戦国御伽草子
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壱ノ巻
毒の粉
5
「何奴、止まれ!」
「いや待て!あれは佐々の…高彬殿だ」
「そんなこと言われて止まる奴いないっての」
ばらばらと出てくるおっさんたちを尻目にあたしはぺろりと舌を出した。
「捕えろ!」
一人ひとりに説明している時間なんてあるわけなく、天地城に明るい高彬を盾にして若殿がいるところへ強行突破している。
いつもはなよっとしている高彬も、さすが自らの仕える若殿の一大事ともなれば顔つきから違う。
「火急の時!道をあけられよ!」
一喝で戸惑っているおっさん達を竦ませる。
走って、蹴散らして、走って、飛び込んだ先の部屋。開いた襖の先の上座に、驚きで強張った顔の発と若君がいた。
ああよかったまだ無事だ…。あたしはほっと息をついた。
若君は中腰で、腰の刀に手をかけている。
横には転がった杯と、発の手には提子がある。
発がぼろぼろのあたしを見留めた途端、それとわかるほどに青くなった。震えた唇のまま、ヒステリックに叫ぶ。
「だっ、誰か!あれを、あれを殺してっ!いますぐに!」
殺してと。まぁ、さっき屋敷で死人に口無しと殺したはずの『石』がこうして若殿との朝餉の場に現れたんじゃそりゃあ驚くわよね。でも、そんなこといきなり喚き散らしたら自ら疑ってくれと言っているようなものよ。
あたしは構わずずかずかと上座に歩み寄った。
「無礼な!切って捨ててくれるわ!」
「よせ!手を出すな!私の知人である!」
突然の侵入者に、周りが騒然となって、誰何の声と、刀を抜く音が響いたその時、そう若殿が叫んだ。
あたしは目を見張った。
えっ、鷹男!?なんで!?
前に会った時よりだいぶ上等な衣を纏って、流していた髪もきっちりと結い上げてはいたけれど、目の前の『若殿』の座るべき上座に座っている人、それは間違いなく以前天地城で会った鷹男だった。鷹男も驚いてあたしを見ている。
あたしははっと気がついた。もしかして、鷹男は若殿の身代わり?
「はやくっ、はやく殺して!はやく誰か!」
みな刀は下げないものの、斬りかかってくる者もいない。あたしはそのまますっと発の目の前に立った。
「なぜ…おまえここに…死んだ、筈では…」
発の震える唇から、呻くような声が漏れる。
「お生憎サマ。こうして生きてるわよ」
高彬がいなかったら死ぬトコだったけど。
あたしは発に固く握られている提子に目を落とした。
その視線を追った発が震えあがった。
「柴田殿!?」
「このおおおおおおぉ!」
切羽詰まった声がしたと思ったら、振り返りざま背中を誰かから鷲掴みにされて体が傾いだ。
一瞬の後に、あたしは鷹男の胸に抱えられていた。
「私は」
鷹男の声が低く響いた。
「手を出すなと言ったはずだが」
刀を喉に宛がわれた男は冷や汗を垂らして頷いた。
「連れて行け」
侍従の一人が男を取り押さえて、どこかへと連れていく。
「鷹男…」
「姫。これはいったい、どういうことか説明していただけますね」
あたしははっと気がついた。
「あんたが、探ってた事って、このことなの?」
「どのことですか」
あたしがいいたいことぐらいわかっているだろうに、鷹男はあたしの傷だらけの顔を見て痛々しげに顔を顰めた。
「こんな…」
「あたしのことなんて今はどうでもいいのよ!鷹男、あんたわかってんの!?殺されるところだったのよ!」
鷹男が息をのみ、一気に場の空気が凍った。
鷹男が発をみた。発はかたかたと血の気を無くして震えている。
鷹男につられて、皆の視線が発に集まった。
「ち、ちが、違います!私ではありません!私ではっ!」
「で、あろうな」
意外な鷹男の言葉にあたしは目をむく。
何言ってんのよ!発のバッレバレの態度からしてもその提子のなかの酒だか白湯だかに毒が入れられてるのは明白じゃないの!しかもあの態度からして無関係なんてのは絶対にありえない。
「宗平様!」
発が我が意を得たりとばかりに声を上げる。
「と、当然です。私の訳がありません。私は宗平様の室です。ねぇ宗平様、はやくそのわけのわからないことをわめく小汚い女を殺してくださいな」
「道重も娘を使うなど、心ないことをする」
「…え?」
突然自分の父の名が出てきて発は茫然とした。追い打ちをかけるように鷹男の声がかかる。
「連れて行け」
「は」
「な!?無礼ものっ触るでない!私は、私は柴田権六道重が娘、発であるぞ!無礼ものっ!宗平様っ
私をお疑いになるのですか!その女の言うことを信じると!」
「そうだ発。そなたは最後まで柴田権六道重が娘でしかなかった。私の妻ではなく」
「そん、な」
発の目から涙があふれる。瞳が絶望に染まる。
その瞳が未だ鷹男に片手で抱かれたあたしをとらえた途端、燃え上がるようにつりあがった。
「石っ!おまえ、こんなことをして、ただで済むとは思っていないだろうね!絶対にお父様に言って殺してやる!身分もない孤児のくせにこんなところまでおめおめと乗り込んできて、拾ってやった恩を忘れたかっ」
口封じに罪なすりつけて殺そうとしといてよく言うわ!
「孤児…?」
鷹男が不思議そうにあたしを見た。
孤児、ですって?身分のない?
あたしはふっと笑うと鷹男の胸を押しやって両腕を押さえられている発に向き直った。
「私の真名は前田一太忠宗が娘、瑠螺蔚。」
その場がしん…とした。
発の瞳はこれ以上ないくらいに大きく見開かれている。
前田家、と震える唇が声なく紡いだ。
「若殿の命により常日頃不審な動きしていた柴田家に密偵として入り込んだまで。うまく事が運び、貴方方がこうして無実の者に罪を被せて殺そうとするような義も忠もないものだということは私の恰好を見ていただければ誰の目にも一目瞭然のはず。」
あたしは自分の血のにじみボロボロになった衣を指した。
「そ、んな、なぜ…姫自ら」
「ただ私が天に背くものを見過ごせなかっただけのこと。発姫。魂の半身とも言うべき夫を弑そうとした行いを自らの身を以って悔いるがいい!」
発の顔がゆがんだ。一気に瞳が憎しみで染まり、火事場の馬鹿力とでもいうのか、大の男に掴まれた腕を振り払ってあたしに向かって一直線に走ってきた。
「ああああああああああっ!」
すっとあたしと発の間に高彬が割り込み、その手を取って捻りあげた。捻られた発の手には、短刀が握られていた。
ぎらぎらと光る瞳は高彬に腕を掴まれても、あたしから離れない。
「連れて行け!」
鷹男が鋭く叫ぶと、高彬を初めとする侍従が、発を取り巻いて、連行していった。
ついでとばかりに手を振ると2人ほどの武を残して皆さがっていった。
「鷹男」
「…姫」
あたしがくるりと鷹男を振り返ると、彼は打って変わった低い声で唸った。
「これは、一体どういうことですか。私は、前田の瑠螺蔚姫にこんなに危険な命を授けた覚えはありませんよ」
「え、えと…あの後また、権六たちの話を聞いちゃって、それでこれは怪しいと思って、柴田家に孤児だ、雇ってくれっていって、乗り込んだのよ。そしたら何か、発が毒持って天地に乗り込んだって聞いたからさ、若殿助けなきゃって、必死で馬乗りつぶしてきたのよ。そしたら、あんたが若殿の身代わりやってるし、あたしあんま意味なかったかな、って。でもあのままだとあんたがあれを飲んでたことになるから、来てよかったわよね。悪者もみんな捕まってこれで一件落着!ね?あはは、は、はは…」
「姫。先ほど口封じに殺されそうになったとおっしゃいましたね」
「いや、でも実際あたしこうしてぴんぴんしてるし。殺されかけた、って言ってもそんな大したことには…」
「そういう問題ではないのです!」
鷹男があまりにも怖い顔で詰め寄ってくるから、あたしがごにょごにょとごまかしたら、いきなり鷹男に一喝された。
「どうしてそんな危ないことをなさるのですか!私はあなたに忘れてくださいといったはずです!何故約束を守られないのですか!何故たった一人でそんな危ないことを!」
「だ、大丈夫だって!殺されかけた、って言ってもそんな大したことなかったんだってば!ホントよ!」
鷹男はあたしの頬に手を当てた。
「大した事ない傷には到底見えませんね。女なのに顔にこんなに傷をつけて…どうするつもりですか」
ふ、っと鷹男の瞳に色っぽい光が宿って、あたしはどきっとした。
指先がゆっくりとあたしの頬の傷をなぞる。
「べ、べつにそんな、こんなあたしを嫁に貰おうなんていう度胸がある男なんていないから、別にいいのよ、別に。こんなのへいちゃらよ」
つい、そうしどろもどろに答える。
「そんなことを言ってはなりませんよ、姫。私にとっても姫は十分魅力的です…」
「わーーーっ!ちょ、鷹男!今はそんな話じゃないでしょ!?」
気がついたら、顔と顔の距離が今にも接吻できるような距離になっていた。しかも、鷹男の指はあたしの唇に触れていて、いとおしむ様にそっとなぜている。
あたしは慌てて飛び離れた。
「それでは、この話はまた今度ですね」
鷹男は残念そうに言う。
二人っきり、ってワケじゃないのに何考えてるのかしらね、この人は。いえね、別に二人っきりだったらいいとかそういうことを言ってるわけじゃないけど。もしかして、ほんとの若殿がそういう女ったらしな性格で、鷹男はそれを真似ているのかしら。
あたしはちらりと周りを見た。家臣たちは、苦笑いであたしと鷹男を見守っている。またか、という雰囲気だ。
あ、やっぱりそうなのか…。
「鷹男、それより本物の若殿は?あたし、その人に話があるんだけど」
あたしはこそこそと鷹男の耳に唇を寄せていった。
「…本物の、若殿?」
「え?」
違うの?え、身代わりじゃないの?……て、ことは…。
あたしは、思わずまじまじと鷹男を見てしまった。
「織田、三郎宗平様…?」
肯定のかわりに、鷹男のくちびるにうっすらと笑みが浮かぶ。
う、嘘…。
「織田平脈が三男、織田三郎宗平です。前田の瑠螺蔚姫、私に用とは何でしょう」
「…さっき、あんた、いえ、貴方に言ったことと同じことをお伝えしようと思っていただけです」
あたしはふいと横を向いた。
「お騒がせしてしまい申し訳ありません。今までの御無礼を深くお詫び申し上げます…帰ります」
「怒ったのですか、姫」
「いいえ」
「声が怒っていますよ」
「いいえ」
あたしは鷹男に一礼した。
「御前、失礼いたします」
「待ってください姫。怪我をしておられる。手当てをさせましょう」
「ご命令ならば従いましょう、宗平様。私に拒否する権利はございません」
「いいえ。貴女に命令はしたくない」
「ならば従えません。では」
「姫!」
あたしはさっさと縁まで出た。その腕を、掴まれる。
「姫、何を怒っておられるのですか。私が『若殿』だと黙っていたからですか」
「いいえ。私が貴方様に対して何を怒ることがありましょうか。畏れ多い事でございます」
「敬語はやめてください」
「それはできかねます。申し訳ありませんが、ご理解いただけますよう」
「なぜですか」
「貴方が若殿で、私がその臣下だからです。ご存知であらせられましょう?」
「…」
鷹男が黙った。ちょっと悪い気がして、あたしは鷹男をちらりと見た。
でも、若殿だってことを黙ってたなんて、酷い。
鷹男に騙されてたという事実に、あたしの純粋な心はキズものよ!
「では、臣下でなければ対等に話してくださるのですね」
「…?」
「私の妻になれば、対等に話してくださるのですね」
「若殿!意味がわかりかねます!」
あたしは思ってもみない言葉にぎょっとして悲鳴のように叫んだ。
ちょっとぐらい思い知ればいいなんて気持ちはぶっとんで思わずまわりを見渡せば、あたしよりも眼ん玉が飛び出しそうなくらい驚いている、家臣。
あたりまえだ。それなりの影響力を持つ前田家のたった一人の姫を主家である織田家の嫡男が本当に妻取るだなんてことになったら…!
今の世は政略結婚が当たり前。家同士の関係が重んじられ、仲の悪い家に姫を嫁がせて絆の補修または強化をするというのが普通。服従の意や人質のかわりに姫を差し出すってこともあるんだけれど。
だから織田と前田が仲が悪ければそれも頷けるけれども、関係は良好で別にあたしが嫁いで関係改善だとか、はたまた人質になんてなる必要なんてなし。兄上も父上も造反の意はこれっぽっちもないし。織田家も前田家を信頼してくれてるし。
正直今あたしが織田家に嫁いでもなーんの利益もないのだ前田家にとって。
それなのに妻取ろうとするのは、ただ主家であるということにふんぞり返った横暴でしかない。勿論、本当に織田家がそれを望んでしまえば家臣である前田家に否はないんだけどね…。
「わかりませんか?」
「…………」
鷹男はじっとあたしの目を見た。
「姫」
追いうちのように優しく声がかかる。
このっ…!ワガママ鷹男め…!
と怒っても結局あたしが折れるしかないのだ。周りのおじさんたちの胃が裂けないうちに。
あたしはふぅとため息をついた。
「…強情を張ったことは謝ります。ですが宗平様も酷いです。どうしておっしゃってくださらなかったのですか!」
「申し訳ありません、姫。決して騙していたとかそういうことではないのです」
「…謝らないでください。若殿に頭を下げさせたなんてことが父上に知られれば私はまた説教を受けなければならなくなります」
「では許してくださいますか」
「許すも許さないもありませんよ」
「それは許していただけると受け取ってよろしいですか?とりあえず部屋に入りましょう。怪我の手当てをさせてください。その怪我は私のせいです。…髪も、ざんばらになってしまいましたね…」
そう言って、鷹男はあたしの髪を一筋、掬って、くちづけた。
「おやめください宗平様!」
「鷹男、です姫。姫にはそう呼んでいただきたい」
「ですが、っ」
もう一度、鷹男があたしの髪にくちづけようとする気配がしたので、あたしは叫んだ。
「わ、わかりました!わかりました!」
「それと、敬語もなしですよ」
「わかりました、ですからそのようにして私を困らせようとするのをやめてくださいっ!」
「『わかりました』?」
「わかった!から、やめて、鷹男!」
わかったって言ったのに、鷹男はふっと笑ってさっと髪にくちづけた。
「愛い姫ですね」
瞳をあわせてカッコいい色男に微笑まれればこのあたしもいつものようにがなりたてることもできない。
「そのままの格好では、前田家に帰るにも帰れないでしょう。衣も差し上げましょう。忠宗と俊成に心配をかけたくないのでしたら、どうぞお入りになられてください」
あたしは、改めて自分の格好を見て、頷いた。
「兄上ーーーーっ!」
「瑠螺蔚っ!?」
振り返った兄上の胸に飛び込む。
「ただいま、兄上」
「おかえり瑠螺蔚…。一体いままでどこに?っ!この傷は?髪は!?」
「あ、そんなにわかるかな?えーと、ちょっと木から落ちちゃって…」
我ながら苦しい言い訳だな…。
当然納得するわけない兄上のお説教をうけながら霊力で傷を治して貰っている中ふと、視線をずらしたあたしの目に、一人の男が目に入った。
片膝をついて静かに座っている。
………誰?
「発六郎」
「は」
兄上の声に、男が応える。
「瑠螺蔚が帰ってきたと父上に伝えてくれ。」
「は」
男は空気も動かさずあっという間に去っていく。
「兄上。あの人、誰?」
「父上が新しく雇った男だよ。無愛想で無口だが仕事はできる男だ」
「ふぅん…」
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