コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十三章―逆賊たちの持論―#2
シャゼムさんから、依頼書に完了のサインとお小遣い程度の報酬をもらうと、早速本を読み始めたシャゼムさんを残して、図書屋敷───もといシャゼムさんの家を辞した。
シャゼムさんはレド様の仕事の速さに訝しげにしつつも、報酬の低さをすまながっていたようだったけど────こちらとしては、それ以上のものを勝手にいただいてしまったので、少し後ろめたい。
「それでは───あの家にあった全ての蔵書の内容を、知識として得た───ということか?」
「はい」
「あの家にあるのは、歴史書ばかりみたいだったが…」
「ええ。体系化をしてくれたノルンによると────古代魔術帝国崩壊後から近代までの大陸史全般のようです。シャゼムさんの蔵書は、同じ歴史を取り扱う本でも多岐に渡るようで、古文書の類まであったみたいです」
「もう体系化してくれたのか。ノルンは凄いな」
「そうですね。後で褒めてあげてください」
多分、ノルンはこの会話を聴いているだろうけど。でも、面と向かって褒めてもらえる方が、ノルンも嬉しいだろう。
「それにしても────リゼの引き当てる力は、本当に凄いな…」
ええ、自分でも最近そう思います…。
想定していたよりも早く依頼が終わってしまったので、【転移】を使わずに、歩いてギルドに戻ろうということになった。
混み合う前に依頼の清算をして、昼食を摂りに何処かの拠点に寄って、それからまたギルドに行く予定だ。
あまり城下を歩いたことのないレド様は、周囲が物珍しいらしく、何だかご機嫌だ。そんなレド様に私の機嫌も上がる。
ああ────やっぱり、レド様と一緒に行動するのが、一番楽しいな。
「…あれ?」
ふと、私たちから少し離れたところにいる───二人連れの男が目の端に映った。
いや────二人じゃない。隠れているけど、二人の近くにもう二人の人物がいる。
ただの護衛かと思ったが、先を歩く二人はどちらも簡素な服装で、護衛を連れ歩くような身分には見えない。
それに───先を歩く二人のうちの一人は、見知った人だった。ウォイド劇団の俳優を務める────レムトさんだ。
レムトさんは、一見すると、そこら辺にいる大人しそうな中年男性だが、どんな役柄も熟す凄い俳優さんで───ウォイド劇団に身を置いて長く、ウォイドさんやエルも頼りにしていた。
そのレムトさんが、どうしてこんな場所にいるのだろう。
私は、レムトさんの連れの男に何となく嫌なものを感じて────思わず立ち止まった。
「…リゼ?」
レムトさんの連れの男───少し小太りのその男は、周囲をそれとなく見回す。私たちには気づかず、視線をレムトさんに戻すと、背中に手を回し、ベルトの後ろに括り付けてあるナイフを抜き取った。
レムトさんは、顔を前方に向けたまま、話し続けている。
私は、レムトさんたちのいる方向に向かって、咄嗟に地を蹴った。男がナイフを持つ手を振り上げる。
私は、自分のベルトに括り付けてある小刀を手に取ると───男のナイフを持つ手の甲を狙って放つ。
「ぎゃっ」
男は叫び声を上げ、ナイフを手放して、私の小刀が刺さった手をもう片方の手で押さえた。
男が落としたナイフが、音を立てて地面に落ちたときには────私はそこに辿り着いていた。
レムトさんを背に庇って、蹲る男を見下ろす。
「…無事ですか?」
名を呼ばずに、レムトさんに訊く。レムトさんは、黙って頷いた。
まだどういう状況か呑み込めてはいないようだったが、レムトさんも私の名は口に出さずにいてくれた。
小太りの男の護衛らしい男たちが、腰に提げた片手剣を抜き放って、蹲る男を庇って前に出る。
護衛すべき小太りの男が負傷してから出てくるとは────剣の腕はそこそこありそうだが、護衛としてはあまりにも拙い。
もしかして────そういった仕事には慣れていない?
レド様と姿をくらませたままのジグとレナスが駆け寄ってきたが────
「…?」
痛みに顔を顰めながらも私を睨む小太りの男も、その護衛らしき男たちも、すぐそこにいるレド様には眼を向けない。
気にしていないというわけではなく────まるで、認識していないというように。
レド様は、シャゼムさんの家を出てすぐに、【認識妨害】を発動させている。対象は『レド様を皇子と知っている者』だ。
ということは────この三人は、レド様を皇子だと知る立場にいる…?
≪レド様、この三人はレド様を認識できていないようです。そこを動かないでいただけますか?ジグとレナスもです≫
≪解った。どうするつもりだ?≫
≪泳がせます。ジグ、ここにいる全員を認識できないように、【認識妨害】を発動させてください。対象は指定しなくていいです≫
≪かしこまりました≫
今日は───出かけから、ジグもレナスも【認識妨害】は腕時計のものを行使している。
レナスではなくジグに頼んだのは───ただ単に、魔術に関してはジグの方が得意だからだ。
小太りの男の護衛は、私の出方を見ているのか、剣先を私に向けたまま動かない。実力差で出るに出れないというより、私を斬ることを躊躇っているように見える。
ジグが【認識妨害】を発動させたことを確認した私は、後ろにいるレムトさんに、こっそり話しかけた。
「助けを呼んでください」
レムトさんは、私の意図を悟ったようで頷くと、深く息を吸い込んだ。そして────思いきり叫ぶ。
「誰かああああああ、助けてえええええ!殺されるうううううう!」
さすが俳優────相変わらずの大音声だ。ちょっと耳が痛い。
慌てたのは、目の前にいる三人の男たちだ。護衛の男たちは、小太りの男を立たせて、そのまま腕を引っ張って走り出す。
追おうとした私に、レムトさんが縋りついた。
「ま、待ってくれ!一人にしないでくれ…っ!」
「えっ、でも…!」
二人の護衛のうち───走りながらこちらを窺っていた男が、それを見て逃げる好機と思ったらしく、前を向いて先を逃げる男たちに発破をかけ、三人は本格的に走り出した。
三人の姿が路地に消える。
向かった先は────貴族街だ。
≪レド様───【千里眼】で、あの男たちの行く先を見届けてくださいませんか?≫
レド様が視ておいてくだされば、あの男たちが何処に逃げ込んだのか、後でレド様の記憶から確認できる。
≪解った≫
レド様が頷いてくれたので、私に縋りついたままのレムトさんに向き直った。
「もういいですよ、レムトさん」
私が告げると、レムトさんは怯えた表情をスッと落とし────私から手を放した。
「助かりました、リゼさん」
「いえ。通りかかって良かったです。あの男は誰ですか?どうして、レムトさんを殺そうと────?」
「それが…、よく解らないんですよね。あの人は、私が前にいた劇団の団長なんですが…」
レムトさんは、本当に解らないらしく、困惑気味に首を傾げる。
「では、順を追って話してくれますか。まず、何故ここに?」
ここは、貴族街に隣接する───裕福な商人や皇宮勤めの官吏などが住むエリアだ。劇団員のレムトさんが、用があるとは思えなかった。
「ここには、今借り受けている劇場のオーナーを訪ねに来たんです。ウォイド団長に頼まれましてね。今はその帰りです」
「そこで───あの男に、ばったり会ったと?」
「ええ。ちょっと雰囲気は変わってましたけどね。お世話になった劇団の団長です、すぐに判りました。懐かしくなって声をかけたんです。そうしたら、あちらも懐かしがってくれましてね、何処かでお茶でも飲みながら、ゆっくり話そうと言うもんですから────少しくらいならいいかと思って、ついていったんです」
「そして、殺されそうになった────と?」
「はい」
【心眼】で視ても、レムトさんは嘘は吐いていないようだ。
「あの男の素性はどういったものなんですか?」
「あの人は、名をゾアブラといいまして───小さな劇団を率いていました。ですが…、もう19年前になりますか───解散しましてね」
「解散?────何故?」
「ゾアブラの一人息子が亡くなったからです。ゾアブラは嘆き悲しみ───もう劇団は続けられない、と。私たちも慰めたり励ましたりしたんですが、ゾアブラの悲しみは深く…、結局、失意のまま、ゾアブラは劇団を解散させました」
息子を亡くして、悲しみに暮れる父親────まるで、ディルカリド伯爵のようだ。この符合は、おそらく偶然じゃない。
そうか────今日、レド様がシャゼムさんの依頼を受けることになったのは、このため────レムトさんを助けるためだったんだ。
そして、この話を聴くため────
「ゾアブラさんの息子さんは────何故…?」
「ゾアブラの息子は、女優をしていた母親に似て、大層な美男子でしてね。────観劇に訪れた皇妃に気に入られてしまったんです」
「!」
「皇宮に連れて行かれ───ゾアブラは息子を取り戻そうとしましたが、小さな劇団の団長ではどうしようもなく、徒労に終わりました。
地方を巡って、数ヵ月後に皇都に戻って来たときには────ゾアブラの息子は、すでに教会の無縁墓地に葬られていました」
「………」
何て言えばいいのか解らなくて立ち竦んでいると────いつの間にか、レド様が傍にいた。
「リゼ───終わった」
レド様の言葉に、私は眼を見開く。あの男たちが逃げて、まだそんなに経っていない。
「…早いですね」
「ああ。そのことは後で話そう。────それで、その男はウォイド劇団の者なのか?」
「はい。レムトさんといいまして、ウォイド劇団の俳優さんです」
「初めまして、レムトといいます」
「俺は───アレドだ」
レムトさんは、興味深げにレド様を見ている。彼は、人間観察が好きなのだ。演技の糧にするらしい。
「アレド、レムトさんはこのままにしていては────おそらく危険です。また狙われる可能性があります」
「えっ、ど、どういうことですか…!?」
レムトさんが焦ったように口を挟む。
「それについては、後で話します。まずは場所を変えましょう。アレド、ベルネオさんに場所を借りてもらえますか?」
「解った」
レムトさんに視線を戻すと────レムトさんは未だに狼狽えているような感じだった。
「レムトさん、今日はウォイドさんに頼まれて、こちらに来たんですよね?ウォイドさんは、忙しいのですか?」
「…はい。ちょっと不測の事態が起こりまして───夜の公演に間に合わせようと奔走しているはずです」
「そうですか。では、エルは?」
「エルは、今日も主役を務める予定ですから、この2ヵ月続けている公演なのでリハーサルも必要ないですし、上演までは休んでいるはずです」
◇◇◇
「レムト、無事!?」
ベルネオさんの商館に、レムトさんを連れて跳ぶと────すでにエルが到着していた。
エルには、アーシャにあげたものと同じブレスウォッチに、設置済みの【移動門】へと跳ぶことができるオリジナル魔術【往還】を追加したものを渡してあるので────きっと、それで来たのだろう。
エルは私に話を聴いてとても心配していたらしく、レムトさんに駆け寄った。
「ええ、間一髪のところを、リゼさんに助けられました」
「リゼ、レムトを助けてくれて────本当にありがとう」
「ううん。助けられて良かったよ」
眼を潤ませているエルに、私は首を横に振った。
レムトさんを助けられて────本当に良かった。
「それで────レムトが危ないって…、どういうことなの?」
エルだけでなく、レムトさん、ベルネオさんも表情を引き締める。
私は、まずエルとベルネオさんに経緯を話した。
「レムトさんが殺されそうになったのは────おそらく、貴族街に程近いあの場所で、そのゾアブラという男を目撃してしまったからです。再会したのが、商店街や平民街だったら、きっと挨拶をしただけで終わったのではないかと思います」
「確かに、あのエリアにゾアブラがいるのは不自然だとは思いますが───私を殺すほどのことですか?」
レムトさんは、どうしても腑に落ちないらしく、唸るような声音で訊く。
「ゾアブラは、これから訪ねる貴族との繋がりを知られたくなかったんでしょう。それに────レムトさんには自分の過去を知られている。これから起こすつもりの事件と、関連付けられることを恐れたのだと思います」
「「これから起こすつもりの事件?」」
異口同音に聞き返したのは、エルとレムトさんだ。ベルネオさんは、ただ訝し気に眉を寄せている。
「その話をする前に────レムトさん、一つだけ確認させてもらってもいいですか?」
「何ですか?」
「ゾアブラは、自分の息子の死を────どうやって知ったのですか?」
「え?」
「ゾアブラでは、皇城に入ることはおろか────皇宮に問い合わせることすらできなかったはずですよね?」
皇妃一派が、ご丁寧に訃報を知らせてくれるとは思えない。
「ああ…、確か────息子を呼び出して欲しいと皇城の門番に掛け合っていたら、通りかかった親切な騎士が調べてくれたと、当時話していました」
「わざわざ────調べてくれたんですか?」
「ええ。何でもその騎士も、弟が同じような目に遭ったとかで────同情してくれたみたいですよ」
「…ゾアブラの息子さんの死因は?」
「それが…、死んだという事実しか判らなかったそうです」
判らないということは────病死や不慮の事故という可能性は低そうだ。
「その親切な騎士の名は聞いていますか?」
「いえ、そこまでは…。ただ────そう…、確か貴族で───伯爵だとか言っていたような気がします」
「伯爵の身分を持つ騎士……」
そして、19年前の時点で、すでに───自身の弟が、ジェミナ皇妃から、ゾアブラの息子と同じような被害を受けている。そこまで判っていれば、調べることは可能だろう。
◇◇◇
「それで────レムトさんの身柄についてなんだけど…」
「やっぱり、狙われる?」
「多分。何せ、殺そうとまでしちゃったから────このまま、放っておくとは思えない」
私がそう答えると、エルが溜息を吐いた。
「舞台は代役を立てるとしても────レムトを匿う余裕はないのよね。何せレムトは戦えないし、レムトや他の戦えない団員を護りながらとなると、ね」
「ベルネオは、レムトを匿うのは無理か?」
「うちでも、難しいですね…」
ベルネオさんも、レド様の言葉に申し訳なさそうに首を振る。
「リゼ、孤児院で預かるのはどうだ?」
「いえ、それはやめた方がいいかもしれません。あの三人に私の姿を見られてしまっていますので────私の特徴から、もし冒険者としての私を嗅ぎつけられたら、孤児院にも結び付けられてしまう可能性があります。孤児院には、おいそれと侵入できないようにはなっていますが────街に出入りする子供たちに付け入られてしまったら…、防ぐのは難しいですし────」
「そうか…」
レムトさんには悪いが、子供たちを危険に曝したくない。
「レド様────レムトさんを、お邸で匿っては駄目でしょうか…?」
使用人部屋はまだ空きがあるし、仲間が増えた今なら、一連のことが解決するまでレムトさんを匿う余裕があるはずだ。
レムトさんには、もうレド様のことも魔術のことも明かしてしまっている。
それに────【心眼】で視ても、レド様に仇なす心配もない。
「やはり、それしかないか」
レド様は、あまり気乗りがしないようだ。我が儘を言ってしまったかな…。
「…これ以上、リゼに関わる男は増やしたくなかったんだが────仕方がない」
ああ───そういう理由…。
レムトさんにはそんな心配はいりませんよ、レド様…。
「よろしいんですの?ルガレドお兄様」
「ああ」
心配そうなエルにレド様が頷くと────レムトさんは双眸をネロのように輝かせる。
レド様を、間近で観察するチャンスだとでも思っているのだろう。さすがウォイド劇団の俳優────転んでもただでは起きない。
「レムトのこと────よろしくお願いいたします、ルガレドお兄様」
「ご迷惑をおかけします」
エルに続いて、言葉とは裏腹に眼を煌かせながら────レムトさんは、レド様と私に頭を下げた。
「ベルネオ、時間をとらせて悪かったな」
「いえ、滅相もございません」
「それでは、行くか」
冒険者ギルドに戻る前に、孤児院に寄って、ラムルにレムトさんを預けることになった。
今、孤児院にはラムルとディンド卿、それにヴァルトさんとハルドもいる。
とりあえず、レムトさんは北棟で休ませて、ラムルたちにお邸へ連れ帰ってもらうつもりだ。
「あ───そうだ、ベルネオさん」
「はい、何でしょうか」
「“ゾアブラ”は、おそらくドルマの名前ですよね?」
「そうだと思いますが…」
「それなら────レーウェンエルダ風に直すと、どうなりますか?」
ふと、ゾアブラは名前を変えているかもしれないと思いつき、そう訊ねると────ベルネオさんは、首に手を当てて考え込んだ。
「そうですね…、このレーウェンエルダでは、“ゾブル”────“ゾブル”になると思います」
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