八条学園騒動記
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第六百四十一話 餓鬼道その七
「そのお寺の所属している宗派なりの仕組みの悪口を言い出す」
「仕組み?」
「どの宗派でも組織だから仕組みはある」
「そのお寺だけじゃないか」
「現に俺達が今いる日本では仏教の宗派が多いな」
「そういえばそうだな」
フランツも言われて頷いた。
「浄土宗なり真言宗なりな」
「臨済宗や日蓮宗もあるな」
「そうだったな」
「そしてその宗派も組織だからだ」
人間の造り出すそれだからだというのだ。
「仕組みがある、総本山があってそこから段階的にお寺があってだ」
「お坊さんがいるか」
「そして信者の人達もな」
「キリスト教とかと同じか」
「簡単に言うとな、兎に角何でも仕組みがある」
宗教団体でもというのだ。
「その仕組みのだ」
「悪口を言うか」
「教えが耳に入らず信じないどころかな」
「どうでもよくないか」
フランツはここまで聞いて思った。
「仕組みなんてな」
「お前もそう思うな」
「教えを理解するのが筋じゃないのか」
本気で疑問に思って述べた。
「むしろ」
「俺もそう思うがな」
「それでもか」
「零点の、救い様がない奴はな」
「そうしたことを言ってか」
「救われない、そしてだ」
そのうえでというのだ。
「地獄に堕ちるかな」
「餓鬼になり果てるか」
「どちらかだ」
「零点の奴が餓鬼になるか」
「何度も言うが大抵の人は一点でも持っている」
救われる要素をというのだ。
「蜘蛛の糸でもそうだな」
「日本の小説だったな」
「芥川龍之介の作品だ」
大正そして昭和の初期に活躍した作家である、抜群の頭脳と文章力を持っていたことで知られている。
「犍陀多は救われなかったが糸を垂らしてもらった」
「それが蜘蛛の糸か」
「あれは少しでもだ」
「犍陀多がいいことをしたからか」
「蜘蛛を助けたことがあった」
だから釈尊も蜘蛛の糸を垂らしたのだ。
「エゴで救われなかったが一点でもあったからな」
「救いの糸が垂らされたか」
「しかしそんな奴はな」
「糸もか」
「垂らされない」
「救われないか」
「糸があっても気付かない」
救いのそれにというのだ。
「零点だとな」
「全くか」
「糸にも気付かないでな」
「救われないか」
「そうだ」
まさにというのだ。
「そしてだ」
「餓鬼になるか」
「折角お寺に入れてもらってな」
そうしてというのだ。
「教えを学んで精進するならな」
「救われるな」
「組織の仕組みに何の意味がある」
「どうでもいいな」
「そのどうでもいいことを見てな」
「それを批判してか」
「叩くだけだ」
それのみだというのだ。
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