コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#16
※※※
夕食を終えたウォレム=アン・ガラマゼラは、ダイニングルームから執務室に向かった。
そして、ゾブルとヒグスが、どちらも未だ戻って来ないことに、苛々としながら────ハイバックの皮張りのイスに腰を下ろす。
(もしや───魔獣に殺されたか?)
ウォレムは、ゾブルとヒグスの身を案じているわけではなく───ただ、状況が判らないことにイラついていた。
今日の午後、ジェスレムとファミラを教会へと呼び寄せ、魔獣を放つよう手配した。
教会は平民街にある。そんな場所に魔獣が現れたら、確実に大騒ぎになったはずだ。ビゲラブナの奴が幾ら怠慢だとしても───騎士を動かさざるを得ないだろう。
ウォレムは偃月騎士団の団長だ。団員の大部分が任務で側を離れているとはいえ────何の要請もないのはおかしかった。報せすら来ない。
使用人にそれとなく探りを入れてみたが────外出した使用人の中で、そんな騒ぎがあったと聞いたという者はいなかった。
(まさか、失敗したのか…?)
ゾブルはともかく、ヒグスは要領がいい方ではない。何かアクシデントがあった場合、上手く立ち回れるとは思わない。
本当は、ヒグスのような無能な者ではなく、自分の腹心である部下に手伝わせたかったが────国の腐敗を憂う同志でもある、その腹心の部下は、未だエリアエイナ地帯に留め置かれていた。
あまり意味のない辞令式などに参加したくはなかったが、ウォレムは立場上、欠席するわけにもいかず────残していく騎士団を任せられる者が他にいないため、置いて来たのだ。
友人のダズロをこの計画に引き入れることも考えたが────当初の計画でもファミラが犠牲になることには変わりはないので、融通の利かないダズロが乗ることはなかっただろう。
ダズロには、どんなに言葉を尽くして説いたとしても、“必要な犠牲”というものを理解できないからだ。
とにもかくにも、どうやって情報を得るべきか。
邸の使用人に探らせるわけにはいかない。ゾブルやヒグスが掴まっていた場合───あの二人がウォレムの名を出すとは思えないが、万が一漏らしていたら、墓穴を掘ることになる。
それならばどうするか────考えを回らせていたときだった。
「お、お待ちください…!」
扉の向こうから、複数の荒々しい足音と共に、家令の叫び声が聞こえ───ウォレムは腰を浮かせた。
直後───乱暴に執務室の扉が開かれる。
執務室に飛び込んできたのは、先程、思い浮かべていた友人───ダズロ=アン・イルノラドだった。
ダズロの顔は、一目で判るほど烈しい怒りに塗れていた。
「ダズロ、一体」
どういうつもりだ────と続けようとして、ダズロの側近セロムが上半身を縄で縛られたペギルとヒグスを引き連れているのを見て、ウォレムは、ダズロに全てを知られたのだと悟る。すなわち───ダズロの娘たちを犠牲にしようとしたことを。
それに────おそらく計画は失敗したのだろうということも。
「ダズロ───聞け、これは」
「このクズどもから、すべて聴いた。ウォレム───貴様…、ファミラを魔獣に襲わせて殺すつもりだったらしいな。その上───都合の悪いところを見られたリゼラを始末するために、ルガレド殿下を陥れるつもりだと?ふざけたことを…!」
ダズロに怒りが籠もった声音で遮られて────ウォレムは小さく舌打ちした。
ダズロは、騎士団を任されるだけあって、戦場では冷静に戦況を見極めて采配をすることができる男なのだが────それ以外では些か短気で、すぐに頭に血が上る。
こうなると、なかなか他人の言葉を聴こうとしない。
ダズロに知られた原因と思しきペギルとヒグスを睨むと、ひっ、とペギルが顔を青くして短く悲鳴を漏らした。
その様子から、全てではないかもしれないが────計画の概要を明かしたのはペギルだということが見て取れる。
ペギルなら、少し脅すだけで簡単に吐いただろう。
(ちっ、ペギルの奴め…!)
もっと早く始末しておくべきだった────そんな後悔が過る。
元騎士でジェミナに恨みがあるというだけで、ヒグスと共に引き入れてみたものの───それが失敗だったと悟るのに時間はかからなかった。
女受けする顔立ちのペギルは───自惚れがかなり強く、男女の別なく他人を見下している。
情報収集を任せても、情報を聞き出すどころか諍いを起こすばかりで、ヒグスよりも使い物にならない上───ヒグスとは違って、簡単に裏切りそうで信用ならない。
裏切ることがなかったとしても───目的を達成した後、新たな害悪となることは目に見えて明らかだ。
だからといって、すでに野放しにすることもできない。
今回の計画は、ペギルを始末することも目的の一つだった。友人であるペギルを切り捨てることを躊躇うヒグスに、定期的にジェミナを探らせていて知ったペギルの所業を教え───どうにかその気にさせたというのに。
「ダズロ、お願いだから聴いてくれ。確かに───今回のことは、お前にとっては腹立たしいことだろう。娘たちを失うことになるのだから。だが───これは、必要な犠牲なんだ」
「必要な───犠牲?」
「そうだ。我らの悲願は────何だ?ジェミナという毒婦から、この国を取り戻すことだろう?これは────そのために必要な犠牲だ」
ウォレムは、ダズロが耳を傾けたことに食いつき───何とか説得しようと畳みかける。
「今、お前が脱落してしまっては、皇妃一派の思うつぼだ。俺が脱落しても、だ。お前が脱落してしまわないためには、ファミラの犠牲が必要で───俺が脱落しないためには、リゼラの犠牲が必要なんだ。だから…、どうか解ってくれ」
救国という大義を前にして、つまらない感情論で足を引っ張ろうとするダズロを、必死に説得している─────それが今まさに自分がしていることだと、ウォレムは本気で信じていた。
しかし、ダズロは、説得されるどころか───先程よりも強い怒りを全身に湛えて───ウォレムを睥睨する。
「俺が脱落しないために、ファミラの犠牲が必要────だと?」
ダズロの声は、怒りのあまり震えている。
「俺は───ファミラの現状が判った時点で、ちゃんとお前に相談した!あのとき変更すべきだったんだ!強行しておいて───邪魔になったから殺すだと?!ふざけるな…!!」
「ダズロ、落ち着け…!」
「リゼラのことも一体何だと思っている?!リゼラは───虐げられているルガレド殿下のお力になれればと、親衛騎士となることを自ら引き受けたんだぞ…!それなのに────お前の保身のために…、ルガレド殿下諸共殺すだと?!ふざけるのも大概にしろ…ッ!!」
ウォレムは、再び、胸の中で舌打ちをした。ダズロは、殊勝を装った娘の戯言を完全に信じ込んでいるようだ。
どう説得するべきか───考えあぐねるウォレムに、ダズロは言い捨てる。
「何が────必要な犠牲だ…!!」
「ダズロ、いい加減、聞き分けろ。本当は解っているのだろう?自分が、大義の前の些事で───ただ駄々を捏ねているだけなのだと」
「いい加減にするのはお前の方だ───ウォレム!お前の何処に大義などある?!お前の失態を挽回するためにファミラを殺し───お前の保身のためにリゼラを殺そうとしているだけはないか!教会に魔獣など放って───“デノンの騎士”が間に合わなければ、危うく大惨事になっていたところだ…!!」
「“デノンの騎士”だと?」
“デノンの騎士”が動いたという事実を知らなかったウォレムは、驚きに目を見開いた。
“デノンの騎士”は、防衛大臣であるビゲラブナの管理下にはない────皇王直属の騎士だ。
すなわち、皇王が教会に遣わしたということに他ならない。
それだけでなく───魔獣が平民街に被害をもたらす前に討伐されたということに、ウォレムは疑問を覚える。
(“デノンの騎士”が動くのが────皇王に話が通るのが早過ぎる)
魔獣が現れたと発覚する前に、遣わされたとしか思えない。
それは───皇王もしくは皇王に近しい者に、事前にウォレムたちの計画が知られていたということだ。
それでは、その───計画を嗅ぎつけた者は誰だ?
計画を嗅ぎつけることができ───なおかつ皇王に“デノンの騎士”を動かすよう進言できる者は?
(…ルガレド皇子───か?)
それなら、ルガレド皇子は計画をどうやって知った?───計画に気づく切っ掛けとなったものは何だ?
(“双剣のリゼラ”────)
Sランカー冒険者という触れ込みの───ルガレド皇子の親衛騎士。
ゾブルが殺そうとした男を匿っているなら、その男から、ゾブルが息子の件でジェミナを恨んでいることを聴いた可能性は高い。
ゾブルはジェスレムに接触していた。そこから、ジェスレムが教会へ行くよう唆されたことを知って────魔獣を嗾けることは予想できなかったとしても、目的はジェスレムの暗殺だと考え────皇王に“デノンの騎士”を動かすよう要請したのだろう。
だが───そうすると、リゼラは男から得た情報を、ルガレド皇子に報告したということになる。
リゼラが、ゾブルから男を助けたのは───匿ったのは、悪用するためではなかった?
考えてみれば───ゾブルが殺そうとしていた男を助け出したという事実からしてそうだ。
リゼラは一人だったという。
ヒグスもペギルも剣術に関して抜きん出た才覚はないとはいえ、元騎士だ。ゾブルは武術は修めていないにしても、あの体格の割に、俳優をしていたせいなのか動きはいい。
リゼラは女の身で───たった一人で、大の男三人を相手取ったということになる。
そんな芸当は、武術を修め───きちんと鍛練を積んでいなければできるはずもない。
(まさか───ダズロの言っていたことが正しかったのか…?)
ウォレムは───言葉を交わすどころか会ったこともないリゼラという存在を、噂と偏見だけで思い描いていたことに気づき────愕然とした。
聞く耳を持たなかったのは、ダズロではない────自分の方だ。
頭に血が上っているダズロは、ウォレムの様子に気づかず────怒りの籠った言葉を言い放つ。
「お前は───自分の弟の死が…、あれは必要な犠牲だったと───そう言われて納得できるのか?!」
「っ!」
ダズロのその言葉は────ウォレムの心を抉った。
ウォルスが殺されたとき────実際、謝礼金という名の口止め料を持って来たベイラリオの使者から────さらには、実の両親からそれに近いことを言われた。ウォルスの死は必要なものだった────と。
この一連の流れは────救世主たるジェミナの身分を確かなものにするために必要なことだったのだ、と。
当然、ウォレムは激怒した。そんな身勝手な理屈など受け入れられるわけがなかった。そんなことのために、何故、自分の大事な弟が犠牲にならなければならないのだ────と。
(そうだ───どんな理屈があろうと、納得などできるはずがない────)
それが大事な者ならば────猶更だ。
ろくに家庭を顧みず、子が生まれぬまま妻と死に別れた自分と違って───ダズロは、ただ顧みる余裕がなかっただけで、娘たちを大事に思っていないわけでは────愛していないわけではなかったのに。
それを知っていたはずなのに────自分は一体、何をしようとした?
それに────ダズロの言っていることは正しい。ダズロの娘たちを殺すことにも、魔獣を放って多くの被害を出すことにも────大義などあるわけがない。
「ファミラは────命は助かったが…、両腕を失った。魔獣にもぎ取られたのだそうだ。ジェスレムの親衛騎士を務めることはもう出来ない。死にはしなかったが、結果的にはお前の思惑通りだ────ウォレム」
続けられたダズロの言葉で───もう取り返しがつかないのだということを知って────ウォレムは、その事実に打ちのめされる。
「ダズロ…、俺は────」
何とか口を開いたものの、言葉が続かない。
何と言って詫びれば良いのか───どう償えば良いのか、ウォレムには解らなかった。
「本当はファミラと同じ目に遭わせてやりたいところだが────癪なことにお前の言う通り…、お前がいなくなれば皇妃一派の思うつぼなのも確かだ。奴らに、彎月騎士団に続いて、偃月騎士団までも明け渡すわけにはいかない。今回の件にお前が関わっていたことは────黙秘する」
ダズロは、悔しげに声を震わせてそう宣言した後────その烈しい怒りを湛えた双眸を、再びウォレムに向ける。
「だが───覚えておけ。ルガレド殿下に───リゼラに手を出すというのなら…、俺は容赦をするつもりはない」
ダズロのウォレムを見る眼には、親しみなど一片も見当たらない。それは、他人を───いや、仇を見る眼だった。
ダズロにとって────ウォレムは、もはや友人ではないのだ。
「ダズロ…」
「気安く名前で呼ぶな────ガラマゼラ伯爵」
ダズロは、凍てついた声音でそう言い置いて、踵を返した。
何か言わなければ────ウォレムはそう思うものの、何も思いつかない。
そのまま執務室を出て行くかと思われたダズロの足が止まった。驚いていることが、その背中から感じ取れる。
「貴公は────」
「話は終わったかな?それではお邪魔させてもらうよ────イルノラド公爵、ガラマゼラ伯爵」
驚くダズロの向こうから、悠々と現れた人物────それは、このレーウェンエルダ皇国の宰相にして、筆頭公爵であるシュロム=アン・ロウェルダだった────
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