コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十三章―逆賊たちの持論―#8
「ゾアブラの息子さんが殺された理由が判明したって────どういうことですか?」
エデルが放った言葉を繰り返すようにして、私は訊ねる。
「ゾアブラの息子が殺された理由というより────皇妃に連れて行かれた理由と言った方が良いかもしれません」
「ゾアブラの息子さんが、皇妃に連れて行かれた理由…?」
女優をしていたというゾアブラの妻に似た美男子だったために、観劇に訪れた皇妃に気に入られてしまったというのが理由だったはずだ。
「ええ、ゾアブラの息子が皇妃に連れて行かれた理由です。そして───それは…、ゾアブラがジェスレム皇子を害する計画に加担する動機にも繋がるのではないかと思われます」
「どういうことですか?」
私が再度問うと、エデルはようやく本題に入った。
「まず、ゾアブラの息子が皇妃に連れて行かれた理由ですが────あのとき…、第三皇子であられるゼアルム殿下のご誕生が公表されたばかりでした。
皇宮で大規模な祝賀パーティーが催されたこともあり、国中の貴族がお祝いに駆け付け、またそれに便乗した商人や劇団が多く集まり、皇都は大変賑わっておりました。
小さいながらそれなりに人気のあったゾアブラ率いる劇団も、集客を見込んで皇都で公演を行おうと上京しました。今となっては幸いと言っていいものかどうか判りかねますが────どうにか小さな劇場を借り受けることができ、公演を開始したのです」
エデルは、ガラマゼラ伯爵の弟の話をしてくれたときのラムルのように、ちょっと私を気遣うような素振りを見せた後────また話を続けた。
「皇王陛下が、初夜の一件以来、ジェミナ皇妃を一度もお召しになられていないというのは────この皇宮では公然の秘密となっております。
ルガレド殿下に続き第三皇子もお生まれになられた。それなのに────未だ皇王陛下とジェミナ皇妃は一度として夫婦の営みはない。
そうなると…、先代ベイラリオ侯爵がどうしたのかは────想像に難くありません」
焦った先代ベイラリオ侯爵は、おそらくジェミナ皇妃に皇王陛下と寝室を共にするよう迫ったはずだ。
「だから────皇妃は、ゾアブラ劇団を訪れた。皇都で評判となっていた美貌の青年を手に入れるために」
まさか────誰かが、そう呟く。
「皇王陛下の寝室で初夜を過ごせば、皇王陛下と夫婦となった事実がなくとも、それだけで婚姻が成立する────そんな馬鹿げたことを宣うようなあの皇妃なら…、相手が皇王陛下でなくとも、ただ子を成せば良いと考えてもおかしくはないでしょう」
「確かに────あの皇妃なら仕出かしそうなことだ…。それが皇王陛下の子だと主張してしまえば、まかり通ると─────本気で考えたに違いない」
「そうでしょうね。あの皇妃ならばやりかねない」
レド様が唸るような声音でエデルの言葉を肯定すると、さらにラムルが頷いた。
「そうして、生まれたのが────ジェスレムというわけか…」
ジェスレム皇子は、このレーウェンエルダ皇国の皇族は必ず持って生まれるはずの───紫色の瞳をしていない。
ジェスレム皇子が皇王陛下の子供ではないことは、誰も言及することはないが周知のことだ。
皇妃は────浅はかにもその馬鹿げた計画を実行し、妊娠が確実になってから、用済みとなったゾアブラの息子を────口封じもかねて殺させたのだろう。
「だが────そうすると、そのゾアブラという男にとって、ジェスレム皇子は“自分の孫”ということになるのではないか?逆に害するのを躊躇うと思うが…」
ディンド卿が困惑気味に、エデルに疑問をぶつける。
「ジェスレム皇子は、瞳の色以外は───ゾアブラの息子に顔の造作や立ち姿が酷似しています。それだけなら…、ディンド様の言う通り、ゾアブラも躊躇ったことでしょう。
ですが────ジェスレム皇子の表情や言動は、ゾアブラの息子とは似ても似つかない。ゾアブラの息子は、以前のゾアブラに似て───いつでも柔和な笑みを浮かべ、お人好しと言っていいくらいの善良な青年でした。
それほど上手くはなかったものの───その人柄が滲み出た演技は、演じる役柄を選びはしましたが、人気を博す一因となっていました。
ジェスレム皇子の…、あの───醜悪としか言いようのない表情や、人に対する思いやりが微塵も感じられない言動とは────まったくもって違う」
エデルの────まるでジェスレム皇子を見知っているかのような言葉に、私は眼を見開く。
「私は、ゾアブラの息子とは同じ劇団員としてしか交流はありませんでしたが────その私でも、こんな男のために、ゾアブラの息子が───ザグレブが…、何故死ななければならなかったのかと考えてしまったくらいです。
ザグレブを知っているからこそ────ザグレブに容姿が酷似している分だけ、ジェスレム皇子のその醜悪さが、私には際立って見えました。おそらく、息子を愛していたゾアブラなら、余計にそう感じることでしょう。
私は────ゾアブラがジェスレム皇子に憎悪を催しても、何らおかしくはないと考えております」
「それは…、確かにそうかもしれんな」
ディンド卿は、同じ子を持つ身として思うところがあるのか沈痛な面持ちだったが、それでも納得したように、相槌を打つ。
私は、そんなことよりも────気になることがあった。
「エデル────貴方…、ジェスレム皇子に会ったのですか?」
「ええ。ジェスレム皇子を間近で見てみたかったので、皇宮の侍従に身をやつして、ジェスレム皇子に近づき────言葉を交わしました」
私の問いに対して────エデルは悪びれもなく答える。その様子に怒りが込み上げ、それは言葉となって零れた。
「何て危険な真似をするんですか…!」
「大丈夫です。ジェスレム皇子に怪しまれるようなことはしておりません」
「怪しまれなくても、些細なことで目を付けられて酷い目に遭う可能性だってあったんですよ?!明らかに不審なゾアブラに声をかけたことといい───何だって、そう自ら危地に進んで行くような真似をするんですか…!」
ゾアブラはレド様を見知っていた。すなわち───この皇宮に出入りしている可能性が高い。ゾアブラに見つからないとも限らない。
「リゼ、そんなに怒ることはないんじゃない?この人だって早く劇団に戻りたいだろうし、事件の情報が欲しかっただけでしょう?」
私の剣幕が凄かったからか皆が唖然とする中、ラナ姉さんが取りなすように言う。
「ラナ姉さん───この人はね、盗賊に直に接してみたかったという理由で、殺人も厭わない凶悪な盗賊団に単身潜り込むような人なの。絶対、そんな殊勝なことは考えていない」
「ええっ?」
ラナ姉さんは、驚きの声を上げて絶句した。
「エデル───貴方は…、昨日のエルの様子に、何も感じなかったんですか?
あんなに貴方のことを心配して、無事だったことに安堵していたのに」
私は少しでも解って欲しくて言葉を重ねたけど────エデルは微笑みを貼り付けたままだった。
やっぱり────私の言葉では彼には届かないようだ。
「…もういいです。ですが────ここにいる限りは、やむを得ない場合ならともかく、自ら危険な真似をするようなことは決して許しませんから」
私は溜息を吐く。これ以上、脱線しているわけにはいかない。
話を戻そうとしたとき────不意にエデルに問われた。
「貴女も?」
「え?」
「貴女も────私の身に何かあったら…、心配ですか?」
「当たり前でしょう」
何を言っているんだろう、この人。心配でなかったら怒ったりしない。
気のせいか────エデルの貼り付けたような微笑みが、嬉しそうな笑みに取って替わったように見えた。
※※※
「旦那様、ご要望通り────エデルを連れて参りました」
深夜────ラムルがエデルを連れて、ルガレドの寝室を訪れた。
ルガレドの親衛騎士であり、エデルの雇用主であるリゼラはいない。先程まで護衛していたレナスによると───ノルンと共にベッドに入り、すでに就寝したとのことだった。
ソファに座すルガレドの正面にエデルが佇み、その斜め後ろにラムルが立つ。
エデルの前には姿を見せないようにしていたジグとレナスが現れ、ルガレドの後ろに並んで控えると────ルガレドが、おもむろに口を開いた。
「さて────エデル。呼ばれた用件は判っているな?」
「ええ、勿論です」
普通なら尻込みしそうな物々しい雰囲気に動じることなく────口元に笑みを浮かべて、エデルは応える。
「お前…、一体どういうつもりだ?わざとリゼに心配させるような真似をして────何がしたい?」
「別に何か企んでいるわけではありませんよ。私は、このまま───劇団に戻らず、リゼさんに仕えたいだけです」
エデルの言葉に、ルガレドは眉を顰める。
「リゼに仕えたい───だと?」
「そうです」
「それは────どういった理由でだ?」
ルガレドだけでなく、ジグやレナス────後ろにいるラムルまでも、剣呑な気配を放つ。
その顕著な空気を感じ取っているだろうに、エデルはやはり動じない。
「私の本名は───イーデル=ファイ=グルワイト。アルドネ王国のグルワイト公爵家の長男として生まれました」
エデルの答えはルガレドの求めたものではなかったが、ルガレドはエデルが語り始めた出自が答えに繋がるのだろうと、止めることなく先を促す。
「それが、何故こんな───流れ者のような生活を?」
「私は────“忌み子”だったんです」
「“忌み子”?」
「ええ。三つの月が同時に昇る日に生まれたという────それだけの理由で、私は忌むべき子だと定められました。
“忌み子”だった私は────両親や弟妹にとって家族ではなく、使用人にとって主ではなかった。それどころか───まるで存在していないかのように扱われた。殺されることはなかったし、最低限の世話はされていましたが───声をかけても聴こえない振りをされ、目を合わせることさえ厭われた」
エデルは感情を交えず、淡々とした口調で語る。
この男は役者だ────ラムルでさえ感心するほどの。だけど、今語った話は事実だとルガレドは直感した。
念のため、神眼で視てみたが、エデルは嘘を吐いている様子はない。
「私は、誰と言葉を交わすこともなく───情を交わすこともなく、公爵家にいる人間を観察することで、言葉を覚え、常識を覚え、振る舞いを覚え───育ちました」
エデルは何ということもないように語っているが────リゼラと出逢う前までの自分の生活が思い出され、ルガレドは身につまされる思いだった。
しかし────ルガレドには、母や祖父、それにラムルやカデアに愛された思い出が胸にあった。
エデルには…、それすらも────いや、何もなかったのだろう。
「ある程度育つと、私はグルワイト公爵家を出ました。公爵一家だけでなく使用人も隈なく観察していた私は、どんな仕事に就いても初めから熟すことができました。
だけど、あるとき気づいたのです。私は、仕事に留まらず────人格や言動すら、観察していた使用人を真似ていることに」
エデルは、聴いている者の心情など気にする様子もなく、ただ語り続ける。
「そして────根幹であるはずの自分の人格というものがないことに気づいたんです」
「人格がないとは────どういうことだ?」
「私は自分の在り方というものが判らないし────感情はないわけではないが────とても薄い。
自分がやろうとしていることが危険だと判っているのに────やめた方がいいと思うだけで、やめようという気が起きないんです。
エルが私に親身になってくれていることは知っています。心配させたことは悪かったとは思いましたが────それだけです。だから、今度からしないようにしようとまでは思わない」
その状態は────ルガレドにも理解できた。
この8年の間に行かされた5回の遠征で、ルガレドはまさにそんな感じだった。自分が携えている武具が劣悪なものであることは解ってはいたが、さして危機感など抱くことなく、魔獣に挑んでいた。
無事だったのは────単に膨大な魔力のおかげだっただけだと、今なら解る。
「自分の人格がない私は、場面によって態度や言動が替わるので、同僚や雇い主に気味悪がられていました。そんなとき、ゾアブラの息子であるザグレブに出会って────劇団に誘われたんです。
普通なら悪い方に捉えられることの多い“演じる”という行為は───演劇でなら評価される。公演の合間に演じる人格を一つに定めておけば、皆はそれが私の素だと思い込み、誰も私の存在を訝しく思わないことを私は学習しました」
「…………」
「ザグレブが皇妃に連れて行かれ、ゾアブラが劇団を解散した後は───観察したことのない職業や人格を求めて転々としました。途中、何度か劇団で俳優を務め───その公演を見ていたらしいウォイドさんから劇団に誘われ、私はまた俳優業に戻りました。そうして────リゼさんと出逢ったんです」
それまで淡々としていたエデルの顔に、初めて笑みのようなものが浮かぶ。
「私は、初め、リゼさんはザグレブと同じ人種だと思っていました。お人好しで誰彼構わず、助ける────そう思っていました。だけど────違った。
盗賊団に潜り込んでリゼさんに助けられたとき、私は当然のように、リゼさんは盗賊とはいえ人を殺すことはできないと考えていたんです。でも、リゼさんは盗賊に容赦はしなかった。
意外に思い────私は訊ねました。すると、リゼさんはこう答えました。
『このまま殺すのを躊躇って逃がしたりしたら、また人を殺めたり、他人の大事なものを奪うかもしれない。私には、盗賊の命より、これから殺されるかもしれない人の命の方が大事だ』────と」
話し続けるエデルの声音に、微かに感情が入り混じる。
「この人は心配すべき人を───大事な人を、きちんと選別しているのだと悟りました。その心配すべき人の中に、自分も入っていることに気づいた瞬間────私は…、胸が震えた気がしました」
「…だが、それは────エルだって同じではないのか?」
「エルも確かに選別はしていますが、あの子の場合はその線引きが自分の劇団員かどうかなんです。劇団員なら────私ではなくてもいい。ですが、リゼさんは違う」
「………」
「私は、リゼさんについて行きたかったけれど────興味本位と受け取られたみたいで、断られました。仕方なく俳優業を続けていたところに、今回の件に遭遇したんです。私は────この機を逃したくない」
エデルの双眸に、強い意志が灯る。
ルガレドは、そこで────エデルに乗せられたのだと気づいた。
リゼラに仕えるには、ルガレドを落とさなければならない。
危険を冒してまで情報を持ち帰ったのは、リゼラが自分の心配をしてくれることを再確認したかったからだけでなく────自分の有用性を示しつつ、こうしてルガレドと話をする機会を得るためだ。
「…最初の驚愕も焦りも、全部演技か?」
「はい。“レムト”なら、ああいう反応をしないと不自然ですから。それに、少しでも貴方の同情を買えればと思ったのですが────それは無駄でしたね」
「リゼは…、俺の妻となる身だ。それでも────お前は、リゼの傍にいられるのか?」
エデルは、薄い笑みを浮かべた。まるで────同じことを問いかけたときのジグとレナスのように。
「俺は…、自分の血を────あの家の血を残す気は毛頭ない。妻子を持つつもりなどないから────リゼさんにそれを求めるつもりもない。
ただ────リゼさんに気にかけてもらえるだけでいい。
それに…、リゼさんといると、とても気が楽なんだ。あの人は───突然、俺が演じる人格を替えても、感心こそすれ、気味悪がったり対応を変えたりしないから」
ずっと神眼でエデルを視ていたルガレドは、疲れたように嘆息した。
エデルの言葉に嘘はなかった。
嘘であってくれた方が良かったのに────そんな思いが過る。
エデルの心情がある程度理解できてしまったルガレドは、エデルの希望を、自分がもう無下に突っぱねることはできないだろうと解っていた。
それに────エデルの演技力が有用なのは確かだ。
リゼラに仕える精霊獣は、気づかれることなく監視することはできるが、相手に接触して情報を引き出したり、探りを入れることはできない。
「…いいだろう。リゼに仕えることを許してやる。だが────何かしら護身する術を身に付けることが条件だ。リゼがお前を気にかけることだけは許してやるが、リゼを悲しませることは絶対に許さない」
エデルは口元に笑みを刷くと、胸に手を当てて流麗な動きで一礼した。
「心得ました、殿下」
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