| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

入道の返答

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

第四章

「それで何故その言葉に従った」
「敵の子を生かしておいては禍になるぞ」
「異朝を見よ」
 宋のことだ。その国の過去の歴史のことがここで話される。
「あの国では敵の子はまず殺す」
「一族どころか三族皆殺しよ」
「そうして禍が及ばぬ様にしておる」
「源氏ならそうしておるぞ」
「しかし何故血のつながらぬ母親の言葉に従って助けた」
「やがて禍になるやも知れぬに」
「源氏が残ってはな」
「血は出来るだけ流したくはない」 
 清盛は前を見て言った。
「ましてやまだ幼い者を殺すのはな」
「好かぬか」
「そうか」
「その牛若はまだ赤子じゃった」
 清盛が言うのはこのことだった。
「赤子の命を奪うのはな」
「出来ぬか」
「そうなのじゃな」
「言ったな。血は出来るだけ流したくはない」
 確かに義朝は追い結果として死なせた、二つの乱の首謀者達も斬ってはいる、保元の乱では己の叔父達も斬っている。
 だがそれでもだというのだ。
「そういうことじゃ」
「だからか」
「助けたか」
「甘いと言うか」
「甘いのう」
「ひたすら甘いわ」
 しゃれこうべ達はここぞとばかり清盛に言う。
「何時か寝首をかかれるぞ」
「源氏を慕う者も多いのじゃ」
「そして御主を嫌う者も多い」
「兵を挙げる際の旗印にされるぞ」
「ましてや頼朝は源氏の嫡男ではないか」
 義朝の子だ。その中でもとりわけ血筋がいいのだ。
 その彼を生かしておいてはどうなるか、しゃれこうべ達が言うまでもなかった。
 だがそれでも清盛は彼を殺さなかった、彼はそのことを今言われた。
 そのしゃれこうべ達に対して清盛はこう答えた。
「そうなるやも知れぬ。しかしじゃ」
「それでも子は殺せぬか」
「小さな子は」
「何度も言うが無闇に血は流したくないし子も殺さぬ」
 清盛は言った。
「それには忍びないわ」
「そうか。あくまでか」
「御主はそう言うか」
「うむ。それで言われるなら仕方がない」
 今のしゃれこうべ達の批判も受けるというのだ。
「言葉を受けよう」
「わかった。御主の心はな」
「ではその心通りに生きるがいい」
「よいのだな」
 清盛はそのしゃれこうべ達に返した。
「わしは甘いままで」
「甘いと言うか仁と言うかはわからぬがな」
「しかしそれでもじゃ」
「御主のそうした心は我等は知った」
「ならそのまま行くがいい」
 これがしゃれこうべ達の返事だった。そして。
 彼等はその清盛にこうも言ったのだった。
「だが。御主のしたことは後世で何かと言われるやも知れぬ」
「そして御主が殺さなかった者達に貶められるやも知れぬ」
「そうしたこともよいのじゃな」
「そうなのじゃな」
「何かをして後悔することもせぬ」
 また言う清盛だった。
「未練は武士に相応しくないわ」
「未練はない、か」
「左様か」
「わしの言いたいことはこれで終わりじゃ。そちらの聞きたいことはまだあるか」
「いや、ない」
「我等も聞きたいことは終わった」
「ではじゃ」
 彼等から清盛に言う。
「御主の場所に戻るがいい」
「そうせよ」
 こう清盛に告げて彼等は姿を消した。清盛は彼等がいた原を暫く見回したがそれを終えて重盛達が待っている場所に戻った。すると重盛達はすぐに心配する顔で言ってきた。
「父上、ご無事でしたか」
「お帰りが遅く心配しました」
「一体何があったのですか?」
「うむ、話をしておった」 
 清盛は穏やかな笑みで己を気遣う彼等に答えた。
「少しな」
「話をですか」
「そうなのですか」
「うむ。そうじゃ」
 こう答えた清盛だった。
「狐や狸やも知れぬが少しな」
「おお、狐や狸ですか」
「その程度の者達ですか」
「鬼等ではないのですな」
「うむ、別にそうした者達ではなかった」
 しゃれこうべ達のことは狐狸の類と説明したのだ。
「安心せよ」
「そうですか。大事はなかったですか」
「それならよいです」
「では今より」
「うむ、帰るとしよう」 
 穏やかな顔で答えた清盛だった。そして。
 彼等は帰途についた。清盛はこの時のことを死ぬまで話さなかった。だがこのことは彼の心に強く残り。 
 時折酒の場でふとこんなことを漏らすことがあった。その漏らす言葉とは。
「仁は甘さやも知れぬか。しかしそれならそれでよい」
 この言葉の意味は誰にもわからなかった。言葉の真意は清盛しか知らないことだった、だが彼は時折この言葉を呟いたことは確かでありその真意があるのも間違いないことである。彼と彼等だけが知っていることだが。


入道の返答   完


                            2012・9・21 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧