刺青爺さん
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第一章
刺青爺さん
天下茶屋の好々老爺としてだ、弓岡忠義は知られている。八十をとうの昔に過ぎていて皺だらけの長方形の顔と短い白髪の顔は如何にも温厚総出やや曲がった背中と小柄な身体も老人を思わせるものである。
彼の過去のことは知らない、しかし誰もが思うことだった。
「ええ人よね」
「あんなええ人おらんわ」
「ほんまにな」
「仏さんみたいな人や」
弓岡を知る誰もがこう言った、それは彼の子供や孫ひいては曾孫達もだった。兎角彼を悪く言う人はいなかった。
若い頃はと鳶職をしていたとのことで今は背中がやや曲がっていても動きもいい。しかし彼はいつもだった。
風呂は一人で誰とも一緒に入ろうともしなかった、風呂好きで毎日入っているがそれでもであった。
そのことを曾孫の一人である純政かれをそのまま若くした様な外見の高校生の彼は不思議に思っていた。
それで両親に尋ねた。
「ひいお祖父ちゃんお風呂いつも一人やな」
「それがどうしたんや?」
「あんただってそうやろ」
「いや、この前お風呂屋さんに誘ったんやけど」
それでもとだ、彼は両親に話した。
「いいって言われたんや」
「祖父ちゃんお風呂は家や」
父であり彼の孫である彼が言った。
「それでや」
「お風呂屋さんに誘ってもか」
「行かへんねん」
「そやねんな」
「昔からな」
「そやねんな」
「それでや」
さらに言うのだった。
「別におかしないやろ」
「それもそうか」
「そや、ほんまな」
こう言うのだった、しかし。
純政はこのことが気になってだ、それであらためて曾祖父を風呂屋に誘ったが彼は笑って言うのだった。
「わしは行かれへんのや」
「何でや」
「実は高校卒業してすぐに仕事はじめたが」
「鳶職やな」
「そやったが入った会社が代紋でな」
「何やそれ」
「ヤクザ屋さんや」
曾孫に笑って話した。
「もう七十年近いか。あの頃はまだそうした会社多くてな」
「それでひいお祖父ちゃんもか」
「杯貰ってな、喧嘩はせんかったがな」
それでもというのだ。
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