コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第十三章―愚か者たちの戯言―#2
※※※
ラムルは、1日を始めるべく準備に慌ただしい早朝の街を、まばらに行き交う人々の間を縫うように歩く。
気配を薄くしているラムルを気に留める者はおらず、彼が路地裏に逸れていったことを認識されることはなかった。
大通りから切り離された寂れた商店街に入ったラムルは、しばらくその道を進み、一軒の古びた小さな古書店の前に立ち止まると────周囲に誰もいないのをさりげなく確かめてから、隣の骨董品屋との境にある脇道へと入り込んだ。
古書店の裏側に近い位置にある小さな扉を、ラムルは躊躇うことなく開く。
「お客さん、困るなぁ。まだ開店前ですよ?」
ラムルが扉を潜って直後、警戒心も何もないのんびりとした口調で───部屋の奥で寛ぐ人物が言った。
「これは、失礼。貴方に閉店や休業などという概念があるとは知らなかったもので────ノヴァ」
ノヴァと呼ばれた青年は、ラムルの言葉に軽く肩をすくめた。
「僕だって、休むときは休むさ」
あまり整えられていないぼさぼさの白に近い薄茶色の髪に、長い前髪の間から覗く黒くも見える群青色の瞳。
髪型に加えて無精髭と猫背が、彼の印象を垢抜けないものにしてしまっているが、よく見ると長身で整った顔立ちをしている。
年齢は二十代前半のようにしか見えないが────ラムルが彼の存在を知って三十年弱、その姿はまったく変わっていないので、実年齢はラムルよりも年上のはずだった。
彼────ノヴァは、裏界隈では有名な情報屋だ。腕は確かで、彼にかかれば手に入らない情報はないとまで言われている。
ただ、彼は気難しく────金払いではなく、彼固有の基準で顧客を選ぶ。
「それで、今度は何の用かな?」
8年振りの再会は、すでに皇都に戻った時点で済ませている。ルガレドの現状を調べてもらうために、皇都に入ったその日のうちに、ラムルはノヴァを訪ねていた。
「財務管理部所属のビバルという名の文官と、元皇宮使用人のダムナという女の情報を調べて欲しい」
ラムルが告げると、ノヴァは少し億劫そうなしぐさで、部屋の隅に積み上げられた古本の中から、薄手の古本を一冊引き抜いて、ラムルへと投げて寄越した。
「ビバルとダムナのここ最近の情報だよ」
ノヴァは、事も無げにラムルに告げる。
これにはさすがに、ラムルも驚きに眼を見張った。
「そろそろ、リゼが調査の依頼をしてくるんじゃないかと思って、調べておいたんだ」
「!」
ノヴァの言葉にラムルは、さらなる驚きと、リゼラならばノヴァの顧客であってもおかしくはないと────どこか納得するような心持ちと、僅かな警戒心がないまぜになったような────複雑な心境に襲われた。
「…貴方でも、こんな風に────顧客の情報を漏らすことがあるのですね」
「こんな風に───ただで情報をくれてやったのは、これが初めてだよ。だけど、君たちには必要な情報でしょ。リゼは皇子様の警護で傍を離れられないし、君にお遣いができると知ったら助かるんじゃない?」
ラムルはノヴァと情報屋と顧客としての付き合いしかないが、ノヴァが他人に心を砕くなど、かなり珍しいことなのではないかという気がした。
「僕がよろしく言っていたと伝えておいて。そうすれば、リゼなら伝わるでしょ」
確かに伝わるだろう────ラムルたちが新たに仕えることになった、あの女主人ならば─────
「報酬はいつものように。────それじゃ、リゼによろしくね」
そう言ったノヴァの口元が弧を描く。
ラムルは、何だか狐に抓まれたような気分になりながら、古書店を後にした。
古書店を出たラムルは、大通りには戻らず、そのまま寂れた商店街をさらに進んでいった。
その一角にひっそりと佇む、そんなに小さくはないが、かなり年季の入った建物へと入る。勿論、人目を気にするのも忘れない。
「ベルネオ、いるか?」
そこは、ベルネオ商会の皇都支店というより────倉庫で、7年ほど前から、この場所に存在している。
入ってすぐの事務所のような体裁の部屋で声をかけると、奥の扉から、男が一人現れた。リゼラが『朴訥で実直そうな男』と表した────ベルネオ本人だ。
「…ラルか。どうした、こんな早朝から。────彼の方に何かあったのか?」
「少々、協力してもらいたいことがあってな…」
ラムルがそう言うと、ベルネオは何か悟ったのか眼を据わらせた。
「奥で話を聞こう。…朝食は?」
「まだだ」
「それなら、食べながら話そう」
ノヴァの調査結果では、ビバルもダムナもそこらに溢れている小悪党でしかないようだ。
「これなら────造作もないな」
ラムルは薄く笑う。
「ふむ、二人まとめていけるか。手を変える必要はないな」
「ああ。ベルネオ、手配を任せてもいいか?」
「勿論だ。あんたは、彼の方に専念していてくれ。些事は俺が引き受ける」
「頼んだ。だが────まあ、坊ちゃまには頼れるお方がついていらっしゃるからな。私が専念するまでもない」
ベルネオの言葉に、ラムルは苦笑で返した。
「“双剣のリゼラ”か…。確かに、会った限りでは、とてもあの年頃の少女とは思えない────聡明な子だとは思ったが…」
「ラーエで会ったとき、私もそう思ったよ。だけど、認識が甘かったかもしれない…」
「というと?」
「彼女は────リゼラ様は…、単に聡明なだけではなく────縁を引き寄せるだけの強運を持ち、その縁をものにするだけの素質があり、さらにその縁を活かすことができるお方のようだ…。
リゼラ様が坊ちゃまの婚約者になったと知ったとき、あの子なら────とカデアとただ単純に喜んでいただけで、特に坊ちゃまを護ってくれる以外のことを私は期待してはいなかったんだが…、もしかしたら…、リゼラ様は、私が考えていた以上に────坊ちゃまと並び立つに相応しいお方かもしれない」
まだ、リゼラとは再会して数日だ。過去と合わせても、接した日数もそんなに多くない。
けれど、ルガレドの現状を調べてもらった際のノヴァの調査報告に併せ、レナスによって語られた────リゼラがルガレドにもたらしたことの数々。そして────先程のノヴァ自身の言動。
何より、ルガレドを支えようとするリゼラのその気概が────ラムルにそう思わせる。
「そうか…。あんたがそこまで言うのなら────そうなんだろう。まあ、でも、ルガレド様本人がリゼラ様を気に入っていると聞いている。ルガレド様のお気持ちが一番大事だからな。俺には────それだけでもリゼラ様を主と仰ぐには十分だ」
「…気に入っているなんてものじゃない、あれは。入れ込んでいると言っていい状態だ」
ルガレドのリゼラに対する態度を思い出し、ラムルはまた苦笑した。それを見たベルネオも笑いを零した。
「ルガレド様は、冒険者たちの間でも相当噂になっているようだぞ。新人が単独で魔獣討伐、魔物の集落を壊滅したってだけでもすごいのに────孤高の戦女神“双剣のリゼラ”をも落としたってな。ギルドでもリゼラ様の傍を片時も離れず、リゼラ様に男が視線をやるだけで睨みを利かせているって話だ」
「今の坊ちゃまならば…、確かにやりそうだ」
その場面が簡単に想像でき、ラムルも苦笑ではなく────微笑を浮かべた。
◇◇◇
街に面した皇城の門は、2か所ある。王侯貴族専用の門と、使用人や身分を持たない官吏────そして物資を運び入れる業者専用の門だ。
ラムルは、後者の門の前にできた列の最後尾に並んだ。
列に並んでいるのは、官吏たちが登城するにはまだ早い時分のため、葉物野菜など新鮮さが求められる食材などを持ってきた業者がほとんどだ。
ラムルが知る限りでは、皇宮と契約を結んでいる者だけでなく、邸を与えられた妃の生家から派遣された者も混じっているはずだった。
「次の者」
門番に呼ばれ、ラムルは踏み出す。
「ガビトメル商会の者です」
「…通れ」
今のラムルは───フードの付いたマントを着て麻袋を一つ担いでいる姿だったが、門番はフードをとらせることも麻袋の中身を確認することすらせず───そして、名前を聞くことも記録をとることもせず、ラムルを通した。
ガビトメル商会とは、ベイラリオ侯爵家お抱えの商会の一つだ。
門番は、このガビトメル商会を含むベイラリオ侯爵家お抱えの商会の名を出されたときは、追及しないように厳命されているのだ。
これは、先代ベイラリオ侯爵の施した改悪の一つで、追及されては都合の悪いものを皇城内に運び入れるための措置なのだ。そう────例えば毒物や暗殺者など。
8年前の時点から、ラムルもカデアも────それから、ジグとレナスたち“影”も、単身で皇城を出入りする場合は、これを逆手にとって出入りするようにしていた。
おそらく、ルガレドの名を出せば、入ることも出ることも許可されないだろうからだ。
正直、こうやって招き入れられた暗殺者にセアラを殺され、ルガレドの左眼を抉られたことを考えると、腸が煮えくり返る思いだが────今は我慢して、利用するしかない。
ラムルが邸に戻ると、ルガレドとリゼラは、下級兵士用調練場での鍛練と朝食を終え、地下調練場でジグやレナス、カデアと鍛練をしているところだった。
「おはようございます、旦那様。遅くなりまして、申し訳ございません」
「いや。俺たちが出かけてしまう前に用事を済ませる必要があったと、リゼから聞いている。ご苦労だったな。用事は無事、済んだのか?」
なるほど、とラムルは思う。リゼラのその言い方ならば────嘘を混ぜることなく、早朝という時分の不自然さも感じさせず、かつ用事自体もラムルの通常の仕事の一環のような印象を与える。
「はい。無事、済ませてまいりました」
リゼラの機転に舌を巻きつつ、ラムルは答える。
「ご苦労様でした、ラムル」
ラムルの答えはリゼラに向けた報告でもあると察したようで、リゼラも労いの言葉をくれた。
ルガレドがジグとレナス相手に鍛練を再開したのを横目に、ラムルは、カデアとの鍛練に戻ろうとしているリゼラに声をかけた。
「そういえば、リゼラ様。古本屋の主が、リゼラ様によろしくとのことでございました」
「…ああ、ラムルもあの古本屋、行くのですね。今度、ついでのときにでも、お遣いを頼んでも良いですか?」
ラムルの言葉に、リゼラは一瞬だけ間を見せたが、すぐに言葉を返してきた。ノヴァの予想通り────リゼラはその言葉だけで、その意味も意図も理解したようだ。
「勿論でございます」
ラムルは自然と笑みを浮かべ、自分の女主人に向かって優雅に一礼した。
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