ドリトル先生と幸せになる犬
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第九幕その六
「そこは見ることだよ」
「そうだね」
「一体どんな人か」
「お顔は大事だね」
「ある学生の子が言ってたよ」
先生は遠い目になってお話しました。
「中学までの同級生でとんでもなく性格も行いの悪い人がいたけれど」
「その人がどうなったか」
「一体」
「それもだね」
「この前会ったらチンピラみたいだったとね」
そうした外見だったというのです。
「お話したよ」
「物凄く性格と行いが悪くて」
「それで生きてきて」
「チンピラになったんだ」
「どうしようもない人に」
「みたいだね、人相は見ないとね」
それはというのです。
「外見で判断はしたら駄目でも」
「お顔が怖いとかはよくて」
「相ね」
「それを見ることね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「それが大事なんだ」
「性格や生き方が相や目の光に出る」
「そのことよく言われるね」
「だから人相って言われるんだ」
「それがいいか悪いか」
「前に日本で平日の夜の報道番組の司会者の人を見たよ」
先生はここでも日本のマスコミの人のお話をしました、先生にとってはとても肯定出来ない人達です。
「その人はずっと酷い報道に積極的に関わってきてね」
「人相悪いんだね」
「今のお話の流れだと」
「そうだね」
「凄く悪いんだね」
「うん、物凄く人相が悪いけれど」
実際そうだというのです。
「三十数年前は違ったんだ」
「どんなお顔だったの?」
「その三十数年前は」
「どうだったの?」
「穏やかですっきりした顔だったんだ」
そうだったというのです。
「かつてはね」
「そうだったんだ」
「じゃあその報道番組の司会者になってなんだ」
「ずっと酷い報道をしてきて」
「悪いことをしてきたから」
「驚く位に変わったよ」
その人相がというのです。
「物腰も謙虚だったのが凄い傲慢になっていたし」
「その人相当悪い生き方してきたのね」
「そこまで変わるって」
「人間変わるっていうけれど」
「悪く変わったんだね」
「そうだよ、織田信長さんも言っていたけれど」
戦国時代を導入したこの人もというのです。
「立派な人はやっぱり人相とかもしっかりしていてね、悪い人はね」
「悪い相なんだね」
「あの人もそう言っていたんだ」
「日本の歴史で凄い有名人だけれど」
「そうだよ、とあるカルト教団の教祖みたいな人と会ってね」
その時にというのです。
「その人を一目見て卑しい相と言ってね」
「流石だね」
「流石織田信長さんだね」
「人を見る目は見事だね」
「伊達に豊臣秀吉さんを用いただけじゃないね」
「そう、人を見る目があったからね」
織田信長さんという人はというのです。
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