八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百三十三話 除夜の鐘その七
「いい感じね」
「そうだね、僕もね」
「そうした気持ちね」
「うん、だから毎年ね」
「こうしてなのね」
「鐘の音を聴いてるんだ」
「ここに来て」
僕に言ってきた。
「そうしているのね」
「そうなんだ、そしてね」
「新年を迎えるのね」
「そうしているんだ、煩悩を取り払って」
百八のそれをだ。
「すっきりして」
「謹賀新年」
「そうしているんだ、身体はお風呂で奇麗になっても」
それでもだ。
「心はね」
「そうはいかないわね」
「心は修行とかね」
「こうしたことで奇麗になるわね」
「自分を磨いたりね」
「神仏に触れることね」
「そうしたことをして」
そしてだ。
「奇麗になるものなんだよね」
「心が奇麗になることは難しいわね」
「身体は案外簡単だよ」
お風呂に入ればそうなるからだ、もっと言えばシャワーでもいい。身体は洗えばそれでその汚れは落ちる。
それでもだ、心はどうかというと。
「けれどこちらはね」
「そうはいかないわね」
「心でお風呂に入るとか」
僕は香織さんに笑って話した。
「ちょっとね」
「無理よね」
「だからね」
それでだ。
「お寺や神社に行って」
「仏様や神様に触れて」
「そしてね」
そのうえでだ。
「今みたいにね」
「除夜の鐘を聴いても」
「いいんだ、心の修行もして」
「お掃除もすることね」
「一年の最後にもね」
「つまり除夜の鐘って大掃除ね」
香織さんは笑ってこんなことを言った。
「そうね」
「ああ、心のだね」
「今のお話の感じだと」
「そうだね」
僕も笑って頷いた、香織さんの今の言葉に。
「言われてみればそうだね」
「そうでしょ」
「心の煩悩を祓うから」
「そうだよね」
「心の大掃除ね」
「一年の最後のね」
「そうよね、それを五月蠅いから鳴らすなんて」
またしてもこのお話になった、その音を聴きながらのことだ。
「やっぱりおかしいわね」
「そうだよね」
「煩悩そのものの人かしら」
「そうかもね、タイで同じ様なこと言ってね」
よりによって仏教の国でだ。
「同じマンションの人達から伝統行事と言われてね」
「突っぱねられたのね」
「一人のおかしな意見なんてね」
それこそだ。
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