ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート
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38:はじめての友達
ボクは、この仔馬が何たる存在かを知っていた。
《ミストユニコーン》。
この世界でたった十体しか存在せず、倒した暁には莫大な経験値に無二の素材やその他レアアイテムも山ほどドロップする、レア中のレアモンスター。
そういえば今朝読んだ新聞に、最前線付近の階層でとあるパーティがミストユニコーンの狩猟に失敗して逃げられ、結果、独特の霧エフェクトが辺りのフィールドに広がり、彼らの失態を世に広められていた、という記事が記憶の端にかろうじで引っかかっていた。
……恐らく、この子がきっとそうなのだろう。ボクにはそう思えるその確信があった。
なぜならば、こんなに近くに居るのに、霧のワープ能力を使って遁走しようともしないからだ。たぶん《日に一度》……言い換えれば24時間に一度、というワープ能力の制限があるからだろう。
加えて、万一にでもこの子はボクに好意を抱いているわけではないという事も、よく分かっていた。
こんな密室の至近距離でボクと閉じ込められ、ワープで逃げることも叶わなくなったこのミストユニコーンは……ボクを明らかに怖がる視線で見上げ、その余りの恐怖からか、足を崩して倒れつつもなんとかもがいて体を地で引きずる形でボクから遠ざかろうとしている。
……まるで、ボクがB級ホラー映画の殺人鬼かゾンビか何かで、この子が無力なヒロインか何かのようだ。
クス、と我ながら奇妙な揶揄に小さく笑ってから、ボクはその場に片膝をついて跪いた。
そして手を伸ばす。
「だいじょう――」
ぶだよ、と言いかけた途端
『―――――~~ッ!!』
と、ユニコーンは一層怯えた反応を見せ、足を激しくジタバタさせながらさらに距離を引き離そうとしていた。
「あっ……」
そのユニコーンの反応を見て、気づいた。
今、ボクの手には巨斧が握られていたのだった。
……しかも、今からそれをあたかも振り降ろすかのように。
「わ、ちゃっ……違うっ、違うよっ!?」
慌ててそれを武装解除し、アイテムストレージにしまう。
「……ホラッ! 大丈夫!」
手をおおっぴらに広げて見せるが、ユニコーンの反応は変わらなかった。ズリズリと倒れた体を尚も引き摺り続けている。
「…………?」
……それにしても、その様子がどこかおかしい。
そもそも、一部の賢い非好戦的モンスターは、逃走する際に『恐怖している』と見受けられるアルゴリズム・リアクションを取る事をボクは《趣味》による独自調査で既知していた。
人の手によって創られた仮想のものにせよ……彼らは一様に恐怖という感情表現をする術を、微々ではあるが、確かに持っているのだ。
しかしこのユニコーンは……恐れに足が竦み、その足をもつらせながらも、それでも逃げようとしているという……そのリアクションが余りに生々しすぎる。まるで本物の生き物の心でも入っているかのようだが……残念ながら、そんなことはどう考えてもありえない。
実際の生き物と比べ、この世界のモンスターの情緒行動は、悲しくもシステム的にどうしてもシンプルになってしまうはずなのだ。
なのにこの違和感は、一体どういうことなのか……。
ボクはその姿を観察し、考察を重ねる事、数秒。
「…………え……あっ……!?」
そしてボクはようやく、その違和感の原因に気づいた。
ユニコーンの四本足の内の一本、後ろ左足に酷い怪我を負っていたのだ。
なにもこの仔馬は、他のモンスターよりも特別情緒豊かで恐怖に打ち震えていたわけではなかった。足の一本を負傷し、倒れながらも普通に非好戦的モンスターらしく怯え、そして逃走型レアモンスターらしく普通に逃げようとしていただけだったのだ。
だが、ボクにとってはそんなMMOゲームのプログラム的結論など、どうでもよかった。
「い、今すぐ治してあげるからねっ!!」
ボクはユニコーンに駆け寄る。するとそれに比例して逃げようとする動きの激しさが増すが、ボクは構わす傍で再び腰を下ろし、ユニコーンを抱きかかえる。
その途端……
「ぅぐっ!? ……ゲホッ、ゲホッ!」
ボクの腕の中でユニコーンが大きく暴れた。そのもがく足が、ドスッと思い切りボクの腹部にめり込んだ。……曲がりなりにも馬型のモンスターということか、その足の脚力は強靭で、ボクのHPはガリッと目に見えて減った。
「お願いっ……いい子だから……大人しくしてっ……!!」
それでもユニコーンは言う事を聞かない。
暴れ続け、その足が何度もボクの体を強く殴打し……ただでさえ防御に難のあるビルドであるボクのHPは恐ろしい速度で減っていく。
「……~~っ!!」
それに、ゾクゾクッと背筋が凍るような本能的な恐怖を覚える。
そう……思えば、この子もモンスターなのだ。
……《敵》なのだ。
だから、こんな真似をしたって、プレイヤーであるボクはミストユニコーンという名のプログラムの集合体に……殺されるだけ。
そんなの分かってる。
でも。
殺されてしまえば。
死んでしまう。
……怖い。
そう思った。
……けれど。
(あっ……!?)
……けれど、ボクはその時、見てしまった。
この子がボクに攻撃した事により、戦闘のターゲット状態となり……ボクの視界には、この子の頭上に《ミストユニコーン》という名前と黄色のカーソル、そして《HP》が表示されていたのだ。
そして……そのHPは、既に危険域にまで減っていたのだ。
そのダメージと足の酷い傷は、もしかしたら単に落とし穴トラップによるものだけなのかも知れない。けれど……
(キミは……この傷を、人間であるボク達……プレイヤーから受けて、今までずっと怯えて逃げてきたんだね……?)
そう、直感した。
(この子も……ボクと同じだ……)
確かに、このままではボクはあっけなく命を散らせるかもしれない。
これは、全く意味の無いことなのかもしれない。
――けれど、ボクと同じ苦しみを知る、この子を救えるのなら……ボクは……それでもいい!!
心の中で、胸に込み上げる熱い何かが、爆発するかのように力強く燃え上がった。
「お願いっ……ボクを、信じて……!」
そう感じた時には、ボクは強くその子を抱き締め、顔をその鬣の中に埋め、この小さな身体を小さなユニコーンに預け、託した。
しかしユニコーンは暴れ続け……ボクのHPはついに残り5割にまで減ろうとしていた。
「ひっ…………~~~~っ!」
死の淵に近付きつつある、今にも口から吐き出されようとする恐怖の叫び声を、唇を強く噛んで息を押し殺し、必死に耐える。
(ボクが怖がっちゃダメ……! 信じてもらえるために、この子を、信じるんだ……!)
バーがイエローに変色した時点でボクは目をきつく閉じ、強く強く、この子を抱き締めた。
……モンスターを介抱するということも、信じてもらおうと抱き締めることも。今ボクがしている事は、これまで誰もが聞いたこともない行為だ。
こんなことをする意味が分からないと、きっとボクは大勢の人から大笑いされるような事をしていることだろう。
……そう。
この世の中は……とても冷たい。
……ボク達のような存在にとって、生きていくのにとても苦しい世界だ。
けれど。
違うのだ。
――こんなの世の中でも、キミのことだって親身に思える……そんな親がいる事を、ボクは知っている。
それを、ボクはこの子に知って欲しい。
だから。
――おねがい。
――だいじょうぶ。
――キミを助けたい。
――信じて。
バクバクと心臓が爆発しそうな鼓動の中、そう想いを込めて……
ボクはこのユニコーンをただただ抱き締め、『信じた』。
………
……
…
―――――――。
「……ふ、ぅ……ふ、ぅ……」
それから、十数秒は……経った、と……思う。
…………ボクは、生きていた。
聞こえてくるのは、ボクの未だトクトクと激しい鼓動と、押し殺した息遣いだけ、だった。
ユニコーンは、暴れるのを止めていた。
目を開ける。
……ボクの残りHPは、奇しくもこの子と同じ、残り約2割といったところだった。
「……キミは……」
そう言って、ボクはユニコーンの顔を見ようとする。
「あ……」
しかし、顔をフイと逸らされてしまった。
その体は、極度の緊張で強張っていた。触れ合っているところから、ユニコーンの体が細かく震えているのを感じる。
それでもボクの腕の中から逃げようとしないのは…………いや、今は深く考えないでおこう。そんなことより……
ボクはポケットから、たった数本しか持っていない回復ポーションを摘まみ出した。
「ホラ……飲んで………」
横ばいにボクに抱かれるユニコーンの首を片手で支え、もう片方の手でポーションの栓をキュポンと抜き、口に添えて少しずつ注ぐ。
その時に嚥下を助け、また警戒を解いてもらえるように、喉を首筋に沿って優しく撫でてやる事を忘れない。
流石に馬相手での経験はないが、犬などのペットに対する応急処置の応用だ。
ユニコーンは身を強張らせながらも、飲まされる液体を少しずつ口に含み、喉を動かしていく。
「いい子、いい子だね……」
そんなこの子に、ボクは柔らかくした声で囁きかけ続ける。
次第にユニコーンは体の力を抜き始め……ボクは首を支えている手をゆっくり降ろし、膝の上にのせる。今度は膝枕をしてあげる形で、残りのポーションを飲ませていく。空いた手を、今度は安心させてあげられるように鬣を撫でてやる。
やがて、時間をかけて全てを飲み終えたユニコーンのHPが、じわりじわりと回復していく。
「……もう、歩ける?」
その言葉に、ユニコーンは立ち上がり――
「……わっ!?」
しかしすぐに足を崩し、地に倒れかけたところを慌てて再び抱きかかえる。
見れば、HPは回復を続けているのに……足の傷跡は少しも小さくなってはいなかった。
「な、なんでっ……」
慌てたボクは、ウィンドウを呼び出し、マニュアルページを超高速で目を走らせた。しかし、目ぼしい情報は見つからず……
ひどく狼狽した挙句、終いには藁にも縋る思いで、たまたま持っていたアイテム《モンスター別攻略本》を手に取った。
これはとあるプレイヤーが、情報に乏しいボク達中層プレイヤー向けに作った本らしく、ボクとしては決してあまり頼れる代物ではない。しかも表紙下部には【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】なる、実にアヤシイ惹区まで書いてあり、システムのマニュアルと比べても非常に眉ツバモノなのだが……
「え……あっ、もしかしてコレ……!?」
すごい勢いでページをめくり、とある見出しで手が止まった。
それは【部位破壊について】なるページで、
【オネーサンの豆知識コーナー:腕などの部位破壊はプレイヤーの場合、十分後に自動的に回復するけれど、モンスターの場合はずっと損傷したままダヨ。だから一度逃げられても、まだ仕留めるチャンスはあるヨ! 逆に言えば、モンスターの部位アイテムがたくさん欲しいからって、部位破壊してから再生するまで待つのは時間の無駄ダヨ。覚えておけよナ!】
と、頬にヒゲのような刺青らしきものがあるフードを被った女の子の、お茶目顔のデフォルメイラストを添えて解してあった。
「え……」
しかし、ボクはそのポップなイラストの顔とは正反対に、絶望の淵に落とされ、顔からサーッと血の気が引いた。
モンスターの場合は、ずっと損傷したままダヨ……だって?
「…………そ、そんな……」
ボクは頭が真っ白になり、顔を伏せる。
心なしか、膝の上のユニコーンもその目を陰らせた。
ボクは……途端に言う事をあまり聞かなくなった手で、その鬣を撫でる。
「…………ごめんねっ……」
そう、謝罪の言葉が口からこぼれていた。
……泣きそうだった。
「ボクは……キミを、治してあげる事もっ……できない、みたいっ……」
救いたくでも、救えない。
覆しようも無い事実。
なんて無力。
ボクは……仔馬一匹、救うこともできない。
同じ苦しみを味わう子を、助けてあげることもできない。
人とこの子は、互いに信じあえるのだと……証明し、教えてあげることもできなかった。
申し訳なくて悔しくて、瞼に涙がみるみる溜まっていくのを止められなかった。
対してユニコーンは、表情の読めぬ赤い目で、ただボクをチラリとだけ見た。そしてまた顔を逸らし、それでもまだボクに体を預け続けるという、意図の読めぬ仕草を返してくる。
「ごめんねっ……ごめんねっ……」
このボクの涙声に、返ってくるものは、なにもなかった。
ただ……虚しい時が流れる。
「……………」
その伏せて先程より下がった、涙でぼやける視点で。
ぼんやりとした頭で、たまたま目に入った本のページの端っこにある文章を、なんとなく読んだ。
「……オネーサンの……ムダ、知識コーナー……? ハッ、ハハ……」
笑えなさ過ぎて……もう、なんか逆に笑えてくるや……。
して、その内容は……
……。
……………。
「……………。…………ん!?」
そこを読んだボクは、くわっと目を見開いた。
そこには、こう書いてあった。
【オネーサンのムダ知識コーナー:ちなみに、モンスターの部位アイテムが複数欲しい場合、通常は一個体につき部位アイテムは一個のみで部位破壊後には再生しないけれど……その部位に《回復結晶》を使ってやると、なんとその部位が再生するヨ。けど、ぶっちゃけ同名Mobを乱獲した方が手っ取り早いし、絶えず動き回る戦闘中にその部位に回復結晶を使ってやるなんて真似は超難しいけどナ。もし、レアモンスターの部位アイテムが欲しくて、かつ相手が安全マージン以下の相手だったら、試してみる価値があるかもナ。】
「こ、コレだっ!!」
この時ユニコーンがぎょっとした目でボクを見ていることに気づかないまま、ボクはそのパタムと閉じた本の表紙に思わずキスをし、アイテムウィンドウの中をまさぐった。
「あった!!」
そして、一個のピンク色の結晶体をオブジェクト化する。
《回復結晶》。
これはつい最近、大して多くないボクの全財産の大部分を犠牲にして購入したものだった。
平凡以下の中層のプレイヤーであるボクには余りに手の高過ぎる高額アイテムだが、究極の保身アイテムとなれば無理をしてでも欲しくなるというものだ。……恐ろしい事に、《攻略組》の人達はコレを当たり前のように何個もポケットの中に常備しているらしいが……
っと、そんなことは今はどうでもいい。
「これを使えば……キミをっ……」
ボクは傷口である、ユニコーンの後ろ左足に結晶をあてがおうとした。
その時。ユニコーンは、ふと……ボクの心情を、もしくはお財布事情を知っての事か……あたかも『本当にいいのか』『自分に使わなくていいのか』などと問いたげな目でボクを見上げてきた。
確かに、今のボクのHPもゼロになってしまう二歩手前。棺桶に片足を突っ込んでいる危機的状態だ。
けれどボクはユニコーンに、薄く微笑みながら指先で零れかけの涙をすくい、軽く首を振る。
「ううん、いいんだ……。ボクは、ボクなんかよりも……キミを救いたいんだ。だから――ボクを、信じて欲しい」
『……………』
ユニコーンは何も言わず――もしかしたら、鳴き声はもともと設計されていないのかも知れない――ボクを見つめ続ける。
ボクはそれにコクリと頷き、結晶を傷口にあてがう。そして、
「――ヒール!」
この時のお腹から出した声は、自分でも驚くほどハッキリと発声された。
そしてその一言だけで、つい先日買ったばかりのボクのほぼ全財産はあっけなく砕け散り……
「わぁ……!」
ゆっくりと回復しかけていたユニコーンのHPが一瞬で最大値まで全回復した。
それだけではない。
「すごい……傷が……!」
それと同じ位の、驚異的なスピードで足の傷口が見る見る塞がってしまったのだ。
そして数秒後には、心なしか体の純白さが増した、血色の良さそうな子馬がボクの膝に横たわっていた。
「ねぇ、キミ……今度は、立てる……?」
その声にユニコーンはよろり、と再び立とうとする。今度はボクが脇で支えながら。
ゆっくりと、感触を確かめるように……四本の足が、しっかりと地を踏む。
そして。
『…………ッ!』
ボクの手から勢いよく飛び出し…………この狭い地下空間を、ぐるぐる回り始めた。
パララッ、パララッ、という軽快な蹄の音を鳴らしながら。
駆ける、駆ける。
その姿に、ボクは声を失う。
こんな薄暗い場所なのに……なんと幻想的な光景であろうか。
……しかし、今のボクの胸の内には、その光景の感動すら超える別の感情が込み上げていた。
「……うっ、うっ」
ユニコーンはくるくる駆け回っている足を止め、喘ぎ始めたボクの目の前で、突然何事かと見てくる。
ボクは、その目の前で……
「うぎっ……ひぐっ……うぁぁっ……――――うわあぁぁあんっ……!」
と、ユニコーンの目の前で、情けない事に……
……ボクは、赤ん坊みたいにびーびーと大泣きした。
「よかったぁ……よかったぁ……! うわぁぁああ、うわぁぁぁあん……!」
指ですくってもすくっても、後から後から止め処なく涙が溢れてくる。口を塞ごうと思っても、次から次へと肺とお腹の底から安堵の息が、いくらでも沸きあがってくる。
――……怖かった。
ボクがユニコーンに殺されそうになったから、ではない。
そんなことよりも……
この腕の中で、ユニコーンに死なれてしまうかもしれなかった。
動けないユニコーンを、ここに置いて行かなければならないかもしれなかった。
そのほうが……ずっとずっと怖かった。
だから……この子が救われ、助けられた今、とてもとても嬉しかった。
この湧き上がる気持ちに当てはまる言葉が、今のボクにはピンと出て来ないけれど……これだけは言える。
これは……『喜び』であることに間違いはなかった。
「うぎっ、ひぐっ……うっ、うぁぁん……!」
『……………』
そんなボクを、ユニコーンはじっと見据えてくる。
そして……
「うわぁぁぁっ……うぁぁぁっ――――うわあっ!?」
その時だった。
突如、胸元に、謎の衝撃が突き抜けた。
地にぺったり座っていたボクの上体は、その衝撃で仰向けに倒れた。
驚き、ボクは一瞬で泣き止む。
ユニコーンが突然、胸元に突進攻撃をし……その鋭利な角で、ボクの上体を突き飛ばしたのだ。
その攻撃で、ボクの残りHPがついに一割未満になった。
……気づけば、今度は逆に……しっかりと立つ子馬が、無防備なボクを見下ろしていた。
「あぁ…………そっか。……そうだよね……」
それを見たボクは、全てを悟った。
SAOにおいて、非好戦的モンスターは非好戦的とは言っても、全く戦闘をしない訳でも、全く戦闘力を持っていないわけでもない。
ユニコーンも元を辿れば、プレイヤーの敵……れっきとしたモンスターだ。
ゆえに。
逃げ場の無いこの状況で、追い込まれたこの子がボクを殺そうとするのも、至極当然のことなのだった……。
「……ふふっ」
けれど、ボクは小さく微笑んだ。
――なぜなら、ボクには……なんの後悔も無かったから。 心は、ひどく落ち着いていた。
……こんな最期も、悪くない。
そう思えた。
一匹の仔馬を介護し、助けることが出来て……一時的にとはいえ、幻のユニコーンに心を許されたのだ。
きっと……天国のお父さんも、こんなボクを笑顔で迎えてくれる。
そう思った。
「…………おいで……」
ボクは上体を寝かせたまま……見下ろすユニコーンへと両手を伸ばした。それにユニコーンは抵抗しない。
そしてその顔を両側から手でそっと包みこみ、そのねじれた鋭い角を自分の胸にあてがった。
それから手をその鬣に回し、愛おしげに撫でる。
「……いいよ。ボクを殺しても。……だけど忘れないで」
今にもその角でボクの胸を貫き、突き殺そうとしている、胸の内にいるこの子にボクは……最期の言葉を囁きかける。
「――ボクみたいに……キミの事も、心の底から信じられる人が居るってことを……」
そしてボクはそっと目を閉じ……自分がポリゴンに散るその瞬間を待った。
……………。
……。
…。
「……………。……………………?」
しかし、その時は一向に訪れなかった。
思わず恐る恐る片目を開ける。
そこには……
「…………は? キミ……なに、してるの……?」
目の前のユニコーンは、思いがけぬ行動を取っていた。
この子はボクを突き殺すこともなく……何故かボクの腰辺りに鼻先を向け、ヒクヒクと何かを嗅ぎ回っているようだった。
「なにか探して――るのばっ!?」
ユニコーンは突如、その鼻っ面をボクの腰ポケットの中にズボッと突っ込んだ。
しばらくもぞもぞ動いた挙句、そして出てきたその口には……ボクが《趣味》の為に収集していた、アインクラッド中からかき集めた様々な木の実が詰め合わせてある麻袋が咥えられていた。
かと思えば……いきなりその袋を地面に叩きつけ、中身を盛大にぶちまけた。
「ちょっ!?」
ボクはもう何も言えず、パクパクと口を動かしながらその光景を眺めている事しかできなかった。
……さっきまでのシリアスは、とうにどこかへと吹っ飛んでいた。
ユニコーンは尚も鼻をスンスン言わせ、散らばる木の実を品定めしているようだった。こんな珍行動の意図は、アインクラッドきってのSAOモンスター愛好家であるボクでも、さっぱり分からない。
そしてついに動きがあった。顔の方向が定まり、一粒の木の実を口に含んだようだった。
小指第一関節くらいの大きさの……枝豆のような形のレモン色の実。これもつい最近、街のプレイヤーショップから購入した……たしか、今の最前線辺りの階層でのみ採れると聞いた……名前は確か《ココリの実》という小さな果実……。
それをカリカリと咀嚼する音を鳴らし終えたと思えば……
じーっと、ボクを今までとどこか違う目で見つめ始めた。
「な」
に? と口を開こうとした瞬間。
ボクの目の前に小さなウィンドウが突如表示された。
【《ミストユニコーン》のテイミングに成功しました。《使い魔》にしますか? 【YES/NO】 】
「――――――。」
唐突過ぎて、一瞬何が書いてあるか理解できなかった。
開けっ放しの口が、さらに大きくあんぐりと開いた。
そして徐々に、徐々に現状を理解し……
「……………。……――――~~~~っ!?」
ボクは視界が再び感涙で急速ににじんでいくのを感じながら、口に両手を当てて驚き、言葉を失った。
この子はさっき、自分から木の実を食べたのだ。ボクが、この子にあげたのではなく、だ。それはつまり……
――この子は……ボクを信じ……自分から望んでボクの使い魔なろうとしている、ということではないだろうか?
それに、胸の内には……さっき以上の、喜びの津波が押し寄せていた。
「キ、キミッ……ボクをっ……信じて、くれたのっ……!?」
湧き上がる感動の嗚咽を堪えながら、ウィンドウタブ越しのユニコーンに問うた。
「キミはっ……こんなボクのっ、初めての友達にっ……なって……くれるのっ!?」
続けて口から出されたボクの問いに。
ユニコーンはボクに数歩、鼻面が触れる寸前まで歩み寄り……
――ボクの肩に己の顎を預け、甘えるように、ボクの横髪に自分の横顔を埋めてくれた。
「……――――~~~~~~~~~っ!!!」
ボクはYESボタンを押すよりも早く、思わずこの子を思いっきり抱き締め……そしてボクもまた、この子の鬣に顔を埋めた。
そして歓喜の泣き声をあげる。
今度も一切を包み隠さず、心の底から。
…………
……
…
そしてボクとこの子が、この落とし穴トラップから救出されたのは、この数分後……。
ボクの馬鹿でかい泣き声を聞きつけたパーティ員達が、一斉に救助に穴を滑り降りて駆けつけてきてくれ、その全員が余さず目をあらんかぎりに丸くして心底驚いてからのことだった。
後書き
ユミルとミストユニコーンが出会うまでのお話でした。
この子もこの時までは、人々に差別されようとも、ちゃんと人を信じようと強く頑張っていた子でした。
それなのに、今では……
そうなるのは、もちろんこの過去話の結末に起因しています。
……ここまで読んで下さってた方もある程度は、この先を予想できるんじゃないでしょうか。
そう、以前の話のタイトルにあるように……
――この過去話は、終わるための出会いのお話なのですから。
蛇足:
つぶやきでも言ってますが、前回のお話にて挿絵を一枚追加しています。
見てない方は、睡眠時間を削りながら急ぎで描いたものですが……よければ。
あと、今回のお話もかなりこの物語で重要な場面なのでボリュームたっぷりに。
読み飛ばすと、今後に響くかもしれないので、ゆっくりお読みください。
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