ドリトル先生と幸せになる犬
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第九幕その九
「これはね」
「そうだよね」
「微笑ましいね」
「見ているだけで」
「凄く暖かいわ」
「その暖かさもね」
先生はにこりとして述べました。
「好評なんだよ」
「そうだよね」
「実際観ていて」
「そうなるし」
「ほっこりするっていうかね」
「観ていて優しくなれるよ」
「それだけで」
「そう、このよさがね」
まさにというのです。
「最高だよ」
「全くだね」
「それじゃあだね」
「これからも観ていこう」
「そうしていこう」
「是非ね、それとね」
さらに言う先生でした。
「僕達は動画のふわりとご家族を観て可愛いとか賢いとか性格いいとか思って」
「暖かくなって」
「優しい気持ちになってね」
「ほっこりして」
「それで楽しくなるね」
「けれどね」
それでもと言う先生でした。
「そうでない人達もいるよ」
「そうなのね」
「人は色々で」
「そうなる人ばかりじゃない」
「そうなんだね」
「視聴数を観て」
ふわりの動画のそれをというのです。
「凄いって思うね」
「それがどうかしたの?」
「僕達もそう思うけれど」
「何か違うの?」
「一体どう違うの?」
「これを凄いと思うか」
純粋にというのです。
「羨ましいと思うかだね」
「羨ましかったらそうなれ」
「自分も生きものの動画を投稿してね」
「そうなれって思うね」
「自分と一緒にいる生きものの動画を撮って」
「そうなれば動画がより増えて」
そしてというのです。
「凄くいいけれど」
「どういうこと?」
「先生が言うことだから何かあると思うけれど」
「そう思うならいいんじゃ」
「羨ましいと思っても動くなら」
「それならね、けれどね」
それでもというのです。
「自分のものにしたいとかね」
「ふわりを?」
「ふわりをそうしてなんだ」
「自分達のものにして」
「自分達が動画を撮って」
「それで観てもらうんだ」
「ユーチューブの動画には広告も出せるね」
このことも言う先生でした。
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