美容師にこだわる妻
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第一章
美容師にこだわる妻
小野田公佳は六十歳にになった、それで言うのだった。
「お誕生日の前に美容院行ってくるわ」
「それでか」
「そう、それでね」
夫の源五郎穏やかそうな外見の彼に言うのだった。
「ちゃんとした身なりでね」
「還暦を迎えるか」
「人間まだまだこれからだけれど」
六十になってもというのだ。
「けれどね」
「それでもか」
「身だしなみはね」
これはというのだ。
「整えないと駄目だから」
「それで行くんだな」
「いつものお店で」
それでというのだ。
「いつものね」
「お気に入りの美容師さんにか」
「セットしてもらうのよ」
「そうするんだな」
「そうよ」
「お洒落だな」
「年齢に関係なくね」
それでというのだ。
「やっぱりお洒落はしないとね」
「女の人はか」
「そうよ」
見れば赤くした波打つ長い髪である、切れ長の強い光を放つ二重の目と細く長い奇麗なカーブを描いた眉にすっきりとした顎に形のいい鼻に紅の大きな唇はどれも年齢を感じさせない。背も高くすらりとしている。
「幾つになってもね」
「そうなんだな」
「あなただってそうでしょ」
夫にも言うのだった。
「自分の奥さんが奇麗な方がいいでしょ」
「そう言われたら」
夫もこう返した。
「まあな」
「何か今一つはっきりしない返事ね」
「やっぱり還暦を過ぎて定年して」
それを迎えてというのだ。
「そうなってね」
「落ち着いたっていうのね」
「そう言うならね」
「そうなるのね」
「うん、けれどそう聞かれたら」
それならとだ、夫は答えた。
「やっぱりね」
「そうなるわよね」
「自分の奥さんが奇麗で」
そしてというのだ。
「浮気しないならね」
「慰謝料支払って人生アウトになるつもりはないわよ」
妻の返事は実にシビアなものだった。
「私はね」
「しっかりしてるね」
「自分でもそのつもりよ、兎に角ね」
「浮気はしないね」
「昔からね、浮気しないなら自分ですっきりしなさい」
「そうしたら何も問題ないね」
「そうよ、それで浮気しないで奇麗でいられたら」
妻はあらためて言った。
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