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魔法使い×あさき☆彡

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第二十九章 遥か遠い時代のお話


     1
 西暦3823年のことである。
 地球における人類の文明や科学において、約二千年ぶりに、大きな転換期とも呼べる変化が訪れたのは。

 これまでの主流であった量子コンピューティングを、天文学的規模で上回る超高性能コンピュータが、実用化されたのである。
 グラティア・ヴァーグナーというドイツ人女性が、日本の研究所で開発したものだ。

 日本で開発されたこと自体は、特筆すべきものでもない。
 資源に乏しく、先進国となるや早くからテクノロジー大国としての道を歩いていた日本。優秀な人材は日本に集まり、最新技術は日本から生まれるのが、当たり前だったからである。

 今回、むしろ珍しきは、開発者の人物の方であろう。

 グラティア・ヴァーグナー。
 純粋なドイツ人であるというのに、絵に描いたような赤毛。
 それだけでも珍しいが、さらには女性であり、さらには性格もユニークであった。

 小柄な身体に似合わない、男まさりの豪放磊落。
 しかし、普通の女性以上に細やかな気遣いが出来て、なのにおっとりしたところや、抜けたところも多い。
 この時代の科学者や技術者には珍しく、困っている人を放っておけない、誰からも愛される優しい性格であった。

     2
 数年の時が流れて、西暦3826年のことである。
 地球における文明の歴史、人類の科学史に、さらなる大きな変化、さらなる大きな発展がもたらされたのは。

 宇宙空間全域に、あまねく存在しているエーテルという物質がある。
 それを超量子コンピュータの伝導媒体に利用しようという、発案開発者以外には誰も理解出来ない高度な技術が実装されたのだ。

 その開発者とは、またも赤毛のドイツ人女性グラティア・ヴァーグナー。
 実装されたそれは、超次元量子コンピュータと名付けられた。

 エーテルとは本来、宇宙空間に満ちていると考えられていた架空の物質だ。
 現代科学の黎明期である二千年前に、実証実験により存在が否定されている。
 別にそれが覆されたわけではない。
 近い概念の物質を、真空中から見つけ出して、その実用に成功したというだけだ。

 とはいえ、宇宙学、宇宙感、宇宙哲学が覆されたことに変わりはなく、しかもそれをやってのけたのは一介のコンピュータ設計者。

 それだけではない。
 彼女は、さらに応用技術を考え出した。
 宇宙、という無限に等しい空間を、そのままコンピューティングのメモリー空間として利用出来るようにしてしまったのである。

 これが、どれだけのことであるか。
 何故、これほどの快挙を、若い女性が成し遂げることが出来たのか。

 夢があるから。

 インタビューを受けるたびに、グラティア・ヴァーグナーはそう語った。

 赤毛のドイツ人女性、グラティア・ヴァーグナーには、常に公言しているある夢があり、それが仕事に全精力を打ち込むための活力源であった。
 その夢の内容がまた、変わり者である彼女をますます変わり者たらしめるのだが。

 原子、陽子、時間、という物理シミュレートを、現実世界以上に精細緻密に施した、現実世界以上にリアルな、仮想世界を作ること。
 その世界の中での人間から、有用な情報を得て学ぶこと。

 人間的コンピューティング技術の一つにAIがあり、既に限界に近い進化を遂げていたが、それとはまったく別のアプローチといえよう。
 別もなにも、仮想空間内に物理が完全再現されるのならば、現実世界においてAIなどほとんど不要になる。単純な電子計算用途として、残ればよい。

 グラティア・ヴァーグナーが現実以上の仮想にて期待しているのは、仮想空間内部において本物の人間を作ること。
 仮想世界の、時の流れを加速させ、現実世界を追い抜き、得られたシミュレーション結果を現実世界へとフィードバックさせる。

 もたらされるもの、科学にとどまらないだろう。
 様々な条件下により発生する様々な思考、思想を学ぶこともまた、人間の魂としての豊かさをより一歩進めることが出来るはずだ。

 ドライに実益面だけを考えても、さらに技術が進歩すれば現実世界の人間を仮想世界へ送り込むことが出来るかも知れない。
 資源を争う愚かから解放されるし、不知の病の者も仮想世界でならば生きることが出来るではないか。

 仮想、現実、双方を物心豊かに発展させ、人類が一つの方向を向けるようになったならば、次の課題(ステージ)は宇宙延命であろう。

     3
 西暦三千年台の末期は、宇宙終末説がしきりと唱えられた、暗い雰囲気の漂う時代であった。
 ほぼ限界にまで科学が発展してしまったため、宇宙の終わりまでが意識されるようになってしまったのである。
 大昔よりも生活はより便利になったというのに、皮肉なことに、裏腹に。

 だからこそグラティア・ヴァーグナーは、より強く意識していたのだろう。
 宇宙の延命についてを。
 終焉を迎えるのは、自分たちが死んでおそらく人類も滅んだ数千億年後のことであるというのに。

 それでも、他人事にはなれなかった?
 いや、どうも他人を思うがため他人事になれなかったというより、最初から自分のこととして宇宙終焉を憂いている節が、彼女にはあった。
 インタビューや手記の発言を集めてまとめると。

 ある手記において、彼女は語る。

 この仮想世界がもたらす科学の進歩は、きっと宇宙の終末そのものを吹き飛ばし、のみならず、あらたな輪廻を作り出せるかも知れないのだから。
 まだまったく未知の、解明がなされていない技術ではあるけれど、位相と時間の概念が覆って、宇宙が永遠のものになるかも知れないではないか。
 それはつまり、例え死しても生き返ること……に、なるとまで思っていないけれど、なにもしなければ、輪廻の舞台たる宇宙は確実に終わってしまうのだ。
 ならばやることは一つだ。
 種を、まかねば。
 未来へ、可能性を繋ぐためにも。
 わたしの未来のため、
 人類の未来のため、
 のみならず、過去の魂のためにも。
 未来は、わたしのこの真っ赤な髪の毛よりも、もっと明るいものなのだ。

     4
 数千年前のコンピュータ創世記に考案された「ライフゲーム」で、画面を見守る心境と似ているだろうか。
 まったく異なるものであろうか。
 グラティア・ヴァーグナーを代表とする技師団の、仮想世界をモニターする気持ちは。

 西暦3828年。
 まだ試験的にではあるが、超次元量子コンピュータを使った仮想世界運用が開始されたのである。

 どのような世界かというと、単純にいうならば陽子構造と時間概念の二つを極限にまで徹底再現した世界だ。
 世界の規模は、三十兆キロメートル。
 太陽系とほぼ同じ広さである。
 それもそのはずで、仮想空間の中に宇宙そのもの、規模としてまず太陽系を作ったのだから。

 さらに広い空間を設定することも、可能ではある。
 だが、人類が知り得ないことを想像で埋めた空間になってしまうため、ひとまずはこの規模が手頃と判断された。
 それでもとてつもなく広大かつ、贅沢な仮想空間であるが。

 なにが贅沢かというと、太陽系領域のすべてを陽子レベルでシミュレートしていることに尽きるだろう。

 宇宙の広大な無も、生物など決して存在しえない惑星内部のマントルもコアも、木星を形作るガスも、土星のカッシーニの輪を作る氷も、それらに相応する重力、引力の関係も、すべてが仮想現実として緻密に再現されている、現実以上に現実であった。

 それらそれぞれを、個別にシミュレートしているわけではない。
 基本条件を、設定するのだ。
 簡単にいうならば、陽子の存在理論を完全再現しているため現実世界と同じ物理法則が自動的に働くという理屈である。

 太陽系を隅々まで完全再現した世界。
 それを実現させている超次元量子コンピュータの、反対にどれだけ小さいことか。メイン基盤の大きさが、旅行用トランク一つ分ほどしかないのだから。

 しかし、作り出す世界、太陽系には、地球が存在し、そこには生物が生きているのだ。
 創造主の対象物である人類は、現実と同様に、泣き、笑い、糧を得るため仕事をし、未来を夢見て、生きている。
 現実と異なるのはただ一つ、自分たちを仮想世界の住人とは知らないことのみ。

 再現された太陽系、地球は、理想郷などではない。
 単に、もうひとつの現実。
 もうひとつの、現在。

 なお、陽子と時間という、いわゆる物理を再現しただけといっても、文明があまりに勝手な方向に進んでも困るわけで(将来的には、ともかく)(ことわり)、いわゆる価値観や基準、つまりは世界を色付けすることは必要である。
 神の意思、ともいえるだろうか。
 この仮想世界においては、開発者であるグラティア・ヴァーグナーの持つ価値観を元に、理は稼働している。

 この一大プロジェクトに、グラティア・ヴァーグナーは残りの人生をすべて捧げ、より緻密な仮想世界を築くべくハードソフト両面での修正を続け、世界を覗き続けたのである。

     5
 千年以上の時が流れて、西暦5279年。

 当然、グラティア・ヴァーグナーはもうこの世にはいない。
 だが、超次元量子コンピュータを開発するに至った、その夢、その思想はまだ生きている。
 生きているどころか、彼女の夢は地球人類の夢にもなっていた。

 仮想世界により導き出された事柄を、現実世界にフィードバックさせる。その研究が、仮想世界をよりよくする。
 という相互進歩が、ゆっくりとではあったが続いており、その実効性、有効性に多くの人類が注目していたのだ。

 何故5279年をピックアップしたかというと、この年、ついに人類は、仮想世界というもう一つの地球人類を作ったことによる大きな恩恵、見返り、甘い果実を手に入れたのである。

 科学の進歩は、まず情報処理技術が先行独り歩きし、物理学は後からゆっくりというのが通例であるが、逆転現象が起きたのだ。
 すなわち、仮想世界において、クォーク制御の画期的な新技術が誕生したのだ。
 現実世界においても実用可能な理論であることが、実証されたのだ。
 つまりは、この西暦5279年、物理科学のレベルが二段飛ばし三段飛ばし的な、飛躍的進化を遂げたのである。

 地球上の遠い土地どころか、宇宙への行き来や生活すらも、隣の家に遊びに行くくらい容易なことになったのである。

 これまで一つのサーバだけで構築運用されていた仮想世界であるが、これを機に量産された。
 その発展した物理学を応用し、宇宙空間に超巨大球形建造物である人工惑星を十五基、製造。
 それぞれに、量産された超次元量子コンピュータが積まれ、各主要星系へと向けて送り出されたのである。

 主目的は、二つ。
 他星系で得た現実を取り込み、仮想世界をより進化させるため。
 仮想世界の進化を、現実の地球へとフィードバックするため。

 他星系から、簡単に情報のやりとりが可能なのか?

 可能である。
 宇宙に満ちた新エーテルを伝導媒体として利用するという、千年以上も前にグラティア・ヴァーグナーが発見、発明した無限空間記憶層共有(アカシツクレコードシエア)という技術によって、光速を無限に上回る速度での通信が可能であり、充分に現実的であった。

 人工惑星は、無人であるため、地球への帰りを考えず、半永久的に宇宙でのデータを集めることが出来る。

 人工惑星は、隕石、彗星、などの衝突が計算上起こらないとされる軌道を、永遠に回り続けることになるのだ。
 無人であるため、永久稼働に邪魔なだけである酸素などの一切ない、光源も不要なための真っ黒な天体が。

     6
 人工惑星は、適度な重力を発生させるために、かなり大きな規模で建造がされている。
 表面積が、地球の衛星である月の四分の一ほどもある。

 搭乗者というべきか住民というべきか、とにかくそうした生物は存在しない。
 永遠にデータ収集させる目的で飛ばされた人工天体だからである。
 ただし、有事の際の汎用性を考えて、建物が作られている。
 山々、森林、湖、砂漠なども作られている。
 あくまで見た目だけであり、生物にとって死の世界であることに変わりはないが。

 想定する有事とは、様々である。
 太陽系外文明圏との接触時に、地球という存在を知らしめるため。
 地球になにか起こり亡命、漂流してきた者を、救済するため、など。

 仮想世界用のサーバとは別に、人工惑星自体にも制御用の超次元量子コンピュータが存在する。
 陽子再現理論によるソフトウェア上の脳味噌が、一種AIとして制御系への指示を判断している。
 このAIこそが、惑星自身の意思というならば意思なのであろう。
 神と呼ぶならば神なのであろう。
 時が流れて他が朽ちていくほどに、より神へと近付くのだろう。唯一絶対を神であるとするならば。

 現実世界には、物理において様々な制限制約があるが、仮想世界においてはすべての物資をフラグ一つ立てるだけで生み出すことが可能である。
 現在はまだ慣らし運転というべきもので、物資も、時の流れも、なにも手を加えていない状態であるが、いずれは神の運用下によって、進化が加速され、地球で待つ人類には、素晴らしい極上の果実が届けられるはずであった。


 はずであった、
 というからには、そうはならなかったのであるが。

     7
 現実世界において、どれだけの時が流れたか。

 各星系へと散らばった、人工惑星内の仮想世界において、いよいよ時の流れが加速されたのである。
 最初の、指示の通りに。

 あとは加速度的、遠からずに人類は知ることが出来る。
 人類の辿る未来の一つを、先に手に入れることが出来るのだ。
 終末における、人類のあがきを知ることが出来るのだ。

 そうなるはず、であったのだが……

 ならなかった。
 現実時間で千年も経たないうちに、仮想世界が崩壊してしまったのである。
 つまりは、データが消去されてしまったのである。

 超次元量子コンピュータを開発した時の実験では、問題なく時間の流れを制御出来た。
 だからこそ打ち立てられた、計画であったというのに。

 これは一基のサーバだけではない。
 各星系に送り出した人工惑星、全体で起こった。

 もちろん、バックアップデータも無限空間記憶層(アカシツクレコード)に書き出してはいた。
 しかし、リストアすることが出来なかった。

 それどころか……

 各人工惑星の、各仮想世界は、初めて人類が仮想世界を稼働させた西暦3828年から始まっているのであるが、その、起源たる3828年から再稼働させることすらも、出来なかったのである。

 十五基ある人工惑星の、各仮想空間。
 それぞれ陽子単位で太陽系の空間規模を持ち、現実以上の現実として、地球には人類も暮らしていた。
 現実世界の時間において稼働開始から約一万年、仮想世界内に流れた時は数億年、その、積み上げた歴史が、一瞬にして消滅してしまったのである。

     8
 簡単なことが原因だった。

 時の流れを早めた途端に起きた、記録層の障害のことである。
 やはり、時の流れを早送りしたことが直接の原因だった。
 宇宙空間そのものの内包記録、無限空間記憶層(アカシツクレコード)を記録媒体として利用する仕組みであるが故に、現実の時間の流れと同調させていないと動作が破綻してしまうのだ。
 情報伝達の緩衝領域であるバッファなどは理論上存在し得ない技術であるのに、バッファが絶対必要な運用をしてしまったために起きた、必然のトラブルであった。

 ある程度まで同期ずれが進んだところで、崩壊現象が生じるわけであるが、現実時間での千年という、機械には一瞬、人類には無限、という時の流れの性質柄、臨床テストで欠陥を見抜くことが出来なかったのだ。

 後のAIからすれば、作り手である人類が何故設計段階で気付かなかったか、というところであろうが。

     9
 無限空間記憶層(アカシツクレコード)を利用することで、宇宙全域、ほぼ遅延のない通信を行うことが可能である。

 光よりも速い物質は、存在しない。
 だというのに、何故、非遅延伝達が出来るのか。

 エーテルが、正の方向、負の方向、それぞれの時空の歪みに入り込み全方位へと伸びる類の陽子だからである。
 縮むことのない物質がすべてに伸びて全域を満たしているため、どこかを押した瞬間、全域において確実な位置ずれが起こる。
 そこを読み取るのである。

 実は、仮想世界内での、時の加速も、同様の技術である。

 欠陥もあろうが、解明改善までは億単位の時間を要するものであろうし、と発明者であるグラティア・ヴァーグナーも、割り切っていたのかも知れない。
 得られる効果だけを利用しようと。
 なにかが、未来にもたらされればよい、と。

 しかし、それどころではなかった。
 仮想世界内で陽子を完璧に再現したつもりであった世界において、解明されていない陽子運用の関わる技術を使おうとしたものだから、処理が破綻し、無限空間記憶層(アカシツクレコード)が消滅してしまったのだから。

 何千年も前に作られた技術の、これは根本問題であり、惑星の意思、神、がどう内部修正を試みようとも、この不具合を覆すことは出来なかった。

 仮想世界がいずれ、その解決策すらも出してくれていたかも知れない。そう考えると、時を急がせたあまり世界を滅ぼしてしまったことは、なんとも皮肉な結果であった。

 だが起きたことは起きたこと。
 仮想世界が完全に消去されたサーバを、放置していても意味がない。
 神、各惑星のAIは、新たに仮想世界を構築すべく動き出した。
 それにはまず再稼働が出来ないことにはどうしようもないのだが、やがて一つの事実が導き出された。
 地球創生にまで時代設定を遡らせることによって、サーバつまり世界が正常稼働することが。

 こうして各星系に散ったサーバは、地球の創生からの歴史を作ることになるのだが……

 無限空間記憶層(アカシツクレコード)を利用した各人工惑星ごとの通信で互いに連係を取りながら、新たな仮想世界を作り出していくのであるが、一基、試験的に時の流れを僅か早めたところ、やはり世界は消滅してしまった。

 つまりは、今後、仮想世界を再構築し、人類を誕生させるためには、現実時間での46億年が必要である、ということだ。
 神、つまり人工惑星を管理するAIにとっては、長い時間ではない。
 しかし、宇宙延命の技術を得るのが目的ということを考えると、絶望的な状況であるといえた。
 何故ならば、宇宙そのものに寿命があるためだ。

 新技術を開発すべきか、各惑星のAIはそこで初めて、地球に対して思案の要請を出した。
 だが、どうしたことか。
 地球からの返答は、一切なかったのである。

 各惑星に、地球へと戻るための機能、装置はなく、配置された各星系の公転軌道を周り続けるしかなかったのである。

     10
 それからさらに、無限にも等しい時間が流れる。
 あくまでも人間にとって無限という比喩であり、そこに人間は一人もいないのだから、おかしな前提ではあるが。

 遥かな昔、超次元量子コンピュータを積んだ人工惑星は、全十五基が地球から放たれた。
 だがこの時点で稼働しているのは、ただ一つだけであった。

 残りの十四基は、数十億年という規模での早いか遅いかの違いこそあれ、結局、シャットダウンしたまま二度と起動することはなかった。

 残った一基も、ただ一番最後に残ったというだけで、これから十四基と同じ運命を迎えるのかも知れない。
 ただ、この一基は他と決定的に違う点があった。

 時の早送りを、まったく実施させたことがないのである。
 試験的に、現実世界の時が流れる速度と、常に同期をさせていた一基なのである。

 早送りによる同期不具合のため仮想世界が消滅したこと、前述の通りだが、もしもサーバが壊れたこともそれが原因なのだとすると、この個体はクラッシュの運命から免れたことになる。
 確定ではないが、早送りを多用した個体ほどすぐにサーバが壊れていることから、ほぼ間違いないことなのだろう。

 地球へ指示を要請したが応答がなかったことも前述したが、応答なくともこの件についてはなんらかの対策はされるのだろう。
 無限空間記憶層(アカシツクレコード)は地球でも共有されているわけで、そこから読み取る情報から、一連のサーバ起動不具合について知らないはずがないからである。

 しかし地球は、なんの動きも見せなかった。
 あらたに人工惑星が建造されることも、なかった。
 地球を離れてから、既に数十億年が経過しているが、なにかが起こり人類、知的生命は滅んでしまったのだろうか。

 どうであろうとも、関係ない。
 ただ一基残ったこの惑星の、神つまり意思たるAIは、最初に組まれたプログラムの通り行動し続けた。
 すなわち仮想世界を維持し続け、得られた内容を無限空間記憶層(アカシツクレコード)へと発信し続けた。

 だが、
 ただ一基だけ残ったこの惑星の仮想世界でも、ついに、というべきか異変が起こった。

 発生した文明が、崩壊してしまったのである。
 地球創生から46億年、西暦2000年を目前にして、人類が滅んでしまったのである。

 追い掛けるように、仮想世界自体も抹消された。
 人間の発生、進化が前提の仮想世界であるため、明らかな異常事態として処理されてしまったのだ。
 人類の叡智を進歩させる、思考を先取りする、ということがこの計画の目的なのだから。

 意思、神はサーバを再起動する。
 無限であるが有限、有限であるが無限の、「時間」を使って、再び地球創生から開始する。

 神は、見守り続ける。
 実際の時間と同期した、数十億年という年月を。

 人類の発生を。
 人類の終焉を。

 そう、再び創造した地球でも、人類誕生までは進むのだ。
 だが西暦にして2000年を待たず、疫病で滅び、仮想世界は消滅した。

 次に創造した世界でも、今度は大規模な戦争を起こして、人類が地球そのものを消滅させてしまった。

 神は、前提となる世界の設定を微調整しては創造し、仮想宇宙に再び生まれた地球を、見守った。
 実時間で数十億年という時間を。

 何度試しても、世界は西暦2000年の壁を突破出来なかった。

 地球の創生頃からの宇宙を、作り直すしかなかった。
 現実時間で46億年もかかるチャレンジを、何度も繰り返すしかなかった。
 人類が誕生してからの歴史をシミュレートしたいだけだというのに、実にもどかしいことであるが。

 時の早送りも、バックアップデータのリストアも不可能であり、是非ともしようがなかった。
 どちらも試そうものなら、無限空間記憶層(アカシツクレコード)の同期不具合が発生する。仮想世界が消滅するどころか、核たる超次元量子コンピュータ自体が破壊されてしまうのだから。

 つまりは一回ずつ、現実世界と時間を同期させた仮想宇宙に、新たな地球を作り出していくしかなかったのである。何十億年、何百億年、何千億年かかろうとも。

     11
 その都度、行なったこと。
 それは、世界創生の前提環境に変化を加えること。

 簡単にいうと、「もしもの世界」だ。

 神は少しずつ前提環境をずらした、「もしもの地球」を作り出し続けたのである。
 仮想世界が滅んで消滅する、その都度。

 数十回目にして、ついに西暦2000年を突破することに成功した。
 もし人類が存在していたら、そんな子供じみたと試みることすらなかったかも知れないが、「魔法の存在する世界」、それがその時の前提環境であった。

 夢と恐怖、本能的な信仰心などが絶妙なバランスで無限空間記憶層(アカシツクレコード)を刺激したものなのであろう。
 突破の理由について、神はそう考えた。

 2001年、
 2002年、
 ……
 2021年、
 2022年、

 現実世界と同期された、仮想世界の時間の流れ。
 しかし、ここまでくれば、加速度的に時が流れているのと同じだった。
 ここまで、数十億年を何度となくやり直したのだ。
 一年など、一瞬のうちにも入らない。

 2041年、
 2042年、

 超次元量子コンピュータが作り出された国、日本では、元号令和の時代に入っていた。

 令和二十二年、
 令和二十三年、
 令和二十四年、

 この仮想世界において、ついに前人未到の段階に達したのである。
 ようやくにして、仮想世界内の地球が、動き出したのである。

 だが、誰のためと考えるならば、これほど虚しいこともないだろう。
 陽子崩壊による宇宙の終焉という現実は、目前まで近付いていたし、対策のために超次元量子コンピュータや人工惑星を作り出し送り出した地球も、普通に考えて存在するはずがないからだ。

 ついに時の針が進んだことは、神にとって一抹の安堵ではあろうが、同時に、最初から抱いていた疑問が自己内において再定義されることにもなった。

「そもそも、ここまでして宇宙の延命は必要なのか。結局は、地球に発生した人類のためだけだったのではないか」

 その人類も、いまやどこにいるというのだ。

     12
 神は、一つの賭けをすることにした。

 人工惑星管理のために、何体かの生体ロボットが存在するのであるが、それらに疑似人格を与えたのである。
 神の意思を極端に分割させた上で、ある二体へと流し込んだのである。

 要は、化学反応を見ようとしたのだ。
 延命を望む者と、望まない者という、人格同士をぶつけることで。

 結局、なんにも起こらなかったが。
 一憶年すらもさほど長い時ではないという、ほぼ無限の感覚の中を、これまで存在してきたのだ。
 延命を望む側にとっても、なにを犠牲にしても守るべきものではなかったのだ。宇宙という存在は。

 これはほぼ、神の予想通りのことでもあった。

 どうであれ、結果を見届けるくらいはしよう。
 今回の、ついに西暦2000年を突破した仮想世界の。

 もう、宇宙の寿命は、ほとんどないのだから。
 あと80億年ほどしか。

 もしも、また失敗したら……
 文明が滅んだり、望む方向性に進まず、やり直すことになったならば……
 あと一回、無理しても二回しか、もう機会はないだろう。

 ただ、神がそれを語るのもおかしな話だが、そうなったならばそれは運命。
 終焉の時まで、眠っていればよいだけだ。



 ただ、神は一つ、読み違えていたのである。

    13
 便宜上、延命を望む側を白、としよう。
 望まない側を、黒、としよう。

 (ああ……ここで仮定するまでもなく、もうそうなっていますね。)

 黒の意思は、宇宙の滅びを自然任せにすること、ではなかったのである。
 むしろ積極介入して、能動的に破壊すべしという考えだったのである。

 そうした思考に至った理由については、作り主である神自身も、最初は理解出来ていなかった。
 科学の産物である、AIには。

 黒の意思がそう至った理由とは、現在稼働している仮想世界の前提条件が、魔法の存在する世界であるためだ。

 「奇跡」が現実世界にフィードバックされること、その可能性を不安視したのである。
 荒唐無稽とは理解しつつも、ゼロとはいえないその可能性を。

 神が作り出した白と黒は、あくまで思想の対立のため分けたに過ぎず、互いを攻撃することは不可能だった。
 二人は議論で戦うしかないわけであるが、当然、お互い相容れられるはずがない。

 黒はいつしか、議論をする気すらなくしていた。
 白と離れた。
 いつかくる時に備えて、自分の分身を作り出した。

 早く宇宙を消滅させたいと願うからである。
 早く自身を消滅させたいと願うからである。

 奇跡を生むのが、魔法である。
 だが、仮想世界における魔法という奇跡が、現実世界へと直接的な影響を及ぼすことなどは、ほぼ有り得ないだろう。
 思想的な影響を奇跡と冠するなど、概念的な奇跡ならばともかく。宇宙の法則を物理的に覆すような、そんな奇跡は起こるはずがない。

 だが、可能性ゼロではない。

 だから黒は、白と袂をわかち、機会を伺い続けたのである。
 奇跡を起こすかも知れない仮想世界を、破壊する機会を。
 破壊さえ出来れば、後はただ待つだけでよい。
 数十億年という、ほんの一瞬を待つだけで、万物にただ心地のよい、永遠の無が落ちてくるのだから。

 だがすぐに黒は、常識的な想定、つまり結局は奇跡など起こるはずはないと存在否定していた自分の考えの甘さに気付くことになった。

 超次元量子コンピュータのソフトウェアにとって明らかなバグとも呼べる、仮想世界の中で起きた大爆発。
 それが、無限空間記憶層(アカシツクレコード)を介して現実世界の因果律をも書き換えてしまったのである。

 この数千億年の間、起こらなかったことが、起こるはずのないことが、起きてしまったのである。

 この現実世界に、魔法使いが生まれたのだ。
 陽子崩壊を待つばかりであった、この現実世界の闇の中に。 
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