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冥王来訪 補遺集

作者:雄渾
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第三部 1979年
原作キャラクター編
  運命の赤い糸 前編 ヴァルター・クリューガー

 
前書き
 完全書下ろしです。
 ワルター兄貴の話になります。
本当は原作通りにヴァルターなのですが、日本語の寛容句でワルターの方が一般的ですね。
拳銃メーカーのカール・ワルサー社も、今はカール・ヴァルター社というそうですが、昔人(むかしびと)の私としては、カール・ヴァルター社のPPKは、ワルサー社のPPK拳銃なのです。 

 
 ソ連製の攻撃ヘリ・Mi-24の座席に揺られながら、ヴァルター・クリューガーは、通り過ぎていく地表を眺めていた。
機体は、東ドイツのコトブス基地からポーランドのバルト海沿岸の都市、ダンツィヒに向かっていた。
機内には、彼の他に、3名の将校が乗っていた。
 操縦士兼機長のカシミール・ヘンペル中尉。
陸軍航空隊の出身で、BETA戦争における、モスクワ留学組の数少ない生き残りであった。
 副機長とナビゲーターを兼務する予備役少尉。
彼は、空軍司令部から派遣された人物で、英語の堪能な人物であった。
NATO軍との通信では、公用語は英語かフランス語だった。
 元々正規軍人ではなく、予備役将校で、普段は貿易関係の商社マンだった。
今までの様にロシア語で会話をするわけではないので、急遽呼び寄せたのだ。
 その他に、第一航空戦闘団の第二中隊長を務めるオズヴァルト・カッツェ大尉。
今カッツェは、ヴァルターの所属する中隊の隊長であったが、戦闘団長の代理を務めていた。
 理由は、ハンニバル大尉の急病のためである。
ハンニバル大尉は、戦術機の試験運転中に椎間板(ついかんばん)ヘルニアを発症し、3か月間の療養を余儀なくされたためである。
 その為、部隊編成が変えられて、急遽ヴァルターが第二中隊の指揮官となってしまった。
部隊にはほかにも、めぼしい人物がいたが、下士官上がりの彼は、最年長という事で勝手に推薦されてしまったのだ。
師団長に意見を言いに行ったときには、すでに正式な事例が下りた後だった。

 ヴァルターの参加することになった演習は、1979年6月22日にポーランドのダンツィヒで始まった。
作戦名称は、「オペレーション・バルバロス」で、対ソ戦を意識したものであった。
 ソ連は、このNATOおよび在欧州米軍が参加する特別軍事演習を、早速非難した。
政府機関紙の「イズベスチヤ」では、以下のように論評されるほどだった。
「第二の関特演」
 関特演に関してご存じでない読者も多いと思う。
ここで著者からの説明を許されたい。
関特演とは、正式名称、関東軍特種演習。
 1941年(昭和16年)7月に、日本軍が満洲で行った対ソ軍事演習の事である。
ちなみに動員兵力は70万、馬14万頭,飛行機600機という大規模な演習であった。
 あるいは、ソ連共産党機関紙「プラウダ」でも以下のように評された。
「ソ連侵略の意図を隠さないナチズムの再来」などなど。
 この特別演習には、開催国のポーランドは勿論のこと、NATO軍が主力だった。
NATOを構成する西ドイツおよび仏からは、戦車1200両、装甲車及び歩兵戦闘車2000両。
戦術機200機、航空機300機である。
 米軍は、陸軍のみならず空軍や海兵隊も参加し、空と海からポーランドに入った。
300機の最新鋭F5フリーダムファイターの他に、戦術機用の新兵器も持ち込んだ。
開発中の40ミリ水冷式機関砲や核ミサイル発射可能な新型のバズーカ砲も一般公開された。 
 東ドイツは、今回特別に、オブザーバー参加した。 
戦術機部隊と共に、カザフやウクライナの平原でBETAと熱戦を繰り広げていた第一戦車軍団の面々も参加した。
第一戦車師団は、既に1979年の年初には完全に解散したが、再度部隊編成をされ、ポーランドに派遣されることとなったのだ。

 戦術機部隊は、かつてのように第40戦術機実験中隊から、名前を変え、今は第一航空戦闘団となっていた。
 MIG21バラライカを始めとした戦術機48機とソ連製の戦闘攻撃ヘリ・ハインド4機。
その他に輸送作戦用に、旧式ではあるが、イリューシン設計局の作ったIL-14という双発のプロペラ機を6台持っていた。
 今回の軍事演習では、実勢経験のあるベテランのみで限定され、しかも男だけということになっていった。
婦人兵の多い通信兵や衛生兵まで、男と限定されたのは訳があった。
 ウクライナでのBETA戦の折に、今は戦闘団の中核を握る副長のオズヴァルト・カッツェが、同僚のツァリーツェ・ヴィークマンと、男女の過ちを起こしたためである。
 そればかりではない。
BETAとの終わりのない死山血河の日々の中で、未婚の男女が留め置かれれば、空房を守るという方が難しいという物である。
ということで、昼夜を問わず、男女の戯れが部隊の宿営地の周辺で行われた
 戦争の長期による風紀の乱れは、やがては軍そのものを崩壊させる恐れがある。
ここに至って、男女混成部隊が問題視されることとなったのだ。

 ユルゲンの妹で、美人で有名であったアイリスディーナは、この演習にはもちろん参加させてもらえなかった。
彼女の兄ユルゲンが、戦車部隊と犬猿の仲であったことだけではない。
第4自動車化狙撃兵師団麾下の第22自動車化狙撃兵連隊の歩兵将校たちが、アイリスディーナにちょっかいをかけて、第一航空戦闘団の将校団と喧嘩になったことがあったからである。
 ちょっかいをかけた相手は、党指導部の子弟で、陸士時代から札付きの生徒であった。
彼等は、相手であるアイリスディーナが、今の議長の養子で、なおかつアーベル・ブレーメの親族であることを知らなかった。
たまたま酒保(軍専用の酒場)に来ていたアイリスディーナに酒を無理強いして、酔わせた後に悪だくみをしようとしていたのだ。
 そんな事件があったせいか、彼女の周辺は非常に気をもんでいた。
ポーランド軍はおろか、NATOの諸国軍、米軍相手でどんな事件が起きるかわからない。
 そういうことで、軍の婦人兵は一人残らず国内での留守番にされ、戦争経験のあるベテランたちのみで部隊編成がされることとなったのだ。
 
 演習初日は、朝から雨が降っていた。
気象台の予報では、夜半に上がるとの話であったが、本格的に降ってきたのは夕方である。
 急な天候の変化と、不慣れな英語による航空管制は、結果として彼らの道を迷わせることとなった。
夜間飛行経験のあるヘンペル少尉でさえ、飛んでいる位置が分からないほどの豪雨に見舞われたのだ。
 おまけに時間がたつにつれて、豪雨で視界が遮られ、1キロ先も満足に見えない状態。
ダンツィヒに向かって飛んでいたはずの彼らは、急遽、近くの村落に不時着することにしたのだ。
 豪雨の中、不時着したのはヴロツワフ郊外。
その際、通信用のアンテナが大破してしまうという事態に陥ったのだ。
 4名の乗組員は、全員マント型の茶色い将校用の雨がっぱを着て、機外に出ていた。 
エンジンから、白煙が上がり始めたためである。
「隊長、不時着の衝撃で、操縦桿まで馬鹿になってますね。
これはもう現場では直せませんよ」
 整備士の資格も持っていた予備役少尉が、ヘンペル少尉に話しかける。
「無線機だけじゃなくて、操縦装置までお釈迦か……。
こいつはめえったね、どうも」
 ヘンペル少尉は、内ポケットからビニール袋に包んだソフトパックのキャメルを取り出す。
一本ずつ煙草を全員に配った後、
「めえったな、どうも、めえったな……」
言葉を切るとタバコに火をつける。
「そこらの人間捕まえてきて、ポーランド軍の基地に連絡入れれば済むじゃんか。
おれってばかだな、もう……」
と一人ごちった後、
「ヴァルター、おまえ、ちょっとこの辺の百姓(ひゃくしょう)のとこまでいって電話借りてこい」

「同志少尉、自分はポーランド語が出来ませんが……」
「なに、ここは30年前(ねんめえ)までドイツだった場所だ。
ドイツ語の話せる住民は結構いるはずさ。
なんなら若いあんちゃんでも捕まえてくれば、ロシア語(ぐれえ)できるはずさ」
 社会主義時代のポーランドでの公用外国語は、ロシア語であった。
いや、コメコンやワルシャワ条約機構に入った国では、ロシア語が必須科目であった。
 今日使われているキリル文字は、1956年に改良されたものである。
コメコン諸国のために、ソ連国外のロシア語学習者のために、繁雑な正書法を簡略化したものである。
これにより、ロシア語はほぼロシア語の発音に近い表記をされるようになり、学習をより容易にした。
 ソ連がこれほど言語政策に力を入れたのはなぜであろうか。
それは共産主義を文盲の貧農にまで教え込むには、識字率を上げる必要があったためである。
資料によれば、革命前のロシアでは5から13パーセントほどの人しかキリル文字を使いこなせず、ロシア語での意思疎通が不十分であったという記録も存在する。
 レーニンら革命の元勲によって作られたこの路線は、スターリン以後も継続する。
だが、今回の話には関係ないので、割愛(かつあい)させていただく。
後日改めて、話をしたい。

 さて、不時着をしたヴァルターたちの元に近づく者がいた。
それは、黒くひざ下まで着丈のある雨合羽を着た三人の少女だった。
 彼女たちは、夏休みを利用してヴロツワフに一泊二日の小旅行に来ていた学生グループの面々であった。
 先頭を行くのは、最年長のイレーナ・マリノフスカヤ。
くっつくようにして、同輩のカーヤ・ザヨンツが、イレーナの後ろを歩く。
「イレーナ、置いていかないで」
 そのあとから少し遅れてくるのは、シルヴィア・クシャシンスカであった。
彼女は、長い髪を赤いリボンで結っていたが、ひときわ目を引くのはその髪の色であった。
 シルヴィアの髪は、白金のようにほとんど白に近い金髪で、地毛であった。
俗に言う、プラチナブロンドという色合いで、天然のものは子供にしか見らないが、まれに成人したフィンランドやスエーデンなどの北方人の間で見られる髪の色である。
別名をトゥヘッドとも呼ばれ、そのような髪は、今日でも高値で取引されている。
 3人は、ワルシャワ育ちで、幼馴染であった。
何処に行くにも、何をするにも一緒であった。
 特に内気で兄弟のいない一人っ子であったシルヴィアにとって、イレーナとカーヤは姉のような存在でもあった。

「シルヴィー、むこうで大きい音がしたから見に行こうって言ったのはあなたでしょう」
イレーナは、怖がるシルヴィアの方を向いて、彼女の事を愛称を交えて呼びかけた。
「でも、強盗だったらどうするのよ。
みんな乱暴でもされて、殺されちゃうわ」 
「大丈夫、そんなこともあろうかとおじいちゃんからピストル借りてきたから」
 そういって、イレーナはソ連製の拳銃を堂々と掲げた。
自動拳銃のスチェッキン・マシンピストルであった。
「これはね。20発も弾が入っているの。
だから、その辺のナイフとか鉈を持った強盗なら、簡単に追い返せるわ」
 シルヴィアは小さくうなずいた。
頭を振ると同時に頭巾(フード)の中でポニーテールが上下する。 
 

 
後書き
 外伝では、イレナ・マリノフスキーとなっているのですが、ロシア語やポーランド語だと女性の姓は変化します。
マリノフスキーは、マリノフスカヤ。
 シルヴィアの名字のクシャシンスカも、男性形だとクシャシンスキーになるんです。
男性形、女性形に変化しないのは、ポーランド系でも海外にいる人ですね。
アメリカや日本にいる人ですと、そのままマリノフスキーとかクシャシンスキーとか名乗る人がいます。
 日本のアニメだとその辺はいい加減ですね。
『機動武闘伝Gガンダム』に出てくるロシア人の刑務官、ナスターシャ・ザビコフなどはその典型です。
 本当ならば、ナスターシャ・ザビコワにならないとおかしいのですが……
ごく初期はナターシャと表記してましたから、本名はアナスタシアなのでしょうね……

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