コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十六章―黎明の皇子―#10
集落を監視してくれている精霊獣から、魔物たちが集落の街道側に集結していると連絡が来たのは、夜半を過ぎてちょっと経った頃だった。
【往還】の変更とラナ姉さんの手伝いを終えてから、新しいお邸に設えられている夫人の個室で仮眠をとっていた私は上半身を起こした。
ベッドから降りつつレド様を始めとした仲間たちに【念話】で知らせて、【換装】で先程ラナ姉さんが作ってくれたばかりの装備に着替える。そして、個室から出た。
「リゼ」
呼ばれて振り向くと、レド様も主人の個室から出て来たところだった。
毎度のごとく、真新しい衣装に身を包んだその姿にしばし見惚れる。レド様は何を着ても───何気ない動作も、絵になるほど格好いいから困る。
前世の記憶が甦ったせいなのか、心構えが定まったからなのか────その立ち姿は、いつもに増して凛々しく映った。
程なくして、ジグとレナスが現れた。ジグとレナスもレド様と揃いの衣装を身に着けていた。
立ち襟のシャツに同じく立ち襟のジャケットを羽織っている。勿論、すべて魔玄製のため、スラックスやブーツ、ベルトに至るまで黒一色だ。ジャケットのボタンとパイピングや施された刺繍だけが銀色で、控えめに煌く。
三人とも引き締まった細身で姿勢が良いので、ラナ姉さんの作る服のシンプルながらも型が良いのも相俟って、すごく見映えがいい。
対する私は、いつもの編み上げのビスチェアーマーにショートパンツとサイハイブーツで、アームボレロとビスチェアーマーの下に着るキャミソール、それにチョーカーだけ新たに作ってもらった。
アームボレロは、立ち襟で七分袖なのは変わらないが、襟の形や銀色のパイピングや刺繍の模様など、レド様たちのジャケットにデザインを寄せている。
そして、背中部分には、月を模ったレド様の個章が銀糸で施してある。レド様たちのジャケットの背中部分にも、同じ位置に施されているはずだ。
「いつもの装備に少し手を加えただけなのに、何と言うか────華やかだな。さすが、ラナだ。とてもよく似合っている────リゼ」
レド様が私の全身に視線を走らせて、言う。感情の籠ったその言葉に、頬が熱くなった。
ファルリエムの模造章を提げた幅広のチョーカーとビスチェアーマーから覗くキャミソールは、繊細な文様を織りなすレースで縁取られている。それが華やかな印象を齎しているのだろう。
「ありがとうございます、レド様。その…、レド様もとても似合っていて────すごく素敵です」
これまでは無意識に漏らすような感じだったけど────何だか無性に、いつも言葉にしてくださるレド様に自分の気持ちを伝えたくなって────今回は気持ちを込めて言葉にした。
レド様は嬉しそうに微笑んでくれて、私の方へと右手を伸ばす。
「ルガレド様?────リゼラ様に何をなさるおつもりで?」
「今はオレたちがお傍にいることをお忘れなく」
ジグとレナスにジト眼で制されて、レド様はちょっと拗ねたような表情で、しぶしぶ右手を引っ込めた。
そういえば、二人はカデアから私を守るよう言われているんだっけ。私は苦笑しつつレド様から視線を外して、ジグとレナスに向ける。
今回、ジグとレナスは“影”としてではなく、私の配下として討伐に参加することになっている。
そのため、いつものような化粧はしていない。劇的に顔の造作が変わったわけではないけど、印象がはっきりしていて何だか新鮮な感じがした。
レナスは精悍な顔つき、ジグは中性的な顔つきで────タイプは違うものの、どちらも整った顔立ちをしているのが判る。“影”でなかったら、二人ともさぞかしモテていたに違いない。
「とにかく、下りましょうか」
階下のエントランスホールを見遣ると、すでに仲間たちが集まっている。
「そうだな」
レド様と共に階下へと向かう。ジグとレナスが数歩後をついて来る。
自然と、下り立った私たちを囲うように、仲間たちが並ぶ。
ジグとレナスのみならず───ラムル、ディンド卿、ヴァルトさん、ハルドも、レド様と同じデザインの衣装を身に纏っている。
アーシャは───ビスチェアーマー、アームボレロ、チョーカー、キャミソール、ショートパンツは私と同じデザインのものを身に纏っているけど、靴はいつものショートブーツで、黒いニーハイソックスを穿いている。
セレナさんは───デザインは同じだが素材の違うビスチェに、揃いのアームボレロを羽織り、踝まであるロングフレアのスカートに、アーシャと同じ支給品のショートブーツだ。勿論、私たちと同じチョーカーとキャミソールを身に着けている。
それから、二人とも、チョーカーと揃いのレースに縁どられたヘアバンドも巻いている。
セレナさんのヘアバンドには、秘かに【認識妨害】を施してある。もし、また髪色が変わるようなことがあっても、それを仲間たち以外の者に認識されないようにだ。
セレナさんの髪色が変わったことに関しては、まだ解明できていない。その原因も変わる条件も解らない以上どうしようもないので、せめて認識されないように用心するしかない。
「皆、準備はできているようだな」
レド様が仲間たちを見回して、口を開いたときだった。
≪姫────魔物たちが動き始めました≫
≪集落から街道へと次々に出て行っています≫
≪集落から出た魔物たちは、壁に向かって進んでいます≫
精霊獣たちから、続々と報告が入る。『壁』とは、皇都を囲う城壁のことだろう。
「リゼ────精霊獣か?」
「はい。魔獣たちが集落から出て、皇都に向かって街道を進んでいるとのことです」
「ついに出て来たか。巡回している騎士たちは」
レド様が言い終わる前に、またもや【念話】が入る。
≪魔物たちが、前から来る人間たちと鉢合わせをしました。魔物を見た人間たちが逃げていきます≫
≪魔物たちは人間たちを追わずに、横道に入りました≫
横道────あの枝道のことだろう。ダウブリム方面の街道から分岐する道は皇都付近では、あの枝道しかない。
それを聞いて、私は思わず安堵した。魔獣たちがマセムの村を狙っていると確信はあったけれど、間違っていた場合は後手に回る破目になるので、やはり一抹の不安があった。
「“デノンの騎士”は無事、退却できたようです。それから────魔獣たちはあの枝道に入った、と」
「予定通りだな」
レド様はそう言った後、何かに気づいたように懐に右手を入れる。取り出した右手には、懐中時計より二回りほど大きい───突起も飾りもない簡素な円盤が握られていた。円盤は、赤味を帯びた鈍い光を明滅させている。
「旦那様、それは?」
そう訊ねるラムルの眼は、心なしか爛々としている。
「国から貸与されたもので───離れた場所に信号を送れる魔道具だ」
距離に制限があるし、単純に明滅するだけの代物だが───相互にタイムラグなく信号を送ることができる、とても便利な魔道具だ。
騎士・貴族の連合部隊を指揮するイルノラド公爵と、冒険者を指揮するガレスさんに一つずつ預けてある。
これは、魔獣が枝道に入った報せだろう。この報せを寄越したのは、イルノラド公爵に違いない。
「魔獣たちが奇襲予定地点に到達するまで、少し時間がかかるはずだ。ここでこうしていても仕方がない。ダイニングルームにでも移動するか」
魔道具をジャケットの内ポケットに戻しながらされた、レド様の提案に私が賛成しようとしたとき────不意に、ディンド卿が私たちのすぐ前まで進み出た。
ディンド卿の後ろには、何故か、ヴァルトさんとセレナさんもいる。ディンド卿は、何か強い決意を湛えた眼で私を見る。
「その前に────リゼラ様にお願いしたいことがございます」
「私にお願いしたいこと────ですか?」
どうして突然そんなことを言い出したのかが───その願い事の見当がつかず、私は訊き返す。三人は片膝をついて、首を垂れた。
「リゼラ様────どうか、我々にご加護をいただけないでしょうか」
思ってもいなかった申し出に、私は眼を見開いた。
「それは────私の加護を受けるとどうなるのか…、解った上での発言ですか?」
エデル以外の仲間たちには、レド様と私の事情は打ち明けてあるから、それを理解した上での申し出であることは判ってはいたが────それでも、問いかけずにいられなかった。
「はい」
ディンド卿は顔を上げて、その決意を湛えた眼を再び私へと向ける。
「俺は────伯父上の期待に応えることも、バルドアに恩を返すこともできませんでした。ですが────ルガレド様は、それでも、こんな俺の力を必要としてくださっている。俺は、それに応えたい。今度こそ────成し遂げたい…。力不足や寿命のために────道半ばで断念したくないのです」
ディンド卿はそこで言葉を切り、その固い決意を表すように口元を引き結んだ後────再び口を開く。
「それに、リゼラ様────俺は、貴女にお仕えしたいのです。ルガレド様の伴侶だからではなく────貴女だからお仕えしたい。地下遺跡の存在を予測して探し当てたその考察力────そして、先程の緊急会議での貴女の見解は本当にお見事でした。それだけじゃない────初めて会ったあの集落潰しや、地下遺跡でのルガレド様不在時の立ち振る舞いも────主と仰ぐに相応しいと思えるものでした」
ディンド卿がそこまで私を認めてくれていたことを驚くと同時に────レド様が信頼するディンド卿に認めてもらえたという事実に、喜びが込み上げる。
「どうか…、貴女にお仕えすることを────最期まで、ルガレド様と貴女と共にすることをお許しいただきたい。そのために────どうか、俺に貴女のご加護を授けていただきたいのです」
ディンド卿のその気持ちは嬉しいけれど─────
「エルに────このことは?」
まあ、エルならば反対することはない気がする。あ───でも、定期的に会いに行くとか、何か条件はつけそうだな。
「先程、【念話】でですが、話しました。エルは────『好きにすればいい。お父様の自由だ』と。ただ、定期的に会いに行くことを約束させられましたが」
愛娘を思い出しているのだろう────ディンド卿の表情が緩む。
私はディンド卿の後ろで跪くヴァルトさんとセレナさんに視線を移して、二人を見据える。
「ヴァルトさん、セレナさん────あなたたちは、本当に私の加護を受けることの意味を理解した上で、それを望んでいるのですか?」
二人が私の加護を授かりたいと言い出したのは────おそらくディンド卿に誘われたからだ。
ディンド卿が、ヴァルトさんとセレナさんに加護を受けることを勧めた理由は、何となくだが解る。
先程のレド様の決意表明を受けて、レド様の念願を叶えるためにも、仲間たちの戦力を強化して、有用な能力を得ておきたいと考えたのだろう。
ヴァルトさんが顔を上げる。その双眸には、ディンド卿と同じ────強い決意のようなものが覗えた。
「ワシは…、以前にもお話ししたと思いますが────長いこと仕えるべき主家に不信を抱いていました。そのせいで、忠誠を捧げる気になれず────兄や親族たちの言う通り、自分には忠誠心というものがないのかもしれないと思ったこともありました。正直、ルガレド殿下に仕えると決めたのはお嬢とハルドのためだけで────勿論、仕えると決めたからには最善を尽くすつもりではありましたが、もし仕えるに値しない主であった場合にはお嬢とハルドを連れて逃げようと────そう考えておりました。ですが────それは杞憂でした」
ヴァルトさんは、表情を緩めて笑みを刷く。
「ルガレド殿下も…、隊長さん───いや、リゼラ様も、忠誠を捧げるに値するお方だ。ワシは、あなた方に─────この命尽きるまで、お仕えしたい。どんな形になろうと、最期までお供したいのです」
ヴァルトさんの笑みには喜びが満ちていて────レド様と私に忠誠心を持てたことが嬉しいようだった。
もしかしたら────ヴァルトさんは、ディルカリド伯爵に忠誠心を持てなかったことで、自分でも欠陥があるように思っていたのかもしれない。
「セレナさん────貴女は、どうなのですか?」
嬉しそうなヴァルトさんを微笑んで見ているセレナさんに水を向けると────セレナさんは、慌てて私の方を向いた。
セレナさんが、落ち着いて話し出すのを待つ。
「私も、ディンドさんとヴァルトと────同じ気持ちです。ルガレド殿下とリゼラさんは、主として仰ぐに相応しい方だと思っております。それに────殿下のお志を、ディンドさんからお聞きしました。私は…、兄のような犠牲者を出したくない。その念願を叶えるためにも────殿下のお力になりたいのです」
セレナさんは眦を下げて、はにかんだ笑みを浮かべて続ける。
「そして────私はリゼラさんの友人です。リゼラさんが殿下を護り支えたいと望んでいるのなら────私はそれをお手伝いしたいのです」
「セレナさん…」
私は、そう言ってくれたセレナさんの顔を────改めて見る。
育ちを覗わせる楚々とした仕種も、護ってあげたくなるような儚げな容貌も変わらない。だけど────その醸す雰囲気は、あの地下調練場のときとはまるで違う。自信なさげに揺れていた瞳は、今はその強い意志に輝いて見えた。
ディンド卿、ヴァルトさん、セレナさんは────存在を変えてまで、レド様と私と道を共にすることを望んでくれている。三人のその決意に────胸が熱くなる。
「レド様」
私は振り向いて、レド様に伺う。レド様は喜色の滲んだ眼差しを私に向けて、ゆっくりと頷いた。
レド様のお許しを得て、私が視線を戻すと────ディンド卿、ヴァルトさん、セレナさんは、再び深く頭を垂れる。
私は大事な仲間たちに加護を施すべく、彼らに向かって踏み出した。
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