉に言われるがまま、エレオノールは士郎の首に腕をまわす。

「それじゃあ、いくぞ」
「いく……って?」

 しっかりとエレオノールの身体が固定されるのを確認した士郎は、壁に突き立てた剣を一気に引き抜いた。

「え? ひっ! きゃあああああああああ」
「っと」

 剣を引き抜いた士郎たちは、支えがなくなったにもかかわらず落下しなかった。

「きゃあああ……ああ……あれ?」
「大丈夫だと言っただろう」

  士郎たちが宙ぶらりんになっていた場所は、足がかりや手がかりになるようなものがない、登ることも出来ず降りることも出来ない場所だった。高さはかなり高い。飛び降りればエレオノールはおろか士郎でも危険な高さだったため、士郎は飛び降りることを早々に諦めた。登るのもまた同じように手がかりになるようなものがなく、エレオノールを抱えて登ることは出来ない。
 ならばと士郎が考えたことは、

「うそ……壁を……走ってる」

 走ればいいというものだった。
 士郎は垂直の壁を斜めに走っている。
 軽やかに城の壁を走る士郎に抱かれるエレオノールは、魔法で空を飛ぶのとは違う感覚に不安気な顔をして士郎の首に回した腕に力を込めた。

「もう少しだ」
「あ……」

 不安気に身を寄せてきたエレオノールに、優しく笑い掛けると、士郎と目が合ったエレオノールがどこか戸惑った様子を見せる。

「そ、その――」
「着いたぞ」
「ひゃっ」

 エレオノールが何か言おうと口を開くと、それを邪魔するかのように士郎が地上に到着した。士郎が城の壁から地の上に飛び移った衝撃で、エレオノールの口が閉じる。
 
「な、何よもうっ……もう少しやさ、しく……」
「? どうした」

 顔を抑えながら文句を言おうとしたエレオノールだったが、自分の今の格好に気付くと、声が段々と小さくなり、

「あ、あ」
「あ?」
「ああああなたたた何してるのよっ?!」

 急に暴れだした。

「暴れるな、今下ろす」
「ひゃうっ!」
「怪我はないか?」

 暴れだしたエレオノールを素早く下ろすと、突然下ろされバランスを崩したエレオノールが士郎の胸に倒れ込む。胸に倒れ込んだエレオノールの肩を掴み離すと、ガバリと顔を上げたエレオノールが兎のように飛び跳ねて士郎から離れた。

「ななんあなんあなに何したのよわたしに」
「何って? 何をだ?」

 士郎から距離をとったエレオノールは、真っ赤な顔で士郎を指差す。士郎を指差す手は、ブルブルと細かく震えている。

「わ、わたしの身体にて、手を回して……それで、その……」
「すまない、嫌だったか。アレが一番安全な方法だったんでな」
「む……ぅ……そう……なら……いいわ」

 苦笑いを浮かべながら謝る士郎に、エレオノールは真っ赤になった顔を背けながらも頷いてみせた。
 顔を背けているが、真っ赤に染まった耳が丸見えのエレオノールの様子に笑い出す。

「そうか……助かる……しかし……くくく……」
「何笑ってるのよっ!」
「いや、すまない……ただ、ちょっとな」
「何よっ! 言いたいことがあるならさっさと言いなさいっ!!」

 はぐらかす士郎に、エレオノールはずいずいと近づきながら問いただす。

「大したことじゃない。ただ、可愛いものだと思ってな」
「なっ?!!?」

 予想外の、思ってもみなかった言葉に、エレオノールの顔が更に赤く染まる。湯気が出るほど、熱く赤くなったエレオノールの様子に、士郎の顔に浮かぶ笑みが更に深くなっていく。

「くくく……それではな。今度から窓に近づく際は気をつけておくことだな」
「待ちなさいッ!!」

 呆然と立ち尽くすエレオノールに背中を向け歩き出した士郎に、エレオノールの制止の声がかけられる。

「……何だ?」
「あなた……名前は」

 肩越しに振り向いた士郎に、睨みつけるような視線で名前を聞くエレオノール。噛み付いてくるのではないかと心配になるほどの目つきで名前を聞いてくるエレオノールに、内心苦笑いを浮かべながらも士郎は答えた。

「……衛宮士郎だ」
「……エミヤ……シロウ……」

 胸を抑えながら、噛み砕くように士郎の名前を呟くエレオノールに声を掛けることなく、士郎は顔を前に戻し歩き出した。







 士郎の姿が見えなくなると、エレオノールは腕を顔に近づけていった。
 そして、ふんふんと腕……服が微かに纏う匂いを嗅ぎ出す。

「……変な……匂い……」

 服が纏う香りは……自分の匂いではなかった。
 それは、士郎の匂い……。
 バーガンディ伯爵が付けていたコロンの匂いとも違う……もっと野性で男性的な匂い……嗅いでると……変な気分になっていく。
 
「エミヤ……シロウ……か」

 可愛いなんて……初めて言われた……。
 あんな風に男の人に抱きしめられたのも……。
 乱暴な言葉使いをされたことも……。
 そして、それが特に不快じゃないことも……

 服に鼻を押し付けながら、エレオノールはスゥーっと息を吸いながら目を瞑り……

「……何よ……もう……変な……気分……」 

 口元に……小さくも柔らかな笑みを浮かべた……。






 
 

 
後書き
カトレア 「すんすん……いい匂い」
士郎   「ハッハッハッ……大胆だな君は、良いだろう存分に嗅ぎたまえっ!!」
カトレア 「すんすん……いい匂い」
士郎   「ハッハッハッ」
カトレア 「すんすん……ゴクリ」
士郎   「ハッハッハッ……カトレアさん?」
カトレア 「すんすんすん……ゴクリ」
士郎   「ぎゃあああああああ! この子食うつもりだ俺を! 比喩的じゃなくて本当にっ!! いやっ! やめてっ! 食うのはいいけど! 食われるのはらめぇええええええええ!!!」

 野生に目覚めたカトレア!
 百獣を引き連れる王の目覚めにッ!!
 士郎は耐えきれるか!!

 次回『野生の証明』

 迸る獣欲!!!
 圧倒しろ士郎ッ!!

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