コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第十章―忠誠―#1
お邸に帰ると、レド様はお疲れのようで、溜息を一つ吐いた。
「レド様、何だかお疲れのようですし、少し休まれてはいかがですか?」
夕飯の支度をするにはまだ早い。
「いや、気疲れしただけだ。休むほどではない。リゼの方こそ疲れているのではないか?」
「私は大丈夫ですよ。…それでは、ご相談したいことがあるのですが、お時間をいただけますか?」
「相談したいこと…?────解った。応接間へ行こう」
何だか、レド様が硬い表情になった。やっぱり疲れてるのかな…。
「レド様?本当にお疲れではないですか?相談は後にした方が…」
「大丈夫だ」
レド様にそう断言されては、何も言えない。
「それで────相談とは…?」
応接間で向かい合ってソファに座ると、レド様が早速、口火を切る。
「私がお世話になった孤児院のことなんです」
「…孤児院?」
「はい。あの孤児院を私が買い取り、今は私の所有となっていることはお話ししたと思います」
「ああ、言っていたな」
「私は、あの孤児院が私の───ファルリエム子爵の所有であることを届け出て、国に助成金を申請したいと考えています。ただ────そうすると、あの孤児院がリゼラ=アン・ファルリエムの所有だと公表することになります」
「問題は皇妃のことか」
「はい。目下のターゲットはレド様からダブグレル伯爵に移ったとのことですので、すぐに何かされることはないと思いますが…」
「あの女は気まぐれだからな…。また、いつ、こちらに目が向くか判らない」
「ですから…、レド様にお許しをいただけるなら────あの孤児院を、私たちの【拠点】に登録させていただきたいのです」
「【拠点】に登録?」
「はい。そうすれば、【最適化】により、古代魔術帝国のセキュリティーを施せます。もし皇妃一派の手の者に襲われても、ある程度は撃退できるのではないかと思うのです。それと…、あの孤児院は建物が年季が入っていて、せっかく広いのに、半分以上が機能していない状態です。改修するつもりでお金を貯めていますが、まだまだ手が届かないのが現状です。【最新化】出来れば────あの子たちにも、もっと快適に過ごさせてあげることが出来ます」
部屋数は多いのに、使える部屋が少なくて、そんなに大きくない部屋に何人も押し込めている状態だ。もう身体も大きい年長の子供たちは、とても窮屈そうにしている。
「新年度になれば、おそらく私はレド様について皇都を離れることになるでしょう。ですが、拠点にすれば、【遠隔管理】で食糧やお金を送ることも可能になります」
【現況確認】を開くと、【所持品】の項目にパントリーも入っているので、そちらから手動で移すことも可能なはずだ。
「それから────これは、前から考えていたことなのですが…、退路の確保をしておきたいのです」
「退路の確保?」
「はい。もし、何かあって逃げ出さなければならない場合、【移動門】がロウェルダ公爵邸だけにしかないのは不安です。
今のところ、【転移】を使えるのは私しかいません。【転移】が何らかの理由で使えなかったり、別行動を余儀なくされた場合、ロウェルダ公爵邸からでは、逃げ出すのが難しくなります。
もし孤児院に【移動門】が設置出来たら────孤児院は皇都の外れにありますから、ロウェルダ公爵邸からよりは無事に脱出できる確率が高くなります」
そう、【転移】は何故か私しか使えない。レド様でも出来ないのだ。原因を検証はしているけれど、まだ解明出来ていない。
「…確かにいい考えかもしれない。それに───皇城を抜け出すのに、毎回ロウェルダ公爵家に頼ってばかりはいられないしな」
私の提案に、レド様は口に手を当てて考え込む。
「ただ────これは危険な賭けでもあります。孤児院には、まだ年端もいかない幼い子供たちもたくさんいますし、ある程度育った子供たちは街に出入りして色々な人と関わっています。本人たちに悪気はなくとも、情報を漏らしてしまうことになるかもしれません……」
これについては、レド様にきちんと示しておかないと。良い面ばかり言って、許可をもらうわけにはいかない。
レド様が立ち上がってこちらに回り込み、私の前に跪いて私の両手をその大きな両手で包んだ。
「リゼは、それでも子供たちを護りたいんだろう?」
「はい…。ですが、私が一番大事なのは────レド様です。レド様に迷惑をかけるくらいなら────」
「リゼ」
レド様は両手を私の手から放し、私の頬に添わせる。
「俺も…、一番大事なのは、リゼ────お前だ。お前の望みは何でも叶えてやりたい。リゼが孤児院を護りたいと言うのなら、俺はそれを叶えるだけだ」
「レド様…」
レド様のその言葉と真摯な眼差しに、胸の奥をぎゅうっと強く掴まれたような感覚に陥る。
「そもそも皇妃のことは、俺が原因なんだ。迷惑をかけているのは俺の方だ。協力するのは当然だ。それに、俺はこの国の皇子だ。国民を護る義務もある────皇子としての責務より、リゼを優先している時点で、皇子としては失格かもしれないが」
レド様はそう締めくくって、少し自嘲気味に笑った。
確かに、この国の皇子としては一番目の理由に、皇子の責務を挙げるべきだったかもしれない。
だけど、私を何より大事だと言われて────こんなの、嬉しくならないわけがない。
レド様をいつもに増して愛おしく感じて────込み上げる感情に突き動かされて、私は目の前にいるレド様に口づけた。
「…っ」
私の一瞬の口づけに、レド様は目を見開いて息を呑む。その表情が契約の儀のときみたいで、思わず小さな笑みが零れた。
レド様の淡紫の瞳が揺らめいたように見えた次の瞬間には、レド様に口づけられていた。
先程の自分から触れた一瞬では感じ取れなかった────その温かく柔らかい感触に驚いて、私は目を見開く。
レド様は、角度を変えながら、何度も私に口づける。私は目を開いていられなくて、いつの間にか瞼を閉じて、レド様の唇の感触とお互いの吐息の熱さだけを感じていた。
長い口づけが途切れると、レド様にきつく抱き締められた。私は火照った顔を見られたくなくて、レド様の広い胸板に額を押し付ける。
「リゼ…、あまり煽らないでくれ。我慢できなくなる…」
レド様の熱のこもった声音と溜息が耳を掠めて、私はますます顔を上げられなくなってしまった。
「ああ───だが、良かった…」
レド様が、心底安堵したように呟く。
「…何がですか?」
「いや、リゼが真剣な表情で相談があるというから────何だか…、夜会のときのことを思い出してしまって────婚約を解消したいなどと言われたらどうしようか、と…」
ええっ?────だから、さっきレド様は硬い表情をしていたの?
「そんなこと言うわけないじゃないですか」
思わず、憮然とした声で返してしまう。
レド様は────私がそんな簡単に翻ってしまうような決意で、求婚を受け入れたと思っているのだろうか。
「…悪い。リゼの気持ちを疑っているわけではないんだ。ただ────」
顔を上げると、レド様が叱られた子犬のようにしょげている。何だか物凄く可愛くて、私は思わず笑みを零してしまった。
「まったくもう…、仕方ないですね。あのときのこと、そんなにショックだったんですか?」
「当たり前だろう。俺はリゼと結婚できると思っていたんだ。それなのに、リゼの方はそんなつもりは全然なかったと知って、俺がどんなにショックだったか────」
レド様が悲痛な表情で語り始める。
どうもトラウマになってしまったらしい。しばらく、応接間を使うのも控えた方がいいかもしれない…。
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