宿無し船乗りキュエルゴエムの正直な話
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キュエルゴエムが語る
スエズ運河が出来る前はアフリカ最南端の喜望峰を回った。パナマ運河が掘られる前は南アメリカのマゼラン海峡を通った。どちらの海も荒れていた。まさに荒れ狂っていたよ。酷いものだった……と前置きしてからキュエルゴエムは言った。
「それ以上だよ、この海は。こんな嵐の海は、今までに体験したことがない。この船は沈み、俺たちは死ぬかもしれないって、心から思うよ」
壁に備え付けられた寝台に横たわったキュエルゴエムは、大波が叩きつけられている丸い船窓へ顔を向けて、大きく目を見開いていた。激しく揺れる寝床から落ちないようベルトで体を固定しているが、自由になっている腕で器用に酒の入った水筒を放り投げる。投げられた水筒を受け取った男も同様に体をベルトで寝台に固定していた。ぐらんぐらんと上下左右に揺れる船内なので、ベッド上の体も顔も大きく上下動していて、水筒の中の酒を飲むのも一苦労なのだが、飲まずにはやっていられない。ぐびぐび飲む。
その様子を見てキュエルゴエムは言った。
「カドマインタ、一人で飲むな。こっちに戻せ」
カドマインタと呼ばれた男は水筒に蓋をした。
「戻してやりたいのは山々だが、俺はお前ほどコントロールが良くない。明後日の方角へ行く悪い予感がするんだ」
「それなら歩いて渡せよ」
「無理だ、酔って吐く」
「だからなに」
船酔いが酷いのだ、とカドマインタは言いたいのだった。そんなの知るか、とキュエルゴエムは言っているのである。酷い奴だ、とカドマインタは嘆いた。愚痴の一つも出る。
「このまま海の底に沈むなら、お前とは離れた場所に落ちたいと、心の底から願うね」
キュエルゴエムはせせら笑った。
「残念だな、お前と俺は同じ船室の中で二人一緒に溺れ死ぬんだ」
そのとき船が海面から文字通り垂直に立ち、やがて荒海にバッチャ~ンと落ちた。その衝撃で船内のカドマインタとキュエルゴエムは寝台に頭をゴツンとぶつけた。マットレスがあってもめまいがするほどだった。船は再び海面から直角にそそり立ち、また海面に落ちた。その都度、二人は悲鳴を上げた。
「くそっ、こんなだったら旅に出ない方が良かった」
そうぼやくカドマインタにキュエルゴエムは言った。
「それはこっちのセリフだ」
キュエルゴエムはカドマインタに誘われて世界周遊の船旅に出たのだった。財宝を掘り当て、遊ぶ金がいっぱいあったのことが、不運を呼んだと言っていい。
一方、カドマインタの失望も、海の底より深かった。かつて船乗りだったという経歴があるだけに、頼りになるかと思いきや、キュエルゴエムの船酔い対策は船酔いする前に酒を飲むことしかない。まったくの役立たず……というわけでもないから、人の価値とは一定しないと言えよう。
「気を紛らわせるために、何か話してくれ」
そう言われたキュエルゴエムは、俺はお前の使用人でもお抱え吟遊詩人でもない、と思った。金持ちの家に生まれたカドマインタは、友人を召使のように扱う場面があり、今もそんな風である。多少ムカつくが、話をしていれば自分の気も紛れる。どれ、ここはいっちょ、凄いネタを披露してやっか。こういう緊迫した場面に相応しいギャグだ……とほくそ笑みつつキュエルゴエムは言った。
「このまま死ぬかもしれないから、思い残すことの無いよう、正直に言うよ。俺はお前を愛している」
船酔いに苦しんでいたカドマインタの忍耐が、その一言で限界に達した。噴水かクジラの潮吹きのように奇麗に嘔吐する。弧を描いた吐しゃ物がベルトで体を固定していて逃げられないキュエルゴエムの顔を直撃した。
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